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ヴァレリー『湖に浮かべたボートを漕ぐように』

1.『湖に浮かべたボートを漕ぐように、人は後ろ向きに未来へ入っていく。  

目に映るのは過去の風景ばかり、明日の景色は誰も知らない』

ネットで検索したポール・ヴァレリー(フランスの著作家・詩人 1871~1945)の詩です。つまり、「未来は誰にも分らないのだから、過去の事例から類推するしかない」ということだと思います。


2.『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議』(半藤一利編・解説 文春新書)を読みました。  月刊誌『偕行』で1976年~1977年にかけて連載された、太平洋戦争開戦時の陸軍中堅参謀の座談会記録と半藤さんの解説です

半藤さんが書かれた「余話と雑話・・・あとがきに代えて」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)①一つだけ、本書ではまったくふれられていないことを付け加えておきます。  こうして世界情勢が急展開しているとき、日本の国民はどうしていたのか、ということです。  これがまた情けなくなるほどメディアに煽られて勇み立っておりました。

②たとえば(1941年)10月26日の東京日日新聞(現・毎日新聞)の社説です。読めば読むほどいやはやとため息がでてくるばかりの大言壮語。

「戦わずして日本の国力を消耗せしめるというのが、ルーズヴェルト政権の対日政策、対東亜の根幹であると断じて差支えない時期に、今や到達していると、われらは見る。  (中略) われらは東條新内閣が毅然としてかかる情勢に善処し、事変完遂と大東亜共栄圏を建設すべき最短距離を邁進せんことを、国民と共に希求してやまないのである」

「最短距離」とは戦争をやれ、ということですね。  (中略)

③(臨時国会では)島田俊雄議員も大声をあげます。  「ここまでくれば、もうやる外ないというのが全国民の気分である」  東條首相もこう獅子吼(ししく)します。  「帝国は百年の計を決すべき重大なる局面に立つに至ったのであります」

④これをうけて新聞は、それぞれ勇ましい論陣を張りました。  「一億総進軍の発足」(東京日日新聞)、「国民の覚悟に加えて、諸般の国内体制の完備に総力を集中すべき時」(朝日新聞)。  どこもかしこも対米強硬の笛や太鼓ではやしつづけていたわけです。


(2)①もう一話。  戦争に踏み切れと鼓舞したような東京日日の社説が載った一月後の11月26日、千島列島の単冠湾から南雲忠一中将指揮の大機動部隊が、(ハワイの)真珠湾めざして出撃していきました。  

②そして同じ日、京都では高坂正顕、高山岩男、西谷啓治、鈴木成高の座談会が行なわれていました。  当代きっての有識者の彼らは説いています。  (中略)

③そしていちばん最後に高坂正顕がいいきりました。

「人間は憤る時、全身をもって憤るのだ。  戦争だってそうだ。  天地と共に憤るのだ。  そして人類の魂が清められるのだ。  世界歴史の重要な転換点を戦争が決定したのはそのためだ」

④さてさて、(真珠湾を攻撃した)1941年12月8日、日本人はみんなほんとうに憤っていたのでしょうか、当時11歳のわたくしにはそうは見えなかった記憶があるのですが。』

これを読むと、メディアも政治家も有識者も間違うことがあるようです。  1月13日のブログで紹介したように、自分自身の「教養という座標軸」が必要ですね。  


3.同じく「余話と雑話・・・あとがきに代えて」の末尾に次のような記述があり、感銘を受けました。

『読書にはどんな種類の愉しみがあるのでしょうか。  その人その人によって、もちろん違うでしょうが、もし共通の愉しみがあるとすれば、おそらくおのれの知的好奇心の満足ということになるのではないか。

老躯となった自分(※半藤さんは1930年生まれ)の体験でいえば、人生は忙しく短し、そして面白そうな本はいっぱいある、と。  であるから、本書を手に取った読者の好奇心を100パーセント満足させる、そうであるようにできるだけ頑張るのは、まさしく歴史探偵の仕事なのです。  老齢なんか関係ありません。  それで長い長い「あとがき」になりました。』

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ロッキー・マルシアノ

昨年の大晦日、フロイド・メイウェザー選手が那須川天心選手とエキジビジョン・マッチを行って話題になりました。  フロイド・メイウェザー選手は50戦無敗のまま引退したのですが、1950年代に49戦無敗のまま引退したロッキー・マルシアノという世界ヘビー級チャンピオンがいました。

今回は『無敗の王者 評伝ロッキー・マルシアノ』(マイク・スタントン著 早川書房)を取り上げます。  トレーナーのチャーリー・ゴールドマンがマルシアノを指導し始めたころの記述から、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ゴールドマンが挑戦して見事に才能を示したのは、長所を失わないままにロッキーを悪癖から抜け出させるという点においてだった。  ゴールドマンは人にはそれぞれのスタイルがあると考えていた。  ロッキーの弧を描く右のオーバーハンド(※ゴールドマンは「スージーQ」と呼んだ)はあまりに常識外れで、他のトレーナーたちがそれを目にしたときは笑っていた。

②放たれる瞬間からヒットする瞬間まで、そのパンチはあまりに軌道が長いため、大半のボクサーがやる場合、相手に当たる瞬間には力が落ちてしまっている。  パンチが当たらないことも多く、そうすると身体のバランスも崩れて、カウンターをもらう可能性も高くなる。  多くのトレーナーは、そのパンチを諦めてしまうか、振りを小さくしろと告げるのだった。

③しかしゴールドマンは、それがロッキーの武器庫にある独自の最終兵器だと気付いていた。  「天がきみに授けたんだ」とゴールドマンは語った。  彼の仕事はその資質を伸ばし、それを損ねないことだった。

④ゴールドマンはバランスとフットワークの向上に取り組み、スージーQの殺傷力を最大限に活かすすべを授けた。  直立するのではなく無防備にならないよう前かがみになって戦えと指示し、相手のボディの攻め方も教えた。  頭を下げ、腕を上げて、かわしながら進むスタイルを磨けば、自分よりリーチの長い相手の懐に入っていき、ジャブの下をかいくぐり、相手を叩きのめすことが可能になる(※マルシアノは身長約179cmとヘビー級の中では小柄だった)。

⑤力とバランスが奪われるので足を開きすぎてはならないと教えるため、ゴールドマンはロッキーの両足の靴ひもを結び合わせた。  (中略)  太い足と野球の経験を活かすため、ゴールドマンはロッキーに、キャッチャーのように低くかがんだ姿勢からパンチを打つ方法を示してみせた。  (中略)  「床のにおいを嗅ぐくらい鼻を下に降ろして、それから相手を殴り上げるんだ」。  (中略)

⑥ゴールドマンはロッキーのパンチを磨き、種類を増やすことにも時間を費やした。  脇の下に折りたたんだ新聞紙をはさみ込ませることで、強制的にロッキーのヒジを身体に付けたままにさせ、パンチを矯正した。  (中略)

⑦ゴールドマンは丸めたタオルをロッキーの首にかけ、シャドーをしながら片方の手でタオルの両端を持たせ、振りの小さいパンチの打ち方を教えた。  ロッキーの右手を背中に固定させて、左フックと左ジャブも磨かせた。

⑧フェイントや、手のひらを上ではなく下に向けて打つジャブや、パンチを打つ時は手首を固定することも教えた。  単発のパンチの連続ではなくコンビネーションの打ち方や、ヒザと尻と肩をパンチより後ろに残しておく方法も伝えた。

⑨ゴールドマンはシャドーボクシングの大切さを説き、それは学び、考え、先を予測する最善の方法だと言った。  「出したパンチはもう放っておけばいい。  準備すべきは次のパンチだ」とゴールドマンは語った。  (中略)

⑩ロッキーはゆっくり成長していった。  いまだに動きは洗練されておらず、不格好で、ポイントでは勝てそうになかったが、他の者にはどうあれゴールドマンの目には成長が見て取れた。  だがその成長を自身の教え子の前で認めることはまだしなかった。  すべてを吸収し、すべてを捧げてトレーニングするロッキーに、ゴールドマンは敬意を抱くようになった。  (中略)

⑪しかしその駆け出しの時期は、「『ブロックトンから来た、あの不格好で未熟すぎる筋肉男』にこだわっていると馬鹿にされたものだよ」とゴールドマンは振り返った。  「いつも言い返してたんだ、『いつか、奴はあんたらを驚かす』とね」』

マルシアノの長所をつぶすことなく、歴史に残る偉大な世界チャンピオンに育て上げた、チャーリー・ゴールドマンの柔軟な指導力に感銘を受けました。

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訓練と戦闘

『大戦略論』(ジョン・ルイス・ギャディス著 早川書房)を読みました。  第1章11「グランド・ストラテジー(大戦略)は学べるか」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①よく訓練された兵士が何の準備もない兵士よりよく戦えるのは、言うまでもないことである。  とはいえ(「戦争論」の著者)クラウゼヴィッツは「訓練」という言葉で何を意味していたのだろうか。

②それは、時間と空間を超えて有効な原則に従うことである。  そうすれば、過去にうまくいったやり方とうまくいかなかったやり方を峻別する感覚を体得することができる。 その感覚を、今度は目の前の状況に適用すればよい。

③このとき、原則はスケールを超えて活用されることになる。  その結果として計画が策定される。  計画は、過去から学び、現在と結びつけ、将来の目的を達成するものである。

④だが戦闘は、必ずしも計画通りにはいかない。  まず、相手の出方次第という面がある。  これを元・国防長官のドナルド・ラムズフェルドは「既知の未知」と表現している。  これは、大地震など予測できないことが認識されている事象を意味する。

⑤だが、それだけではない。  「未知の未知」もある。  9・11テロのように、起こりうるとは夢にも思っていなかったような事象である。  戦争では、敵と遭遇しないうちに想定外の出来事が起きて窮地に陥ることが十分にあり得る。  

⑥クラウゼヴィッツはこれらを総合して「摩擦」と呼ぶ。  言い換えれば、理論と現実の衝突である。  (中略)

⑦摩擦に直面したら、臨機応変に対応するしかない。  だがそれは、成り行き任せとはちがう。  時には計画に従い、時には計画を修正し、時には計画を捨てる。

⑧現在地と最終目的地の間に何があろうとも、(南北戦争を戦った大統領)リンカーンのように、心の磁石は正しく北を指しているはずだ。  (『君主論』や『戦術論』を書いた)マキアヴェリのように幾多の労苦と危険の中で学んだ教訓に基づくいくつかの選択肢が浮かび上がってくることだろう。 

⑨それらを踏まえたうえで、あとは自分の力量次第ということになる。』

極真の試合でも、対戦相手ごとに「どのようにして戦うか」という大まかな戦術(計画)を、事前に考えておくことは大切です。  しかし、試合に「想定外の出来事・・・クラウゼヴィッツのいう摩擦」はつきものです。

ですから、⑦のように「時には計画に従い、時には計画を修正し、時には計画を捨てる」臨機応変さが必要です。  そうでなければ、試合中の「摩擦」には対応できません。

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