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明石家さんまさんと師匠

1月5日のスイッチインタビュー(NHK・Eテレ)の出演者はサッカー日本代表の森保一監督と明石家さんまさんでした。  さんまさんが師匠の笑福亭松之助さんについて、禅僧の内山興正老師に師事していたという話をされていました。

興味を持ったので『草や木のように生きられたら』(笑福亭松之助著 ヨシモトブックス 2016年初版)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①わたしはいまも彼(さんま)に週に一本、手紙を出していますが、それには訳があります。  弟子・師匠といっても西と東に別れてしまっていては会話をすることもままなりません。   弟子・師匠というものは名前の上だけのことではない、師匠の考え方を少しでも理解してこそ、弟子と師匠であるとわたしの経験上そう思っていましたので、手紙を出すことにしたのです。

②手紙は週に二本くらい出したこともあります。  内容は、わたしが読んだ本で感動したことや、彼の仕事に参考になること、禅の話の手紙でした。  

③東京へ行ってしばらく経ったころでしたか、ある週刊誌の「わたしの宝物」という欄に、彼がわたしからの手紙を「宝物」として掲げている写真が一ページを飾っていました。  それを見て、わたしは「有り難いこと(有ること難し)だ」と思いました。  師弟の関係が保たれているのを感じました。

2.①なにかの用事で奈良にある彼の家へ行ったことがありました。   お父さんがわたしにこういいました。  「さんまは、いま師匠が死ねといったら、死にますよ」

②それを聞いて「こんなヤクザな師匠をそれ程までに思っていてくれるのか」と思いました。   わたしは師匠の五代目松鶴のことを思い出していました。  口数の少ない師匠でしたが、師匠とはなにか通じるものがあったように思っていたからです。

3.①あるときわたしの気の迷いから、吉本をやめようと思って彼にそのことを伝えますと、「やめるのはいけません。   前に師匠が 『あるがまま』と教えてくれたではありませんか。  やめようというのは、我が計らいではありませんか」といいました。  この言葉にギャフンといわされました。

②「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」というのはこのことでしょう。   「あるがまま」というのは親鸞聖人の「自然法爾(じねんほうに)」ということです。   こんな言葉が即座に出るくらいに、わたしの手紙を読んでいてくれたのです。  教えたわたしが忘れ、教えられた彼が教えてくれる、こんな師弟はどこにもないぞ、そう思いました。

4.①(『荘子』を読んで)人は皆それぞれ考え方の違いがあって、生きているのだということを知りました。  これがわからないうちは、人も皆同じ考えだと思っていましたから、なぜ、わたしのいうことがわからないのだと思ったりしたこともあります。

②これがわかってからは、人様に自分の考えを押しつけることはなくなりました。  もちろん聞かれればそれに答えることはしますが、わたしの考えが相手に通じるかどうかは不明なのです。

③だから、さんまにもわたしは参考文献を書き写したものをそのまま送るようにしていました。  つまり「人間が一億人いれば、一億の考え方がある」ということです。  自分の意見を通そうとするとそこに争いが起こるのです。  

5.①さんまは倅にいったそうです。  「自分が歳をとったら、師匠の家しか帰るところはない」  こんな人間は現代には珍しいと思います。   「帰るところはここしかない」、これは仏法です。  また一つ彼に教えられました。』

うらやましいような師弟関係ですね。

私のブログのタイトルは『私の読書録・備忘録』です。  自分自身のための読書録であり備忘録ですが、テーマを取り上げる際には家族(カミさんと娘)や指導している選手にも伝えたいと思って書いています。

また、上の4.③同様に参考文献を書き写したものがほとんどです。  私のコメントはなるべく書かないようにしています。  理由は、その内容に関する私の解釈を押し付けたくないからです。


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