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「できる」から「わかる」へ

前回に続き、『熟達論』(為末大著 新潮社)からです。  『「できる」から「わかる」へ』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①「わかったつもり」に陥ることもあるが、すでにできているのにうまく説明できない状態もある。  (中略)

②学習するためには、意識的な姿勢が必要とは限らない。  私たちは何かをやれば、学び体得する。  「型」で基本を手に入れていれば、そのあとはただ与えられた課題をこなしていくだけで学習し成長していく流れはできる。

③スポーツの強豪校で、細部まで何をやるかをコーチが決めている場合、選手は言われた通りやるだけで自分のやっていることを意識しなくてもよくなる。  それでも繰り返していけばうまくできるようになっていく。

④「できる」だけなら、必ずしも正確に構造を把握しておかなくてもいいのだ。   出したいアウトプットのために、適切な入力さえすれば、できる。  その時の当事者の感覚としては「とにかくやろうと思ったらできた」となる。

2.①そうであれば「わかる」必要はないと思われるかもしれない。  しかし、そこには二つの弊害がある。  一つは、構造がわからなければ、自分がずれ始めた時にどう修正していいかがわからなくなるという点だ。  例えばスプリンターが不調になった時、その問題点を直すためにはどこに何が影響しているかを理解しなければならない。  (中略)

②構造がわかれば入力と出力がずれ始めた時、何がおかしいかを理屈で理解することができ、元に戻すことができる。  ところが構造がわかっていないと、なぜうまくいかないのかがわからない。

3.①もう一つの「わかる」必要は、他者に説明するためである。  構造を把握せずできるようになった場合、どううまくなったのかが自分ではわからない。  なので人に説明できないのだ。

②才能がある選手は理屈ではなく感覚的に捉えて、やろうと思ったことができる。  目指すべき出力に対し、構造を介して適切な入力がなされるからこそうまくいっているのだが、それがほぼ無意識に行われている。   入力と出力がずれにくいからだ。

③人間はうまくいかない時にこそあれこれ想像を巡らせるもので、苦労したことほど深く構造を理解するものだ。  もしすんなりとうまくいった場合は、わざわざ構造について深く考えたりはしない。  そのまま繰り返していくうちに、構造についてはわからないまま、システムの使い方は上手になる。

④このように学習してきた選手がコーチになると、できるのだが説明はできない状態になる。  自分はやってみようと思えばできたわけだから、選手にもやってみろとしか言えないのだ。

⑤しかも、その入力は自分自身でうまくいったものであり、他の選手でもうまくいくかどうかはわからない。  自分の入力方法をひたすら伝えるだけになれば、構造が違う他の選手を育てることはできない。  これが名選手が名コーチになるとは限らない理由だ。  できるからと言って、構造を説明できるとは限らないのだ。』

支部長として指導するようになって45年が経ちました。  今回の世界大会を見ても、選手を育て結果を出すことは容易ではありません。  でも、それだからこそ指導者にはやりがいがあります。  そう簡単にやめること、あきらめることはできません 笑

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