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山縣亮太選手

1.昨年12月17日のブログで、男子100メートルの日本記録(9秒95)を持つ山縣亮太選手のインタビュー記事を紹介しました。  その後に次のように書きました。

『以前、NHKで山縣選手のドキュメンタリー番組を見たことがあります。  未熟児で生まれ、インキュベーターの中に入っている山縣選手の映像が妙に印象的でした。』

2.昨年12月25日の朝日新聞に山縣選手の体験談が掲載されました。  番号を付けて紹介します。

『①小学生のとき、両親から生まれた頃の話を聞きました。  予定日より2カ月早く1730グラムで生まれ、すぐに新生児集中治療室に入ったこと。  医師に「何かしら障害が残るかもしれない」と言われたこと。  小さい頃は病弱だったそうです。

②そういう話を聞いても、「へえ、大変だったんだ」ぐらいにしか思いませんでした。  外で遊ぶのが大好きで、元気でしたから。

③小学生の頃は、背丈の順に並ぶと前から3番目から5番目ぐらい。  ただ、小さく生まれたから背が低いと思ったことも、体が弱いと思ったこともありません。  生まれたときのことについて、父は詳しい話をしたがらなかった気がします。  心配させないように、という親心だったのかもしれません。

④陸上選手になるきっかけをつくってくれたのも父です。  小学生のときに大会に出て陸上クラブからスカウトされたのですが、僕は乗り気じゃなかった。  でも父が練習に参加できるように計らってくれ、やってみると友達もできて楽しかったんです。

⑤小さく生まれたことが、体にどういう影響を及ぼしたのかはわかりません。  ただ、なにかしらのハンディキャップを背負って生まれてきたらしい状況にありながらも、その後は目標を持ってやってきましたし、「よくやっているな」と思います。

⑥意識して前向きにというよりは自然とそうなっただけですが、競技に打ち込んでここまできました。  あまり気にしない性格でよかったなと思います。  「才能がないかも」とか「小さく生まれたから」とか、ネガティブな方向に気持ちが引っ張られていたら、どこかで挫折していたかもしれないですから。

⑦僕のハンディキャップになるかもしれない部分を受け止めて、両親が大事に育ててくれたことが、いまの自分の根っこにあります。    その後の人生や選手生活で、前向きでいられるきっかけの一つなのかもしれません。』

ご両親の温かく前向きな育て方が、今の山縣選手を生んだのですね。

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