FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

李登輝さん「急がば回れ」

台湾の李登輝さんが7月30日にお亡くなりになりました。  本省人(台湾生まれの人)初の中華民国総統です。  戦中の京都帝国大学に入学され、親日家としても知られていました。

1.吉崎達彦さん(双日総合研究所 チーフエコノミスト)のブログから抜粋し、番号を付けて紹介します。
    
『①7月30日に李登輝さんがお亡くなりになった。  国葬の様子が放送されていたが、蔡英文さんの後に、馬英九さんも献花していた。  この二人は、いずれも李登輝さんに見いだされて政界入りした。  そして二大政党の総統になった。  李登輝さんこそが、台湾における「ザ・ファウンディング・ファーザー」である。 (中略)  

②立派な仕事を残した偉大な人が、晩節を汚さず、最後まで周囲に惜しまれつつ天寿を全うする、ということはめずらしいものだ。  習近平やプーチンは、さぞかしうらやましく感じることだろう。  当人たちはそれがわかっているからこそ、見苦しくジタバタするわけであるが。  (中略)

③2002年と2004年に日米台三極対話で台湾に行った。  そのときに李登輝さんの講演を聴く機会もあったし、事務所を訪問することもできた。  3か国の出席者がいるので、会話はいつも英語であった。

④あるとき、李登輝さんが英語で思い出話をしている最中に、突然、怒り出した。  そして、「あの人たちはケシカランですよ!」となぜかそこだけ日本語になった。  ああ、この人の母国語は日本語なんだ、と思い知らされた瞬間であった。  

⑤ちなみに李登輝さんの「思い出し怒り」は、自分が総統だった時代に国防部のサボタージュに手を焼いたことであった。  そこは昔の国民党(中国共産党との内戦に敗れ、1949年に中国大陸から台湾に移転した)で、「心は大陸にあり」という部下が多かったのであろう。

⑥いろんなことを聴いたけれども、いちばん「らしいなあ」と感じたのは李登輝さんのこのセリフである。

「大きな目標があるときに、私はまっすぐそこへ向かって進むことはない。  かならず遠回りをする」

⑦こういう大人の知恵は、21世紀には流行らないのかもしれない。 まあ、政治の世界から大人が少なくなっているので、仕方がないことなのだろう。  「その他大勢」の一人であったが、偉大な人の謦咳に接することができたことは、われながらまことにラッキーなことであった。  合掌。』


2.上の⑥の李登輝さんのセリフは年を取ってくると、よく分かります。  若いときは、どうしても性急に物事を進めようとしがちです。  

『李登輝秘録』(河崎眞澄著 産経新聞出版)から、関連する記述を抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)①1996年8月14日の重要会議で「中国投資に過度の注意が向いて、間接的に台湾の国際競争力の衰退を招いている」と指摘した。

②李はさらに、翌9月14日に企業経営者に向け、その指摘を「戒急用忍(急がず忍耐強く)」と説いて、ブームに乗った対中進出の急拡大を戒めた。  その後、対中投資審査は厳格化され、1件あたりの投資額は上限が5千万ドルに制限された。

③ただ、李が訴えた「戒急用忍」は、台湾からの対中投資の禁止を意味するものではなかった。  このあとに「行穏致遠(慎重に進め)」と続く。  (中略)

④「台湾の経営者には急がば回れ、中国より台湾で投資しなさいと言いたかった」と李は当時を振り返った。


(2)①2000年の総統選で李は国民党候補に連戦を出馬させる。  結果的に連は落選したが、1992年7月の取材で、本省人の連を後継者に考えている、と打ち明けていた。

②(取材した産経新聞・台北支局長)吉田は「頑固一徹な設計主義者」と李を評した。

③後継者のみならず、90年代の早い段階で総統直接選の導入など、李は何年も先の青写真を描いていた。

④誰よりも忍耐強く、時期を待って実践躬行(理論や信条などを、自身の力で実際に踏み行うこと)するのが李のスタイルだった。』



TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT