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日本海軍とレーダー開発

1.『「超」入門 失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ』(鈴木博毅著 ダイヤモンド社)を読みました。  『失敗の本質13 イノベーションの芽は「組織」が奪う』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1944年6月に行われたマリアナ沖海戦は、空母対空母の日米海軍決戦となりましたが、レーダーによる戦闘機の待ち伏せやVT信管の登場で終始米軍が圧倒し、日本は航空機の70%以上、約400機の戦闘機を失います。  この戦闘で日本側は空母3隻を撃沈され、第一機動艦隊は事実上崩壊しました。

②では、戦局を大きく変えた最新兵器レーダーは日本では開発されていなかったのでしょうか。  いいえ、一部の日本人は懸命に開発努力をしていたのです。  (中略)

③1941年の8月、海軍技術研究所で無線技術担当の伊藤庸二中佐を主任としてレーダー兵器の開発が始められますが、日本人科学者たちは、予想外の大きな壁に何度も阻まれます。 (中略)

④海軍軍人たちは、自分たちの知らなかった技術・兵器であるレーダーの重要性を、ほとんど理解することがなかったようです。  (中略)

⑤あげくの果てに、研究所のスタッフが試作品を戦艦に設置しようとしても、レーダーの設置場所をもらえない。  「こんなかんざしみたいなものは、艦橋につけるわけにはいかない」と、アンテナのスペース確保を拒否される。  (中略)

⑥当時、レーダーの中核技術であるマグネトロンの研究においては、日本はアメリカよりもはるかに進んでいたと言われています。  これら優位性を活かすことができなかった大きな要因は、「日本海軍という組織が既存の認識を変えることができなかった」からです。  (中略)

⑦極めつけは、前述の「マリアナ沖海戦」において、日本機動隊が大打撃を受けたのち、反撃のため出撃させた艦上攻撃機「天山」10機の逸話です。

⑧夕方から発進する夜間攻撃隊として「天山」は出撃したのですが、帯同していた日本人科学者が苦労して取り付けたレーダーを、戦果にあせる攻撃隊のパイロットたちが全部取り外してしまい、その代わりに魚雷を搭載して出撃したのです。  (中略)

⑨結局、夜間攻撃隊は敵を発見できず、戦果のないまま帰艦しました。  せめて一機か二機でもレーダーを装備して出撃すれば、戦果を挙げられたかもしれません。  (中略)

⑩一方の米軍は、軍人が知らない科学技術でも、成果につながる可能性に気づき、多くの科学者に自主性・自立性を確保した研究環境を与え、彼らに能力を最大限発揮させることでベストの成果を期待しました。』


2.本日(日本時間)行われた、今年のスーパーボウルへの出場をかけたNFLのカンファレンス・チャンピオンシップは、NFC・AFCともにオーバータイムに突入する激闘でした。  私が応援するAFCのニューイングランド・ペイトリオッツは3年連続で勝ち上がり、NFCチャンピオンのロサンゼルス・ラムズと2月4日(日本時間)、第53回スーパーボウルで戦うことになりました。  勝てば、2年ぶり6度目の優勝です。

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