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趣味に随順する

このブログで何度か紹介している幸田露伴の『努力論』の「静光動光」の項に、散る気(何かをやろうとしても、すぐ他のことに気が散ってしまうこと)の習癖を取り除く方法について書いてあります。  ①為すべきことがあったら為してしまう、②趣味に随順(心から信じて従うこと)する、③血行を整理する、の三点です。

①については2012年12月22日、『全気全念』のタイトルで紹介しました。  今回は②について、前回同様、渡部昇一先生が編述された現代語訳から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①およそ人間には、すべてそれぞれ《因》《縁》《性》《相》《体》《力》の六つがそなわっている。  これらがそれぞれ作用するわけだから、先天的な約束事を背負っていると思ってよい。  あまり運命的な決めつけをしてはいけないが、もって生まれた「好き嫌い」に従っていくやり方も悪くない。

②絵を描くのが好きな人は親が反対しても好きだし、人の身体を触るのが嫌いな人は、親兄弟が医者であっても医者にならない。  僧侶が好き、軍人は嫌いと、まさに人それぞれである。  幼すぎて物事の判断ができない場合とか、一時の思いつきを除いて、《趣味》をもっと大事に考えてみたい。
 
③絵の好きな人には、絵を好む遺伝子があり、さらには幼時に絵に魅かれる劇的な出来事があったりする。  他の仕事には向かないのに、物や風景を巧みにスケッチできるということは、すでにして絵描きになるべき体質や筋肉組織をそなえているのだ。  手には均整のとれた線を書く力があり、目には微妙な色彩を識別する視力があり、対象の急所を抑える天分を会得しているのである。
 
④こういう人を他の世界に引っ張っていても無駄なことだ。  気は散り乱れて、いかに修業したってモノになるわけがない。  むしろ好きな画技に専念させて絵描きにさせたらよい。  嫌なこと不快なことを捨て、好きなことに没入すれば、《気》は順当に流れ力を増してくる。
  
⑤義理の上からは、どっちを取ってもよいならば、趣味に従うのがよい。  趣味は、気を養い生気を与え、そして順当に発動させる力をもっている。

⑥植物に例をとってみよう。  硫黄の気を好むナスに硫黄を少し与え、清冽な水を好むワサビに清冽な水を与えると、それぞれその本生を遂げて独特の持ち味を生み出すのである。  つまり、ナスの美味の気は硫黄から、ワサビの辛味の気は清水からもらっている。

⑦人間が趣味に素直に従うことは、気の上からいって非常に大事なことなのである。  もし、好むところに逆らってナスに清冽な水、ワサビに硫黄を与えると、両方とも気が委縮して本来の味を生み出せずに終わってしまう。
 
⑧本来、趣味というものは、本人が先天的に備えている因子などから生じてきたものだから、これに素直に従ったほうがよい。  芸術家もよし、僧侶もよし、山野を放浪するもよし、みなそれぞれが異なった因子に従って、自分の目指す方向に向かって歩いたらよい。
 
⑨ただし、趣味とは言い難いが、気を消耗させ気を乱す賭博や色事だけは好きだからといって放っておいてはいけないので、慎まなくてはならない。』

昨日、城西OBの舟橋賢から『城西支部40周年記念誌』のインタビューを電話で受けました。  その中で自分自身のこの40年間も振り返ることができ、極真空手という趣味に随順して過ごしてこれたことに対して、改めて幸福と感謝を実感しました。  

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