2017.06.27 Tue
戦艦大和と「空気」
2013年9月25日のブログで『「空気」の研究』(山本七平著 文春文庫)を紹介しました。 今回は山本七平さんと小室直樹さんの対談集『日本教の社会学』(ビジネス社)を読みました。 1981年7月に出版された本の新装版(2016年12月発行)です。 抜粋して紹介します。
『山本・・・戦艦大和の出撃というのは、「空気」を研究するには一番いい材料ですね。
小室・・・昭和20年の沖縄戦のときに、大和出撃に賛成する理由はまったくあり得ない。 大和が沖縄にたどりつけるなんて、到底考えられない。 だから、論理的に考えればまったく無意味、ナンセンスの二乗みたいなものですが、昭和19年のマリアナ戦当時に戦艦山城の出撃に断固反対した大本営参謀が今度は大和出撃を要求、第二艦隊司令長官の伊藤整一中将がどんなに出撃反対の理由を説明しても何回もやってきて説得する。 が、伊藤中将はどうしても反対の態度を変えない。
山本・・・ところが、最後に三上参謀が来て大本営の「空気」を伝えるわけですね。 そうすると、伊藤中将は「それならば何をかいわんや。 よく了解した」と。
小室・・・このような機能面に着目すると、「空気」は強烈な恐るべき規範性をもって迫ってくる。 これに反したら集団の中に居るわけにはゆきませんから、もう殺されるとわかってても行かなくちゃならない。
山本・・・ときの連合艦隊司令長官・豊田副武自らが、「そのときの空気を知らないものの批判には一切答えないことにしている」と後になって語っている。 裏からいえば、当時の「空気」を知っている者だけが、大和出撃の理由がわかるわけです。 これが「空気」です。
小室・・・そうだとすれば、「空気」は流行やムードなどとほど遠い。 世の中には、「空気」を流行の一種だと誤解する人が多いので、この点十分注意すべきだと思います。
山本・・・流行ならば、「おれはそれをしない、おれはそういう流行を無視する」といえるわけですね。 ところが、「空気」はそうじゃないんで、「おれはそんな不合理なことはやらない」ということは絶対にいえない。 ある極点を絶対的に拘束して、それ以外のことをさせないわけです。
小室・・・それに反したら処断されるわけですけど、処断されるという意味がまた違いまして、軍法会議にかかるという意味じゃなくて、「おまえは日本教徒ではない」と詰め腹を切らされる。 それだけでなく、議論しただけで大変なことになる。
山本・・・おそらく世界のどこの戦史を探しても「あの時の空気ではああせざるを得なかった」という弁明はないでしょうね。 ところが、これは単に大和出撃だけじゃない。 太平洋戦争の開戦がそうでしょ。 何を誰が、どこでどう決めたのかわからない。
小室・・・戦後も、この点は全然かわっていません。 さらに注意すべきことは、「空気」が、流行とかムードと明らかに違う点は流行やムードだったらどこの国でもある。 ところが、「空気」っていうのは日本独特の現象であって、外国にはまったくないか、さもなくばきわめて例外的な状況にしか現れない。 そして、注意すべきことは、これは群集心理とも違うんです。
山本・・・違いますね。 というのは、群衆じゃないですから。 あの大本営決定だって、すべてを知り抜いている専門家の対論の結果です。
小室・・・ウルトラ・エリート。
山本・・・ええ。 それが徹底的に討論をしていったらそういう「空気」ができちゃった、ということですね。 だから群衆がワアワアいって「戦艦大和出ていけーっ」ていったんじゃないんです。 全部知り尽くしている専門家がそれをやるっていうことです。』
『山本・・・戦艦大和の出撃というのは、「空気」を研究するには一番いい材料ですね。
小室・・・昭和20年の沖縄戦のときに、大和出撃に賛成する理由はまったくあり得ない。 大和が沖縄にたどりつけるなんて、到底考えられない。 だから、論理的に考えればまったく無意味、ナンセンスの二乗みたいなものですが、昭和19年のマリアナ戦当時に戦艦山城の出撃に断固反対した大本営参謀が今度は大和出撃を要求、第二艦隊司令長官の伊藤整一中将がどんなに出撃反対の理由を説明しても何回もやってきて説得する。 が、伊藤中将はどうしても反対の態度を変えない。
山本・・・ところが、最後に三上参謀が来て大本営の「空気」を伝えるわけですね。 そうすると、伊藤中将は「それならば何をかいわんや。 よく了解した」と。
小室・・・このような機能面に着目すると、「空気」は強烈な恐るべき規範性をもって迫ってくる。 これに反したら集団の中に居るわけにはゆきませんから、もう殺されるとわかってても行かなくちゃならない。
山本・・・ときの連合艦隊司令長官・豊田副武自らが、「そのときの空気を知らないものの批判には一切答えないことにしている」と後になって語っている。 裏からいえば、当時の「空気」を知っている者だけが、大和出撃の理由がわかるわけです。 これが「空気」です。
小室・・・そうだとすれば、「空気」は流行やムードなどとほど遠い。 世の中には、「空気」を流行の一種だと誤解する人が多いので、この点十分注意すべきだと思います。
山本・・・流行ならば、「おれはそれをしない、おれはそういう流行を無視する」といえるわけですね。 ところが、「空気」はそうじゃないんで、「おれはそんな不合理なことはやらない」ということは絶対にいえない。 ある極点を絶対的に拘束して、それ以外のことをさせないわけです。
小室・・・それに反したら処断されるわけですけど、処断されるという意味がまた違いまして、軍法会議にかかるという意味じゃなくて、「おまえは日本教徒ではない」と詰め腹を切らされる。 それだけでなく、議論しただけで大変なことになる。
山本・・・おそらく世界のどこの戦史を探しても「あの時の空気ではああせざるを得なかった」という弁明はないでしょうね。 ところが、これは単に大和出撃だけじゃない。 太平洋戦争の開戦がそうでしょ。 何を誰が、どこでどう決めたのかわからない。
小室・・・戦後も、この点は全然かわっていません。 さらに注意すべきことは、「空気」が、流行とかムードと明らかに違う点は流行やムードだったらどこの国でもある。 ところが、「空気」っていうのは日本独特の現象であって、外国にはまったくないか、さもなくばきわめて例外的な状況にしか現れない。 そして、注意すべきことは、これは群集心理とも違うんです。
山本・・・違いますね。 というのは、群衆じゃないですから。 あの大本営決定だって、すべてを知り抜いている専門家の対論の結果です。
小室・・・ウルトラ・エリート。
山本・・・ええ。 それが徹底的に討論をしていったらそういう「空気」ができちゃった、ということですね。 だから群衆がワアワアいって「戦艦大和出ていけーっ」ていったんじゃないんです。 全部知り尽くしている専門家がそれをやるっていうことです。』