2023.09.16 Sat
真剣は明るく軽い
『感奮語録』(行徳哲男著 致知出版社)を読みました。 「真剣は明るく軽い」の項を番号を付けて紹介します。
『1.①安岡正篤先生は「徳とは無類の明るさのことである」と言われた。 知識や技術は徳ではない。 明るく、人好きで、世話好きで、人に尽くすことができる人こそ、徳ある人なのである。 ゆえに徳ある人は元気がいい。
②真剣と深刻とは違う。 悲劇の主人公のような生き方は真剣とは言わない。 真剣というのは、もっと軽いものである。 真剣になればなるほど軽くなれる。
③「軽さ」の頭に「あ」をつければ「明るさ」になる。 真剣な人は「明るい人」である。 眉間に皺を寄せて深刻に生きている人は、実は一番真剣に生きていないのではないか。
④永平寺の修行僧の軽さには驚かされる。 身のこなしが非常に敏捷で軽い。 それも真剣な修行を積んでいる僧ほど軽いのである。
2.①藤本敏夫という人物がいる。 かつての全共闘のリーダーで、権力に抵抗し、三年八か月を獄中で過ごした人間である。
②私は訊ねてみた。 「鉄格子の中とは何だったのですか」と。
③彼はこう答えた。 「獄中にある窓を通して自然を感知することができた。 朝と夜とでは土の香りが違うことを知った。 木にも表情があることがわかった。 正しいか間違っているかで物事を見ることが虚しくなってきた。 そして今の私には、楽しいか楽しくないかが一番大事なことになりました」と。
④現代人は楽しくないから明るくなれない。 だから元気がない。』
昨年5月に亡くなられた全空連の橋本岩樹常任理事をしのぶ会で、行徳先生がご挨拶されていました。 89歳とは思えぬ迫力に、40年近く前に聞いた行徳先生の講演を思い出しました。
講演の内容は当時のベストセラー『飛鳥(あすか)へ、そしてまだ見ぬ子へ』からでした。 悪性腫瘍のために31歳で亡くなった医師の井村和清さんの著書です。 「飛鳥」は長女の名、「まだ見ぬ子」とは、亡くなった当時に奥さんが妊娠していた子(次女の清子さん)のことです。
心が震えるような講演でした。
『1.①安岡正篤先生は「徳とは無類の明るさのことである」と言われた。 知識や技術は徳ではない。 明るく、人好きで、世話好きで、人に尽くすことができる人こそ、徳ある人なのである。 ゆえに徳ある人は元気がいい。
②真剣と深刻とは違う。 悲劇の主人公のような生き方は真剣とは言わない。 真剣というのは、もっと軽いものである。 真剣になればなるほど軽くなれる。
③「軽さ」の頭に「あ」をつければ「明るさ」になる。 真剣な人は「明るい人」である。 眉間に皺を寄せて深刻に生きている人は、実は一番真剣に生きていないのではないか。
④永平寺の修行僧の軽さには驚かされる。 身のこなしが非常に敏捷で軽い。 それも真剣な修行を積んでいる僧ほど軽いのである。
2.①藤本敏夫という人物がいる。 かつての全共闘のリーダーで、権力に抵抗し、三年八か月を獄中で過ごした人間である。
②私は訊ねてみた。 「鉄格子の中とは何だったのですか」と。
③彼はこう答えた。 「獄中にある窓を通して自然を感知することができた。 朝と夜とでは土の香りが違うことを知った。 木にも表情があることがわかった。 正しいか間違っているかで物事を見ることが虚しくなってきた。 そして今の私には、楽しいか楽しくないかが一番大事なことになりました」と。
④現代人は楽しくないから明るくなれない。 だから元気がない。』
昨年5月に亡くなられた全空連の橋本岩樹常任理事をしのぶ会で、行徳先生がご挨拶されていました。 89歳とは思えぬ迫力に、40年近く前に聞いた行徳先生の講演を思い出しました。
講演の内容は当時のベストセラー『飛鳥(あすか)へ、そしてまだ見ぬ子へ』からでした。 悪性腫瘍のために31歳で亡くなった医師の井村和清さんの著書です。 「飛鳥」は長女の名、「まだ見ぬ子」とは、亡くなった当時に奥さんが妊娠していた子(次女の清子さん)のことです。
心が震えるような講演でした。