2023.05.27 Sat
運を呼び込む努力と感謝
いくつか関心のあるテーマがあって、それに関する文章をよく読みます。 最近だと「健康」がその一つですが、若いころからずっと続いているのは「運」というテーマです。
昨日の日経新聞・夕刊に「運」に関する寄稿が二つあったので、抜粋し、番号を付けて紹介します。
1.「運を呼び込む努力と感謝」・・・プロトレイルランナーの鏑木毅さん
『①小学生の前で自分の経験を伝える機会があり、あるとき、子供から「将来(何らかの)プロスポーツ選手になって世界で活躍したいです。 どうすればいいですか」と尋ねられ、答えに窮したことがある。
②というのも私自身、運動でずば抜けた能力はなかったから。 能力不足を自覚していればこそ、それを補おうとこのトレイルランニングというスポーツで誰よりも努力した。 その自負はある。
③だが努力さえすれば夢は必ずかなうのかと問われると、残念ながら必ずしもそうとは言えない。 子供たちの夢を壊してしまうようだけれど、実は「運」に巡り合うタイミングがなによりも重要になるのだ。
④競技活動を支えてくれる協力者やスポンサー企業が見つかり、レース時に運良くライバルが存在するかどうか。 気象条件はもちろん、マクロ的な目線でみていくと、時代の流れなども関係してくることがある。
⑤自分ではコントロールできないさまざまな要素を味方につけないと、プロスポーツ選手として大きな成果は得られなかった。 自分は単に運がよかったのかもしれない。 心底、そう実感する。 ただこう伝えてしまうと、この子は失望するだろうか。
⑥とらえどころのない「運」。 その中で自分自身でコントロールできるものがあるとするなら、それは人への気遣いだと感じる。
⑦国内の大会で連戦連勝を飾り、世界への挑戦を始めた当初、妻からびしりと言われた。 「あなたは最近はてんぐになっている。 そんな状態だと応援されなくなるわよ」 (中略)
⑧それ以来、なるべく初対面の人にも話しかけやすい雰囲気づくりを心がけた。 すると協力してくれる人も自然と増えると同時に自分の競技力も上がっていった。
⑨気遣いが競技力を直接、高めるわけではない。 立ち居振る舞いに気を配り、年齢がかなり下の人にも敬う姿勢を忘れないよう注意していると、自分の責任の重さや期待を再認識できた。 それを糧として積み重ねた努力が結果として世界への扉を開いたのだと思う。
⑩冒頭の子には「まずは一生懸命に努力してね。 そして決して感謝の気持ちを忘れずに、誰からも好かれる選手になってね」と伝えた。
⑪運は全くの偶然ではない。 自分の手でつかめるよう努力し、引き寄せることもできる。 今はそう考えている。』
2.「残された時間は少ない」・・・漫画家の竹宮惠子さん
『①(前略) 感動をWBCは我々に再び与えてくれた。 もう目を丸くして驚くような展開が繰り広げられ、「野球の神様が用意した舞台」と言われるような名勝負で締めくくられた。 それは今更この場所で述べなくとも、多くの人が知るところだ。
②私がユニコーン・大谷翔平を更に強く意識したのはあるCMで語る彼の言葉だった。
③自分が体の調子も良く、年齢的にもべストに野球を理解しており、打席がどのように回ってくるか、誰が相手ピッチャーか、などなど、様々な条件を入れると、あとどのくらいベストなプレーが残せるのか、決して多くの時間はないのだ、というような意味のことを語っている。 修行僧みたいだと、いろいろな人が感じているのはこういうところかもしれない。
④でも、彼は自分の幸運をしっかり掌握していると思った。 運を呼び込むために何をすべきか、どんなスタンスで待てばいいか、準備となるような考え方はどんなものか。 そして肩に力を入れることなく彼はいつも自分の持ち物に感謝している。 そうしないと運の神様との駆け引きに負けると言わんばかりに。 そんな風に見えるのは私だけだろうか。
⑤若い人、特にこれから世に出て自分を問う人へこんな言葉を贈る。 「自分が出会うすべての機会は奇跡のようなもの。 二度と同じ瞬間は巡ってこない。 だからその幸運(あるいは不運)を大切に」。
⑥でも、どれくらいの人が、すべてが二度とないことを知っているだろう。 この瞬間が常にいとおしいと、どんな時にも思いたい。』
3.鏑木さんは⑩で、竹宮さんは④で、「運」と「感謝」との関係に言及しています。
5月13日のブログでも瀧靖之さんの著書から次の文章を紹介しました。
『ノーベル賞をはじめ、優れた業績に贈られる受賞者の会見や、スポーツで優勝した選手のインタビューなどをテレビで見ていると、感動をもって気づくことがあります。
受賞された方々の多くが、眼を熱くして、「この賞は、私一人の賞ではありません。 支えてくれたみなさんと一緒にいただいた賞です」と、語っています。 自分個人に与えられた賞でありながら、自分を育ててくれた恩師の方や、一緒に仕事をした仲間、支えてくれたスタッフ、そして、両親や家族への感謝でいっぱいの受賞者の姿が、いつも印象強く心に残ります。』
4.感謝の気持ちの少ない人で、長期的に運のよい人を見たことがありません。
城西支部では昇級した少年部に帯を渡すとき、「空手を習わせてくれているご両親への感謝を忘れないように」と伝えるようにしています。
昨日の日経新聞・夕刊に「運」に関する寄稿が二つあったので、抜粋し、番号を付けて紹介します。
1.「運を呼び込む努力と感謝」・・・プロトレイルランナーの鏑木毅さん
『①小学生の前で自分の経験を伝える機会があり、あるとき、子供から「将来(何らかの)プロスポーツ選手になって世界で活躍したいです。 どうすればいいですか」と尋ねられ、答えに窮したことがある。
②というのも私自身、運動でずば抜けた能力はなかったから。 能力不足を自覚していればこそ、それを補おうとこのトレイルランニングというスポーツで誰よりも努力した。 その自負はある。
③だが努力さえすれば夢は必ずかなうのかと問われると、残念ながら必ずしもそうとは言えない。 子供たちの夢を壊してしまうようだけれど、実は「運」に巡り合うタイミングがなによりも重要になるのだ。
④競技活動を支えてくれる協力者やスポンサー企業が見つかり、レース時に運良くライバルが存在するかどうか。 気象条件はもちろん、マクロ的な目線でみていくと、時代の流れなども関係してくることがある。
⑤自分ではコントロールできないさまざまな要素を味方につけないと、プロスポーツ選手として大きな成果は得られなかった。 自分は単に運がよかったのかもしれない。 心底、そう実感する。 ただこう伝えてしまうと、この子は失望するだろうか。
⑥とらえどころのない「運」。 その中で自分自身でコントロールできるものがあるとするなら、それは人への気遣いだと感じる。
⑦国内の大会で連戦連勝を飾り、世界への挑戦を始めた当初、妻からびしりと言われた。 「あなたは最近はてんぐになっている。 そんな状態だと応援されなくなるわよ」 (中略)
⑧それ以来、なるべく初対面の人にも話しかけやすい雰囲気づくりを心がけた。 すると協力してくれる人も自然と増えると同時に自分の競技力も上がっていった。
⑨気遣いが競技力を直接、高めるわけではない。 立ち居振る舞いに気を配り、年齢がかなり下の人にも敬う姿勢を忘れないよう注意していると、自分の責任の重さや期待を再認識できた。 それを糧として積み重ねた努力が結果として世界への扉を開いたのだと思う。
⑩冒頭の子には「まずは一生懸命に努力してね。 そして決して感謝の気持ちを忘れずに、誰からも好かれる選手になってね」と伝えた。
⑪運は全くの偶然ではない。 自分の手でつかめるよう努力し、引き寄せることもできる。 今はそう考えている。』
2.「残された時間は少ない」・・・漫画家の竹宮惠子さん
『①(前略) 感動をWBCは我々に再び与えてくれた。 もう目を丸くして驚くような展開が繰り広げられ、「野球の神様が用意した舞台」と言われるような名勝負で締めくくられた。 それは今更この場所で述べなくとも、多くの人が知るところだ。
②私がユニコーン・大谷翔平を更に強く意識したのはあるCMで語る彼の言葉だった。
③自分が体の調子も良く、年齢的にもべストに野球を理解しており、打席がどのように回ってくるか、誰が相手ピッチャーか、などなど、様々な条件を入れると、あとどのくらいベストなプレーが残せるのか、決して多くの時間はないのだ、というような意味のことを語っている。 修行僧みたいだと、いろいろな人が感じているのはこういうところかもしれない。
④でも、彼は自分の幸運をしっかり掌握していると思った。 運を呼び込むために何をすべきか、どんなスタンスで待てばいいか、準備となるような考え方はどんなものか。 そして肩に力を入れることなく彼はいつも自分の持ち物に感謝している。 そうしないと運の神様との駆け引きに負けると言わんばかりに。 そんな風に見えるのは私だけだろうか。
⑤若い人、特にこれから世に出て自分を問う人へこんな言葉を贈る。 「自分が出会うすべての機会は奇跡のようなもの。 二度と同じ瞬間は巡ってこない。 だからその幸運(あるいは不運)を大切に」。
⑥でも、どれくらいの人が、すべてが二度とないことを知っているだろう。 この瞬間が常にいとおしいと、どんな時にも思いたい。』
3.鏑木さんは⑩で、竹宮さんは④で、「運」と「感謝」との関係に言及しています。
5月13日のブログでも瀧靖之さんの著書から次の文章を紹介しました。
『ノーベル賞をはじめ、優れた業績に贈られる受賞者の会見や、スポーツで優勝した選手のインタビューなどをテレビで見ていると、感動をもって気づくことがあります。
受賞された方々の多くが、眼を熱くして、「この賞は、私一人の賞ではありません。 支えてくれたみなさんと一緒にいただいた賞です」と、語っています。 自分個人に与えられた賞でありながら、自分を育ててくれた恩師の方や、一緒に仕事をした仲間、支えてくれたスタッフ、そして、両親や家族への感謝でいっぱいの受賞者の姿が、いつも印象強く心に残ります。』
4.感謝の気持ちの少ない人で、長期的に運のよい人を見たことがありません。
城西支部では昇級した少年部に帯を渡すとき、「空手を習わせてくれているご両親への感謝を忘れないように」と伝えるようにしています。