2023.03.25 Sat
戦略とひらめき
極真空手の試合において、「対戦相手に対してどう戦うか」という戦略を立てることは大切です。 戦略について医師の帯津良一先生が『太極拳養生法』(春秋社)の中で書かれています。 「五 太極拳のひらめき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『1.①もう30年以上も前のことだが、指揮者の小沢征爾さんが、アメリカの大きな音楽関係の賞を得たことがある。 そのことを伝える新聞記事のなかに小沢さんの受賞の弁ともいうべき談話が載っていた。 「私には的中の予感があった」と述べているのだ。
② 「的中の予感」! この一言がわが胸にぐさりと突き刺さったのである。 記憶に間違いがなければ、この賞も、芥川賞やアカデミー賞のように、まず数人の候補者がノミネートされる。 そのノミネートされた段階で、小沢さんには、この賞はかならず俺のところに来るという予感(ひらめき)があったというのである。
③的中の予感! いい言葉だ。 別にしらべたわけではないが、ノーベル賞の受賞者もいずれかの時点で、この的中の予感に襲われるのではないだろうか。 ノーベル賞なんて、私にとっては縁無きもの。 誰が受賞しようと羨ましいこともないが、この的中の予感だけは羨しいことしきりといったところである。
④しかし、この的中の予感も、ある日、突然虚空からやって来るものではないだろう。 まずはノミネートされなければならない。 自らの仕事ぶりが認められなければ始まらないのである。 その上に、日々攻めの養生を果たしている者の心のなかにこそ、的中の予感は芽生えるのである。
⑤つまり、ある種の覚悟をもって生きることによって、その予感を生み出す土壌が限りなく豊饒になっていくのではないだろうか。 (中略)
2.①ひらめきが予感を生み、 予感がさらなるひらめきを生むのではないだろうか。 ひらめき (閃き)といえば、なんといってもクラウゼヴィッツだ。 カルル・フォン・クラウゼヴィッツ(1780~1831)。 ナポレオンと戦ったプロイセンの軍略家。 その著『戦争論』は軍事理論の古典として、いまでも 「岩波文庫」の一角を占めている。
②そのクラウゼヴィッツが、多くの戦術を統合して“戦略”に止揚することの重要性を説きながら、戦略とは〝ひらめき" であるという。 じつに重みのある言葉ではないか。 そしてそのひらめきも、私たちが思っているような、ある種の感覚としてのひらめきではなく、むしろステップを踏んで起こる思考に近いものだという。
③そのステップは五段階から成る。
一、歴史上の先例にならう。
二、平常心に立ち返る。
三、戦場ないしは戦局を一瞥する。
四、ひらめく。
五、不屈の意志で遂行する。
④つまり、どういうことかというと、
一、まずは似たような局面で勝利をおさめた先例を洗い出し、整理をして、いつでも範として採り上げられるように心のなかの引出しに納める。
二、納めたら、先例についてのとつおいつの思案をすみやかに捨て、平常心に立ち返る。 この切替えはそう簡単ではないが、まずは場数を踏むことである。
三、そして、戦局を一瞥する。 この一瞥こそ戦略の最重要案件、キーポイントである。 一瞥によって大局をつかむのである。 大局観と言い換えてもよいだろう。 細部を熟視したり、全体を観るにしても分析的思考が伴っていては大局を観ることはできない。 大局を観ることができなければひらめきは生まれては来ない。 ひらめきがなければ戦略にならないのであるから、一瞥がいかに大事か、身に沁みて分かるというものである。』
上記2.③の五段階を極真空手の試合についてアレンジすると以下のようになると思います。
一、事前に対戦相手の過去の映像を見て研究する。
二、試合当日は平常心に立ち返る。
三、試合当日の対戦相手の勝ち上がり方や自分自身のコンディションなどを一瞥する。
四、ひらめく。
五、不屈の意志で遂行する。
四、のひらめきについては、試合の前のひらめきと、試合中のひらめきのの二通りが考えられます。 試合中にひらめいた場合には、速やかに戦略・戦術の変更が必要になります。
『1.①もう30年以上も前のことだが、指揮者の小沢征爾さんが、アメリカの大きな音楽関係の賞を得たことがある。 そのことを伝える新聞記事のなかに小沢さんの受賞の弁ともいうべき談話が載っていた。 「私には的中の予感があった」と述べているのだ。
② 「的中の予感」! この一言がわが胸にぐさりと突き刺さったのである。 記憶に間違いがなければ、この賞も、芥川賞やアカデミー賞のように、まず数人の候補者がノミネートされる。 そのノミネートされた段階で、小沢さんには、この賞はかならず俺のところに来るという予感(ひらめき)があったというのである。
③的中の予感! いい言葉だ。 別にしらべたわけではないが、ノーベル賞の受賞者もいずれかの時点で、この的中の予感に襲われるのではないだろうか。 ノーベル賞なんて、私にとっては縁無きもの。 誰が受賞しようと羨ましいこともないが、この的中の予感だけは羨しいことしきりといったところである。
④しかし、この的中の予感も、ある日、突然虚空からやって来るものではないだろう。 まずはノミネートされなければならない。 自らの仕事ぶりが認められなければ始まらないのである。 その上に、日々攻めの養生を果たしている者の心のなかにこそ、的中の予感は芽生えるのである。
⑤つまり、ある種の覚悟をもって生きることによって、その予感を生み出す土壌が限りなく豊饒になっていくのではないだろうか。 (中略)
2.①ひらめきが予感を生み、 予感がさらなるひらめきを生むのではないだろうか。 ひらめき (閃き)といえば、なんといってもクラウゼヴィッツだ。 カルル・フォン・クラウゼヴィッツ(1780~1831)。 ナポレオンと戦ったプロイセンの軍略家。 その著『戦争論』は軍事理論の古典として、いまでも 「岩波文庫」の一角を占めている。
②そのクラウゼヴィッツが、多くの戦術を統合して“戦略”に止揚することの重要性を説きながら、戦略とは〝ひらめき" であるという。 じつに重みのある言葉ではないか。 そしてそのひらめきも、私たちが思っているような、ある種の感覚としてのひらめきではなく、むしろステップを踏んで起こる思考に近いものだという。
③そのステップは五段階から成る。
一、歴史上の先例にならう。
二、平常心に立ち返る。
三、戦場ないしは戦局を一瞥する。
四、ひらめく。
五、不屈の意志で遂行する。
④つまり、どういうことかというと、
一、まずは似たような局面で勝利をおさめた先例を洗い出し、整理をして、いつでも範として採り上げられるように心のなかの引出しに納める。
二、納めたら、先例についてのとつおいつの思案をすみやかに捨て、平常心に立ち返る。 この切替えはそう簡単ではないが、まずは場数を踏むことである。
三、そして、戦局を一瞥する。 この一瞥こそ戦略の最重要案件、キーポイントである。 一瞥によって大局をつかむのである。 大局観と言い換えてもよいだろう。 細部を熟視したり、全体を観るにしても分析的思考が伴っていては大局を観ることはできない。 大局を観ることができなければひらめきは生まれては来ない。 ひらめきがなければ戦略にならないのであるから、一瞥がいかに大事か、身に沁みて分かるというものである。』
上記2.③の五段階を極真空手の試合についてアレンジすると以下のようになると思います。
一、事前に対戦相手の過去の映像を見て研究する。
二、試合当日は平常心に立ち返る。
三、試合当日の対戦相手の勝ち上がり方や自分自身のコンディションなどを一瞥する。
四、ひらめく。
五、不屈の意志で遂行する。
四、のひらめきについては、試合の前のひらめきと、試合中のひらめきのの二通りが考えられます。 試合中にひらめいた場合には、速やかに戦略・戦術の変更が必要になります。