2023.03.04 Sat
運命に従う
2月25日の『AEAR dot.』の芸術家・横尾忠則さんの連載「シン・老人のナイショ話」のタイトルは、『横尾忠則の受け身的な生き方・・・放っとけば「なるようになる」』でした。 全文を番号を付けて紹介します。
『Q:横尾さんはよく「流れのままに生きたらこうなった」ということをおっしゃいますが、その流れはどうやって見つけ、乗るものなのでしょうか
A:①そうですね、「流れ」というのは見つけるものではなく、他動的に向こうからやってくる状況のようなもんじゃないかと思います。 自分の意図したことではなく、そのような状況に置かれてしまう。
②その状況は自分で求めたものではなく、そうなっちゃった、そうさせられちゃった、これに対して有無と言って、反抗したり、抵抗したりしてもいいんだけれど、大阪的というかラテン的に、「しゃーないやんけ」と諦念した態度で、受け入れるしかない。
③抵抗するのもメンドークサイ、じゃ、ひとつこの状況の流れに乗るか、もしかしたら思わぬサプライズが用意されているかも知れない、他にこれという目的があるわけでもない。 こう決心するのが、流れに乗ることではないのでしょうか。 他動的な状況を受け入れることですから、最初から目的もなく結果を期待などしていません。
④それがかえっていいんじゃないかな。 そして上手く流れに乗ることができたら、次はその流れを自分の方に引き寄せればいいんじゃないでしょうか。 それとも、全身、この流れにまかせてしまうのも手じゃないでしょうか。 僕の経験から言うと、しばらくはこの他動的な流れに身をまかせておいた方が、便利がいいように思います。
⑤そのうち、流れの賞味期限みたいなものがあって、思いもよらない、次の流れに遭遇するかも知れません。 チャンス到来のサプライズが起こるはずです。 その時はまたその時で、次の流れが待機しているのかも知れません。 こうして流れに乗り始めると、次から次へと、いいタイミングに色々の変化に遭遇するような気がします。
⑥この流れを僕は「運命に従う」と解釈しています。 従った方が自分のキャラ(性格)に合うようなことが次から次に起こってくるのです。 まるで自分のために、世界が動いているんじゃないかと思える瞬間が連続して起こる。 運命に上手く乗った瞬間です。
⑦その時運命の方が自分のために思うように操縦してくれます。 何か特別の計画を立てたり、策略をねったりする必要はないのです。 もしそれが必要なら、向こうが勝手にこちらの思う通りに動いてくれます。
⑧完璧に上手く流れに乗った瞬間です。 こういう状況が設定されてしまえば、変な欲望や野心、野望など持つ必要はありません。 むしろ何も求めないことが重要です。 運命という乗り物が完璧に流れに乗った瞬間です。 ほっとけばいいんです。 あれこれ妙な小細工などしない方がいいです。
⑨いつの間にか運命の僕(しもべ)が、運命の主導権を握ってしまったのです。 もう何も言うこともすることもないです。 大船に乗った気分で、全てをこの流れに乗った船にまかせておけばいいのです。 このような生き方を僕は肯定してきました。 無理にあれこれ計画を立てたり、戦略など意図したりせず、「運命に逆らわない生き方」です。
⑩それでも、もっともっと大きい野望を持ちたい人は、現在の状況に満足しないで、できたら天下を取りたいと思うかも知れません。 取れそうな気になってくるんです。 だけど、ここは非常に危険です。
⑪底抜けの欲望に振り回されて、せっかくいい感じで来ていたのに、ここで余計な欲望を持ったために、この人は運命路線からはずれて、気がつけば取りかえしのつかない窮地に立たされてしまった、ということなどよくあることだと思います。 頂点に昇りつめたにもかかわらず、さらにその上の頂点を目指したために、歯車が狂って、どん底に失墜なんてよく新聞のニュースになる人のことです。
⑫常に成功の背後にはこのような落とし穴が大きい口を開けて待っているというじゃないですか。 人間は常にこういう問題に試されているような気がします。 だから、ほどほどに生きるのが一番幸せなのかも知れません。
⑬だから僕の考えは多少「運命論的な」ところがあるかも知れないけれど、なるべく受け身的な生き方に憧れます。 だから、意欲も好奇心もほどほどです。 意欲に振り回されると下手すると運命路線からはずれて、変なところに迷い込んでしまいます。
⑭放っとけば「なるようになる」という自然体が、あっちこっちをいじくり回して「なるようにさせた」ために、運命路線から逸脱してしまった結果です。 僕はメンドークサガリ屋だから、自分で何か大きい計画を立てるというのがニガ手です。
⑮だけど相手が立ててくれる分には、メンドークサクないです。 自分では思わぬ計画は立てられないが、相手が立ててくれれば、自分では考えられないことを相手が自分に代わってやってくれます。 これでいいんです。』
内容は、普段意識している私の生き方・考え方と同じです。
そして、上記⑤にあるチャンスは自分以外の人が持ってきてくれることが多いので、人との縁を大切にするようにしています。
※「流れのままに生きたらこうなった」、「運命に従う」、「運命に逆らわない生き方」、「運命論的な」の「」は私が付けました。
『Q:横尾さんはよく「流れのままに生きたらこうなった」ということをおっしゃいますが、その流れはどうやって見つけ、乗るものなのでしょうか
A:①そうですね、「流れ」というのは見つけるものではなく、他動的に向こうからやってくる状況のようなもんじゃないかと思います。 自分の意図したことではなく、そのような状況に置かれてしまう。
②その状況は自分で求めたものではなく、そうなっちゃった、そうさせられちゃった、これに対して有無と言って、反抗したり、抵抗したりしてもいいんだけれど、大阪的というかラテン的に、「しゃーないやんけ」と諦念した態度で、受け入れるしかない。
③抵抗するのもメンドークサイ、じゃ、ひとつこの状況の流れに乗るか、もしかしたら思わぬサプライズが用意されているかも知れない、他にこれという目的があるわけでもない。 こう決心するのが、流れに乗ることではないのでしょうか。 他動的な状況を受け入れることですから、最初から目的もなく結果を期待などしていません。
④それがかえっていいんじゃないかな。 そして上手く流れに乗ることができたら、次はその流れを自分の方に引き寄せればいいんじゃないでしょうか。 それとも、全身、この流れにまかせてしまうのも手じゃないでしょうか。 僕の経験から言うと、しばらくはこの他動的な流れに身をまかせておいた方が、便利がいいように思います。
⑤そのうち、流れの賞味期限みたいなものがあって、思いもよらない、次の流れに遭遇するかも知れません。 チャンス到来のサプライズが起こるはずです。 その時はまたその時で、次の流れが待機しているのかも知れません。 こうして流れに乗り始めると、次から次へと、いいタイミングに色々の変化に遭遇するような気がします。
⑥この流れを僕は「運命に従う」と解釈しています。 従った方が自分のキャラ(性格)に合うようなことが次から次に起こってくるのです。 まるで自分のために、世界が動いているんじゃないかと思える瞬間が連続して起こる。 運命に上手く乗った瞬間です。
⑦その時運命の方が自分のために思うように操縦してくれます。 何か特別の計画を立てたり、策略をねったりする必要はないのです。 もしそれが必要なら、向こうが勝手にこちらの思う通りに動いてくれます。
⑧完璧に上手く流れに乗った瞬間です。 こういう状況が設定されてしまえば、変な欲望や野心、野望など持つ必要はありません。 むしろ何も求めないことが重要です。 運命という乗り物が完璧に流れに乗った瞬間です。 ほっとけばいいんです。 あれこれ妙な小細工などしない方がいいです。
⑨いつの間にか運命の僕(しもべ)が、運命の主導権を握ってしまったのです。 もう何も言うこともすることもないです。 大船に乗った気分で、全てをこの流れに乗った船にまかせておけばいいのです。 このような生き方を僕は肯定してきました。 無理にあれこれ計画を立てたり、戦略など意図したりせず、「運命に逆らわない生き方」です。
⑩それでも、もっともっと大きい野望を持ちたい人は、現在の状況に満足しないで、できたら天下を取りたいと思うかも知れません。 取れそうな気になってくるんです。 だけど、ここは非常に危険です。
⑪底抜けの欲望に振り回されて、せっかくいい感じで来ていたのに、ここで余計な欲望を持ったために、この人は運命路線からはずれて、気がつけば取りかえしのつかない窮地に立たされてしまった、ということなどよくあることだと思います。 頂点に昇りつめたにもかかわらず、さらにその上の頂点を目指したために、歯車が狂って、どん底に失墜なんてよく新聞のニュースになる人のことです。
⑫常に成功の背後にはこのような落とし穴が大きい口を開けて待っているというじゃないですか。 人間は常にこういう問題に試されているような気がします。 だから、ほどほどに生きるのが一番幸せなのかも知れません。
⑬だから僕の考えは多少「運命論的な」ところがあるかも知れないけれど、なるべく受け身的な生き方に憧れます。 だから、意欲も好奇心もほどほどです。 意欲に振り回されると下手すると運命路線からはずれて、変なところに迷い込んでしまいます。
⑭放っとけば「なるようになる」という自然体が、あっちこっちをいじくり回して「なるようにさせた」ために、運命路線から逸脱してしまった結果です。 僕はメンドークサガリ屋だから、自分で何か大きい計画を立てるというのがニガ手です。
⑮だけど相手が立ててくれる分には、メンドークサクないです。 自分では思わぬ計画は立てられないが、相手が立ててくれれば、自分では考えられないことを相手が自分に代わってやってくれます。 これでいいんです。』
内容は、普段意識している私の生き方・考え方と同じです。
そして、上記⑤にあるチャンスは自分以外の人が持ってきてくれることが多いので、人との縁を大切にするようにしています。
※「流れのままに生きたらこうなった」、「運命に従う」、「運命に逆らわない生き方」、「運命論的な」の「」は私が付けました。