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チンプ・パラドックス

『チンプ・パラドックス』(スティーブ・ピーターズ著 海と月社)を読みました。  著者紹介には「英国自転車競技チームの専任精神科医として心理マネジメントを担当。  ロンドン・オリンピックでは金メダル8個を含む12個のメダルを獲得した。」とあります。  本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.「1章 心の中」

①(本書では脳内の)前頭葉、辺縁系、頭頂葉をそれぞれ〈人間〉、〈チンパンジー〉、〈コンピューター〉と名づける。  この三つの領域は協調してはたらくこともあるが、たびたび対立して主導権を握ろうとする。  その争いでは〈チンパンジー〉(辺縁系)が勝つことが多い。

②まだ母親の胎内にいるとき、前頭葉〈人間〉と辺縁系〈チンパンジー〉は別々に成長し、そのあと互いに自己紹介して関係を築く。  〈人間〉と〈チンパンジー〉は独立した個性をもち、思考法も、懸案事項も、行動パターンも異なる。  つまり、あなたの頭のなかには事実上ふたつの生き物が存在するのだ!  困ったことに、ほとんどの場合、両者の意見は一致しない。  (中略)

③ここで重要なのは、片方、すなわち〈人間〉だけが「あなた」であることだ。  〈チンパンジー〉は誰もが持つ感情装置で、理性から独立してはたらき、決定をくだす。  感情や感覚を司り、建設的にもなれば破壊的にもなる。  良い悪いの問題ではなく、たんに〈チンパンジー〉なのだ。

④「チンプ・パラドックス」とは、その〈チンパンジー〉が、最良の友でありながら最悪の敵にもなりえ、油断するとあなたの思考を乗っとってしまうことを指している。  本書のおもな目的は、あなたのなかの〈チンパンジー〉をコントロールするのを手伝うこと。  あなたのためになるときにはその力と強さを活かし、ためにならないときには無力化するのだ。  (中略)

⑤〈心のなか〉には思考や行動の保管場所もある。  これを〈コンピューター〉と名づけよう。  〈チンパンジー〉と〈人間〉、どちらが入力した情報も、ここに保管される。  そして、その情報をもとに、〈チンパンジー〉と〈人間〉のために自動ではたらく。  両者の情報源にもなる。

2.「2章 あなた自身とあなたの〈チンパンジー〉を理解するために」

(1)①ジョンは妻のポリーンに隣の男について話している。  その男が私道をまたいで駐車したせいで車を出せなかったので、移動してくれと言いに行ったという。  このとき、ジョンのなかの〈人間〉は冷静に事実を話し、〈チンパンジー〉もおとなしく聞いている。

②だがポリーンが、「どうしてそんなことで大騒ぎするの?  もう解決したんでしょう?」と応じると、ジョンと〈チンパンジー〉はまったく異なる解釈と反応をするはずだ。  

③ジョンのなかの〈人間〉は論理的に、「大騒ぎなんてしていないが、ポリーンは聞く耳をもたないだろうから、そっとしておこう」とか、「たしかに問題は解決ずみだ。  ポリーンの言うこともわからなくはない。  黙って聞いておこう」と考えるが、〈チンパンジー〉はポリーンのことばを嫌味と受けとり、カッとなる。

④面と向かって批判されたと解釈し、攻撃モードか防御モードになるのだ。  すると、声を荒らげて「なんでいつも文句ばかり言うんだ?」、「大騒ぎなんかしてないぞ。  きみはどこかおかしいんじゃないか?」、「妻のきみにも関係すると思ったから話しただけじゃないか」といったことばを投げかちになる。

⑤〈チンパンジー〉は〈人間〉よりはるかに強力なので、たいていの場合〈人間〉が制御しようとするまえに話しだす。  そして、そうなれば事態は悪化の一途をたどる。  ジョンは、なぜ妻のことばに反応してしまったのかと悔やむことになるのだ。

(2)①〈チンパンジー〉はジャングルの掟にしたがい、強い衝動と本能によって行動するのに対し、〈人間〉は社会の法にしたがい、倫理と道徳の強い衝動、典型的には「良心」によって動く。  (中略)

②〈チンパンジー〉は、本能と衝動にもとづく〈ジャングル中枢〉をもっている。  これは〈チンパンジー〉がジャングルで生き残るために必要な信念と行動のもとになっているもので、ジャングルではうまく機能するが、社会ではあまりうまくいかない。

③うまくいかないどころか、〈チンパンジー〉が〈人間〉の社会にジャングルのやり方をもちこむと、大きな問題が生じる。  (中略)

④あなたの〈チンパンジー〉も、自分とあなたを安全に保つために強力な本能を発動させる。  なかでも、闘争(ファイト)、逃走(フライト)、硬直(フリーズ)という「FFF反応」は、おそらくもっとも出現頻度の高い〈チンパンジー〉の重要な本能だ。

3.「3章 〈チンパンジー〉を管理するために」

①「なぜ〈チンパンジー〉をパワーオフして意思決定できないのか?」  この答えは簡単で、〈チンパンジー〉が〈人間〉より力強く、すばやく行動するからだ。  野生のチンパンジーの力は人間の五倍だ。  同様に、頭のなかの〈チンパンジー〉もあなたの五倍の力をもっている。  (中略)

②意志の力で〈チンパンジー〉をコントロールしようとしても無意味だ。  私はこれを「チンパンジーとの腕相撲」と呼んでいる。  うまくいくのは、〈チンパンジー〉が寝ているか、無関心か、同意しているときだけだ。

③〈チンパンジー〉と懸案が異なるときには、意志の力はまったく当てにならない。  だから、〈チンパンジー〉に対処する別の手段を学ばなければならない。

4.「4章 心の〈コンピューター〉を理解するために」

①あなたの〈コンピューター〉には、ふたつの機能がある。

・情報、信念、価値観の源になる。
・プログラムされた思考と態度によって無意識に考え、行動できる。

②〈コンピューター〉の動作速度は〈チンパンジー〉の約四倍、〈人間〉の二十倍と考えられる。  したがって〈コンピューター〉が正常に機能すれば、〈チンパンジー〉や〈人間〉が思考を終えるまえに、驚くべき速さで正確に命令を実行できる。』

アンガーマネジメント(怒りのコントロール)が一番の課題である私にとって、最良の教科書です。

普段のあり方や人間関係を見直すうえで、大変参考になりました。

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脳をバランスよく使う

1.『忘れる能力 脳寿命をのばすにはどんどん忘れなさい』(岩立康男著 朝日新書)を読みました。  『第5章 脳寿命を延ばす・・・「忘れられる脳」の作り方』の中の「一番大事なのは、脳をバランス良く使うこと」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①脳を病弊させないために最も有効なのが、違うことをすることだ。  これは言い換えれば、「集中系と分散系をバランス良く使う」ということである。

②脳には大きく分けて2つのシステムがある。  それが「集中系」と「分散系」であり、それぞれの活性時には必ず他方を抑制し、休ませている。

③集中系というのは、「目的を持って何かの仕事に集中している」ときに活性化する部分で、主に前頭葉や頭頂葉の外側皮質がこれにあたる。  逆に、何かの仕事に集中しているときに抑制されている部分が分散系で、脳全体のバランスを抑制し、記憶の整理もつかさどる。

④両者は互いに抑制し合いながら作用するのであって、高度な連携作業によって脳のパフォーマンスを最大限引き出すような仕組みを取っている。  つまり、両者を交互にバランスよく活性化させていけば、それぞれに適度な休息を与えることにつながり、脳の健康寿命は延びていくのである。  (中略)

⑤これとは反対に、「同じこと」を続けていたら、すなわち「集中系」と「分散系」のどちらかしか使っていない状態が続いていたら、脳はどんどん病弊していく。  (中略)

⑥集中系の過剰な活性化は、その部位に劣化したタンパク質や活性酸素などの蓄積を招き、細胞死につながっていく。  さらにノルアドレナリンやドーパミンを分泌する細胞たちへの過剰な負担からその病弊をもたらし、これらの細胞死を招くことになり、やがて集中系の機能低下につながってしまう。

⑦脳の細胞が死んでいく「神経変性疾患」のうち、パーキンソン病やある種の認知症では、病前性格として「生真面目」「律儀」などの傾向が挙げられている。  こういった性格は周囲の人々から高く評価されるが、集中系が長い時間、過剰に活性化しやすいため、その弊害が起こってくると考えられる。  真面目な性格ゆえに、「きちんと仕上げるまで」「ひと区切りつくまで」と、一つの仕事に集中して作業を続けてしまう。

⑧そのため「疲れた」「飽きた」と仕事を一旦放り出して休んだり、違うことをして息抜きをしたりする、といったことができないわけだ。  これだと長い目で見れば、脳の働き方に、集中系の過剰活性化という偏りが生じてしまうだろう。』

2.著者がまとめた「集中系・分散系の活動リスト」は以下の通りです。

(1)集中系
・何か目的を持って課題をこなす
・読書
・好きなことに熱中する
・運動、エクササイズ
・好きな音楽を聴く
・文章を書く
・スマホでゲームに興じる

(2)分散系
・ぼーっと景色を眺める
・散歩
・過去の記憶を回想する
・入浴、シャワー
・睡眠(レム睡眠時)
・あまり頭を使わない単純作業
・SNSを流し読み

3.私自身、ぼーっとすることが苦手で集中系に偏ることが多いので、自戒を込めて紹介しました。


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尋常でない練習量の意義

富士登山競走や日本山岳耐久レースをはじめ数々の山岳レースで優勝しているプロトレイルランナーの鏑木毅さんが書かれている、日経新聞・夕刊・毎週金曜日の連載『今日も走ろう』を取り上げます。  9月16日のタイトルは「尋常でない練習量の意義」でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①若いトップ選手から「もっと強くなるにはどんなトレーニングがよいだろうか」と聞かれることがある。

②めざすのが国内トップレベルなら、自分の強みを冷静に分析した上で、タイミングよく休養をとりながら地道に努力すればそれなりの高みに到達できるだろうと答えている。  だが世界のトップをめざすとなると話は別だ。

③私自身はこれまで、トップ選手とは世界レベルをめざすものと思っていた。  競技への価値観も多様化した今、必ずしもそうとは限らない。  自分の能力に見合った現実的な目標を定めるのもよし、またSNS(交流サイト)などを駆使してファンとの交流を行うことに重きを置く選手もいる。

④もちろん、このような選手の登場は、「結果がすべて」とするピラミッド型の価値観を崩し、ファンにとって身近な存在のアスリート像をつくることにつながる。  社会に共感を呼び、競技の普及につながるのだから歓迎したい。

⑤ただ、ある程度の努力を続けていれば、いつかは世界への扉が開かれると簡単に考えている選手も少なくない。  卓越した才能があれば可能だけれど、世界のトップをめざすなら、時間、労力、思考、そして感情まですべてを競技に振り向ける覚悟がないと無理だ。  ときに常軌を逸した状態、「狂」にならなければなしえない。

⑥私も全盛期を振り返れば、世界一をめざしてある種の熱病にとりつかれていたようなものだった。  練習を何よりも重視し、家族や人間関係などの多くを犠牲にした。

⑦全盛期には1カ月に1500キロメートルの走り込みを繰り返した。  走りすぎともいえるトレーニングに取り組んだ時期があるからこそ、無駄を補完する効率的な練習メニューの重要性もわかるようになった。  (中略)  あれだけの覚悟を決めて初めて、身体的には明らかに自分より優れた外国選手に太刀打ちできた。

⑧アスリートの肉体は人種や年齢、運動歴により世界レベルへの成功ルートはそれぞれ異なる。  他人の成功のノウハウが必ずしも自分に当てはまるとも限らない。  結局、膨大な無駄ともいえる練習の中から自身に必要不可欠なメニューを見つけ出すしか道はない。

⑨競泳で4回続けてオリンピックに出場し、4つのメダルを獲得した松田丈志選手は1日に30キロの泳ぎ込みを繰り返したそう。  元メジャーリーガーのイチロー選手も寸暇を惜しみ練習に取り組んだという。  いずれも尋常ではない。

⑩競技に対する価値観は選手ごとにさまざま。  むしろ時代は多様性を歓迎している。  ただ、世界の頂点をめざすのであれば、覚悟と犠牲が必要になるのは避けられず、リスクも大きい。  コスパの悪い生き方といえる。  自分は時代遅れの考え方なのだと認識しているけれど、競技における泥臭い努力についても伝えていきたい。』

来年秋に開催される『第13回オープントーナメント全世界空手道選手権大会』の日本代表選手選抜大会である、第54回全日本大会まであと一か月ちょっととなりました。

私が週3回指導する選手稽古もこれから佳境に入ります。  ⑤にある『ときに常軌を逸した状態、「狂」にならなければなしえない。』という言葉に惹かれたので紹介しました。

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教育とネガティブ・ケイパビリティ

今回も前回に引き続き、作家・精神科医の帚木蓬生さんの『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』(朝日新聞出版)からです。  「第9章 教育とネガティブ・ケイパビリティ」に面白い記述があったので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①つい最近、「タイム」誌に興味深い論考が載りました。  親は普通で、生まれた子供がすべてそれぞれの道で成功をおさめている、九家族を調査した結果の報告です。

②全員が二人か三人きょうだいですが、全く違う分野で傑出した仕事をしているのです。  例えば三人姉妹の場合、長女は大学の疫学教授、次女はユーチューブのCEO、三女は遺伝子検査会社のCEOです。

③一男二女の場合、長女はヤフーの大幹部、長男は検事、次女は保険局長といった具合です。  かと思えば、長男がペンシルヴェニア大副学長、次男はシカゴ市長、三男がハリウッド映画製作会社協会の事務局長という三兄弟もいます。  しかし、両親は普通の人々で、親の七光の要素は皆無です。


2.この九家族の教育から共通点を引き出すと、次の六つの要素が見えてきました。

①第一は、ほとんどが他国からの移民でした。  移住者はそれだけで、本国人に比べてすべての面でハンディキャップを負います。  (中略)  しかしこのハンディが、子どもたちに負けてなるものかという向上心と忍耐強さを与えていました。

②第二に、両親は子供の小さい頃、教育熱心でした。  0歳から5歳までの学校教育以前の早い時期に、子供たちにさまざまなことを学ばせていました。  つまり学ぶ心を、就学以前に植えつけていたのです。

③第三は、親が社会活動家であり、世の中をよりよく変えていくための運動をしていました。  子供は親の行動を通して、社会の不合理を学びとり、それを変革していく姿勢を学んでいたのです。  いわばこうして自分を取り巻く世界の理解を深めたのです。

④第四は、家庭の中が決して平穏ではなく、両親の言い争い、きょうだい喧嘩と無縁ではなかった点です。  とはいっても両親の争いは決して暴力沙汰ではなく、社会の見方の違いからの意見の突き合わせのようなものです。  不登校や万引、喫煙、殴り合いの喧嘩も、子供たちは十代の頃経験しています。  移民の子としていじめられた子供もいますが、これが却ってなにくそという精神力を培っていました。

⑤第五は、子供時代に人の死を何度も見て、生きていることの貴重さを学んでいる点です。  人の死を知ることは、自分の人生の限界を知ることに直結します。  だからこそ、生きているうちに自らのやりたいことを成し遂げる馬力も、生まれてくるでしょう。

⑥最後の六つ目は、丁寧な幼児教育のあとの、放任主義です。  すべての子供が、何をしても許されたと言います。  すべてを自分自身の責任に任せられると、逆に子供は野放図なことはできません。  「お前たちは、他人のゴールには絶対辿り着けない。  お前がテープを切れるのはお前のゴールだけだ。」と言われたのです。


3.①この六つのどれ一つとっても、いわゆる教育ママやパパのやり方とは正反対です。  親が敷いたレールに子供を乗せ、猛スピードで後ろから押していく方法とは好対照です。

②そしてそこに、私たちはネガティブ・ケイパビリティの力を見ることができます。』

目からうろこの内容でした。  特に、2.④の「家庭の中が決して平穏ではなく」というのは、一般的な教育環境として相応しくないと思っていました。

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