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国家の精神分析

『ヒトの壁』(養老孟司著 新潮新書)を読みました。  

1.「精神分析の意味」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(前略)似たやり方でヒトの心理を解釈することもできる。  これは精神分析と言われる。  岸田秀の「唯幻論」はその典型である。  岸田は個人だけではなく、国家や共同体、例えばアメリカ社会や日本社会も精神分析の対象とした。

②アメリカはなぜいつも戦争をするのか。  精神分析をしてみる。  アメリカ人は先住民を虐殺し、その土地を奪った。  それ以降、強迫的にそれを続けざるを得ない。  アメリカの建国を正当化するためには、常に同じことを続けざるを得ないからである。  ゆえに戦争ばかりしている。

③日本はペリー来航以来、内的自己と外的自己が分裂しっぱなしである、というのが日本を精神分析した結果である。  本音と建て前、とでも言えるだろうか。  (略)

④岸田の説では、歴史は強迫的に繰り返される。  日本では「明治維新」以来、「維新」とつけて変革を起こそうとする動きがあるが、こういった歴史の踏襲はなかなかに免れないと言える。』

2.続く「ヒトはAIに似てきている」の項を番号を付けて紹介します。

『①私は岸田と同じ論法を使って考える。  社会と個人の関係を考えるうえで、ここは極めて重要な点である。  私はそう思う。  ヒトは適応性の高い生きもので、極寒の地に住むイヌイットから、熱帯雨林に住むピグミーまで存在する。

②同様にして、ヒトはAIに適応してしまう可能性が高い。  その意味でじつはAIがヒトに似てくるのではない。  ヒトがAIに似てくるのである。

③社会がAI中心に動くということは、個人がAIのように動くことになる方向性を意味する。  なぜなら岸田が言うように、個人は社会を自分に投影するからである。  ヒトと社会は不可分である。  個人主義の危ういところはそこにある。  自分の意志のつもりが、じつは世の中に流されているだけ。

④人生を選択の連続と考えるのがアメリカ風らしい。  うまく正解を選択していけば、アメリカン・ドリームが実現される。  下手に選択していけばホームレス。  どちらにしても自己責任、自分のせいである。

⑤私は日本人だから、人生は行き掛かり、要するに周囲の事情で決まると考える。  こうするしかしょうがないんです、そういうつもりはないんですけどね。

⑥人生とはそんなものであるらしい。』

ロシアを精神分析するとどうなるんだろう。  

プロボクサーのロマチェンコ選手やウシク選手、引退したクリチコ兄弟、柔道のビロディド選手、皆ウクライナ出身です。

特にクリチコ兄弟の兄、ビタリ・クリチコは現在、首都のキエフ市長です。

ウクライナに一刻も早く平和が訪れますように!

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職業選択

『立花隆の最終講義 東大生と語り尽くした6時間』(立花隆著 文春新書)を読みました。  職業選択について書かれた部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①誰しも、いろんな時期にいろんな人生の選択をして、具体的な人間存在になっていくわけです。  僕自身、いろんな可能性のひとつとして研究者生活に興味があった時期もあるけど、今になってみれば、絶対やらなくてよかったと思いますね。 あとあと取材するようになってはじめて、ものすごく大変だということがわかりました。

②研究者として成功するには、自分が考えていることが現実にぴしっとはまって、しかも自分が考えていることをそのまま実現できるような方法論に出会えて、さらに研究領域自体がその時期ちょうど盛り上がっていて結果を出すとすぐに評価がついてくる、というように三拍子も四拍子もそろっていないといけない。

③結局、研究業績というものも様々な出会いの集積ですから、ほとんどの研究者は世界を驚かすような研究なんてできないで一生終わるんです。  だから、研究生活に突入するときには、そういう一生で終わっても自分として悔いがないかどうか、よほど事前に考え抜いて覚悟を決めておかないといけません。

④研究者に限らず、いずれ君たちも何らかの職業生活に入らなければいけないときには、不遇な時代も必ず来るし、それがどれだけ続くのか分からないということを勘定に入れて、そこにいれば心理的なストレスがかからない、それをやっていることが嬉しい楽しいという職業を選ぶことが一番だと思います。

⑤そういう意味では、僕は取材をすることと文章を書くことがまったく苦にならないから、いい領域を選んだということですね。』

上記⑤に関して言えば、私も空手の指導がまったく苦になりません。  いつも思うのですが、自分にはぴったりの職業でした。  10代で極真空手に出会えたことは、私の人生における大きな幸福のひとつです。

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怪物級の練習をしよう

毎日、テレビで北京オリンピックを観ています。  オリンピック独特の緊張感に飲み込まれ実力を出し切れない選手も多い中で、男子フィギュアスケートで銀メダルを獲得した鍵山優真選手の安定感はひときわ光っていました。  

2月11日付け読売新聞オンラインに記事が載っています。  タイトルは『父は言った「怪物級の練習をしよう」…18歳・鍵山優真、ジャンプ安定し会心の「銀」』です。  番号を付けて紹介します。

『①昨季から急成長を続ける期待の新星、18歳の鍵山が、一気に主役に躍り出た。  「とてもうれしい。  全ての努力が詰まった銀メダル」。  若々しく堂々と、誇らしげな笑顔だった。

②冒頭の4回転サルコーは、出来栄え点(GOE)4・43点を稼ぐ完成度。  続く4回転ループは着氷が乱れるなどしたものの、ここから持ち味の安定感が生きた。  3本目の4回転トウループ以降の全てのジャンプでGOEはプラス評価。  やりきったような表情で演技を終え、得点を見ると、父の正和コーチとハイタッチで喜びを分かち合った。

③2019年の全日本選手権で初の表彰台となる3位に入った直後のこと。  五輪2大会の出場経験を持つ父から、羽生、宇野を引き合いに出して言われたことがある。  「あの2人は怪物級だ。  どうすれば倒せるか、わかるか?」。  鍵山は当時、ジュニア選手。  言葉に詰まると、父は続けた。  「怪物級の練習をしよう」

④五輪を見据え、20年にシニアに本格転向した。  海外の振付師に未明からリモート指導を受け、早朝練習は3時間。  そのまま電車で高校へ。  リンクへ戻り、夜は1時間半の練習を2回こなした。  長い日は、実に1日8時間。  練習スケジュールを他の選手に見せると、「これ、リンクの営業時間?」と勘違いされるほどだ。  「ちょっとやそっとじゃ崩れないジャンプの安定感を手に入れられた」という。

⑤昨季の世界選手権は日本勢最高の2位と大健闘。  でも、次第にわいてきたのは、「2人を五輪で超えたい」という思いだった。  それを五輪初出場にして成し遂げた。  「羽生選手や宇野選手みたいに、演技(表現)やステップ、色んな部分が評価される選手になりたい」と鍵山。  気持ちが良いほどの快進撃だった。』

上記④にあるように、現役の高校生が学校に通いながら、『長い日は、実に1日8時間』練習したそうです。  「学校や仕事で時間がない」は言い訳になりませんね。  世界を取るには、それくらいの覚悟が必要です。

大きな試合の極限状態の中での安定度は、練習の量を重ねることでしか手に入りません。  わかりやすく言えば、「練習をこれだけやったんだから負けるはずがない」と思えるまで準備したかどうかだと思います。




 

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横綱・照ノ富士

『奈落の底から見上げた明日』(照ノ富士春雄著 日本写真企画)を読みました。  『(入門当初の兄弟子)元若天狼・上河啓介さんが語る「弟弟子」照ノ富士』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①入門したての頃の照ノ富士に伝えたのが、「強くなっても、偉くなったと勘違いしちゃダメだよ」ということでした。

②お相撲さんは、関取(十両)になったら、昨日まで自分が誰かのお世話をしていたのに、突然付け人がついて化粧まわしももらって、と急に生活が一変します。  しかしそれは、関取というシステムに則っているだけです。  つまり、ただ相撲で強くなっているだけなのに、まるで偉くなった気になってしまう。  そのことに、早い段階で気づいていないといけません。

③偉くなった気になると、また番付が下がったらどうなるのかも含め、自分自身がブレてしまいます。  その立場で仕事をして、ルールに従っているだけで、偉いかどうかではないのに、どうしても〝上下〟になってしまう。  すると、歯止めがきかなくなって、周りに人がいなくなってしまうんです。

④角界に一生いるなら、まだそれでもいいけれど、その考えのまま相撲界を離れたら、本当にどうするのか。  特に、角界を離れて思いますが、そういうことを理解できていれば視野が広がると、僕は思っています。

⑤人間なので、失敗もいろいろあっていいけれど、どこで気づくかが大事です。  (中略)

⑥お相撲さんや親方衆は、本当に多くの人と付き合いがあるので、さまざまな言葉自体は聞いたことがあっても、それらをどこまで体感して気づいているかはわかりません。  こういったことを理解していくことで、今後も同僚や応援してくださる周りの方々からも慕われるんじゃないかと思いました。

⑦僕自身も、十両でケガをして序二段まで落ちて、また十両に上がった経験があります。  地位の上がり下がりは照ノ富士と随分違いますが、ケガの苦しみは多少なりともわかってあげられるつもりだったので、無責任に聞こえるかもしれませんが、あのときは、「頑張れよ」としか言えませんでした。

⑧周りから言われるだけでは、今後のことも決めきれないので、自分でどう決めるのか。  酒やたばこと一緒で、人に「やめたほうがいいよ」と言われているうちはやめられないけれど、自分で本当にこれはダメだと思ってやめる決心ができたらやめられるもの。  いくら周りがもう一度頑張れと言っても、自分の気持ちがついてこなければ、やる気にはなれないだろうと思ったんです。』

上河さんの話には大変感銘を受けました。

ケガや病気で大関から序二段まで落ち、後に見事復活して横綱に昇進した照ノ富士ですが、その陰には素晴らしい兄弟子の存在があったんですね。



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