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第28回全関東大会

昨年はコロナ禍で開催されなかった全関東大会が、昨日水戸の茨城県武道館で開催されました。  一般上級で入賞した城西の選手について気づいたことを書いてみます。

1.一般男子上級-70㎏級

・平沢拓巳(優勝)・・・持っている天性の素質の一端が見られました。  タイミングの良さと突き・蹴りのスピードです。  また軽量級にしては身長が高く(178cm)ふところが深いため、準決勝・決勝で当たった針山と雄大は若干やりにくそうでした。  就活もあり今後選手を続けるかどうかわかりませんが、続けるのであれば、体重を増やすことを前提にした無差別級での戦いも見てみたいです。

・金子雄大(準優勝)・・・直前に足の指を骨折していた影響か、平沢との決勝は後半ワンサイドゲームになってしまいました。  でも、空手の試合で怪我は言い訳にはなりません。  かっての大西靖人のように第15回全日本大会の1回戦で右足親指を骨折しても優勝した選手もいるわけですから。  今後は砂袋などによって、足の指も含めた部位鍛錬で鍛えることも必要でしょう。  決勝以外は良い戦いぶりでしたので、今後に期待します。  

・小木戸瑛斗(第3位)・・・今回も金子雄大の壁を越えられませんでした。  しかし、確実に肉薄してきています。  瑛斗の持っている良い点をもう一度吟味し、一層創意工夫を重ねてもらいたいと思います。  もしかすると雄大のペースとリズムに巻き込まれて試合をしているのかも知れません。  

ボクシングの名世界チャンピオン(スーパーフライ級)の渡辺二郎さんがグスタボ・バリャス選手と戦ったときに、2ラウンド終了時に「このままテクニック争いをしてたら負けるな」と思ったそうです。  そこで渡辺さんは「間合いをつぶしてどつき合いに持ち込む」と戦術変更しました。  結果は相手選手の9ラウンド終了後試合放棄です。
相手の得意な土俵で戦わず、自分の得意な土俵で戦うことは大切ですね。    

・針山功靖(第3位)・・・全体に良い動きをしていましたが、平沢戦では間合いの操作に若干難がありました。  特に蹴りの空振りが目立ちました。  リーチの長い平沢の出入りに対し、うまく対応ができていない印象です。  ステップワーク、特に素早い追い足・逃げ足・サイドステップの妙が必要です。  軽量級の名選手であった田ヶ原支部長の映像などを参考にして下さい。


2.一般男子上級+80㎏級

・佐藤拓海(準優勝)・・・だいぶ力が付いてきたように見えます。  山上大輝選手との決勝戦も再延長で体重判定でした。  欲を言えば、結果としてうまく試合をまとめて副審に旗を上げてもらえるようなゲームコントロールの技術を磨く必要があります。  たとえば相手の攻撃をはずしてから一撃だけ返すのではなく、何発かの突き蹴りを返すとかといったことです。 簡単にいえば、要所要所で攻撃を畳みかけるべきです。

・岡部慎太郎(第3位)・・・山上選手に再延長判定負けでした。  試合経験の差が出たのかも知れません。  拓海と同様に要所要所で攻撃を畳みかけることが必要です。  接近したときに連打を打ちますが、精度と威力がまだまだです。  「ナチュラルに95㎏」という恵まれた体格が活かしきれていません。  フットワークを使えるのは長所ですが、攻撃の間合いに入った瞬間の体の備えに重さを感じません。  フットワークを多用するなら、かってのボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメッド・アリのように「蝶のように舞って、蜂のように刺す」をめざしましょう。 


※追加

①「蝶のように舞って、蜂のように刺す」と書きましたが、アリのころは3分15ラウンドでした。  極真は3分2分2分なので、「蝶のように舞って、蜂の集団・・・のように刺す」ですね。 笑

②隣のDコートで行われた高校2・3年男子−65kgで優勝した鈴木哉琉の試合もチラッと見ました。  哉琉の畳みかけはパワーと迫力があり抜群です。  拓海も慎太郎も、哉琉のラッシュを参考にして下さい。    


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読書と人生

『読書と人生』(寺田寅彦著 角川ソフィア文庫)を読みました。  著者は、戦前の東京帝国大学教授(物理学)で、随筆家・俳人でもあります。

1.「読書の今昔」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①読書の選択やまた読書の仕方について学生達から質問を受けたことがたびたびある。  これに対する自分の答はいつも不得要領に終わるほかなかった。  いかなる人にいかなる恋をしたらいいかと聞かれるのとたいした相違はないような気がする。

②時にはこんな返答をすることもある。  「自分で一番読みたいと思う本をその興味のつづく限り読む。  そしていやになったら途中でもかまわず投出して、また次に読みたくなったものを読んだらいいでしょう。」

③大根が食いたくなる時はきっと自分の身体が大根の中のあるビタミン・エキスを要求しているのであろう。  その時われわれは何も大根を食うことの必然性を証明した後でなければそれを食っていけないわけのものではない。

④また友人のIが大根を食ってよろずの病をいやし百年の長寿を保つとしても、自分がその真似をして成功するという保証はついていない。  ある本を読んで興味を刺激されるのは何かしらそうなるべき必然な理由が自分の意識の水平面以下に潜在している証拠だと思われる。  (中略)

⑤人々の頭脳の現在はその人々の過去の履歴の関数である。  それである人がある時にAという本に興味を感じて次にBに引きつけられるということが一見いかに不合理で偶然的に見えても、それにはやはりそうなるべきはずの理由が内在しているであろう。』


2.「読書の今昔」の項からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ある天才生物学者があった。  山を歩いて滑ってころんで尻餅をついた拍子に、一握りの草をつかんだと思ったら、その草はいまだかって知られざる新種であった。  そういう事がたびたびあったというのである。

②読書の上手な人にもどうもこれに類した不思議なことがありそうに思われる。  のんきに書店の棚を見てあるくうちに時々気まぐれに手を伸ばして引っ張り出す書物が偶然にもその人にとって最も必要な本であるというようなことになるのではないか。』


3.「丸善と三越」の項からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(日本橋「丸善」の)街路に向かった窓の内側に淋しい路地のようになって哲学や宗教や心理に関する書棚が並んでいる。

②不思議なことに自分は毎年寒い時期が来ると哲学や心理がかった書物が読みたくなる。  いったい自分の病弱な肉体には気候の変化が著しく影響する。

③それで冬が来ると身体は全くいじけてしまって活動の力が減退する代りに頭の方はかえって冴えてきて、心がとかく内側へ向きたがる、そのせいかもしれない。

④こんな気分の時にはここの書棚を物色する事がしばしばある。』


読書好きの私が特に腹落ち(心から納得)した箇所を、三点紹介しました。

「読書の秋」という言葉があります。  ネット社会の現在では死語かもしれませんね 笑

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誰に何を言われてもやり続けろ

2011年に亡くなられた天才落語家・立川談志さんについて書かれた『談志のはなし』(立川キウイ著 新潮新書)を読みました。  「誰に何を言われてもやり続けろ」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ある晩、師匠が若手のタレントさんの相談にのるということで、(銀座のバー)美弥で待ち合わせということになりました。  (中略)  そしてタレントさんの相談が始まりました。  聞くとはなしに聞こえてしまい、その相談というのは自身のタレント活動についてでした。

②ザックリ書くと、思うように仕事がとれず要は売れない。  マネージャーとの関係がよくない。  それで事務所とも上手くいかない。  簡単にいえば誰にでもある仕事上の人間関係の悩みで、ハッキリいえば愚痴に近いものです。

③しかし師匠は静かに話を聞いていて、そしてまず言いました。  「仕事がない、必要とされてないということは、それだけ価値が無いからだよな」  タレントさんがビクッとしたのをおぼえてます。

④「才能がないから売れないんだ。  才能がある奴は売れる。  ただし時代に合う合わないはあるがな。  だとしたらまずは必要とされるにはどうしたらいいか、それを考えようじゃねぇか」

⑤そう言ってタレントさんに思いつくままに色々なアドバイスをして、最後はタレントさんに、「落語家になるか?  こいつだってやってんだぞ」  励ますつもりで僕を見ながらタレントさんにそう言って、「何かあったらまた連絡しなさい。  続けるのは大変だが、やめるのは簡単だからな」と出口まで送り、タレントさんは帰りました。

⑥そしていなくなった後、僕にポツリと言ったんです。  「売れない奴ほど事務所の悪口を言う。  そして売れるのは狂える奴だ」

⑦そして次の一言も印象的でした。  「仕事とは人間関係でイヤな思いをすることが主だ。  むしろそうでなければそれは仕事とは言えない」  そうだよな、と妙に納得したのもおぼえています。  (中略)

⑧そういえば師匠に相談したあるタレントさん、もともと知らない方でしたが、その後まったく何も聞かないし、どうしているのかも知りません。  やり続けられなかったのかな。

⑨人生への期待に裏切られたとしても、そこから始まる場合もあると思うんです。  それでもやれるか否か。

⑩「やる奴は止めてもやる。  やらない奴はいくら言ってもやらない」  沢山の弟子を育てた師匠が、折々よく言っていたことです。』

城西支部を開設して43年が経ちます。  才能がありながら、修行途中で挫折していく選手も数多くいました。

⑩の「やる奴は止めてもやる。  やらない奴はいくら言ってもやらない」  まさにその通りです。  

私自身も、大学生のとき「空手なんかやっていて将来どうするんだ」と父親に言われたことがあります。  

素直にやめていたら、今ごろ何をしてたんだろう? 笑













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運動と脳の発達

9月26日のブログで『脳を鍛えるには運動しかない!』(ジョン・J・レイティ著 NHK出版)を紹介しました。  今回は『最良の身体を取り戻す』(山口創著 さくら舎)です。  「運動するのは身体を鍛えるためだけではない⁉」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①人類は狩猟採集生活で、移動しながら頭脳を発達させた。  そこで身体の活動は脳のさまざまな能力と関係があると考えられる。

②身体をコントロールしたり、自分の身体を感じたり、あるいは外界を知覚しているのもすべて脳である。  そのように考えると、ただ勉強さえすれば学力が伸びると考えるのは、水だけを与えて育てる水耕栽培と同じだといえるだろう。

③縄跳びにしても、ドッジボールにしても、サッカーや野球のような競技スポーツにしても、身体を動かせば筋肉などから大量の情報が脳に届く。  さらに他の選手を見たり、声を聞いたり、声を出したり、触れあったりするため、非常に頭を使う。

④そして困難なことがあっても粘り強く取り組み続ける能力も必要である。  それは勉強でも同じである。

⑤運動能力を高めることで脳の発達が促される。  だからこそ思い切り身体を使って遊ばせることは、豊かな肥料となって子供の脳をたくましく成長させていく。  運動は決して身体を鍛えるためだけではないのだ。  

2.①岐阜大学の大坪健太たちの研究では、1000人以上の小学生の体力と学力の関連を検討したところ、体力の総合評価と学力の間にはかなりの関連が見られることがわかった。

②その理由であるが、生理的側面と心理的側面の2つの側面があるようだ。

③生理的側面としては、身体活動をすると脳血流が増加し、覚醒水準が上がることや、ストレスによって分泌されるノルアドレナリンが減少し、逆にセロトニンの上昇による鎮静効果(落ち着き)をもたらすこと、ドーパミン分泌を高め意欲を向上させるという。

④一方、心理的側面としては、身体活動が自尊感情の向上に影響を与えることから、活動的な児童ほど、自尊感情が高く、その結果として学習行動や学習意欲の向上につながると考えられている。』

高齢者になったせいか、最近、健康に関する本を読むことが多いです。  読んでわかったことは、身体の健康・脳の健康・心の健康は一体化しているということです。  ですから、身体の健康に良いこと(運動・食事・睡眠)は、脳の健康(認知症の予防)や心の健康(精神疾患の予防)にも良いわけです。

これは子供であっても同様です。  身体の健康に良いこと(運動・食事・睡眠)は、脳の健康(学力の向上)や心の健康(引きこもりなどの予防)にも良いのです。      

空手の稽古は、脳を鍛え、心を安定させるのに最適です。  決して、我田引水ではありません 笑

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