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2021.10.31 Sun
「利他」とは何か
『「利他」とは何か』(伊藤亜紗ほか著 集英社新書)を読みました。 「他者のコントロール」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『1.①特定の目的に向けて他者をコントロールすること。 私は、これが利他(他人に利益を与えること)の最大の敵なのではないかと思っています。 (中略)
②これまでの研究のなかで、他者のために何かよいことをしようとする思いが、その他者をコントロールし、支配することにつながると感じていたからです。
2.①たとえば、全盲になって10年以上になる西島玲那さんは、19歳のときに失明して以来、自分の生活が「毎日はとバスツアーに乗っている感じ」になってしまったと話します。
②「ここはコンビニですよ」。 「ちょっと段差がありますよ」。 どこに出かけるにも、周りにいる晴眼者(視覚に障害のない者)が、まるでバスガイドのように、言葉でことこまかに教えてくれます。
③それはたしかにありがたいのですが、すべてを先回りして言葉にされてしまうと、自分の聴覚や触覚を使って自分なりに世界を感じることができなくなってしまいます。
④たまに出かける観光だったら人に説明してもらうのもいいかもしれない。 けれど、それが毎日だったらどうでしょう。
⑤「障害者を演じなきゃいけない窮屈さがある」と彼女は言います。 晴眼者が障害のある人を助けたいという思いそのものは、すばらしいものです。
⑥けれども、それがしばしば「善意の押しつけ」という形をとってしまう。 障害者が、健常者の思う「正義」を実行するための道具にさせられてしまうのです。
3.若年性アルツハイマー型認知症当事者の丹野智文さんも、私によるインタビューのなかで、同じようなことを話しています。
「①助けてって言ってないのに助ける人が多いから、イライラするんじゃないかな。
②家族の会に行っても、家族が当事者のお弁当を持ってきてあげて、ふたを開けてあげて、割り箸を割って、はい食べなさい、というのが当たり前だからね。
③「それ、おかしくない? できるのになぜそこまでするの?」って聞いたら、「やさしいからでしょ」って。 「でもこれは本人の自立を奪ってない?」って言ったら、一回怒られたよ。
④でもぼくは言い続けるよ。 だってこれをずっとやられたら、本人はどんどんできなくなっちゃう。」
4.①認知症の当事者が怒りっぽいのは、周りの人が助けすぎるからなんじゃないか、と丹野さんは言います。
②なにかを自分でやろうと思うと、先回りしてぱっとサポートが入る。 お弁当を食べるときにも、割り箸をぱっと割ってくれるといったように、やってくれることがむしろ本人たちの自立を奪っている。
③病気になったことで失敗がゆるされなくなり、挑戦ができなくなり、自己肯定感が下がっていく。
④丹野さんは、周りの人のやさしさが、当事者を追い込んでいると言います。』
私の母親は現在90歳で、昨年3月から老人ホームにお世話になっています。
それまでは月に一回、昼に寿司の折り詰めなどを持って、カミさんと二人で実家を訪ねていました。
食事のときは、上の3.②そのままに、「ふたを開けてあげて、割り箸を割って、はい食べなさい」です。
本書を読んで、ドキッとしました。
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2021.10.24 Sun
視野が広い
『なぜロジカルな人はメンタルが強いのか?』(小林剛著 飛鳥新社)を読みました。 副題は『現代最強雀士が教える確率思考』です。
『「勝負に強い人」の条件』の項の冒頭で次のように書かれています。
『麻雀が強い人、勝負ごとに強い人には、以下のような特徴があると思っています。
・数字に強い
・論理的思考力がある
・視野が広い
・メンタルが強い
・確率思考である』
この後、それぞれの項目についての記述が続きますが、「視野が広い」の項を番号を付けて紹介します。
『①一つのことにしか目が向かないタイプの人は、強くなるのは厳しいと思います。
②最初に思い浮かんだ選択肢の他に、いろんな可能性を考えることができ、すべての選択肢に、それぞれのいい点と悪い点を挙げ、比較検討できる。 そういう思考が必要だと思います。
③一つの選択肢だけを取り上げて、その選択肢がいかに優れているかを熱弁する人は多いです。 しかし実際に強くなれるのは、結果的に選択しなかった選択肢の数と、それぞれの根拠、つまりメリット・デメリットを多く考えられる人のほうです。
④日常生活でも「これはこうだ」ということを決めて、もうそのことだけしか考えない人と、「他にも何かいい方法があるんじゃないか?」と常に考えられる人がいると思います。
⑤結局後者のような人のほうが、その場だけでなく、今後訪れるかもしれないさまざまな事象に対応でき、最終的に自分の望む結果を引き寄せられるように思います。
⑥一般的には、これは「オプション」と言われます。 常に複数の選択肢を用意しておいて、それがダメなら次の手をすぐ打てるように準備しておくこと。 いざというときに慌てずに済みますし、心も落ち着いていられるというものです。』
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2021.10.16 Sat
若者の政治への無関心
昨日の朝日新聞・朝刊に、芥川賞を今年受賞した台湾出身の作家・李琴峰さんが寄稿されていました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①(日本の政治の風景に)違和感を抱くのは、政権交代がなかなか起こらないということだ。 55年体制ができて以来、自民党が与党でなかったのは僅か4年でしかない。 これほど強固な一党優位制は、民主主義国家では珍しいのではないか。
②そこで思い出されるのは、かっての台湾の国民党だ。 1949年、中国の内戦で共産党に負けた国民党政府が台湾に移り、それ以降数十年間にわたって台湾を支配した。
③そんな国民党が90年代の政治民主化を経て、2000年の総選挙で下野した。 代わりに与党となったのは野党第一党の民進党だ。 以来、台湾では8年に1回、政権交代が起こっている。 同じ政権が一定期間続くと、独断専行や政治腐敗など様々な綻びが目立ってくるのが世の常だ。
④06年、民進党の陳水扁政権の汚職事件に抗議し、数十万人のデモが行われた。 14年、国民党の馬英九政権の独断専行に抗議して起こったのが、かのひまわり学生運動だ。 どちらも与党の支持率を低迷させ、次の選挙で政権交代がなされた。 (中略)
⑤台湾では「換人做做看」という言葉がある。 「違う人に(政治を)やらせてみよう」という意味だ。 本来民主主義国家における政権交代は、それだけ当たり前のことだ。 当たり前のことであるべきだ。
⑥政治家は国民の税金で雇われた公僕なのだから、政治が失敗したら、政治家をクビにする権利は国民には当然あるし、政治を変えるために有権者にできることは、それしかないのだから。』
今回の衆議院選挙の日程は今月19日公示、31日投開票です。
日本の若者の政治への無関心がよく言われます。 総務省のデータでは、前回(2017年)の衆議院選挙の20代の投票率は33.85%で60代(72.04%)の半分以下となっています。
支持する政党や支持する候補者は、当然、個人の自由です。 でも、選挙に行かないというのは、私自身にはちょっと違和感があります。
これも、現在67歳という年齢のせいなのかな~ 笑
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2021.10.09 Sat
立花隆さん
1.前回のブログでは、『組織の不条理・・・日本軍の失敗に学ぶ』(菊澤研宗著 中公文庫)を取り上げました。
今回も、同じ『日本軍の失敗』というテーマに関して、『立花隆 最後に語り伝えたいこと』(立花隆著 中央公論新社)を取り上げます。
作家・評論家の保阪正康さんが、巻末の解説を書かれていました。 2009年に札幌で開かれたシンポジウムでの立花さんの講演内容に関する記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『(1)彼は、①戦争はなぜ起こったのか、②どういうシミュレーションの元での判断だったのか、③彼我の戦力比をどう考えるか、という点にポイントを絞って論じた。 (中略)
(2)立花が問題にしたのは以下のようなことだった。
①軍事が行なうシミュレーションの折に、敵と味方が衝突したら、その勝敗についていくつかのパラメーター(変数、測定値)にいろいろ数字を入れていく。
②客観的な数字を入れるだけでは、日本に勝ち目はない。
③ところがもっとも楽観的な数字を入れると、それでも敗北と出るが、しかし僅差で敗れるとなる。
④そこで軍事指導者たちは、日本には精神力という数値化できないプラスがある、といったような判断をする。
⑤そして戦争に入っていったということになる。
(3)立花の講演はこのことが本題ではなかったので、このからくりが日本人の欠陥であるというような例のひとつに挙げたに過ぎなかった。 (中略)
(4)私は日本の軍事指導者の最大の欠点は、「主観的願望を客観的事実にすり替える」という点にあると考えてきた。 そういう例にまさに符節すると思った。
(5)立花のこういう指摘は、実は無意識のうちに「ある立場(日本的指導者というべき)」に立つ人の思考方法そのものだとも気がついたのである。』
2.本書の第二部では「世界はどこへ行くのか」というタイトルでノーベル賞作家の大江健三郎さんと対談しています。 その中で立花さんが環境破壊について語っている部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①これまでの地球の生命史を考えて、こんな大きな哺乳動物で、地球に50億もいる生物なんてどこにもいないですよ。 これは生命の歴史の上で全く不可能だったことを可能にした種で、どうやって可能にしたかというと、結局、食い物を何とか獲得したんですね。
②食い物を獲得するために、畑や田んぼをどんどんつくったわけです。 そのために、必然的に環境破壊をもたらしたわけで、今、環境破壊というと、工業の問題とか、何かそういうことを問題にしますが、実際に地球の自然を大きく破壊してきたのは農業です。
③今の熱帯雨林の問題なども、日本が南洋で木材を切っているからという指摘があり、それはもちろんあるけれど、もっと大きいのは畑をつくるための伐採、それから牧場をつくるための伐採です。
④そうやって食料をどんどん増やしていく。 つまり自然破壊しなければ、人間はとても生きていけないようなところまで、種として繁栄した。
⑤そういう意味で、僕は人口問題を考えると、自然の歴史の中で人間は完全に矩を超えた存在になっているのじゃないかという気がしますね。 かといって、同じ船にわれわれは乗っているわけですから、おまえ降りろというわけにいかない。
⑥だから、何とかして、せめて今ぐらいの規模で、人口をコントロールするという条件のもとで、地球を最大限利用し、かつ保ちうる環境規模というものを、本格的に研究して維持していかないと、何か救いがないという気がしますね。』
知の巨人、立花隆さんは今年の4月30日に逝去されました。 ご冥福をお祈り申し上げます。
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2021.10.03 Sun
組織の不条理
『組織の不条理・・・日本軍の失敗に学ぶ』(菊澤研宗著 中公文庫)を読みました。
昨年5月24日のブログで、名著『失敗の本質・・・日本軍の組織的研究』(野中郁次郎他著 中公文庫)を紹介しましたが、その本を意識しつつ書いたそうです。
1.「中公文庫版のためのまえがき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①『失敗の本質』の基本的なスタンスは、合理的な米軍組織に対して非合理的な日本軍組織という構図があり、それゆえ日本軍の組織はより合理的であるべきであったという流れになっている。
②つまり、完全合理性の立場に立って、日本軍の戦い方の非合理性を問題点として分析するという形になっている。
③ところが、1990年代、企業理論や組織論の研究分野では、完全合理性の立場から現実を分析するのではなく、人間はもともと不完全であり、限定合理的な立場から分析する研究が流行りはじめていたのである。
④当時、この限定合理性の立場で研究していた私は、人間は非合理的なので失敗するのではなく、むしろ合理的に行動して失敗するというきわめて不条理な現象が起こることに気づいた。』
2.「第2章 なぜ組織は不条理に陥るか」から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①大東亜戦争における陸戦の敗北のターニング・ポイントになったガダルカナル戦では、近代兵器を駆使した米軍に対して、日本軍は3回にわたって白兵攻撃(軍刀・銃剣をもって斬り込むこと)を繰り返し、結果的に日本軍は全滅した。
②当時、白兵突撃作戦は、明らかに非効率的な戦術であった。 しかし、日本軍はその戦術を放棄し変更することができなかった。 というのも、長い年月と多大なコストをかけて訓練してきた日本陸軍伝統の白兵突撃戦術を放棄した場合、これまで白兵突撃戦術に投資してきた巨額の資金が回収できない埋没コストになったからである。
③また、その変更に反発する多くの利害関係者を説得するために、多大な取引コストを負担しなければならない状況にあったからである。
④したがって、このような状況に追い込まれると、組織はたとえ白兵突撃戦術が非効率的であったとしても、それを放棄して巨額のコストを負担するよりは、その戦術にかすかな勝利の可能性さえあれば、その戦術を変えずにそのまま進む方が合理的となるような不条理な状態に追い込まれることになる。
⑤このように、合理的に非効率的状態を維持するという不条理な組織行動は、人間の無知や非合理性のために発生するのではない。 人間の合理性によって生み出されるのである。』
3.「第9章 組織の条理と不条理」から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①(イギリスの哲学者)K・R・ポパーによると、人間が限定合理的であることを自覚し、誤りから学ぶためには、積極的に誤りを受け入れ、徹底的に批判的議論を展開することが必要となる。
②そして、もし誤りが見つかれば、将来、同じ誤りをしないように、それを排除するような新しい戦略・状態・制度を創造する必要がある。
③ここで、注意しなければならないのは、批判は否定ではないということである。 それは、どこまで認めることができるのか、その限界を画定することである。 (中略)
④このようなごう慢で硬直的な組織では、非効率と不正は単調増加し、最後に組織は淘汰されることになる。 このような状況を回避し、組織が淘汰されないために、限定合理的なわれわれ人間がなしうるのは、K・R・ポパーが主張するように、きわめてシンプルなことである。
⑤すなわち、われわれ人間は限定合理的であり、常に誤りうることを自覚し、絶えず批判的であること、そして誤りから学ぶという態度をとることである。
⑥したがって、組織内部に非効率と不正が発生する可能性を認め、それを排除する制度をめぐって絶えず批判的議論ができる「開かれた組織」を形成することである。』
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