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極真祭・第52回全日本大会

11月28日は2020極真祭、29日は第52回全日本大会・2020女子全日本大会でした。

1.極真祭の入賞者は以下の通りです。

①小川仰眞・・・6歳男子の部・第三位 

②諸岡幸乃・・・10歳女子+35kg・第三位 

③小野そら・・・12歳女子+45kg・優勝 

④小木戸琉奈・・・13〜14歳女子-45kg・準優勝 

⑤鈴木哉琉・・・15歳男子-65kg・第三位 

⑥金子雄大・・・16〜17歳男子-65kg級・第三位 

⑦黒岩幹也・・・35〜39歳男子-70kg・優勝 

⑧旗手浩・・・50歳以上男子-70kg・優勝

コメントは指導員ブログで、セコンド指導員が書いていますので、省略します。  ただ、1つだけ金子雄大に関連して書いてみます。  

指導員ブログにも書いてあるように、ひと月ほど前に右足首を骨折しました。  その状況でもあきらめずに出場・入賞したのは立派です。

過去の城西の選手でも、大西靖人(第15回大会チャンピオン)が大会初日に足の指を骨折したにもかかわらず翌日優勝したり、増田章(第22回大会チャンピオン)が大会前に右前腕をバイク事故で骨折しましたが、第18回大会で松井館長と決勝戦で戦った例があります。  骨折していても優勝・準優勝することは可能です。  要は気の持ち方一つです。


2.2020女子全日本大会の出場選手についてのコメントです。  

①八幡華菜・・・ベスト8で鵜沢菜南選手に本戦判定負け。  動きは良かったのですが、体重で12㎏まさる鵜沢選手にパワーで押された印象です。  今後はウェイトトレーニングにも取り組んで、パワーアップをはかる必要があります。

②酒井真由・・・ベスト8で遠藤ひとみ選手に本戦判定負け。  初戦では体重が22㎏多いナッシュ・エイミーリー選手にフットワークを使って勝ちましたが、これも体重が38㎏多い遠藤選手のパワーには対抗できませんでした。  これまではパワーのある選手に一方的に押されることが多かったのですが、今回は善戦・健闘したと思います。


3.第52回全日本大会の出場選手についてのコメントです。

①奥寺勇輝・・・第7位・技能賞。  3回戦で優勝候補の星龍之介選手から上段前蹴りの技有りを取って本戦判定勝ち。  準々決勝は、クジで石崎恋之介と当たることになり、本戦判定負け。  先日、選手稽古を見た増田章が奥寺の素質を絶賛していました。  その素質を発揮できるかどうかは、今後の奥寺の精進次第です。

②佐藤拓海・・・ベスト16・新人賞。  2回戦で、昨年の第12回世界大会に出場した徳田寛大選手から足掛け下段突きの技有りを取って延長戦判定勝ち。  3回戦で小林健人選手に延長戦判定負けし、惜しくも入賞を逃しました。  真面目に稽古に取り組んでいるので、今後に期待します。

③加賀健弘・・・第6位。  準々決勝で、優勝したコンスタンティン・コバレンコ選手に本戦判定負け。  パワーのあるコバレンコ選手に対して、その押しをいなすことができませんでした。  大きなロシア選手を想定して稽古してきましたが、まだ何かが足りないようです。  さらなる創意工夫が必要です。

④亘和孝・・・ベスト16・敢闘賞。  3回戦で、準優勝した体重110㎏の西村界人選手に再延長戦引き分けで、試割り判定負けしました。  体重差が32㎏あるにもかかわらず健闘したと思いますが、いま一つ攻め切れませんでした。  加賀同様、もう少し研究が必要ですね。  

⑤石崎恋之介・・・第4位。  2018年3月に右ひざ前十字靭帯の手術をして以来の大会出場です。  3年ぶりの大会でしたが、落ち着いた試合運びでした。  準決勝では、コバレンコ選手の下段廻し蹴りで一本負けしました。  その悔しさを忘れずに、稽古に励んでもらいたいと思います。

⑥楠幹太・・・1回戦で筒井隼太選手に延長戦判定負け。  飲食店に勤務しながら稽古していますが、大会の1ヶ月前から勤務シフトの関係で、私の朝練に来れなくなりました。  素質があっても、それを磨く時間が必要です。  忙しい中で、どのように稽古時間を確保していくかが、今後の課題となるでしょう。


4.コロナ禍で、両日とも無観客試合となりました。  選手・セコンドの皆さん、極真オンラインを通じて応援していただいた皆さん、お疲れ様でした。

全日本大会について言えば、勝った試合も負けた試合も、3年後の世界大会を目指す上で参考になる試合ばかりでした。  私自身もさらに工夫して、指導していきたいと思います。







 

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愛嬌と陽気

1.『人間というもの』(司馬遼太郎著 PHP研究所)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『(1)①「豊臣秀吉も徳川家康も、だまっていてもどこか愛嬌のある男だった。  明智光秀は智謀こそそのふたりよりすぐれていたかもしれないが、人に慕い寄られる愛嬌がなかったために天下をとれなかった。  

②英雄とは、そうしたものだ。  たとえ悪事を働いても、それがかえって愛嬌に受けとられ、ますます人気の立つ男が、英雄というものだ。

③坂本竜馬にはそういうところがある。  ああいう男と喧嘩するのは、するほうが馬鹿だし、仕損さ。」  (『竜馬がゆく 一』)


(2)①「竜馬も、ニコニコした。  その笑顔が、ひどく愛嬌があり、(おお、みごとな男じゃ)と西郷隆盛はおもった。  漢(おとこ)は愛嬌こそ大事だと西郷はおもっている。  

②鈴虫が草の露を慕うように万人がその愛嬌に慕い寄り、いつの間にか人を動かし世を動かし、大事をなすにいたる、と西郷はおもっている。

③もっとも、西郷の哲学では、愛嬌とは女の愛嬌ではない。  無欲と至誠からにじみ出る分泌液だとおもっている。」  (『竜馬がゆく 五』) 


(3)「(山内一豊の妻)千代は、決してのんきなたちではない。  彼女ののんきさは、母の法秀尼から教えられた演技である。

『妻が陽気でなければ、夫は十分な働きはできませぬ。  夫に叱言をいうときでも、陰気な口からいえば、夫はもう心が萎え、男としての気おいこみをうしないます。

おなじ叱言でも陽気な心でいえば、夫の心がかえって鼓舞されるものです。  陽気になる秘訣は、あすはきっと良くなる、と思いこんで暮らすことです。』」  (『功名が辻』)』

フランスの哲学者・アランの「悲観は気分、楽観は意志」という言葉は、私の座右の銘の一つです。  

「笑う門には福来る」ということわざは、中国語(笑門来福)にも英語(laugh and grow fat)にもあり、万国共通ですね。





 

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藤平昭雄先生

『沢村忠に真空を飛ばせた男』(細田昌志著 新潮社)を読みました。 極真の大先輩で、全日本キックボクシングの初代バンタム級チャンピオンになり、「小さな巨人」と呼ばれた藤平昭雄(リングネームは大沢昇)先生についても書かれています。  「第十三章 タイ式ボクシング対大山道場」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①藤平昭雄は1942年、品川区荏原に生まれた。  東京大空襲で家を焼かれ、一家は父の故郷である千葉県南東部の夷隅郡に移り住んだ。  中学卒業後は家計を助けるために、池袋にある編機製造工場に就職する。  (中略)

②ある日、自宅の近所で「空手道場・生徒募集」の看板を見つけた。  場所は池袋西口で職場からも近い。  「少し気分転換をしたい」という軽い動機で入門する。  この道場が大山道場(極真会館の前身)だった。

③155cm、50㎏の藤平は、入門当初、体格の大きな先輩たちにまったく歯が立たなかった。  しかし、気の遠くなるような練習量を自らに課すことで、秘めた才能を呼び覚ました。

④師・大山倍達は、藤平を次のように評する。

《何よりも、稽古熱心であった。  稽古をはじめると、7~8時間、多いときは10時間つづけて稽古した。  その間、1分と休まないんだ。  いつも4時ごろ道場へきて、稽古をはじめると、筋肉が次々と運動を要求して止まらない。  ときには、そのまま夜中の1時くらいまで、ぶっつづけに稽古していることがあった。》(『マス大山の正拳一撃』大山倍達著  市井社)』


2.私が1971年に極真会館総本部に入門したころ、大山総裁が次のようなことをよく言われていました。  

①「弟子は多くはいらない。  藤平みたいに稽古するやつが一人いたらいい。」

②「オランダからカレンバッチ(187cm、110㎏)が来たとき、他の人間は怖がって道場に来なかったけど、藤平だけが倒した。  カレンバッチは藤平のことを『彼はリトルタイガーだ』と言っていたよ。」


3.2014年7月13日の春季関東大会の後、細谷社長に招待され、藤平先生のご子息が経営するイタリアンレストランで先生にお目にかかりました。  菊澤院長・山辺・森・加賀も一緒です。  そのとき、先生に「現役時代は何時間くらい稽古されたのですか?」とうかがうと、「12時間ぐらい。  そのくらいやらないと、体が火照って眠れないだろう?」とおっしゃっていました。

ところで、私の身近に、先週夕方5時から夜中の2時まで9時間飲み続けたという人がいますが、それはそれでスゴイです。  誰とは言いません(笑)

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アクションの組手

『ドリブルデザイナー岡部将和の挑戦を駆り立てる50の言葉』(岡部将和著 創元社)を読みました。  著者紹介によると、サッカーのドリブル専門指導者で、日本代表選手や世界のスター選手に個別で独自のドリブル理論を指導しているそうです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.相手の動きを見てかわすのは、リアクションドリブル。  相手の動きを引き出してかわすのが、アクションドリブル。  アクションできる人はリアクションもできるけど、アクションできない人はリアクションしか選べない。  リアクションを待つな。  自分から行け。

2.量をやらなければ、質は上がらないよ。

3.スター選手の特徴。  ①華(はな)がある。  ②人と違う。  ③自分の美学を持っている。

4.①強く求めること。  ②行動に移すこと。  ③人の意見に耳を傾けること。  レベルの高い選手はこの三つが揃っている。

5.僕の場合は日常生活の中でも、体の動かし方とか物事の考え方とか、すべてをドリブルに関連付けさせる。  ラグビーを見ても剣道を見ても、ドリブルだったらこういう所で使えるなって考えるんだ。

6.①強くなるということは、弱くなることなのではないかと僕は思う。  強い人こそ、人の痛みや悲しみを感じられる。  

②経験を重ね、心が強くなればなるほど、人は大きく優しく、思慮深くなり、主張は減り、怒ることも減り、人に感謝し、なにかの役に立ちたいと願う。

③最弱になれる人こそ最強の人だと僕は思う。』

1.に関連して、城西の組手は「受け返し(カウンターを含む)」を重視した組手です。  でも、攻防のなかで相手の攻撃を待つのではなく、自分から先に仕掛ける「攻めの組手」でなければなりません。  1.にあるように「相手の動きを引き出す」ためにも「自分からの動き(フェイントを含む)」がまずあるべきです。  つまり「アクションの組手」です。  「受けの組手」「待ちの組手」「リアクションの組手」で大成した選手を見たことがありません。

今まで紹介した本のなかで、もっとも長いタイトルの本でした。(笑)

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みんな生徒

昨日の日経新聞夕刊・連載『SPORTSデモクラシー』は法政大学アメリカンフットボール部・総監督の安田秀一さんが書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①前回紹介したアルペンスキーの皆川賢太郎さん(43)、競泳の松田丈志さん(36)との苗場での語り合いで、盛り上がった話題の一つに「子どもたちへのスポーツの指導法」がありました。

②発端は松田さんの太ももの尋常ではない太さでした。  すごいキック力なのだろうと「クロールでバタ足はどのくらい重要なんですか」と聞くと、意外な答えが。  「キックは推進力よりむしろ体全体の姿勢やバランスを保つために重要です」

③ん? ちょっと待ってよ、と言いたくなりました。  僕自身、幼少期にプールの授業で最初にバタ足ばかりやらされた嫌な経験があるからです。  まずは壁に手をついてバタバタ、次はビート板を使って顔を水につけてバタバタ……。  必死にやっても全然前に進まないし、何より苦しかったのを覚えています。

④「それならなぜ最初にバタ足ばっかりで苦しい思いをさせるのですか。  水泳嫌いになっちゃうじゃないですか」と、目の前にいるメダリストにかみつきました。  松田さんは「そこは僕も分からない。  まず苦労して、そこからはい上がってこいよ、っていう日本あるあるじゃないですか」。

⑤そして、米国では背泳ぎから入ることを教えてくれました。  「顔を水につけないで水に慣れさせること。  それから浮く感覚を身につけて楽しく泳がせるんです」

⑥これでは日本の子どもたちがかわいそうです。  僕がさらに文句を言うと、松田さんはその矛先を皆川さんに向け、こう問いかけました。  「スキーはどうです? 何から教わりますか」

⑦スキーは僕が初めて経験したスポーツです。  代わりに答えました。  「もっと最悪です。  東京生まれで、親元を初めて離れた4歳の子どもが、ひもすら結べないのに重たいスキーブーツを自分で履かせられて、カニ歩きで斜面を延々と登らされて……」と、悪夢だった当時の体験がよみがえりました。

⑧皆川さんも苦笑しながら、「本当に日本あるあるですよね。  米国ではブーツは大人が履かせてくれて、少しスキーに慣れさせたらすぐにリフト乗って、滑る楽しさを体験させます」。  (中略)

⑨僕はたまたま幼少期のストレス耐性が強かったので、スキーも水泳も壁を乗り越えることができましたが、多様性のかたまりのような子どもたちを十把ひとからげにして「まずは苦労を乗り越えろ」では、少なくともスポーツの明るい未来はないように思います。  (中略)

⑩僕は28歳の時、アメリカンフットボールの「NFLヨーロッパ」のチームにコーチとして帯同する幸運に恵まれました。  そのときに出会ったあるベテランコーチの言葉が今も忘れられません。  いつも穏やかで声を荒らげることなどなく、ニコニコしている人でした。

⑪そのコーチに質問をしました。  「なぜ叱ったりしないのですか?」

⑫彼はこんな話をしてくれました。  「シュー(僕のニックネーム)、私も選手も"フットボールという先生"から共に学んでいる生徒なんだ。  マネジャーも、ビデオ係もトレーナーも、君も、僕も、役割が違うだけで、みんな生徒なんだ。  上も下もない。  僕は40年以上コーチをしているけど、今でもフットボール先生から学ぶことばっかりだよ。  こんな年になっても成長させてもらえるなんて、最高の仕事だろ」

⑬この教えには心の底から共感しました。  これこそスポーツの真の価値だと感じました。  それぞれの立場でスポーツから学び、みんながそれぞれの成長を楽しむ。  失敗も敗北も学びであり、学びは成長につながり、成長は喜びをつくり出す。

⑭こう考えれば、体罰やいじめ、パワハラ行為など起きるはずがないのです。  その教えが僕の会社の経営や子育てに大きな影響を及ぼしたことはいうまでもありません。

⑮会社では「仕事が先生」、子育てでは「いい人生が先生」です。  僕も娘も息子も「いい人生とは?」という課題から共に学ぶ生徒なのです。  (中略)

⑯スポーツの指導現場は、その意味ではとても分かりやすく、身近な実践の場になるのではないでしょうか。  「スポーツが先生」で、監督もコーチも選手も父母も、みんなそこで学ぶ生徒です。  成長という「喜びの果実」を手に入れる方法をみんなで考え、みんなで勝ち取っていく。  それこそが「スポーツの醍醐味」だと、僕は思っています。』

私も選手も“極真空手という先生”から共に学んでいる生徒です。  ⑫のコーチの話ではありませんが、「こんな年になっても成長させてもらえるなんて、最高の仕事」です。



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