2020.10.25 Sun
「戦争」を学ぶ意味
1.『戦争の日本近現代史』(加藤陽子著 講談社現代新書)を読みました。 『第一講 「戦争」を学ぶ意味は何か』から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①為政者や国民が、いかなる歴史的経緯と論理の道筋によって、「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは、「だから戦争はやむをえない」という感覚までをも、もつようになったのか、そういった国民の視覚や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、という切り口から、日本の近代を振り返ってみようというのが、本書の主題となります。 (中略)
②戦前期の日本が、あたかも十年おきに戦争をしてきたような国であると書きました。 (中略) 日清戦争1894年、日露戦争1904年、第一次世界大戦1914年。 (中略) この後、満州事変までしばらく平穏に過ぎますが、1931年に起きた満州事変と、1941年に勃発した太平洋戦争は、やはり不幸にも十年ごとになっています。 (中略)
③このような社会を前提とするとき、太平洋戦争だけを取りあげて、「なぜ、日本は負ける戦争をしたのか」 「なぜ、日本は無謀な戦争に踏みきったのか」といったような問いが、なぜ「正しい問い方」をした問いでないかといえば、そうした問いは、もし日本が戦争に勝利していたとしたら問われることのない地点から発せられている問いだと思われるからです。
④このような問いに期待される答えは、誰もが納得しそうなことですが、天皇・軍部・国民(世論)の三要素のいずれかにその責任を帰するか、三要素のうちの二つを取りあげて、その関係の日本的特殊性にその責任を帰するか、の選択肢のなかにしか存在しないからです。 (中略)
⑤人間として生まれた以上、喜んで戦争を始めたり、喜んで戦場に赴いたりする者は少ないはずです。 また、戦争には相手国が必要ですから、相手国と日本の戦力差に対する冷静な認識も、当然のことながらあったでしょう。 しかし、国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえます。 (中略)
⑥人々の認識に劇的な変化が生まれる瞬間、そして変化を生み出すもととなった深部の力をきちんと描くことは、新しい戦争の萌芽に対する敏感な目や耳を養うことにつながると考えています。』
2.①私は1953年、つまり、敗戦から8年後に生まれました。 私が小さいときには、新宿駅の近くの路上などで、戦争で負傷した傷痍軍人の方が寄附を募っている場面もよく見かけられたものです。
②幸いなことに、この年まで日本が戦争に巻き込まれることなく過ごしてきました。 ただ、心配なのは、次の世代や次の次の世代の方が戦争に巻き込まれることがないか、ということです。 昨日の日経新聞夕刊でも『SNS 揺らぐ平和意識』 『悲劇の歴史 安易に「いいね」』 『「戦争は仕方ない」 教育界に危機感』などという見出しの特集が載っていました。
③前回のブログで取り上げた『危機と人類』もそうですが、歴史を学ぶことによって、将来の不幸の種を少しでも少なくできないか、というのが現在の私の立ち位置です。
3.本書の『あとがき』からも抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①わたくしのやったことは、いくつかの戦争を分析することで、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったのかについて、事例を少し増やしただけなのかもしれません。 歴史は、一回性を特徴としますから、いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形態がこうだと予測することはできないのです。
②ただ、こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしょう。』
4.東京大学・大学院教授である著者が、中学生・高校生を対象にして行った特別講義の内容が書かれた、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』・『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(ともに朝日出版社)も併せて読みました。 2冊とも、とても分かりやすくて読みやすいので、一読をおすすめします。
『①為政者や国民が、いかなる歴史的経緯と論理の道筋によって、「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは、「だから戦争はやむをえない」という感覚までをも、もつようになったのか、そういった国民の視覚や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、という切り口から、日本の近代を振り返ってみようというのが、本書の主題となります。 (中略)
②戦前期の日本が、あたかも十年おきに戦争をしてきたような国であると書きました。 (中略) 日清戦争1894年、日露戦争1904年、第一次世界大戦1914年。 (中略) この後、満州事変までしばらく平穏に過ぎますが、1931年に起きた満州事変と、1941年に勃発した太平洋戦争は、やはり不幸にも十年ごとになっています。 (中略)
③このような社会を前提とするとき、太平洋戦争だけを取りあげて、「なぜ、日本は負ける戦争をしたのか」 「なぜ、日本は無謀な戦争に踏みきったのか」といったような問いが、なぜ「正しい問い方」をした問いでないかといえば、そうした問いは、もし日本が戦争に勝利していたとしたら問われることのない地点から発せられている問いだと思われるからです。
④このような問いに期待される答えは、誰もが納得しそうなことですが、天皇・軍部・国民(世論)の三要素のいずれかにその責任を帰するか、三要素のうちの二つを取りあげて、その関係の日本的特殊性にその責任を帰するか、の選択肢のなかにしか存在しないからです。 (中略)
⑤人間として生まれた以上、喜んで戦争を始めたり、喜んで戦場に赴いたりする者は少ないはずです。 また、戦争には相手国が必要ですから、相手国と日本の戦力差に対する冷静な認識も、当然のことながらあったでしょう。 しかし、国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえます。 (中略)
⑥人々の認識に劇的な変化が生まれる瞬間、そして変化を生み出すもととなった深部の力をきちんと描くことは、新しい戦争の萌芽に対する敏感な目や耳を養うことにつながると考えています。』
2.①私は1953年、つまり、敗戦から8年後に生まれました。 私が小さいときには、新宿駅の近くの路上などで、戦争で負傷した傷痍軍人の方が寄附を募っている場面もよく見かけられたものです。
②幸いなことに、この年まで日本が戦争に巻き込まれることなく過ごしてきました。 ただ、心配なのは、次の世代や次の次の世代の方が戦争に巻き込まれることがないか、ということです。 昨日の日経新聞夕刊でも『SNS 揺らぐ平和意識』 『悲劇の歴史 安易に「いいね」』 『「戦争は仕方ない」 教育界に危機感』などという見出しの特集が載っていました。
③前回のブログで取り上げた『危機と人類』もそうですが、歴史を学ぶことによって、将来の不幸の種を少しでも少なくできないか、というのが現在の私の立ち位置です。
3.本書の『あとがき』からも抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①わたくしのやったことは、いくつかの戦争を分析することで、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったのかについて、事例を少し増やしただけなのかもしれません。 歴史は、一回性を特徴としますから、いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形態がこうだと予測することはできないのです。
②ただ、こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしょう。』
4.東京大学・大学院教授である著者が、中学生・高校生を対象にして行った特別講義の内容が書かれた、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』・『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(ともに朝日出版社)も併せて読みました。 2冊とも、とても分かりやすくて読みやすいので、一読をおすすめします。