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2020年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2020年11月

「戦争」を学ぶ意味

1.『戦争の日本近現代史』(加藤陽子著 講談社現代新書)を読みました。  『第一講 「戦争」を学ぶ意味は何か』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①為政者や国民が、いかなる歴史的経緯と論理の道筋によって、「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは、「だから戦争はやむをえない」という感覚までをも、もつようになったのか、そういった国民の視覚や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、という切り口から、日本の近代を振り返ってみようというのが、本書の主題となります。  (中略)

②戦前期の日本が、あたかも十年おきに戦争をしてきたような国であると書きました。  (中略)  日清戦争1894年、日露戦争1904年、第一次世界大戦1914年。  (中略)  この後、満州事変までしばらく平穏に過ぎますが、1931年に起きた満州事変と、1941年に勃発した太平洋戦争は、やはり不幸にも十年ごとになっています。  (中略)

③このような社会を前提とするとき、太平洋戦争だけを取りあげて、「なぜ、日本は負ける戦争をしたのか」 「なぜ、日本は無謀な戦争に踏みきったのか」といったような問いが、なぜ「正しい問い方」をした問いでないかといえば、そうした問いは、もし日本が戦争に勝利していたとしたら問われることのない地点から発せられている問いだと思われるからです。

④このような問いに期待される答えは、誰もが納得しそうなことですが、天皇・軍部・国民(世論)の三要素のいずれかにその責任を帰するか、三要素のうちの二つを取りあげて、その関係の日本的特殊性にその責任を帰するか、の選択肢のなかにしか存在しないからです。  (中略)

⑤人間として生まれた以上、喜んで戦争を始めたり、喜んで戦場に赴いたりする者は少ないはずです。  また、戦争には相手国が必要ですから、相手国と日本の戦力差に対する冷静な認識も、当然のことながらあったでしょう。  しかし、国民の認識のレベルにある変化が生じていき、戦争を主体的に受けとめるようになっていく瞬間というものが、個々の戦争の過程には、たしかにあったようにみえます。  (中略)  

⑥人々の認識に劇的な変化が生まれる瞬間、そして変化を生み出すもととなった深部の力をきちんと描くことは、新しい戦争の萌芽に対する敏感な目や耳を養うことにつながると考えています。』


2.①私は1953年、つまり、敗戦から8年後に生まれました。  私が小さいときには、新宿駅の近くの路上などで、戦争で負傷した傷痍軍人の方が寄附を募っている場面もよく見かけられたものです。  

②幸いなことに、この年まで日本が戦争に巻き込まれることなく過ごしてきました。  ただ、心配なのは、次の世代や次の次の世代の方が戦争に巻き込まれることがないか、ということです。  昨日の日経新聞夕刊でも『SNS 揺らぐ平和意識』  『悲劇の歴史 安易に「いいね」』  『「戦争は仕方ない」 教育界に危機感』などという見出しの特集が載っていました。

③前回のブログで取り上げた『危機と人類』もそうですが、歴史を学ぶことによって、将来の不幸の種を少しでも少なくできないか、というのが現在の私の立ち位置です。


3.本書の『あとがき』からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①わたくしのやったことは、いくつかの戦争を分析することで、戦争に踏み出す瞬間を支える論理がどのようなものであったのかについて、事例を少し増やしただけなのかもしれません。  歴史は、一回性を特徴としますから、いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形態がこうだと予測することはできないのです。

②ただ、こうした方法で過去を考え抜いておくことは、現在のあれこれの事象が、「いつか来た道」に当てはまるかどうかで未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だといえるでしょう。』


4.東京大学・大学院教授である著者が、中学生・高校生を対象にして行った特別講義の内容が書かれた、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』・『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(ともに朝日出版社)も併せて読みました。  2冊とも、とても分かりやすくて読みやすいので、一読をおすすめします。




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歴史から学ぶ

『危機と人類 〔上〕〔下〕』(ジャレド・ダイアモンド著 日本経済新聞社)を読みました。  「エピローグ・・・教訓、疑問、そして展望」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私たちは歴史から何を学べるのだろうか?  (中略)

②フィンランドとロシアには固有の事情があると同時に、二国の関係は攻撃的な大国の近くにある小国につきものの危険という一般性のあるテーマを示す一例である。  この危険を解決できる普遍的な方法はない。

③これは、もっとも古い、そして今でももっともよく引用され、もっとも強く人の心をつかむ歴史書・・・紀元前5世紀にアテネの歴史家トゥキュディデスがペロポネソス戦争の歴史を著した『戦史』第5巻・・・の一節のテーマでもある。 

④トゥキュディデスはギリシャの小島メロスが強大なアテネ帝国からの圧力にどう対応したかを綴っている。  「メロス対話」として知られる一節のなかで、トゥキュディデスはメロス人とアテネ人の胸をえぐられるような厳しい交渉を再現している。  (中略)

⑤普遍的な教訓がひとつある。  大国に脅かされている小国はつねに気を配り、別の選択肢を考慮し、選択肢を現実的に見極めるべきだということだ。  この教訓はあまりにも当然すぎて述べる価値がないように思われそうだが、悲しいことにしばしば無視されている。  (中略)

⑥1941年には日本が無視して、アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、中国を同時に攻撃し、ロシアと敵対した。  そして近年ではウクライナが無視してロシアと破滅的な対立に陥った。  (中略)

⑦悲観主義者はこういうかもしれない。  「そう、悲しいことに私たちはしばしばあたりまえのことを無視してしまう。  でも本で無知な人は変えられない。  トゥキュディデスの『メロス対話』は2000年前からあるけれど、国家はいまだに同じ間違いを犯しつづけている。  本が一冊増えたくらいでどれほどのことができるものか?」と。

⑧しかし、私たち著者が努力をつづけるのは、背中を押してくれる理由があるからだ。  世界史において今日ほど字の読める人が多い時代はない。  私たちの世界史についての知識ははるかに増えているし、トゥキュディデスよりもはるかに実例にもとづいた主張ができる。  民主主義国は増えており、つまりいまだかってないほど多くの人々が政治に参加できる。

⑨無知な指導者が跋扈(ばっこ・・・思うままにのさばること)しているのも事実だが、国家指導者のなかには幅広く本を読む人もおり、彼らにとっては過去よりも今のほうが歴史から学びやすい時代である。  (中略)

⑩以上のような理由から、私は悲観主義者の声に耳を傾けず、希望を捨てず、歴史について書きつづけている。  そうすれば、望んだときに歴史から学ぶという選択肢を手にすることができるからだ。

⑪とくに、過去において危機はしばしば国家に困難を突きつけてきた。  今でもそれは変わらない。  しかし、現在の国家や世界は対応策を求めて暗闇を手探りする必要はない。  過去にうまくいった変化、うまくいかなかった変化を知っておくことは、私たちの導き手になるからだ。』

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ポジティブシンキングは絶対か?

『アスリートのメンタルは強いのか?』(荒井弘和編 晶文社)を読みました。  「ポジティブシンキングは絶対か?」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①スポーツの現場では、コーチによって、ポジティブシンキング(積極的思考法)が推奨されることがあります。  ポジティブシンキングを一言でいえば、前向きな思考ということになるでしょうか。  (中略)

②わが国のアスリートを対象とした研究では(有冨公教・外山美樹、2017)、あらゆるアスリートにおいてポジティブシンキングが万能ではないと示されています。  不安な気持ちになっているのに、それを押し殺そうとして、無理矢理ポジティブになろうとすることは、機能的とはいえません。

③それでは、ポジティブシンキングではない思考法には、どのようなものがあるのでしょうか。  その代表例として、最悪の結果を予想して課題に対して不安な気持ちになるものの、その不安をモチベーションに変えて目標達成につなげるという「防衛的悲観主義」という思考法があります。

④外山(2019)の解説を参照すると、「あんなことが起きるかもしれない、こんなことが起きるかもしれない」と、予想される最悪の事態を鮮明に思い浮かべることによって、対策を練り、用意周到に準備することで、「何が起きても大丈夫」と思え、積極的な態度で本番を迎えることができるのです。

⑤ポジティブシンキングと対比させて表現するならば、物事を悪い方に考えることで成功する思考法、もしくは、ネガティブシンキングの価値を活かす方法といえます。  ノレム・J・K(2012)の言葉を援用すれば、防衛的悲観主義のアスリートは、「ネガティブでありながらうまくやっている」というよりも、「ネガティブだからこそうまくやっている」のです。  (中略)

⑥防衛的悲観主義は、アスリートの強さとは何なのか、私たちに教えてくれます。  強さ=強気やポジティブではないのです。  本当の意味での強さとは、鋼のような強さではなく、何があっても決してあきらめない、しなやかで柔軟な強さなのだと、トップのアスリートたちが教えてくれているように感じています。  (中略)

⑦弱さも含めて、等身大の自分を認められる人が、本当に強い人なのではないでしょうか。』

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おかげさまで

『神様は、ぜったい守ってくれる』(藤原美津子著 青春文庫)を読みました。  『「おかげさまで」は、神様が喜び、次の福を呼ぶ』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①つかんだ運をつなぎ止められる人は、素早い行動とともに、ある言葉を持っています。  それは、次の二つの言葉です。

「おかげさまで」
「ありがとうございました」(中略)

②私は、30年近く神道一筋に過ごしてきて、その間にいろいろなご相談も受けてきました。  だから願いが叶った時に、その方がどんな反応をされるか、そしてそれが次にどうつながるのかを人の何倍も見てきています。

③なぜかうまくいく人は、共通してこの「おかげさまで」と「ありがとうございました」を口にしていることに気がつきました。  (中略)  「おかげさま」は目の前で支えてくれた人のおかげだけでなく、ご縁や運を与えてくれた神様のおかげ、そんな心を表しています。  だからうまくいった時に、それを自然に言える人は、周りの人からも「次に何かあった時にも応援してあげたい」と思ってもらえます。

④反対に一時的にうまくいっても、途中から失速する人の言葉が「どういうわけか」です。  (中略)  「どういうわけか」は「誰のおかげも受けていないよ」と言っているようなもの。  だから、人の好意も神の恵みもその時限りで、運を手放してしまうことが多くなります。  (中略)

⑤「おかげさまで」と言えば、さらに「おかげさまで、もっとよくなりました」と言いたくなる嬉しいことが続いて起きてきます。  私はこれを「おかげさまが呼び込む開運サイクル」と呼んでいます。

⑥他方、「どういうわけか」は、「どういうわけか停滞サイクル」に入ります。    

⑦せっかくですので、神社にお参りした時には、「おかげさまで」を言う習慣をつけてみてください。  (中略)  神社には「お願いします!」「これを叶えてください!」といった言葉があふれています。  だからこそ「おかげさまで」「ありがとうございました」の言葉はひときわ光るのです。  (中略)

⑧人の人生は「努力×運×きっかけ」で大きく変わります。  そのきっかけとは、「感謝の言葉と行動」から得られることが多いのです。』

9月21日のブログで「道徳」と「感謝」について書きましたが、今回のテーマも「感謝」です。

「感謝」は私の座右の銘(常に自分の心にとどめておき、戒めや励ましとする言葉)でもあります。

昨晩は、約2年ぶりに、私の「人生の師」とも言える経営者と一杯やりました。  付き合いが始まって35年になります。  私より2つ年上ですが、昨年は自転車で9日間かけて台湾一周(約900キロ)したそうです。

昨日も「感謝の心を持たない人はダメだね」という話になりました(笑)

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