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ガバナビリティ

2017年に86歳で亡くなられた渡部昇一先生が書かれた『レトリックの時代』(講談社学術文庫)を読みました。  1977年にある雑誌に書かれた「ガバナビリティと自由国家」という文章が掲載されています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ガバナビリティ(governability)はこちら側に統治力があるかどうかではなく、相手側がこちらに統治されてくれるかどうか、その相手側の被統治能力を問題にしているのである。

②たとえば、飼いならし、訓練すれば、いかようにも主人の言うことを聞く犬などは、きわめてガバナビリティのある動物である。  これに反して、ネコはかなりガバナビリティが低く、オオカミのような野獣には、ほとんどガバナビリティがない。  (中略)

③ガバナビリティを〝被統治能力〟と訳してもあまりピンとこない。  そこで意訳して「上の者の言うことに対して、聞く耳を持つ状態」というふうに訳してみたらどうだろう。

④ガバナビリティに相当する英語には〝従順〟(obedience)という単語がある。  (中略)  ところが、今の世の風潮は〝従順〟と〝卑屈〟を同意義に解釈しているところがあって、従順がなんだか恥ずべきことのような語感をもっているようである。  (中略)

⑤ある組織体が成り立つためには指導者の能力もさることながら、その成員に従順、あるいはガバナビリティがなければ、うまく動かない。  戦前の日本人はガバナビリティがすこぶる高い国民であったから、いいかげんな指導者の下でも、よく戦う兵士がいっぱいいた。  (中略)

⑥イギリスがかって世界の指導的地位を占めることができたのは、国民のガバナビリティが高かったことによる。  よくイギリスの兵士1人は、大陸の雇い兵7人に相当する、などと言われたものだが、それはイギリスの兵士がしばしばヨーマン(独立自営農民)出身であり、命令をよく聞く軍隊だったからである。  (中略)

⑦この伝統はアメリカにも受けつがれたといってよい。  国民のガバナビリティを信頼することができれば、国家としても圧制を行なう必要はあまりないことになる。  民主主義がアングロ・サクソン圏で最も早く実現したのは、これによるものであると言ってよかろう。

⑧日本の場合を考えると、いちじるしくアングロ・サクソンと似たところがある。  明治維新があのように成功し、日清・日露の両役の勝者になれたのは、国民のガバナビリティがずば抜けて高かったからである。  日本兵は「進め」と言われれば進み、「守れ」と言われれば死んでも守った。  この国民的特質によって、有色民族のなかでは、はじめて白人の植民地主義帝国と戦ったのである。  (中略)

⑨ガバナビリティのない大衆を前にしたときに、指導者たるものは断固たる独裁者にならざるをえない。  そういうところでは、いわゆる民主主義でやれば各人が砂つぶのごとくバラバラで近代国家として機能しなくなるからである。  ロシア革命後のソ連がそうであるし、共産革命後のシナ(中国)がそうである。  (中略)

⑩日本が敗戦に向かって足を踏み出したのは、正に満州事変であった。  それは出先の軍隊が政府の命令をきかず、かってに紛争を起こしたのであって、ガバナビリティ喪失の第一歩であった。  (中略)  まだ兵士の間ではガバナビリティ・・・これを軍律という・・・が保たれていたが、それも徐々に失われていったようだ。

⑪われわれは、アメリカは自由主義の国だから、自己中心で戦争には弱いだろうと教えられていた。  しかし、本当は自由主義でも国が成立するほどガバナビリティのたかい国である、と解釈するべきであった。  だから、ハーマン・ウォークの『ケイン号の反乱』などのような戦争体験にもとづいた小説を読むと、アメリカ軍の服従関係の厳しさに目を見張る思いがするのである。

⑫われわれはここでひとつ重大なパラドックス(正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られること。  逆説。)を見るのである。  

⑬すなわち、従順とほとんど同意義の被統治能力(ガバナビリティ)をもつ国民こそが偉大な国民であり、個人の自由度の大きな社会生活をエンジョイできるのに反し、ガバナビリティのない国民は、全体主義によって近代国家としてまとめられるので、個人の自由度はきわめて小さくなり、いわゆる近代奴隷国家に落ち込むのである。』

ガバナビリティは、〝素直さ〟と言い換えてもいいかもしれません。

素直なことは、生きていく上で最も大切なことの一つだと思っています。



  

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