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目の前にあっても見えていないもの

武術研究者の甲野善紀さんと、慶応大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司さんの対談集、『古の武術に学ぶ無意識のちから』(ワニ・プラス)を読みました。  「目の前にあっても見えていないもの」の項から抜粋して紹介します。

『前野・・・なるほど、人間は、当たり前のようなことを意外と意識できないということですね。  きっと、世の中にはまだまだ同様なことがたくさんありそうです。

甲野・・・左右といえば、人間の身体においては、左と右とで動きが違うんです。  左右対称にはなっていません。  その一例が、柔術で昔からおこなわれる、背中に活を入れる「背活」という技です。  これは胸椎の7番、8番のところに膝を当ててガンとショックをあたえるものですが、必ず相手を座らせて、左の腕を抱えるようにするんです。  やってみればわかるのですが、抱えるのが右腕だと相手の身体が逃げてしまう。  これには右利き、左利きは関係ありません。

前野・・・ほお。  対称ではないんですか。

甲野・・・近代は平等思想の影響なのか、左右を同じに扱うことが多くなっていますね。

前野・・・たしかに。

甲野・・・近代に成立した合気道などは同じ形を左右同じ回数稽古しますが、古流の柔術などは、左前、または右前それぞれの型が少なくありません。  「左右平等に」というのはひとつの思い込みだと思うのです。  

(中略)

甲野・・・自動車がこの世に登場したときも、馬車とよく比較されたといいます。  馬車に関わる人たちが「いずれ馬車はなくなって、すべて自動車に置き換わるのではないか」と心配すると、ある人が「そんなバカなことは絶対に起きない」と一笑に付したそうです。  その理由は「遊びでちょっと出かけるだけならともかく、人間が何時間も集中して乗り物を操縦し続けられるわけがない。  馬は道があれば自然と道を走るから任せておける」というものだったとか。

前野・・・おお、たしかに。  説得力がありますね。

甲野・・・そうなんですよ。  現在でも、もっともらしく聞こえますよね。  馬だったら、危険を自分で回避するし、道をいきなり大きく外れることもありません。  現に、アクセルとブレーキを踏み間違えての事故は今も多発しています。  当時なら、なおさら「なるほど」と思った人は多かっただろうと思います。  でも、人間の適応力はすごいもので、いつの間にか慣れて、ある程度の速度でも長時間運転できるようになってしまった。』



  

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無漏の法

昨年12月15日のブログで、『森繁久彌コレクション 1⃣自伝』(藤原書店)を紹介しました。  今回は『森繁久彌コレクション 2⃣芸談』です。  「無漏の法」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(紀伊國屋書店の創業者)田辺茂一さんと銀座にいた或る日。  ふとした話のはずみで、こういう御時世になると名人というものは出ませんね、といったら、突然こんな話をされた。

②「君、無漏の法てぇの知ってる?  無漏の法には四つあってね。  一つ、みだりに見ざること。  一つ、みだりに言わざること。  一つ、みだりに聞かざること。  ここまでは分かるが、もう一つこれがいいんだナ。」

③「一つ、みだりに考えざること・・・これにはまいったよ。  つまり・・・だから昔は名人が出たんだね」という話だった。

④近頃の映画、演劇の世界で、めっきり姿をかくしたのは「鬼」と「好き」と「気狂い」だろう。  私はひそかに今日まで映画を演劇を前へ進めてきたものは、この三者のどれか一つだったと考えている。

⑤映画のことがメシより好き、事実三日も食わずに仕事をしていた男が撮影所にはゴロゴロいた。  映画の気狂い、芝居の鬼も貴重な存在だった。  その連中たちは誰のタメにではなく働いた。  (中略)  

⑥そしてそのカゲで職人気質は影をひそめて意欲を喪失している。  これではいい映画も、いい芝居も生まれることは無理にも近いだろう。

⑦無漏の人たちは、全く、みだりに余所見(よそみ)をしたり、ペラペラと仕事以外のことをしゃべらない。  又仕事以外のことにやたらと聞き耳を立てたり、金儲けや、社会へのうらみごとや政治の貧困を考えもしなかったに違いない。

⑧それが最高の姿だとは言わぬが、近頃はどの仕事の場にも、上手の手から水がこぼれすぎてうすら寒い気がするばかりだ。

⑨映画も演劇も、勿論テレビもだが、ヒンシュクするような迎合主義で、情報社会は、遂に名人をしめ出したのだろう。』 

私が極真会館総本部に入門したのは1971年8月、高校三年生のときです。  

その年、『少年マガジン』で(大山倍達総裁の生涯を描いた)『空手バカ一代』の連載が始まり、本部道場は入門者であふれかえっていました。

1974年10月に初段となり、11月の第6回全日本大会に出場します。

その頃の本部道場には、空手以外のことは何も考えていなさそうな猛者(笑)がゴロゴロいました。

名人になるかどうかは分かりませんが、空手を極めるには、「空手以外ことは考えない」 「空手の鬼になる」 「空手がメシより好き」 「空手の気狂いになる」ことが、ある時期必要だと思います。 

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機を見る力、座を見る力

哲学者・武道家(合気道7段)の内田樹先生が書かれた『そのうちなんとかなるだろう』(マガジンハウス)を読みました。  『第2章 場当たり人生、いよいよ始まる』の中の「機を見る力、座を見る力」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「いるべきときに、いるべきところにいて、なすべきことをなす」ということが武道のめざすところです。  でも、それは自分の「いるべきとき」 「いるべきところ」 「なすべきこと」は何だろうときょろきょろすることではありません。

②そこが難しい。  それは自分で選ぶものではないからです。

③流れに任せて、ご縁をたどって生きていたら、気がついたら「いるべきところ」にいて、適切な機会に過(あやま)たず「なすべきこと」を果たしている。  そのことに事後的に気がつく。

④武道をしっかりと修行していると、そのような順序の逆転が起きる。  必要なものは、探さなくても目の前にある。

⑤喩(たと)えて言えば、大きな川に出て、さてどうやって渡ろうかなと思案していると、そこに渡し船が通りかかって、船頭さんが「乗らんかね」と声をかけてくれる。  そして、川を渡り終わると、船はすっと消えてゆく。

⑥そういうことが人生の節目節目で連続して起こる。  それが「武運」というものであって、それに恵まれるようになるために武道の修行をするのだ、と(合気道の師である)多田先生に教わりました。』

このブログでも、過去に何回か内田先生の著書を紹介しています。  

これまで私は、内田先生は東大を出たエリート研究者だと思っていました。 

しかし本書には、「都立日比谷高等学校を2年で中退→大学入学資格検定に合格→一浪して東京大学教養学部文科III類に入学→東大・大学院入試に3回落ちる→東京都立大(現・首都大学東京)・大学院に進む」などのエピソードが書かれています。

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集中・執念・我慢

1.明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いいたします。  

リオ五輪柔道73kg級金メダリスト・大野将平選手のインタビュー記事を、ネットで読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①――柔道を始めたのは?

「7歳と言っているんですけど、もっと小さい時に柔道着を着てる写真がある。  初めての大会が銀メダルで悔しかった。  いちいち負けて泣いてましたね」

②――泣くイメージは全くないですね。

「感情がなくなったんですかね。  今は勝っても負けても泣かなくなった(笑い)。  半べそをかくのは、良い稽古ができなかった時。  寝るまで引きずるタイプ。  柔道だけは悔しい熱量を持続できますね」

③――負けることは?

「悪いことじゃないと思えるようになった。  最近は1年半くらい負けてない。  18年4月に海老沼匡先輩に負けた時は楽な気持ちに。  寝込むこともなかった。  マッサージして治療して、スッとすぐに飲みにいきました(笑い)」

④――中高時代に名門の講道学舎で実力を磨いた?

「虎の穴で過ごしました。  ここでは言えないことしかない。  テレビなら“ピー”という音を入れないと。  入れば勝手に強くなると思ったら…人生を間違えた(笑い)」

⑤――お兄さんの存在は大きかった?

「中高大と一緒の環境。  兄はチャンピオンで僕は名前ではなく“大野の弟”という呼ばれ方だった。  自分の名前をとどろかせたいという野心はありました。  優しい兄なのでのんきに応援してくれてます」

⑥――中高時代はそんなに厳しかった?

「シドニー五輪金メダリストの瀧本誠先輩と稽古したのはメチャクチャ覚えています。  僕は中学1年。  入門初日の1本目にやって絞め落とされました」

⑦――えっ?失神?

「笑いながらスッと落とされた。  絞め技が上手な人は苦しくないんですよ。  フワッと気持ちがいい感覚ですね(笑い)」

⑧――世界王者クラスと稽古できたのは財産ですか?

「五輪王者と中高生が普通は稽古をすることはない。  それは恵まれていた。  先輩の技術を取り入れた僕は歴代王者のミックス。  そりゃ強くなりますよ」

⑨――食事は楽しみだった?

「レギュラーだと寮の食事に加えて肉やお寿司があったりしました。  僕は体も小さかったんでうれしくなかった。  『日本昔ばなし』みたいなラーメン丼を2つ合体させたご飯を出される。  あれっ?  嫌な話しかしてないですね(笑い)」

⑩――天理大では「正しく組んで正しく投げる」ということを突き詰めた?

「シンプルに子供たちが格好良いとか、大野のようになりたいと思う柔道をやっていきたい。  全盛期の先輩と勝負することはできないですけど今の大野が柔道の歴史上最強と言われるまでになりたい。  そうなるためにも東京五輪の連覇が必要ですね」

⑪――“木村の前に木村なし、木村の後に木村なし”と言われた木村政彦先生のような存在?

「間違いない。  それくらいになりたいですね。  中量級でもダイナミックな柔道ができることを証明したい」

⑫――リオ五輪の後、柔道と少し距離を置いて大学院で競技を研究。  その時間は大切なものでしたか?

「机に向かった時間は何物にも代え難い。  セカンドキャリアで指導者としての選択肢も増えた。  1年間休んでもトップクラスに戻れることも示せた。  修士論文は自分の技を研究しただけですけど感覚的にやってきたことを理論的に組み立てられるようになった」

⑬――最大の武器は大外刈りと内股?

「大外刈りは初めての得意技。  恩師に中学3年生の時から脇を持つこととセットで、自分より大きな相手は押して、後ろに下がれば大外刈りをしろと言われた。  得意技がなかったんですけど毎日打ち込みを1000本。  内股は兄の得意技。  なんとなく指導してもらって形になった。  その二本柱で勝っているのかなと思います」

⑭――今は奈良県天理市を拠点に生活。  どんなところですか?

「柔道をやるには最高の環境。  休みもあまりないんですけど、時間ができたら近くの健康ランドにひたすら行ってます」

⑮――サウナでリフレッシュするんですか?

「水風呂に入りにいく感覚です。  体重調整もあるので。  それでおいしいものを食べる。  焼き肉屋のマスターや大将が顔を覚えていてくれておいしい肉を出してくれる。  これが楽しみ。  あとは家。  自分の匂いに仕上がった部屋が一番落ち着く。  アロマのデュフューザーとかも入れてるんで(笑い)」

⑯――試合の時は独特の緊張感がある?

「試合前はそんなにピリピリしていない。  試合中は怖いオーラを出しているようですけどね。  天理大の監督に叩き込まれた“集中・執念・我慢”という言葉。  呪文のように言われていたので自分も言うようになった。  勝負ごとに大事な3つと思ってます」

⑰――音楽は聴いたりしますか?

「意外と聴かずに周りの雑音を聞いている。  話しかけてほしくない時は音なしでイヤホンを耳に入れている。  あれは効きます。  誰も話しかけてこないですね(笑い)」

⑱――今年の目標を漢字で表すと?

「“覚悟”です。  ケツメイシに『覚悟はいいか』って歌があるんです。  メンバーの大蔵さんと親交がありまして、僕を思い描いて歌詞を書いてくれた。  19年の世界選手権で勝った後に会場で流したんです」

⑲――東京五輪には覚悟を持ってということですね。

「♪ここまで辛抱してよく耐えた あと一歩を力に変えた 負けかけたけど鬼になれた――という3番の歌詞が僕のことを歌ってくれている。  覚悟があれば何でもできると思っているので頑張ります」』

どの回答も参考になります。  特に⑯の“集中・執念・我慢”はいいですね。  私もパクって(笑)、チーム城西のマインドセット(心理状態)にさせてもらいます。


2.今日は午前中から、NFLのアメリカン・カンファレンス(AFC)プレーオフ1回戦を観ていました。  私が応援するニューイングランド・ペイトリオッツはテネシー・タイタンズに13対20で負けました。

城西同様、ペイトリオッツも2020年シーズンに向けてチーム再構築ですね。

2020年が皆さんにとって素晴らしい一年となりますよう、お祈り申し上げます。  



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