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本棚の整理・9年目  

1.年末に「本棚の整理」という内容を書き始めて9年が経ちました。  同じ本をダブって買わないため、自分自身のチェックリストとすることが一番の目的です。  
今回チェックしたら、『稽古の思想』(西平直著 春秋社)という本を今年二回買っていたことに気が付きました。  『老いと記憶』(増本康平著 中公新書)という本も読んだのに~(笑)

下に、リストアップしていますので、ご興味のある方はお読みください。


2.本年も大変お世話になりました。

来年はいよいよ東京オリンピックですね。
私はボクシングの最終日(男女のライト級と最重量級の決勝戦)に当選しました。  娘に頼んでいたのですが、一次抽選・全て落選、二次抽選もこれ以外は全て落選です。
でも、一番欲しかったチケットが手に入りました。
今年もいろいろありましたが、終わり良ければ全て良し、ということで(笑)

2020年が皆さんにとって素晴らしい年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。




※本棚の整理・・・昨年から、一年間に入手した本を、主に領収書ファイルをもとに日付順に列挙する形式にしました。  ブログで紹介したものには「ブログの日付」を、まだ読んでいないものには「未読」とメモしてあります。

・『国家と教養』(藤原正彦著 新潮新書)・・・1月13日ブログ
・『戦略の世界史(上)(下)』(ローレンス・フリードマン著 日本経済新聞出版社)
・『二軍監督の仕事』(高津臣吾著 光文社新書)
・『日本国紀』(百田尚樹著 幻冬舎)
・『ドクター・キック』(青葉繁著 三五館)
・『新釈 猫の妙術』(樗山佚斎著 草思社)
・『軍事の日本史』(本郷和人著 朝日新書)・・・4月6日ブログ
・『「すべき!」を捨てる』(小池龍之介著 東京書籍)

・『トロント最高の医師が教える 世界最新の太らないカラダ』(ジェイソン・ファン著 サンマーク出版)・・・3月30日ブログ
・『白秋期』(五木寛之著 日経プレミアシリーズ)
・『もっと言ってはいけない』(橘玲著 新潮新書)
・『無敗の王者 評伝ロッキーマルシアノ』(マイク・スタントン著 早川書房)・・・2月24日ブログ
・『サンデル教授 中国哲学に出会う』(マイケル・サンデル著 早川書房)
・『なぜ必敗の戦争を始めたのか』(半藤一利著 文春新書)・・・3月2日ブログ
・『昭和疾風録 興行と芸能』(なべおさみ著 イースト・プレス)

・『眠れないほど面白い 空海の生涯』(弥生由良著 王様文庫)
・『「砂漠の狐」ロンメル』(大木毅著 角川新書)
・『うつ病九段』(先崎学著 文藝春秋)・・・3月17日ブログ
・『父が娘に語る経済の話。』(ヤニス・バル著 ダイヤモンド社)・・・9月7日ブログ
・『オスマン帝国』(小笠原弘幸著 中公新書)
・『〈玉砕〉の軍隊〈生還〉の軍隊』(河野仁著 講談社学術文庫)

・『科学的に正しい筋トレ』(庵野拓将著 KADOKAWA)・・・4月13日ブログ
・『身体の言い分』(内田樹・池上六朗著 毎日文庫)・・・4月27日ブログ
・『「空腹」こそ最強のクスリ』(青木厚著 アスコム)
・『1日1ページ、読むだけで身に付く世界の教養365 人物編』(ディヴィッド・S・ギター著 文響社)
・『孟司と誠の健康生活委員会』(養老孟司・近藤誠著 文藝春秋)
・『善く死ぬための身体論』(内田樹・成瀬雅春著 集英社新書)・・・5月5日ブログ
・『稽古の思想』(西平直著 春秋社)・・・9月16日ブログ
・『晩節の研究』(河合敦著 幻冬舎新書)

・『THE TEAM 5つの法則』(麻野耕司著 幻冬舎)・・・5月11日ブログ
・『乱と変の日本史』(本郷和人著 祥伝社新書)・・・6月30日ブログ
・『身体の聲』(光岡英稔著 PHP研究所)・・・5月19日ブログ
・『1日1ページ、読むだけで身に付く世界の教養365』(ディヴィッド・S・ギター著 文響社)
・『肩甲骨が立てば、パフォーマンスは上がる!』(高岡英夫著 カンゼン)
・『死にゆく人の心に寄りそう』(玉置妙憂著 光文社新書)・・・8月18日ブログ
・『人生後半戦、これでいいの』(萩本欽一著 ポプラ新書)・・・6月22日ブログ
・『平家物語』(安田登著 NHK出版)・・・6月8日ブログ
・『ショーケン 最終章』(萩原健一著 講談社)
・『歴史からの発想』(堺屋太一著 日経ビジネス人文庫)
・『世界のセレブが夢中になる究極の瞑想』(ボブ・ロス著 かんき出版)
・『血族の王』(岩瀬達哉著 新潮文庫)

・『老いと記憶』(増本康平著 中公新書)・・・7月7日ブログ
・『最後の黒幕 朝堂院大覚』(大下英二著 竹書房)

・『殺しの柳川 日韓戦後秘史』(竹中明洋著 小学館)
・『心を強くする「世界一のメンタル」50のルール』(サーシャ・バイン著 飛鳥新社)・・・7月28日ブログ
・『20字に削ぎ落せ』(リップシャッツ信元夏代著 朝日新聞出版)
・『そのうちなんとかなるだろう』(内田樹著 マガジンハウス)
・『お父さんの石けん箱』(田岡由伎著 ちくま文庫)
・『「ごじゃ」の一分 竹中武』(牧村康正著 講談社)

・『天才はあきらめた』(山里亮太著 朝日文庫)
・『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた』(ほぼ日刊イトイ新聞・編 ほぼ日ブックス)
・『上級国民/下級国民』(橘玲著 小学館新書)
・『精神科医がたどりついた「孤独力」からのすすめ』(保坂隆著 さくら舎)
・『山口組の「光と影」』(山之内幸夫著 サイゾー)
・『なぜ女はメルカリに、男はヤフオクに惹かれるのか?』(田中道昭著 光文社新書)
・『海峡に立つ』(許永中著 小学館)
・『1日1ページ、読むだけで身に付く世界の教養365 現代編』(ディヴィッド・S・ギター著 文響社)
・『古の武術に学ぶ無意識のちから』(甲野善紀著 ワニプラス)

・『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』(ターリ・シャーロット著 白揚社)・・・9月22日ブログ
・『世襲の日本史』(本郷和人著 NHK出版新書)
・『一生劣化せず今すぐ若返る整筋・顔体大全』(村木宏衣著 日経BP社)
・『ジェームズ藤木自伝』(ジェームズ藤木著 シンコーミュージック・エンターテイメント)
・『人体、なんでそうなった?』(ネイサン・レンツ著 化学同人)・・・10月6日ブログ
・『70歳のたしなみ』(坂東眞理子著 小学館)
・『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(野中郁次郎・戸部良一ほか著 中公文庫)・・・未読
・『史上最大の決断』(野中郁次郎著 ダイヤモンド社)・・・10月25日ブログ
・『アメリカ海兵隊』(野中郁次郎著 中公新書)・・・未読

・『上坂元祐の宝くじ大当たり! 黄金の法則。』(上坂元祐著 学習研究社)
・『独ソ戦』(大木毅著 岩波新書)
・『ひとりで生きる』(伊集院静著 講談社)・・・10月12日ブログ
・『古武術でカラダがみるみる蘇る』(高橋佳三著 宝島社)
・『疵―花形敬とその時代』(本田靖春著 ちくま文庫)
・『逆説の長寿21ヵ条』(名郷直樹著 さくら舎)
・『運気を磨く』(田坂広志著 光文社新書)・・・12月21日ブログ
・『敗者列伝』(伊藤潤著 実業之日本社文庫)
・『補給線』(M・v・クレフェルト著 中公文庫)・・・未読
・『世界を支配する運と偶然の謎』(植村修一著 日本経済新聞出版社)

・『勝ちスイッチ』(井上尚弥著 秀和システム)・・・11月9日ブログ
・『知略の本質』(野中郁次郎・戸部良一ほか著 日本経済出版社)・・・未読
・『だれかに話したくなる相撲のはなし』(十枝慶二著 海竜社)
・『言い訳』(塙宣之著 集英社新書)
・『森繁久彌コレクション 1⃣自伝〕』(森繁久彌著 藤原書店)12月15日ブログ

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この時代、この国に生まれたことの、有り難さ

前回のブログで「本書を読むと、戦争のない時代を生きてきたことが、いかに幸せであったかが実感できました。  また、日常生活における悩みも、戦時中の人たちの悩みに比べると、とても小さなものに思えてきます。  命を奪われることはないのですから。」と書きました。  

多摩大学大学院教授・田坂広志さんが書かれた『運気を磨く』(光文社新書)の中に関連する記述がありました。  「この時代、この国に生まれたことの、有り難さ」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①筆者は、若き日に、ある中小企業の経営者とのご縁を得て、ときおり、その会社の経営会議に同席させて頂いていた。  その経営者は、太平洋戦争への従軍経験のある方であり、戦争中、多くの仲間が無残に死んでいくなか、極限の状況を生き延び、戻ってきた方であった。

②あるとき、その会社と取引先との間で深刻な問題が起こり、その日の経営会議は、「会社が吹っ飛ぶのではないか」という雰囲気の中、幹部も顔面蒼白になる状態であった。

③報告を受けたこの経営者、固唾を呑んで判断を待つ幹部を見渡し、この正念場で、何と言ったか。

④「ああ、大変なことが起こったな!  これは、下手をすると会社が吹っ飛ぶぞ。  だがな、最初に言っておく。  命取られるわけじゃないだろう!」

⑤この一言で、居並ぶ幹部も、それまでの顔面蒼白の状態から、一瞬で何かを掴んだのであろう。  一同、見事に腹が据わった。 この経営者の、魂を込めた、心に響く一言であった。

⑥たしかに、そうなのである。  この経営者の言っていることは、まさに、その通り。  さすが、戦争中の「生死の体験」を経てきた人物。  「死生観」が定まっている。

⑦あの戦争の悲惨さ、生死の極限の状況から見れば、現代の日本において、経営や仕事で直面する苦労や困難さは、それがどれほど大変なものであっても、所詮、どれほどのものか。  どう転んでも、命を取られることはない。  そして、この日本では、飢え死にすることはない。

⑧しかし、同じ日本でも、74年前以上前には、国民全員が「生きるか、死ぬか」の状態であった。  そして、実際、310万人以上の国民が、亡くなっていった。  そのことを考えるならば、現代の日本に生まれたことの幸福を、我々は、知っているのだろうか。  それが、どれほど有り難いことか、知っているのだろうか。

⑨そして、同じ現代でも、いま、この地球上に生きる77億人の人々のなかで、次の五つの条件に恵まれた国に生きるのは、我々、日本人しかいない。

第一 70年以上戦争の無い平和な国
第二 世界で第三位の経済力を誇れる国
第三 最先端の科学技術の恩恵に浴せる国
第四 国民の誰もが高等教育を受けられる国
第五 高齢社会が悩みとなるほど健康長寿の国

⑩一方、同じ現代でも、この地球上には、いまだに戦争やテロで命を失う人々も数多くいる。  貧しさのため飢餓や病気で苦しむ人々も無数にいる。

⑪こうした日本の過去の歴史、そして、世界の現在の状況を直視するならば、我々が、この時代に、この日本という国に生まれたことの、恵まれた境遇と有り難さが分かるだろう。』

私が若い頃、大山倍達総裁が「世の中で一番怖いのは飢えだよ。」とよく言われていたことを思い出しました。  

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森繁久彌さん

『森繁久彌コレクション 1⃣自伝』(藤原書店)を読みました。

昭和を代表する国民的俳優・森繁久彌さんは1939年26歳の時、NHKアナウンサーとなって旧満州国の新京(現在の長春)中央放送局へ赴任し、第二次世界大戦終了(1945年)後の1946年まで7年間勤務しました。

本書中「Ⅲ満洲」の「収容所でひと働き」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①戦争が終わってみんなが引き揚げるとき、私たち家族はオンボロのかっこうで、重いリュックを背負って無蓋貨車(上に覆いのない貨車)に乗り込み、営口を回って錦州に入った。

②その錦州で私は引き揚げの集団から離れた。  私が心から愛した満洲だ。  その満州でひとの何倍も働き、ここの土になりたいと思っていた私だ。  何をいそいで帰る必要があるのか。  満洲から引き揚げる日本人全部を送った後で、帰れるものなら帰ればよいのだ。  いや、この国がなくなってもおれはここに残りたい。

③そう思っていた私は家内にそのことを言うと、彼女も賛成してくれ、母も「あなたが残るなら、私も残りましょう」と言ってくれた。  そこでわたしたち家族と友達二人は引き揚げ集団から離れてここに残ることとなった。  みんなは帰りたい、帰りたいというけれども、私は帰りたくなかった。

④私たちは錦州の収容所から職員の宿舎に移った。  言ってみれば、引き揚げのみなさんのお世話をする仕事にたずさわることになったのである。  そこで与えられた一軒の家は四畳半一間ではあったが、それでもみんなでいっしょに眠ることができるのはうれしかった。

⑤またわれわれは特別な腕章をもらって鉄条網の外に出ることもできた。  街に出られるのは私たち腕章をつけた職員だけで、外へ出ていろいろな物を買うこともできた。  そのうち私は街の人たちと仲良くなった。

⑥私が息子二人を連れて外出すると、中国人から声をかけられる。  「この小輩、かわいいから、売れ」  私が冗談に、「いくらだ」と言うと、「二千円でどうか」  「そんな安い値段では売れない」  

⑦すると、三千円、四千円と値があがるので、あわてて私は、「私の子供だから、売買はできない」と言って断ったが、みな私たちに好感をもっていてくれたことは確かだった。  (中略)

⑧こうして、四十何万人の引き揚げ者たちを、私は見送った。  引き揚げの話は、五十年たった今でも語り難いものがある。』

本書には、このブログでは紹介しにくい悲惨な状況も書かれています。  

森繁さんは1913年生まれですから、私より40歳年長です。  本書を読むと、戦争のない時代を生きてきたことが、いかに幸せであったかが実感できました。  

また、日常生活における悩みも、戦時中の人たちの悩みに比べると、とても小さなものに思えてきます。  命を奪われることはないのですから。

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危険の直感

『天災から日本史を読みなおす』(磯田道史著 中公新書)を読みました。  

東日本大震災(2011年3月11日14時46分)時の岩手県大船渡小学校・柏崎正明校長に磯田さんが直接取材した内容が書かれた「危険の直感こそが生存への道標」から抜粋し、番号を付けて紹介します。  

柏崎前校長は約10メートルの大津波に襲われた小学校で在校児童265人全員の命を守り抜いた人です。

『①大船渡小学校はちょっとした高台にある。  地域住民の避難所に指定されており、その場にいた全校児童265人と教職員21人の命を預かる柏崎校長は、ひとまずマニュアル通りに、校庭に全員を避難させたという。  (中略)

②校長たちは15時20分に異変を感じた。  「避難していた校庭から海手の方を見ると、バキバキと音を立て、土煙を上げながら家の屋根が移動しているのが見えた」(柏崎校長の震災時のメモより)

③ここが運命の分かれ目であった。  危険に直面した時、人間の直感は案外に正しい。  危機の時、何より正しい教科書は、マニュアルや想定より、目の前にある現実だ。  そこが避難所に指定されているからといって、安全という保障は何もない。  「ここにいては危ない」。  そう直感した柏崎校長は決断を下した。

④校庭を放棄し、もっと高い大船渡中学校へ逃げる指示を出したのである。  本当に、これがよかった。  また、柏崎校長はじめ教職員は児童を迎えにきた保護者や体育館に避難してきた30人ばかりの地域の人にも「ここは危ない。  高台に逃げて下さい」と呼びかけたと校長はメモに記している。

⑤ところが津波はもうそこまで迫っていた。  大船渡小の教職員は、またここで、後日、保護者に感謝される行動をとった。  迫る津波に、校門から非難する余裕はないとみて、山手のフェンスから避難させた。  (中略)

⑥大船渡小の校門は標高7メートルしかないが、学校裏手は斜面になり、はい上がれば標高12メートルとなるうえ、高さ1メートルほどのフェンスが立ちふさがっている。  津波の時には、どんなに不格好でも道なき道でも一番はやく高いところに登れる場所に向かってまっしぐらに逃げるのがよさそうである。

⑦背後から津波が迫るなか「フェンスを登れない一年生児童を教職員が引き上げた」(柏崎メモ)。  大船渡小を襲った津波は標高10メートル付近まで侵した。  児童全員を校門から整然と行進させていれば、危なかった。  (中略)

⑧危険察知本能があっても人間はなかなか平時と違う行動がとれるものではない。  とくに公務員や教員は臨機応変して日々利益を追うビジネスマンと違い、規則にのっとる行動をとりやすく、集団の指揮を任されると、平時の公平と穏当を前提にした常識にとらわれやすい。  心すべきことである。

⑨災害は過去の例をこえることもある。  災害時にはマニュアル・被害想定・避難所の安全を過信してはならない。  眼前の現実こそが教科書となり、危険の直感こそが生存への道標(みちしるべ)となる。  避難に躊躇(ちゅうちょ)は禁物。

⑩大船渡小の全校児童268人全員の無事が確認された時のことを柏崎校長はメモにこう書く。  「教職員から拍手が起こり、涙がこみ上げてくる」。  

⑪教職員21人中9人は自宅が浸水。  帰宅せず、児童を守っていた。  災害への最後の砦(とりで)は温かい心と責任感かもしれない。』

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