fc2ブログ

2019年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年07月

源平の争乱

6月8日のブログで『平家物語』を取り上げました。  今回は『乱と変の日本史』(本郷和人著 祥伝社新書)の中の「源平の争乱」に関する記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①なぜ源氏と平氏が戦ったのかという本質については、多くの人が(時に研究者ですら)、なかなか答えられません。  実際、この質問を講演会で投げかけると、「ライバルである源氏と平家の覇権争い」 「武士のリーダーを決める最終決戦」などの答えが返ってきます。

②これでは、紅白歌合戦のようなものです。  (中略)  この「赤が勝つか、白が勝つか」というわかりやすい構図は、小学校の運動会などにも使われますが、私はこの見方が日本人の外交下手につながっているように思います。

③なぜなら、現実の社会では「正義が勝つか、悪が勝つか」といった単純な図式で物事が動くことは、めったにないからです。  通常、AとBが戦うと、CやDといった第三勢力が出現し、複雑な動きが繰り広げられます。

④中国の歴史で言えば、紀元前五~三世紀の戦国時代に、「戦国七雄」と呼ばれる国々が割拠しました。  これらは時に戦い、時に牽制し、また連携しました。  (中略)

⑤魏・呉・蜀が分立した、三世紀の三国時代を見ると、魏が強大だったのに対し、呉・蜀は軍閥のような小勢力でした。  赤壁の戦いの時点で曹操の勢力を10とすれば、孫権が2、劉備が1ぐらいでしかありません。  しかし、小さな軍閥でも手を組むと、強大な勢力とそれなりの戦いができることを、私たちは学ぶことができます。

⑥最近の国際情勢で言えば、日本は「アメリカか、中国か」という単純な図式だけではなく、第三勢力の存在や、それらとの連携も視野に入れてもいいのではないか。  また、ヨーロッパやロシアとどうつきあっていくのか、あるいはどう利用するのかを考えないと外交は成り立たないと思うのです。  単純化した構図だけでは、現実の国際情勢を乗り切れません。

⑦こうした日本人の「赤か、白か」という発想の根幹にあるのが、おそらく源平の争乱ではないかと私は考えているのです。』

TOP↑

粋に生きる

1.過去私のブログで、萩本欽一さんの著書や言葉を三回取り上げています。  今回は『人生後半戦、これでいいの』(萩本欽一著 ポプラ新書)の「第五章 最後まで挑戦したい ~粋に生きるための心構え~」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ある日、商社に勤めていた兄貴が「会社を辞めてちょっと商売やりたいんだ、金、出してくれないかな」って言ってきたことがある。  飛ばされたんだなってピンときました。  地方に転勤=左遷=退職っていう図式が見えた。  だけど、誰かを見返そうとして商売を始めても、失敗するのは目に見えている。  「失敗することに金は出さない」って断りました。

②それからこうも言いました。  「細かいことはわからないけど、みんなそうやって腹を立ててやめていくんじゃないの?  そのときに腹を立てなかった人が、今社長をやっているんだと思うよ。  だから、飛ばされたと思わない方がいいんじゃない?  将来活躍してもらうために、健康になってもらいたくて空気のいい田舎に転勤させようっていう、社長の粋な計らいなんじゃないの?」

③結局兄貴は、定年まで会社にいて、のちに関連会社の社長までやりました。  その時の社長がどう思っていたか、本当のところはわからない。  だけど大事なのは、「粋な計らいだ」って思ったこと。  何事も悪く受け止めるより、よく受け止めた方がいいというのかな。  何かを言われた時に「でも」と」返すより「なるほど」と言っている方が、僕はいいような気がする。

④嫌なことにどう対処するか。  そこに、その人の粋さは出ますね。  粋な人は、嫌な去り際にしないし、嫌な分かれ方をしない。  相手とまだ付き合いを続けたいなら、目の前の嫌なことを、最後には感動して泣けるいい物語にするきっかけになるような言葉を発したいものだよね。』


2.別のところで萩本さんは次のように書かれています。

『ぼくが若い頃は、周りには粋な大人が多かった。  その人たちを見て、粋な言葉を使えるのが大人なんだ、と教わった。  あの頃は江戸っ子がまだ生きていたんですね。  今は粋な言葉を話す大人がいないし、どこにも〝粋〟が見当たらない。  政治家も、損か得かの言葉しか言わないし。  なんだか残念だね。』

私が1971年に極真会館に入門したとき、総本部の委員長は壮年部の今村栄一三段でした。  不動産業や旅館業を営む実業家で、アメリカ製の大きな自動車に乗っていらっしゃったのが印象に残っています。

とても粋な方で、私も大変可愛がっていただきましたが、大山総裁が亡くなられてから何年もたたないうちに亡くなられました。  

今の私ぐらいの年齢だったように思います。  今村委員長に比べると、私はまだまだ〝野暮〟だな~(笑)

TOP↑

大きな声を出すこと

(1)先週の日曜日は昇級審査会でした。  少年部の審査会は、まず「(返事や気合いで)大きな声を出すこと」から始めます。  
審査会の最後のあいさつで、次のような話をしました。

「①最近、さまざまな事件(刃物による無差別殺傷事件や高齢者ドライバーによる人身事故など)が報道されています。  そのような事件・事故に遭遇した場合を考えると、大きな声を出すことは、とても大切です。  

②人間というのは予期しなかった事件や災害に遭った場合、往々にして何もできずに固まってしまい、動けなくなることがあるからです。  それを防ぐには、周りがびっくりするような大きな声を出すことです。  大声を出すことは、自分や周りの人がその危機的状況から逃れるきっかけになります。

③単に空手の攻撃の威力を増すという意味だけでなく、日常生活の危機管理の観点からも、道場内で大きな声を出すことは大切です。」


(2)2017年1月29日の私のブログで、(1)に関連することを次のように取り上げました。

『「震度7の生存確率」(仲西宏之・加藤和彦著 幻冬舎)を読みました。  本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。  

1.「正常性バイアス・麻痺」

①突然、大災害に直面して最善の行動をとるのは大変難しいことです。  多くの人は固まって動けなくなります。  (中略)  なぜ凍りついて動けなくなるのでしょうか。  その理由を災害心理学者のジョン・リーチは人間の脳の働きで説明しています。  

②人間は、通常の習慣的な行動をとる時には「刺激→反応」を意識せずに自動的に行なうようにできていますが、通常とは異なる事態に直面すると、この「刺激→反応」システムの調整がうまく機能しなくなるので、
・何もできなくなる人 70~75%
・我を失い泣き叫ぶ人 15%以下
・落ち着いて行動できる人 10~15%
になるといいます。  心理学者が「正常性バイアス」と呼ぶ状態です。

③震度7の地震に襲われると、人間は激しい揺れで物理的に動けなくなるだけでなく、人間の脳に備わっている機能が働き心理的にも動けなくなる可能性が高くなります。  (中略)  

④ところが物理的・心理的な原因以外にも人が動けなくなる理由があります。  それは、「麻痺」と呼ばれる状態に陥ることです。  アマンダ・リプリーの『生き残る判断 生き残れない行動』(光文社)では「特定の状況下では、炎上している飛行機、沈没しかけている船、また急に戦場と化した場所などでも、多くの人はまったく動きを止めてしまう。」と報告しています。  (中略)

⑤それでは、大災害に直面した時に起こる麻痺から抜け出すためにはどうすればよいのでしょうか。  リプリーは事前の準備とリーダーシップと言っています。  (中略)

⑥十分な訓練を受けた客室乗務員が避難時に乗客に向かって金切り声を上げるのは、リーダーシップを発揮するためと理解されていますが、それだけではありません。  大きな声を出すことで、乗客の知覚麻痺状態をさえぎることができるのです。


2.「常に状況のシミュレーションを行なう癖をつける」

発災の瞬間を生き延びるためには、

①その瞬間、動けなくなる可能性が高いこと
②麻痺を解くために大きな声を出すこと
③大きな声を出しながらゴブリン・ポーズ(災害時にしゃがみ込む基本姿勢)をとること
④「三角形の空間」※を瞬時に見極めること
・車の場合:ボンネット付近(フロント・タイヤの中心から少し後ろ)
・屋内:頑丈な柱の近く
⑤電車に乗車中の場合には、つり革などをしっかりつかみ倒れないこと

これらを瞬間的にできるようにし、自力移動と自由移動を頭に浮かべます。

こうした基本行動をとることを理解できたら、発災の瞬間のシミュレーションを行います。  事前の準備は発災の瞬間の麻痺を生きのびるためにも重要です。

※「三角形の空間」については2011年4月19日の私のブログ(タイトルは『三角形の救命スポット』)で取り上げました。』


(3)空手の稽古を通して、危機管理に関する次のような能力を磨いていく必要があります。

①瞬間的に、自分自身が危機的状況にあることを察知できる。  「道場訓」の「機に発し、感に敏なること」が大切です。

②事件・事故に遭遇した場合に「麻痺」に陥ることなく、そこから素早く逃げることができる。

③「麻痺」に陥らないためにも、危機的状況においても「周りがびっくりするような大きな声」が出せる。


(4)普段の生活で、周りがびっくりするような大声を出したら「変な人」だと思われますが、極真の道場では、大きな声で返事をしたり、気合いを入れたら、指導員の先生にほめてもらえます(笑)


TOP↑

『平家物語』と「運命論」

毎週、予約録画して観ているテレビ番組がいくつかあります。  NHK・Eテレの『100分de名著』もその一つです。  5月は『平家物語』が取り上げられ、能楽師の安田登さんが解説されていました。  5月20日に放送された第3回のタイトルは『衰亡の方程式』です。  安田さんが書かれたテキストから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.「運命論」から読み解く源平の盛衰

①(平)清盛を失った平家は、このあと(源頼朝のいとこで同じ清和源氏の)木曽義仲との戦いに敗れ、とうとう都落ちすることになります。  今回は木曽義仲の活躍と平家の没落、そして、その義仲が頼朝派遣軍に討たれるという、源氏と平家双方の運命を追っていきたいと思います。

②さて、いま「運命」という言葉を無造作に使ってしまいましたが、この言葉は中国古典からの輸入語であり、『平家物語』以前はあまり使われていませんでした。  (中略)

③日本人が「運命」ということを考えはじめたのは、平安貴族の必読書のひとつであった『文選(もんぜん・・・六朝時代の梁の昭明太子(501~531年)が編纂した中国の詩文集)』の寄与するところが大きかったのではないでしょうか。

④『文選』には三命論と呼ばれる文章があります。  班彪(はんぴょう)の「王命論」、李康(りこう)の「運命論」、劉峻(りゅうしゅん)の「弁明論」です。  

⑤「運命論」によると運命には「運」「命」「時」の三つの側面があると言います。  「運」とは大きな流れ(運び)、「命」とはその人が持って生まれた天命、「時」とは流れゆく時間のうちの一瞬をしっかりとつかまえる力をいいます。

⑥王朝が興ったり衰退したりするときには「運」が大きく寄与します。  運が盛んになれば名君が現れるのですが、同時に忠賢の臣も現れ、王朝が変わります。  この「運」は天が定めるものであり、人間はいかんともしがたいというのが李康の考えですが、しかし『平家物語』では人の悪行と善行によって「運」も変え得ると考えます。  (中略)

⑦また、「命」と「時」の関係も大切です。  各人には定まった「命」があります。  しかしどんなにすばらしい「命」をもって生まれて来ても「時」をつかまえることができなければ、その「命」は十全に機能しない。

⑧『平家物語』の中では清盛の子どもたちがその例です。  逆に「命」として恵まれずとも、「時」をつかむことができれば「運」を変えることすらもできる。  源頼朝をはじめとする源氏の武将たちがそのように描かれます。


2.キーパーソンは文覚

①義仲はさらに驕りを増大させ、その果てに滅ぶことになるのですが、頼朝はのちに鎌倉幕府を開く大将軍になります。  (中略)

②ここで、もう一度『文選』の「運命論」を参考に考えてみると、義仲と頼朝を分けた重要な鍵、あるいはキーパーソンは実は文覚(もんがく・・・真言宗の僧。  高雄の神護寺復興を決意し、後白河上皇に荘園寄進を強要して院の逆鱗に触れ伊豆に流されるが、そこで頼朝と知り合い親交を結ぶ。)ではなかったかと思うのです。

③(後白河法皇の第三皇子)以仁王(もちひとおう)の(平家打倒の)令旨が出されたとき、頼朝はなかなか挙兵しませんでした。  ところが文覚がやって来て、はじめて立つ決心をする。  もちろん直接のきっかけは後白河院の(征夷大将軍任命の)院宣です。

④しかし、それをもたらした文覚との出会いは、「運命論」の「運」の考え方そのものです。  「運命論」によれば、運がすばらしいときにはすばらしい君主が出る。  が、同時にすばらしい忠賢の臣も出る、とされています。

⑤「聖明の君には、必ず忠賢の臣あり。  其の相(あい)遇(あ)う所以(ゆえん)は、求めずして自ら合ふ」とあります。  君主と忠賢の臣である軍師は誰かを介したり、片方がもう片方を求めたりして合うのではなく、自(おの)ずからふっと出会うというのです。  

⑥これに当てはめて考えると、頼朝にとっての忠賢の臣は文覚でした。  文覚が頼朝に出会ったのは、彼が後白河法皇に無礼を働いて伊豆に流罪になったからです。

⑦流されたふたりが偶然出会って、そして院宣がもたらされて立ち上がった。  君主と忠賢の臣という条件がそろったこのとき、頼朝は、まさに「運」を得ていたのです。  (中略)

⑧義仲は忠賢の臣との出会いを待てなかったし、そもそもいなかった。  ですから「運」を得ていなかった。  こう考えられるのではないかと思うのです。』

TOP↑

セミコンタクトルール2019全国交流大会

昨日は大阪府立体育会館でセミコンタクトルール2019全国交流大会が開催されました。

1.入賞者

城西支部からの入賞者は以下の通りです。

①内田崇仁・・・7歳男子・準優勝

②松本アラン・・・10歳男子+35㎏級・優勝

③藤上弦樹・・・12歳男子-50㎏級・優勝

④小木戸瑛斗・・・16歳17歳男子-75㎏級・準優勝

⑤内田仁・・・40歳~44歳男子-80㎏級・第3位

⑥高嶋丈生・・・18歳~34歳男子-70㎏級・第3位

⑦因徹也・・・18歳~34歳男子-70㎏級・優勝

⑧中川拓人・・・18歳~34歳男子-80㎏級・第3位

入賞者ごとの試合内容に関するコメントは、それぞれのセコンドが指導員ブログに書くよう依頼しました。  試合内容を分析してコメントを書くという作業は、セコンドを務めた指導員にとっても、試合技術に関する理解を深めることに繋がります。


2.試合後の私のコメント

試合後、選手やセコンドに対して次のような趣旨の話をしました。

『①試合中のセコンドの応援で気になったことがあります。  それは、選手に対して「先に攻めろ!先に攻めろ!」という応援です。  

②特に相手にポイントがとられているようなケースで見受けられました。  それを聞いて、焦って攻めに転じた選手がどうなったかというと、大体カウンター攻撃を合わされて、さらに相手にポイントが加算されました。

③私はいつも「組手は会話」だと言っています。  フルコンタクトルールでもそのことは大切ですが、特にセミコンタクトルールでは「それがすべて」といっても過言ではありません。

④セミコンタクトルールでも先に先に攻めることは大切ですが、あくまで相手の状況を見極め、カウンターをもらわないよう細心の注意を払いながらの「先手攻撃」でなければいけません。』


3.先の先・対の先・後の先

昨日たまたま見ていたサイトで、元プロボクサーの堀川嘉照さんが世界バンタム級チャンピオン・井上尚弥選手について書かれた文章を見つけました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①剣道では「先の先」(せんのせん)、「対の先」(ついのせん)、「後の先」(ごのせん)という、いわば極意がある。  ボクシングも間合いで向かい合い対峙するので、この剣道の極意がボクシングにも当てはまる。

②「先の先」とは、相手が打つ気配を感じ相手が打つ前に打つことをいう。  「対の先」は、相手の動きを察知して相手より先に打つことをいう。  そして「後の先」は、相手が打って来る時に打つことをいう。  いわゆるカウンターパンチに当てはまる。

③昨年10月、ワールドボクシングスーパーシリーズ(WBSS)1回戦で、横浜アリーナにおいて元WBAバンタム級スーパー王者ファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ)を1回70秒KOでマットに沈めた試合。  パヤノはアマで2度オリンピック出場し、プロでもKO負けなしの強豪だった。  そのパヤノが試合後、「イノウエは速くてハードパンチだ。  油断していたわけでなく、パンチが見えなかった」と振り返った。  (中略)
 
④次にまだ記憶に鮮明に残る今年5月のWBSS準決勝のIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ)を2回1分19秒KOで葬った試合でも、ロドリゲスに「イノウエのパンチは正直見えなかった」といわせた。  両雄揃って、井上の「パンチが見えなかった。」といったのだ。  これは偶然でも何でもなく、井上が「先の先」を粛々と実践したまでのことだろう。』


4.逆に、セミコンタクトルールで相手のセコンドが「先に攻めろ!先に攻めろ!」と応援してきたら、選手がそれを聞いて焦って攻めてくる所をカウンターでポイントを取るチャンスです(笑)

選手・セコンド・応援の皆さん、お疲れ様でした。

TOP↑

2019年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年07月