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いじめと「空気」

前回は、『「超」入門 失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ』(鈴木博毅著 ダイヤモンド社)を紹介しましたが、今回は同じ著者による『「超」入門 空気の研究 日本人の思考と行動を支配する27の見えない圧力』(ダイヤモンド社)です。  『空気の正体06 すべてのいじめは「お墨付き」を得て始まる』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①いじめで「空気」はどんな役割を持つのでしょうか。  ほとんどの加害生徒側は、いじめを始める際に「クラスの空気をさぐる」つまり、「クラスの前提をさぐる」行動をしています。

②いじめの発端は、加害側の生徒が被害者となる生徒を軽く小突く、言葉で一方的におとしめるなどの行為から始まります。  そのとき、誰からも反論がなく、先生にも怒られなかったとき、加害側の生徒は「ここまでは大丈夫」というクラスの〝小さな前提〟を一つ確かめたことになるのです。

③いじめに関する著作を複数持つ、社会学者の内藤朝雄氏の『いじめの構造』には、加害者側の生徒が、クラスの空気を読む様子をほうふつとさせる描写があります。

『加害少年たちは、危険を感じたときはすばやく手を引く。  そのあっけなさは、被害者側も以外に思うほどである。  損失が予期される場合には、より安全な対象をあらたに見つけだし、そちらにくら替えする。』

④最初のいじめで、担任の教師が「そのような行為は絶対に許さない!」という確固たる態度と反応で臨むとき、そのクラスの空気(前提)を知ってなりを潜めます。

『「自分が損するかもしれない」と予期すると迅速に行動をとめて様子を見る。  そして「石橋を叩き」ながら、少しづついじめを再開していく(中略)。  ほとんどすべてのいじめは、安全確認済みで行われている。』

⑤担任の先生が初期のいじめを放置すると、このクラスは「いじめが許容されている」、と生徒全体が感じます。  クラスの前提(空気)で倫理の基準が変わってしまうという意味では、教室の一君である先生から、〝いじめがお墨付きを得てしまった〟とも言えます。  

⑥山本七平氏は『「空気」の研究』で、戦犯の行動、リンチなどの特殊な状況下で「倫理観が狂った」者たちが〝あの状況下では仕方なかった〟と述べる現象を「状況倫理」として説明しています。  そして、日本社会の空気が最終的には、状況倫理に結びついてしまうのだと指摘しました。

⑦この構造は、まさに日本の教育現場の「いじめの現実」に如実に現れています。  『いじめの構造』には、加害生徒が、被害者の子どもの苦しみを微塵も感じていないそぶりと、被害生徒の自殺のあとも、反省や憐憫の情をまるで持たない様子が描かれています。  (中略)

⑧この事件では、生徒のいじめに先生も参加してしまったことが指摘されています。  共同体の前提をつくるのがうまい加害生徒がいることで、「被害者をいじめることでクラスが楽しむ」という狂気の前提を誘導的につくられてしまったのでしょう。  (中略)

⑨まともな良識を備えている大人から見ると、加害生徒たちの倫理観は、狂気と呼びたくなるようなおぞましいものです。  しかし、次の条件が揃うと、日本の共同体・組織では倫理の崩壊が進行してしまうのです。

⑩日本の集団が状況倫理に陥るとき
・共同体の前提(空気)が管理されず、その集団が隔離されて存在しているとき
・一君として空気(前提)を管理する者から、お墨付きを得たと感じられたとき
・異なる共同体を貫き共有されるべき、社会正義が確立されていないとき

⑪学校の教室は、ある意味で外界から隔離された空間であり、空気に影響を受けやすく、悪賢い者がいれば、自分に有利な状況倫理を生み出すことができてしまいます。

⑫もちろん、状況倫理だからいじめは仕方がないというわけではありません。  一人の生徒を無残な死に追いやる行為は、絶対に許すわけにはいかないはずです。

⑬学校の教室では、先生が空気を正しく支配する役割を放棄したら終わりです。  「これをやっても叱られない」 「あれをやっても問題ない」、悪意ある生徒がそのように解釈を始めると、クラスの空気(前提)はとたんに悪化の一途をたどります。

⑭さらに「あの生徒をいじめても問題は起きない」 「先生からも叱られない」とわかると、ある種のお墨付きを得た形になり、特定の被害生徒へのいじめがより気安いものになってしまう。  それにより、いじめに加担する生徒が増える可能性も高まります』

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日本海軍とレーダー開発

1.『「超」入門 失敗の本質 日本軍と現代日本に共通する23の組織的ジレンマ』(鈴木博毅著 ダイヤモンド社)を読みました。  『失敗の本質13 イノベーションの芽は「組織」が奪う』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1944年6月に行われたマリアナ沖海戦は、空母対空母の日米海軍決戦となりましたが、レーダーによる戦闘機の待ち伏せやVT信管の登場で終始米軍が圧倒し、日本は航空機の70%以上、約400機の戦闘機を失います。  この戦闘で日本側は空母3隻を撃沈され、第一機動艦隊は事実上崩壊しました。

②では、戦局を大きく変えた最新兵器レーダーは日本では開発されていなかったのでしょうか。  いいえ、一部の日本人は懸命に開発努力をしていたのです。  (中略)

③1941年の8月、海軍技術研究所で無線技術担当の伊藤庸二中佐を主任としてレーダー兵器の開発が始められますが、日本人科学者たちは、予想外の大きな壁に何度も阻まれます。 (中略)

④海軍軍人たちは、自分たちの知らなかった技術・兵器であるレーダーの重要性を、ほとんど理解することがなかったようです。  (中略)

⑤あげくの果てに、研究所のスタッフが試作品を戦艦に設置しようとしても、レーダーの設置場所をもらえない。  「こんなかんざしみたいなものは、艦橋につけるわけにはいかない」と、アンテナのスペース確保を拒否される。  (中略)

⑥当時、レーダーの中核技術であるマグネトロンの研究においては、日本はアメリカよりもはるかに進んでいたと言われています。  これら優位性を活かすことができなかった大きな要因は、「日本海軍という組織が既存の認識を変えることができなかった」からです。  (中略)

⑦極めつけは、前述の「マリアナ沖海戦」において、日本機動隊が大打撃を受けたのち、反撃のため出撃させた艦上攻撃機「天山」10機の逸話です。

⑧夕方から発進する夜間攻撃隊として「天山」は出撃したのですが、帯同していた日本人科学者が苦労して取り付けたレーダーを、戦果にあせる攻撃隊のパイロットたちが全部取り外してしまい、その代わりに魚雷を搭載して出撃したのです。  (中略)

⑨結局、夜間攻撃隊は敵を発見できず、戦果のないまま帰艦しました。  せめて一機か二機でもレーダーを装備して出撃すれば、戦果を挙げられたかもしれません。  (中略)

⑩一方の米軍は、軍人が知らない科学技術でも、成果につながる可能性に気づき、多くの科学者に自主性・自立性を確保した研究環境を与え、彼らに能力を最大限発揮させることでベストの成果を期待しました。』


2.本日(日本時間)行われた、今年のスーパーボウルへの出場をかけたNFLのカンファレンス・チャンピオンシップは、NFC・AFCともにオーバータイムに突入する激闘でした。  私が応援するAFCのニューイングランド・ペイトリオッツは3年連続で勝ち上がり、NFCチャンピオンのロサンゼルス・ラムズと2月4日(日本時間)、第53回スーパーボウルで戦うことになりました。  勝てば、2年ぶり6度目の優勝です。

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国家と教養

『国家と教養』(藤原正彦著 新潮新書)を読みました。   

1.第6章「国家と教養」の序文および「西洋崇拝の教養と決別する」の項からから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①18世紀後半には、英仏に後れをとっていたドイツに、「古典に精神を学び、人格の陶冶を図る」という教養主義が生まれました。  (中略)  これを見ていた我が国は、明治維新より軍隊、憲法、高等教育などでドイツを手本とした国造りをしました。  (中略)  

②そしてこれら人文的教養に身を包んだ教養層が、20世紀になって、ドイツでも日本でも、第一次大戦、第二次大戦という歴史的愚行に際し、ほとんど抑止力とならなかったことを見ました。  (中略)

③両大戦を経て世界のスーパーパワーに躍り出たアメリカが、教養とは対局にある功利主義の国であったことや、科学技術の驚異的発展などが人文的教養のさらなる地位低下に連なったことも見てきました。

④しかしながら一方で、諸現象の真髄を見抜くために、知識や情緒に根差した物差しは欠かせません。  とりわけ、ますます広範に渡り深化する情報社会を生き抜くためには、この物差しの必要性はかってより増していると言えます。  (中略)

⑤これからの教養とは一体何でしょうか。  それは従来の教養のごとく、少数のエリートにより独占されるものではありません。  独裁政権や軍事政権の下では、瞬く間に排除あるいは抑圧されてしまうからです。  我が国に強く見られた、西洋崇拝に基づいた教養のひ弱さも第5章で見ました。  (中略)

⑥これからの教養は書斎型の知識ではなく、生を吹き込まれた知識、情緒や形と一体となった知識です。

⑦まず情緒ですが、ほぼ先天的に備わっている喜怒哀楽ではありません。  それなら獣にもあります。  より高次元とも言える、後天的に得られるもの、すなわちその人が生れ落ちてからこれまでにどんな経験をしてきたか、によって培われる心です。

⑧どんな親に育てられたか、どんな友達や先生と出会ってきたか、どんな美しいものを見たり読んだりして感動してきたか、どんな恋や失恋や片思いをしてきたか、どんな悲しい別れに出会ってきたか・・・・・・などにより形成されるものです。

⑨また形とは、日本人としての形、すなわち弱者に対する涙、卑怯を憎む心、正義感、勇気、忍耐、誠実、などです。  論理的とは言えないものの価値基準となりうる、獣ではない人間のあり方です。  (中略)

⑩一人前の人間として「大切な教養については、人により言い方が異なります。  東京女学館女子中学校の校長をしていた四竈経夫先生は「私が生徒にどうしても伝えたいのは三つのこと、読書と登山と古典音楽の愉しさです」と私に語りました。

⑪ある会社の社長は「人間にとって最も大切なのは、人と付き合い、本を読み、旅をすることだ」と言いました。

⑫手塚治虫はこう言いました。  「君たち、漫画から漫画の勉強をするのをやめなさい。  一流の映画を見ろ、一流の音楽を聴け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。  そしてそれから自分の世界を作れ」。  表現は様々ですが、大体、私と同じことを言っているように思います。』

2.同じ章の「論理の危うさ」の項からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間は論理的に考えるだけでは、物事の本質に到達することは決してできません。  『国家の品格』で詳述しましたように、実生活において、論理などというものは吹けば飛ぶようなものです。

②人を殺してはいけない論理も、人を殺してよい論理も、少しでも頭のいい人ならいくらでも見つけることができます。

③状況や立場や視点によっていくらでも変わりうる、変幻自在な論理などに頼ることなく、一刀両断で真偽、善悪、美醜を判断できる座標軸がぜひとも必要な所以です。

④教養という座標軸のない論理は自己正当化に過ぎず、座標軸のない判断は根無し草のように頼りないものです。』

  

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チームカルチャー

明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願い致します。

極真空手の試合は個人競技ですが、私がたびたび「チーム城西」と書いているように、道場ごとの「チームによる戦い」の側面があります。

そこで今回は、『最強のポジティブチーム』(ジョン・ゴードン著 日経BP社)を取り上げます。  第2章「ポジティブチームが生み出すポジティブカルチャー」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.序文

①偉大なチームがすばらしいカルチャーを持っているのには理由がある。  カルチャーとは、チームが「何を信じるか」 「何を大切にするか」 「何をするか」を示す、生きた「本質」だからだ。  チームカルチャーとは、チームのコミュニケーション、つながり、考え、仕事、行動について明文化されたルール、あるいは不文律だ。

②カルチャーとは、何かひとつのものを指す言葉ではない。  すべてを意味している。  カルチャーは希望や信念につながり、希望や信念は行動につながる。  行動は習慣につながり、習慣は未来をつくる。

③アップルは、ふたりのスティーブ(ジョブスとヴォズニアック)しかいなかった時代からこれまでずっと、どういうカルチャーをつくりたいかについて、まったくぶれていない。  それは「常識を疑うカルチャー」である。  

2.あなたのカルチャーをつくる

①NBAボストン・セルティックスのヘッドコーチ、ブラッド・スティーブンスはこう語っている。  「カルチャーとは単なる伝統ではない。  ロッカールームにいる人たちが受け継いでいくものだ」

②チームとして、あなたをはじめとするメンバーは常に独自のカルチャーをつくっている。  毎日、いつでも、考えていることや発言していること、そして行動していることによってカルチャーをつくりあげている。  昨日、あるいは1年前のあなたのカルチャーがどんなものだったかは関係ない。  大事なのはカルチャーをつくるために、今日、何をするかだ。

3.カルチャーは変化するもの

①組織やチームのカルチャーと聞くと、多くの人はリーダーシップに期待する。  確かにそれは間違っていない。  リーダーはカルチャーに対する大きな影響力を持つからだ。  全体のトーンを決め、チームが何を重んじ何を体現するのかを決めるのはリーダーの役目だ。  とはいえ、ここで大事なのは、カルチャーに命を吹き込み、カルチャーをつくっていくのはチーム全員の使命だということだ。  (中略)

②カルチャーは変化するものだ。  あなたが話す言葉、あなたの考えで高められる。  あなたが何を共有するかで改善でき、あなたの行動でつくり変えられる。  今すぐポジティブなカルチャーを生み出すポジティブなチームに変えられるはずだ。

4.カルチャーを優先する

①2001年からバージニア大学の男子テニス部の監督を務めたブライアン・ボーランドによると、準々決勝や準決勝に何度も勝ち進み、決勝まで残ったことも数回あった。  それにもかかわらず、優勝はできなかった。  ところが2013年にすべて変わり、その後は5回の全国大会のうち実に4回優勝している。

②私はブライアンに何があったのかと尋ねた。  「私が変わり、私たちが変わった。   それまでの私はただ厳しく、結果ばかりを気にしていた。  選手たちもそれを感じ取っていた。  でも2013年にカルチャーを中心に据えて、それまでの結果重視の方針からカルチャーやプロセスを大切にするようになった。  つまり、それまでは優勝したいと考えている個人の集まりだったが、偉大なチームになろうと考えるようになったんだ」

5.根っこに投資を

①どんなチームであっても、才能のある人の存在はありがたい。  だが、その人たちが偉大なことを成し遂げるよう方向づける必要がある。  それをするのがカルチャーだ。  私はこれまで、才能のある人たちがいてもカルチャーがよくないため結果を出せないチームをいくつも見てきた。  

②木になる果実にばかり気を取られているチームが多すぎる。  彼らが意識しているのは、結果、数字、株価、テストの点数、利益、そして勝敗だ。  果実ばかりに目が行って、根っこの部分のカルチャー、人、人間関係、プロセスを見ていない。』

私が理想とするチーム城西のカルチャーは次の通りです。

「どこよりも創意工夫する、どこよりも練習する、どこよりもそれらを楽しんでやる」

でも、3.①にあるように、「カルチャーに命を吹き込み、カルチャーをつくっていくのはチーム全員の使命」です。

今年もチーム城西一丸となって稽古していきましょう。


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