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ダメ出し

1.前回のブログで次のように書きました。

『今の自分の実力を計り、次からの稽古の課題を見出すために組手・型の試合出場は欠かせません。  しかし、勝ち負けという結果にこだわるあまり、空手に対する「面白い」や「好き」という思いが失われるようでは、本末転倒です。』

そのことに関連する特集記事が7月17日の日経新聞・夕刊に載っていました。  タイトルは『成長阻む 親のダメ出し』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『スポーツ界のハラスメントに関心が集まる中、子供のスポーツ現場では、保護者が暴言や怒号を浴びせる例が後を絶たない。  応援に熱が入るあまり、試合中のミスに対して感情的に叱るものなどだ。  親のダメ出しで子供が萎縮して、楽しいはずのスポーツを苦痛に感じかねない。  現場の対策や取り組みを探った。

(1)子供のミスに暴言 考える力奪う

①「何やってんだ、コラッ! 頭使って働け」。  7月上旬の東京・多摩地区のサッカー場。  小学校高学年の試合中、ミスをした我が子に、観客席から父親が叫ぶ。  原因や対策を示さぬまま、人格を否定するような言葉が響き渡る。

②スポーツ少年団など地域の運動クラブの活動では、保護者が関わったり居合わせたりする場面が多い。  ボランティアで監督・コーチを務めたり、送迎がてら観客席で応援したりする際に、子供のプレーのミスを目の当たりにして、暴言を吐くケースは少なくない。  (中略)

③保護者の暴言は、子供にどんな影響を与えるのか。  東京都葛飾区の「清和イレブンサッカークラブ」の大野哲夫代表・監督は「スポーツは失敗の繰り返しのなかで上達していくが、親の言葉でそうした機会が奪われる」と指摘する。

④自分で考えることは、スポーツの楽しさを実感するために不可欠な要素。  親に怒鳴られないかばかり気にしていると「改善に向けて必要な、自分で考える力が育ちにくくなる」(大野氏)。

⑤怒鳴られてばかりで考える力を持てないままでは「せっかく始めたスポーツを嫌いになりかねない」(大野氏)との問題意識から、清和イレブンでは保護者用の観戦席を、グラウンドやベンチから距離を置いて設けている。

⑥最近は、職場をはじめ社会全体でハラスメント防止の機運が高まっている。  にもかかわらず、我が子のスポーツの現場で保護者が暴言などのハラスメント行為に及ぶのは「親は子供と同一化する傾向があり、スポーツではより顕著となるから」と東京未来大学こども心理学部の藤後悦子教授は話す。


(2)観客席特有の現象も

①子供の受験や試合といった節目節目で、親は熱心に応援し、子供の喜び・悲しみは、そのまま親の喜び・悲しみとなりがちだ。  試験の場合、親は得点や合否などの結果でしか子供の頑張りを知り得ない。  ところがスポーツは目の前で頑張りの過程がリアルタイムで繰り広げられる。  今なら間に合う、何とかなると思うあまり、つい過激な言葉が出やすくなる。

②「観客席のワナ」もハラスメントの要因だ。  多くの場合、保護者の応援席から競技場が俯瞰(ふかん)できるため「プレー中の子供より目線が高くなり、大人の方がミスや課題を見つけやすくなる」(大野氏)。

③観客席はまた、親同士が同じように振る舞うことを促しやすく「同調圧力が強くなる」(藤後教授)。  我が子が重大なミスをした場合に、観客席の勝ちを第一とする空気を忖度(そんたく)して、親が過剰にとがめがちだ。

④保護者はどう子供のスポーツの現場に関わればいいのか。

⑤「暴言を吐きそうになった時、職場の仲間など大人相手に使うかどうか、一瞬考えてみては」と提案するのは、東京都日野市の少年ラグビー「R&Bラグビークラブ」の檜谷亜樹代表だ。  同チームは、保護者が怒鳴らないことを入会条件としている。  スポーツする子供を支配するのではなく、尊重する姿勢が欠かせないという。

⑥「スポーツの現場ならハラスメントは許されるという、旧態依然のスポーツ観は改めるべきだ」と桐蔭横浜大学スポーツ科学研究科の渋倉崇行准教授は指摘する。  「現代のスポーツ界は、選手の主体性を尊重する流れになっていることを保護者に認識してほしい」

⑦日本サッカー協会は、ホームページなどを通じ、「こどもエリアに入る前に!」と題して、子供を励ますことができるかどうか保護者に確認を促している。  松崎康弘常務理事は「スポーツに取り組むのは親ではなく、あくまで子供という認識が必要」と強調する。』


2.欄外のコラムも紹介します。  タイトルは『怒りのクセ 知っておこう』です。  番号を付けて紹介します。

『①スポーツに参加する我が子を暴言などで追い詰めないためには、親自身がどんな場面に冷静さを失いやすいのかを把握しておく必要がある。

②東京未来大学の藤後教授は親に対し、観戦の前後に「我が子の気になる態度はどんなものか」 「その際、あなたはどのように接するか」 「その結果、子供はどんな態度をとるか」などを記入する「ワークシート」の活用を提案する。 子供のミスに対する自分の怒りのクセを知っておけば、感情的になるのを未然に防ぐ効果が期待できる。

③その上で、子供が長くスポーツを楽しむために、いきなりダメ出しすべきではないという。 藤後教授は「よくできたことを一つでもいいから子供に伝えることが重要」と助言する。』


(1)前文に「ダメ出しで子供が萎縮して、楽しいはずのスポーツを苦痛に感じかねない」、(1)⑤に「せっかく始めたスポーツを嫌いになりかねない」とあります。  チーム城西でも、少年部が「ダメ出しで萎縮して、楽しいはずの空手を苦痛に感じる」ことや「せっかく始めた空手を嫌いになる」ことのないよう、指導員の応援方法には気を付ける必要がありますね。

(2)③の「(子供が長くスポーツを楽しむために)よくできたことを一つでもいいから子供に伝えること」は指導者として必須です。

毎日暑い日が続きます。  ご自愛ください。

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2018極真祭

1.極真祭

昨日・一昨日は京都で「2018極真祭」です。  岡部慎太郎(15歳男子+65㎏級・優勝)、小野そら(10歳女子+35㎏級・準優勝)、諸岡幸乃(8歳女子・第3位)の三人が入賞しました。


2.チーム城西の選手育成プラン

①城西の指導員(森・鎌田・竹岡・加賀・石崎・亘・奥寺)を見ても分かるように、近年は少年部から極真空手を続け、一般部の代表選手となるケースがほとんどです。  だとすると、少年部で空手を始めた会員が一般部の選手になるまでの長期育成プランが大切になります。 

②その際に私が一番重視しているのは、少年部・中学生・高校生会員が空手に対する熱意を失わないように、指導していくことです。  では、その熱意がどこから来るかというと、常に「空手が面白い」「空手が好き」と感じられることだと思います。

③今の自分の実力を計り、次からの稽古の課題を見出すために組手・型の試合出場は欠かせません。  しかし、勝ち負けという結果にこだわるあまり、空手に対する「面白い」や「好き」という思いが失われるようでは、本末転倒です。

④初日の試合後に選手に話しましたが、昨年の全日本ウェイト制軽量級で優勝した亘和孝も少年部時代は試合に勝てませんでした。  でも、あきらめずに続けるなか中学生・高校生と徐々に希望が見えてきて、城西としては第1回大会の大賀雅裕に次ぐ二人目の軽量級チャンピオンになりました。

⑤要は「面白い」や「好き」を持ち続け、あきらめずに大人になるまで空手を続けることです。  空手道という道は長く続けることで価値が出てきます。  振り返ってみると、私自身もその「面白い」や「好き」だけで47年間稽古を続けてきました。


3.創意工夫の面白さ・・・「脳みそにも汗をかけ」

①これも、初日に話したことですが、その「面白い」や「好き」を倍加させるのが「創意工夫」です。

②誰でも初心者の内は指導員の先生に教わります。  しかし試合に何度も出場するようになったら、自分自身が自分の先生になり、技や戦い方や稽古方法など様々なことを工夫すること(創意工夫)が必要になってくるのです。

③指導員に試合の前にアドバイスをもらい、試合の後に分析・感想を話してもらうように、自分自身でも相手選手の対策を立て、終わってから自分でも分析・反省する、という作業が重要になります。  これは普段の道場稽古でも同じです。  

④40年前の支部開設当初から言い続けていることですが、稽古して体に汗をかくことは当然ですが、それと同じくらい頭で考えることが大切です。  私はこのことを「脳みそにも汗をかけ」と言っています。

⑤私自身の経験から言うと、創意工夫の面白さが分るようになれば、空手をやめようと思ってもやめられなくなってきます(笑) 


4.入賞者へのコメント

本部席前の第2コートで試合をした岡部慎太郎についてコメントします。  小野そらと諸岡幸乃についてはそれぞれのコートでセコンドについた指導員が「指導員ブログ」にコメントすることになっています。

①安定した試合運びでした。  4月の国際親善大会に続く優勝です。    試合後に本人にも話しましたが、下段蹴り・突き・膝蹴りが中心の慎太郎の組手はサポーター無しの一般の試合では、相手に効かせることができるので、もっと生きてくると思います。

②今後の課題は、受け返し・カウンター・コンビネーションなどの技の緻密さを磨き、組手の精度を増すことです。

③決勝戦は延長戦となりましたが、安心して見ていられました。  延長戦になるほど強いというのが、歴代のトップ選手の特徴で、その顕著な例が松井館長です。  松井館長が活躍したころ、城西には大西靖人・黒澤浩樹・増田章という三人の全日本チャンピオンがいました(増田がチャンピオンになったのは松井館長が引退してからです)。

④その当時の私が自信を持って送り出した三人です。  本戦は互角に戦えるのですが、延長・再延長と進むうち、いつも松井館長のペースになってしまい、結果としてチーム城西は一度も松井館長に勝つことができませんでした。

⑤延長戦に強いというのは、今後の慎太郎の大きな武器になると思います。


5.他の出場選手について

①残念ながら入賞できなかった選手の中にも、あと一つ勝てば入賞というところまで勝ち進んだ選手もいます。  第2コートの奥の第5コ-トで試合し、私からは結果だけが見えた10歳男子-35㎏級の和田有功と江島晴陽もそうでした。

②第2コートの15歳男子-65㎏級の金子雄大は副審の旗が2本2本で割れて負けはしましたが、その試合で見せた足掛けは素晴らしかったです。  相手選手に抱きつかれて技ありにはなりませんでしたが、きれいに相手を宙に浮かせました。  負けても何かがつかめれば、その試合出場の大きな成果となります。  私も、暑いなか夏合宿で雄大に指導した甲斐がありました(笑)  

③また、型15~34歳男子の部の予選をトップで通過した柴倉愛弥も入賞を逃しました。  でも、実績ある選手が出ているなかでの予選のトップ通過は大したものです。

③いずれも、あと一歩のところまで来ているのですから、今後の精進に期待します。

④組手だけでなく、型の稽古においても上の3.で書いた『創意工夫の面白さ・・・「脳みそにも汗をかけ」』が重要であることは言うまでもありません。


来月はセミコンタクトルール首都圏交流試合、再来月は第50回全日本大会と続きます。  選手・セコンド・応援の皆さん、お疲れ様でした。 

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『空手生活の知恵』

『落合博満 バッティングの理屈』(落合博満著 ダイヤモンド社)を読みました。  落合さんは、現役時代に日本プロ野球史上唯一となる、3度の三冠王を達成しました。  個人的には「日本のプロ野球史上最強のバッター」だと思っています。  「『野球生活の知恵』を身に付けよう」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①講演会や実技指導で一般の方々と顔を合わせると、必ずと言っていいほど「落合さんは、いつ頃から野球に関して深く考えるようになったのですか」とか「現役時代にはどのくらい練習したのですか」といった類の質問を受ける。  たしかに、練習に関して言えば、現役時代の私はメディアに対して「練習なんかしません」というような表現をしていた。  (中略)  

②いくら熱心に練習を重ねても、結果の出せない選手は次々に消えていくのがプロ野球という世界の厳しさだ。  (中略)  プロ野球選手にとっての練習は、“自分の仕事にとって必要なもの”という認識が私の中にあり、それが「練習はしません。  自分に必要なことをしているだけ」という屁理屈になったのだと思う。

③現役を退いた今、先の質問に素直に答えれば、「練習はしました。  質も量も他のどの選手にも負けないくらい練習しました」と胸を張って言える。  やはり、プロであれアマチュアであれ、投手であれ野手であれ、その選手が残した成績というのは、練習量と質に比例してくると考えている。

④ここで、練習量については、タフな精神力と強靭な肉体があれば、誰にでもある程度はこなしていけるものだと思う。  しかし、練習の質については難しい。  その部分が、先の質問にある「野球に関して深く考える」ということになるのだろう。

⑤かく言う私だって、アマチュア時代から、またプロ入り直後から野球に関してしっかりとした考え方を持っていたわけではない。  極端に言えば、ベテランと呼ばれる部類に入ってからも、ある種の試行錯誤は続いた。  (中略) その日ごとの反省点をいち早く解決する姿勢や能力が大切になり、その結果、技術を向上させたり修正したりするための方法や理屈をいくつも身に付けることができたのだ。

⑥母親が『日常生活の知恵』をいくつも持っているように、私は『野球生活の知恵』をいくつも備えていたということだ。  では、そうした『野球生活の知恵』は、どのように身に付けていけばいいのか。

⑦もちろん、野球に関する何ごとに対しても興味を持ち、自分のアンテナを高く張り巡らせておくことが必要だが、同時に物事を正面からだけ見るのではなく、後ろからも横からも、時には斜めからも俯瞰からも見てみる気持ちも大切になる。  そこには、やはり屁理屈も含めた理屈が出てくる。』 

小学校時代に友達と草野球をした経験しかありませんが、プロ野球を観ることは大好きです。  ニューヨークで松井選手や新庄選手の試合を観たり、シアトルでイチロー選手の試合を観たこともあります。

監督として中日で指揮を執り(2004~2011年の8シーズン)、すべての年でAクラス入りを果たし、4度のリーグ優勝、1度の日本一を達成した名監督でもあった落合さんの技術論・指導論にはかねてから興味がありました。  空手の指導に応用できる知識が満載です。

チーム城西のメンバーには、落合さんのように「質も量も他のどの選手にも負けないくらい練習」し、「『空手生活の知恵』をいくつも備えて」もらいたいと思います。  

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歴史「に」ではなく、歴史を学ぶ

昨日配信されたネットの「withnews」は日本史学者・呉座勇一さんのインタビューです。  呉座さんの著書『応仁の乱』(中公新書)や『陰謀の日本中世史』(角川新書)はベストセラーになっており、私も読んで感銘を受けました。  インタビューの後半部分を、番号を付けて紹介します。

『①――『陰謀の日本中世史』では、実際に起きた陰謀と陰謀論を区別して、陰謀論のパターンを紹介しています
 
 「『はめたつもりが、はめられていた』という加害者と被害者の逆転、一番得した人間が『黒幕』、最終的に勝ち残った人間の策略。  多様に見えて、実は限られたパターンの繰り返しです」

 「複雑な史料を読み解くと、そんなに単純に物事が動いていないことが見えてくる。  いや、史料を読まなくても自分自身について考えてみれば分かるでしょう。  死後に神格化された歴史上の偉人も、生きている時は普通の生身の人間で全知全能ではない」

 「徳川家康だって、日々迷い間違えながらいろんなことを選択していたはずです。  すべてをひとつの陰謀で説明できる、破綻(はたん)のない物語が怪しいのは明らかです」

②――では歴史を学ぶコツって何でしょうか

 「歴史『に』学ぶのをやめることです。  歴史上の英雄は、さも未来を完全に見通して策略や陰謀を図った、という風に称賛されがちですね。  でも、超能力者でもないのに『100%計算通り』なんてありえないでしょう。  そんな超人から、われわれ凡人が何を学ぶんですか」

 「ビジネス書には『信長のようにビジョンを持て』などという話がよく登場しますが、ビジョンを持てばうまくいくというのは少し違う」

 「むしろ、見通しが外れたときにどう軌道修正していくかというほうが大切だし、そういう危機管理能力に注目したほうが、現代を生きる上で役立つのではないでしょうか。  そこから『起死回生の一策』が生まれることもある。  ただそれも、うまくいくかどうかというのは結果論によるところが大きいと思います」

③――でも、ビジョンは欲しいし「物語」も欲しいです
 
 「それを求めるなら、ぜひ『ワンピース』や『スラムダンク』などの素晴らしいフィクションでどうぞ。  歴史を『物語化』するのは全くお勧めしません」

 「これはかなりまじめな話です。  事実、俗説を『歴史的事実』と誤解し、それを根拠に物事を決定して、失敗してしまった例は多い」

 「例えば、太平洋戦争。  日本軍が奇襲を多用した背景の一つに、源義経が一ノ谷の戦いで見せた(断崖絶壁を馬で駆け下り、敵陣の背後を急襲した)『鵯越の逆落とし』があったと言われます。  『義経は奇襲で平家の大軍に勝った。  だからわれわれも、奇襲でアメリカに勝てる!』と思ったわけです」

 「しかし奇襲が上手くいったのは真珠湾攻撃など最初だけで、あとは連戦連敗でした」

 「実は最近の研究では、鵯越の逆落としは『平家物語』の創作で、事実ではない、と考えられている。  現実の義経は、非常に用意周到な武将だったことが分かってきています」

 「その場で奇想天外な作戦を思いついたのではなく、自身に有利な態勢を着々と整え、勝つべくして勝った。  義経の作戦をきちんと研究していれば、『奇襲で戦争に勝てる』などという見当違いの教訓を導き出すことはなかったでしょう。  歴史を物語として学んでしまうと、こういう大やけどをすることもあるのです」

④――歴史「に」ではなく、歴史を学ぶにはどうすればよいでしょうか

 「この本(『陰謀の日本中世史』)を通して、歴史学の手法をぜひ知ってほしいです。  真実にたどりつくまでのプロセス、つまりどう考えて、調べて、研究を進めれば歴史的事実をある程度確定させられるのかという手法を学ぶということです」
 
 「この技術は現代にもつながります。  歴史上の史料は、偽書なども紛れていて実に玉石混交です。  そういったものを慎重に見定め、真実にたどりつこうとする歴史学の手法は、現代の情報社会を生きるうえでのスキルにも近いと私は思います」』


③末尾の「歴史を物語として学んでしまうと、こういう大やけどをすることもあるのです」という一文は肝に銘ずる必要がありますね。

今回より、このブログの歴史関連のカテゴリー名を『歴史に学ぶ』から『歴史を学ぶ』に変えました(笑)




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20回目の夏合宿

1.昨日・今日は山中湖で夏合宿が行なわれ、先ほど帰宅しました。  新生・城西支部として20回目です。  この「新生・城西支部」の夏合宿について、2012年8月6日のブログで以下のように書いています。  

『①大山総裁から認可され、東京城西支部を開設したのが1978年8月26日です。  1981年8月27日には東京都下(東京都の23区以外)の支部認可も受け、東京都下・城西支部となりました。

②1994年4月26日に大山総裁が逝去され、松井館長体制となります。  1995年4月6日に体制が刷新され、東京都下・城西支部傘下の5つの分支部が支部に昇格します。  仕事の関係で直接指導から離れていた私は西関東本部長に任命され、東京都下・城西支部は自然消滅した形になりました。

③1998年6月22日、東中野で東京城西支部を阿曽芳樹師範代と共に再開しました。  合宿は翌年の1999年からですから、新生・城西支部としては今年で14回目の開催です。

④一昨年までは秩父・三峯神社で、昨年よりは山中湖で行っています。  全14回出席の皆勤賞は私と阿曽師範代、掌道の菊澤政夫院長の3人です。』


2.①東京都下・城西支部時代には伊豆下田の多々戸浜・茨城の大洗海岸・山梨の西湖などで合宿を行っていました。  新生・城西支部になってから、1999~2010年は秩父の三峯神社で12回、2011年~今年は山中湖の「ホテル清渓」で8回、計20回目の夏合宿となりました。  2012年のブログにある、私と阿曽師範代・菊澤院長の皆勤賞は継続中です。

②2014年からは城西OBである池田祥規支部長の城南目黒中央支部との合同合宿となっています。  こちらも、もう5回目ですね。  松井館長もよく言われますが、何ごとも継続することが大切です。

③今回の合宿での選手稽古のテーマは「足掛け」でした。  菊澤院長を相手にして、何度もさまざまな「足掛け」の技術をデモンストレーションしました。  まさに「老体に鞭打って」で、私も菊澤院長も筋肉痛です(笑)  参加メンバーに私の意図がうまく伝わっていればいいのですが。


3.ところで、松村~‼  自分より年下でも上級者は先輩だから、「○○先輩」と呼んで、タメ口はダメだぞ~‼  私が入門したころの総本部道場なら、「先輩に対する口の利き方を知らず無礼だ」ということで、間違いなく組手で締められています(笑)

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