2018.01.28 Sun
運・鈍・根
昨年7月に亡くなられた渡部昇一先生の著書はこのブログで何冊も取り上げています。 今回は『思考の方法』(海竜社)から、「不器用さは、成功と失敗の分かれ道ではない」の項を、番号を付けて紹介します。
『①会社でも学校でも、何かと器用に立ち回る人というのはいる。 社内で大規模な異動があると小耳に挟めば、首尾よく行きたい部署の上司に取り入る、マスコミ関係に就職したければ、マスコミ業界に通じている教授のゼミに入ってコネクションづくりに励む、などである。
②こうやって書いてみると、まるで彼らがずる賢いようだが、私はそういうやり方を非難しているわけではない。 自分の中で目指すものがあり、それに向かって努力しているのだから、それはそれで、成功するための一つの立派な方法だと思う。
③ただ、ふとわが身を振り返ってみると、私はそういう器用さはまったく持ち合わせていなかったとつくづく思う。 そして、器用か不器用かは、成功するかどうかにそれほど深く関係していいないと感じるのだ。
④よく、成功の秘訣は「運・鈍・根」にあるといわれる。 「運」は運がよいこと、「鈍」は軽々しく動かないこと、「根」は根気よくやること、だが、私の場合は「鈍」が強かったのではないかと思う。 と言うより、動こうにも動けなかったと言ったほうが正しい。
⑤山形は鶴岡の田舎からポンと東京へ出てきたわけだから、世間的なことはまるで知らなかった。 アメリカ留学ができなかったときも悔しいのは悔しいのだが、器用に立ち回ることができないから、「まあ、このまま頑張って勉強を続けるかな」ということぐらいしか考えつかなかった。
⑥おそらく器用な人ならば、ここでいろいろと動き回るのだろう。 教授にかけ合ってほかに留学の道を探るかもしれないし、研究者という道にさっさと見切りをつけ、大企業就職を目指すようになるかもしれない。 そういうことをした人を私はたくさん見てきたが、うまくいった例は稀のようである。
⑦しかし、結果として私は、「鈍」と構えていたことにより、アメリカ留学に勝る(ドイツとイギリスへの)留学の機会を得ることができた。 器用に動き回っていたらどうなっていたかなど、今さらわかるべくもないが、少なくとも、器用に立ち回らなくてもチャンスを掴むことができたことは事実だ。
⑧このように、頭がよく、悧巧に動き回れる人だけが成功するわけではないとは、私の経験からくる実感なのである。』
『①会社でも学校でも、何かと器用に立ち回る人というのはいる。 社内で大規模な異動があると小耳に挟めば、首尾よく行きたい部署の上司に取り入る、マスコミ関係に就職したければ、マスコミ業界に通じている教授のゼミに入ってコネクションづくりに励む、などである。
②こうやって書いてみると、まるで彼らがずる賢いようだが、私はそういうやり方を非難しているわけではない。 自分の中で目指すものがあり、それに向かって努力しているのだから、それはそれで、成功するための一つの立派な方法だと思う。
③ただ、ふとわが身を振り返ってみると、私はそういう器用さはまったく持ち合わせていなかったとつくづく思う。 そして、器用か不器用かは、成功するかどうかにそれほど深く関係していいないと感じるのだ。
④よく、成功の秘訣は「運・鈍・根」にあるといわれる。 「運」は運がよいこと、「鈍」は軽々しく動かないこと、「根」は根気よくやること、だが、私の場合は「鈍」が強かったのではないかと思う。 と言うより、動こうにも動けなかったと言ったほうが正しい。
⑤山形は鶴岡の田舎からポンと東京へ出てきたわけだから、世間的なことはまるで知らなかった。 アメリカ留学ができなかったときも悔しいのは悔しいのだが、器用に立ち回ることができないから、「まあ、このまま頑張って勉強を続けるかな」ということぐらいしか考えつかなかった。
⑥おそらく器用な人ならば、ここでいろいろと動き回るのだろう。 教授にかけ合ってほかに留学の道を探るかもしれないし、研究者という道にさっさと見切りをつけ、大企業就職を目指すようになるかもしれない。 そういうことをした人を私はたくさん見てきたが、うまくいった例は稀のようである。
⑦しかし、結果として私は、「鈍」と構えていたことにより、アメリカ留学に勝る(ドイツとイギリスへの)留学の機会を得ることができた。 器用に動き回っていたらどうなっていたかなど、今さらわかるべくもないが、少なくとも、器用に立ち回らなくてもチャンスを掴むことができたことは事実だ。
⑧このように、頭がよく、悧巧に動き回れる人だけが成功するわけではないとは、私の経験からくる実感なのである。』