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2017.05.28 Sun
市村直樹
1.5月17日(水)の夕方、掌道で菊澤院長の治療を受けた帰りに電車に乗っていると、江口芳治から電話が入りました。 降りてからかけ直すと、「今朝から市村が危篤になり、お兄さんも北海道から出てきました。」とのことでした。 覚悟しつつ電話が鳴るのを気にかけていましたが、その夜も翌日も連絡はありません。
19日(金)の午前中、下高井戸道場で朝練の指導中に江口から電話があり、「今朝6時55分に亡くなりました。 葬儀は市村本人の希望により家族葬・密葬で行います。」と告げられました。 夕刻、再び連絡があり、「お兄さんからも、城西の仲間は家族のようなものだから、という話がありました。 そこで葬儀の連絡をしたいのですが、いいでしょうか。」と相談されました。
私も参加した21日(日)の通夜・22日(月)の告別式には、市村とともに稽古した城西0Bの支部長・分支部長や、大賀雅裕・遠藤浩・岡本徹などの古い弟子が出席してくれました。
葬儀は無宗教葬の形で行われ、式の間中、市村が大好きだった矢沢永吉さんの曲が流れていました。 通夜の席で江口から、本人の意向で隠していたが2年前から悪性リンパ腫を患い治療を行っていた、旨の話しがありました。
2.以下は総本部のホームページに書かれた市村の経歴です。
『市村氏は、1966年10月19日、神奈川県川崎市生まれ。 高校卒業後の85年4月に東京城西支部代田橋道場に入門し、88年第20回全日本大会に初出場。 94年3月の第2回全関東大会で準優勝して浮上のきっかけを掴み、同年第26回全日本大会で3位入賞。 その後全日本大会は第28回~第30回、第32回、第34回の5大会でベスト8入賞の実績を挙げ、無差別世界大会は第6回~第9回まで4大会連続出場を果たした(4大会連続出場は日本選手歴代最多タイ記録)。 96年1月に城西下北沢支部を開設し、支部長としての活動をスタート。 支部道場で後進を育成しながら、一昨年の第32回全日本ウェイト制大会まで現役選手として活躍した。』
3.最近は会うたびに体が細くなっていくようで心配はしていましたが、まさかこんなにも早く永遠の別れが来ようとは思いませんでした。
2月22日に総本部道場で国際親善大会の組み合わせが行われ、私はそこで大会運営について話をすることになっていました。 午前11時から約1時間話をします。 まだ組み合わせが終わっていないようなので、そのまま続けるように言い、一人でエレベーターホールに向かうと、なぜか市村が小走りで来て見送ってくれました。
今思い返すと、最後のあいさつのつもりだったのかもしれません。 私は「市村、体調はどうだ? 道場関係で何か手伝うことがあったら、何でも言ってくれよ。」と話しかけ、市村の背中に手で軽く触れました。 随分痩せたな、というのが正直な感想でした。
4.3月25日の黒澤浩樹に続く、市村直樹の50歳という年齢での早すぎる死です。 田村悦宏と同期ですが、すぐに実績を出し始めた田村に対して、市村は最初は中々勝てませんでした。 ですから、26回大会で3位に入賞した時は、指導者として本当に嬉しかったことを覚えています。
大山総裁が亡くなって1年後の1995年に組織の分裂騒ぎが起きました。 当時市村が所属していた分支部の関係で、一時は我々の組織から離れたこともありました。 しかし、その後すぐに私の会社に来て、「もう一度お世話になりたいので、よろしくお願いします。」と言ってくれました。 とても感激したことを昨日のことのように思い出します。
市村の極真空手に対する関わり方、最後まで現役選手にこだわったその求道者としての姿勢には、教えられることがたくさんありました。 何より、市村の「城西」に対する、あるいは「城西の仲間」に対する思いを無駄にすることなく、私も精進していきたいと思います。
城西の20周年・30周年のパーティーのオープニングを飾ってくれた市村の「永ちゃん」が、来年の40周年で見られないと思うととても淋しい気持ちになります。
今までに出席した葬儀の中で、一番泣いた葬儀でした。 ご冥福をお祈りいたします。 合掌
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2017.05.15 Mon
恐怖心を乗りこなす
5月13日の『伊勢ー白山 道』さんのブログのタイトルは『自分の恐怖心を乗りこなすことが、運命を変える』でした。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①多くの人が、恐怖心の中で暮らしています。 失業する恐怖心・病気に罹る恐怖心・災害や戦争が起きる恐怖心。 その時々の自分に応じて、「まだ起こってはいないのだが」、様々な恐怖心の中で人は暮らしています。 特に日本人には恐怖心が大きいかも知れません。
②でも、その恐怖心の御蔭で日本を見ますと、恐怖・心配事への対策が取られ、経済が発展し、最長寿の国です。 「良い意味での」恐怖心が、統制・機能しているとも言えそうです。
③南国の何も心配していない様子の、根っから明るい人々は、いつも笑顔でいます。 直ぐに踊りだします。 でも、なぜか貧しくて、色々な病気や事故・犯罪で短命な傾向があります。 恐怖心を何も持たない傾向は、行き当たりばったりの計画性の無さという現実を起こすようです。
④結論から言いますと、上記の「中間」「中道」が良いと感じます。 老子にしても、釈尊にしても、要するに「中道が最高・最善!」と言っているのです。 日本人は、恐怖心が優位すぎるために、心を病む傾向が増えている最中だと感じます。 問題はここなのです。
⑤日本人の中には、
* 自分の恐怖心の中で暮らし、自分が自分自身をイジメている。
* しかし、その原因を他人のせいにすり替える傾向が始まっている。
これにより、突然に切れる人、他人を害する通り魔的な行為、をする人が増えていると感じます。
⑥今の自分が感じる「怒り」が有れば、それを冷静に見なければ生けません。 その正体は、自分自身の恐怖心であったり、自分のコンプレックスであり、他人が原因では無いことが大半である可能性を考えて欲しいのです。
⑦赤子は寝ていましても、突然に夜泣きをするものです。 その時に母親(母性)に抱かれて、背中をさすってもらうと安心し、また眠ります。 大人に成りますと、これを自分でしなければいけません。
⑧その方法は、恐怖心や怒りを感じた時は、
* まだ何も起こっていない、という現実を再確認すること。 自分自身に言い聞かせること。
* その自分の感情を、冷静に静観・観察すること。
⑨このような習慣を持つだけでも、自分の悪い自我(ワレヨシな心)を止めて置くことが可能です。 自分の運命が変わります。』
私も典型的なビビりです。 若いころはそれがイヤでしたが、今は結構気に入っています。 でも、状況によってはちょっと疲れますけどね(笑)
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2017.05.13 Sat
北方先生・小嶺監督・カーティス教授
最近の新聞のインタビュー記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。
1.北方謙三先生(朝日新聞朝刊連載「人生の贈りもの」全14回・・・5月1日第6回分より)
『①売れない小説を書き続けている私を、30年前に亡くなった親父(おやじ)は快く思ってなかったはずです。 それでも当時、「同じところで10年耐えていたら、人は変わるんだ」と言ってくれた。 「こっちの気持ちも知らないで」と反発しましたが、結局その通りになりましたね。
②《大学卒業後、100本書いて採用された小説は3本。 しかし、その3本が若い編集者との出会いにつながる。 今なお親密なつきあいが続く、集英社の山田裕樹さんだ》
③何度か話してみると、ヘミングウェーやヘンリー・ミラーといった私が好きな作家を読み込んでいる。 読書の趣味が合うわい、と相談したんです。 「エンタテ(エンタメ)をどう思いますか。あれなら500枚くらい書けるんですが……」 30歳を過ぎたころです。 (中略)
④彼は「まず見てみないと」と言ってくれた。 で、書いた。 500枚どころか1000枚ほど。 エネルギーがありあまってたんですね。 彼に見せると、「あなたは純文学をやるべきではありません」なんて言う。 いい気分でいると、「でも、こんなに長いのは出せません。 もう1本書いてください」と。 書きましたよ。 今度は550枚。 すると彼、こう言った。
⑤「これ、いいです。 でも私は下っ端なので出版できるかどうか約束はできない。 小舟に乗った気でいてください」
⑥「小舟」は頑張ってくれたんです。 550枚の原稿用紙を1枚ずつコピーして3束つくり、編集だけでなく宣伝関係の部署に持ち込んだ。 それがデビュー作『弔鐘(ちょうしょう)はるかなり』になるんです。』
2.小嶺忠敏監督(元・国見高校サッカー部監督・・・日経新聞夕刊「人間発見」全7回・・・4月28日第5回分より)
『①《国見高は全国選手権を6度、制した。 特に、2000年度からの4年間で3度優勝。 インターハイも通算5度、制覇した。》
②どうやったら優勝できるのかは分かりません。 大切なのは指導陣があらゆる準備を怠らないことです。 相手をしっかり分析し、長所を消すにはどうしたらいいかを考え抜きます。
③国見のサッカーを批判する声は耳に届いていました。 ロングボールを多用するのは古くさいと言われました。 しかし、自分のチームの力が一番、分かっているのは私です。 東福岡高校のようにパスをつなげる選手がそろっているなら、そうします。 そうではないのに理想ばかり追っても仕方がありません。
④私は戦術ありきで、選手を枠にはめるようなことはしません。 時間を掛けて選手を観察し、性格も含めて特徴の把握に努めます。 いくつかのポジションでテストしたうえで選手を組み合わせ、持ち味を生かしたサッカーをします。
⑤優勝すると生徒は有頂天になります。 そこが危険なところです。 私はロッカールームに戻ってワイワイやっている生徒たちに「ストップ。 ここが人生で最も大事なところだ。 テングになってダメになった人間をオレはたくさん見てきた」と諭します。 高校の優勝が人生のゴールではありません。 私自身も優勝したら自分を引き締めます。』
3.ジェラルド・カーティス氏(米コロンビア大学名誉教授。 1964年に初来日し、日本政治を研究し続ける。・・・日経新聞5月12日夕刊より)
『①――3年3カ月の旧民主党政権の失敗があった。
「非常に残念だ。 僕は自民党がそれほど人気だとは思わない。 選択肢の中でベターなだけ。 旧民主党の失敗は日本の歴史にとって不幸だった。 失敗の一番の理由は官僚の扱いが下手だったこと。 『政治主導』を掲げて官僚を追い出したが、政策を作った経験がないからわからない。 官僚の反発も呼んだ。 鳩山内閣で本当の力を持ったのは小沢一郎氏。 裏権力ではなく堂々と表で勝負すべきだった」
「運も悪かった。 東日本大震災が起こり、福島の原発事故で菅直人首相が批判を浴びた。 だが原子力村をつくったのは自民党であり、民主党ではない。 菅直人氏のしたことは悪いこととは思わない」
②――安倍首相は運がいいのか。
「政治で成功するには運も必要だ。 安倍さんはいろんな意味で運がいい。 野党があまりにも弱く、自民党にも対抗馬がいない。 中国や北朝鮮への懸念で、安定政権も求められる。 しかし、運がいいのと、運を上手につかむかどうかは別の問題。 安倍さんは運を上手につかんでいる」』
今回は私自身の備忘録として三つ取り上げました。 でも、北方先生の連載にある「小舟に乗った気」って(笑)
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2017.05.07 Sun
生き残る判断 生き残れない行動
1月29日のブログで、『震度7の生存確率』(仲西宏之・加藤和彦著 幻冬舎)の中の以下の文章を紹介しました。
『ところが物理的・心理的な原因以外にも人が動けなくなる理由があります。 それは、「麻痺」と呼ばれる状態に陥ることです。 アマンダ・リプリーの『生き残る判断 生き残れない行動』(光文社)では「特定の状況下では、炎上している飛行機、沈没しかけている船、また急に戦場と化した場所などでも、多くの人はまったく動きを止めてしまう。」と報告しています。』
今回は『生き残る判断 生き残れない行動』から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『第1章 立ち遅れ
(2001年9月11日の同時多発テロの生存者が2回目の爆発音について)「わたしに関して言えば、本当に、そんなことは一切起こらなかったようだった。」心理学者はこれを「解離」と呼んでいる。 その言葉がもっともよく使われるのは、子供たちが身体的虐待から心理的に距離を置くのを描写する際である。 だが生死にかかわる状況においても、こうしたことが起こるのだ。
第2章 リスク
①「アメリカン・テイスト」誌に掲載された2003年の分析によると、1992年から2001年にかけて主要な民間の国内線飛行機で死ぬ可能性は、おおよそ1億分の8だった。 それに比べて車で平均的なフライト区間と同じ距離を走れば、約65倍もの危険を伴うのである。
②デニス・ミレティは、ハリケーンや地震などの脅威の際に、人々にどのように警告したらいいのかを30年あまり研究してきている。 ミレティによると「ハワイでは、地震を感じたら、(津波に備えて)高台に行くのが今や文化の一部になっている」。
③火事の場合には、たいていは地下鉄の車両にとどまっていたほうがいいのはなぜかを説明する機会でもあった(線路のレールで感電死するかもしれないし、トンネルは何箇所かが狭すぎて電車が来るとうまく通り抜けられないから、と)。
④毎年、世界中でサメに殺される人間は平均6人である。 人間は(食用等で)2600万匹から7300万匹のサメを殺している。
第3章 恐怖
①極度に圧迫された状況の下では、体は消化や唾液分泌、ときには膀胱や括約筋のような、肝要でないいくつかの機能を放棄する。
②生死にかかわる状況においては、訓練を受けていない人々の心拍数は、たちまち毎分200回まで上がる・・・手の打ちようのないほどの最高レベルである。 そこで、訓練と経験を通して生存ゾーンを広げることが秘訣になる。
③恐怖反応を扱うのに簡単な方法がある。 どうすれば恐怖に打ち勝つことができるのかを戦闘トレーナーに尋ねると、繰り返し彼らが語ってくれたのが呼吸法だった。 呼吸は、体神経系(意識的に制御できるもの)にも自律神経系(容易に意のままにできない心臓の鼓動やほかの活動を含む)にも存在する数少ない活動の一つである。 だから呼吸はその二つの神経系の架け橋だと、戦闘指導教官デーヴ・グロスマンは説明している。
④笑いも、呼吸と同様に、感情的な覚醒のレベルを下げる。 このことはまた、わたしたちがより状況を制御しているという気にさせてくれる利点がある。
第5章 集団思考
①一般の人々に飛行機からの模擬避難をさせる実験をした。 人々は、とりわけ女性は、脱出スライドに飛び降りるまでに驚くほど長い間ためらい、そのためらいが全員の避難を遅らせることになった。 しかし人々をより迅速に動かすことができる方法があった。 客室乗務員が出口に立ち、飛び降りるよう大声で叫べば、ためらいはほとんどなくなることが分かったのだ。
②(2004年に東南アジアで発生した地震の際、震源地にきわめて近い)シムルエ島のランギでは、地面が揺れたとき、だれもが高台へ向かい・・・そこでしばらくとどまった。 何があってもそれが伝統だったのだ。 シムルエ島全島で、津波で亡くなったのは7万8000人のうち7人だけだった。 しかも、7人全員が、自分が持ち出すものをまとめていたため亡くなったのだ。
第7章 麻痺
麻痺状態になる動物は、ある種の攻撃を生き延びる可能性がより高くなる。 ライオンは、病気や腐敗した獲物を食べるのを避ければ、生き延びて遺伝子を伝える可能性が高くなる。 多くの捕食動物は、もがいていない獲物には興味を失う。 それは食中毒を避けるための太古からのやり方である。 そして今度は、餌食になる動物がこの隙を有効に生かすべく進化した・・・捕らわれたときに死んだふりや病気になったふりをすることによって。
第8章 英雄的行為
鳥肌はそのほかの生存反応と同様に、明らかに進化に由来するものであり、人間の恐怖反応がいかに時代遅れであるかの典型的な例である。 たくさんの毛におおわれた動物の場合、鳥肌は寒さの中で断熱性を高めるのに役立つ。 あるいは、動物は怯えると、鳥肌が立って毛が逆立ち、ふだんより威嚇するような外形がつくりだされる。 だが言うまでもなく、人間にはそのような恩恵をこうむるだけの毛は生えていない。
結論
①災害専門家は、なりわいとして災害について考えているわけだが、無力感にとらわれることはない。 万一の場合に脳に近道を与えるために必要な、ちょっとしたことをしているのだ。 たとえば、連邦航空局の人的要因分析者は、飛行機に搭乗すれば必ずいちばん近い出口を探す。 そして、たいていの人が役に立たないと考えている安全のしおりを読む。 かれらがそうするのは、飛行機によってそれぞれ型が異なっているからで、墜落事故が起これば脳の機能が低下する可能性があることをわかっているからである。
②世界貿易センターの避難の研究を指揮しているロビン・ガーションは、ホテルにチェックインするたびに、階段を使って降りる。 たいていのホテルの階段は、奥の部屋を通り抜けて思いがけない通りに出てしまうようなややこしい通路をたどるようになっていることを彼女は知っている。』
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