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2017.04.30 Sun
弱くても勝てる 強くても負ける
『弱くても勝てる 強くても負ける』(石浦外喜義著 幻冬舎刊)を読みました。 著者は鳥取城北高校校長・相撲部総監督で、教え子の現役力士には照ノ富士、逸ノ城、貴ノ岩、石浦(著者の息子)、山口がいます。 本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①小学生レベルでの相撲は、体が大きいだけで勝っているケースも少なくないようです。 (中略) それに対して、小学生から中学生を過ぎ、やっと相撲が取れるようになってからの高校生が伸びる率は極めて高く、それで私は、相撲はあまり早くからは芽が出ない競技だと思っているのです。 あの大鵬にしても、子どものころは小柄だったそうです。 (中略)
②一方、子どものころ、小さくて体格に恵まれなかった子どもは、勝つために技術を身につけます。 たとえば、白鵬が190センチ以上もあるのに、出し投げを打つことができるのは、体格に恵まれていないころ、そうした技術をしっかり身につけたからです。
③鶴竜や日馬富士にしても、前みつを取ったり、出し投げを打ったり、相手の足を取ったり、いきなり腰を沈めて相手のふところに飛び込んだりと、白鵬同様、多彩な動きで相手を翻弄します。
④彼らは、いずれも入門時はもっと小さかったのです。 いろいろなことをやらなければ勝てないので、これだけの技を身につけ、大きくなってからもそれを駆使できるから強いのでしょう。
⑤高校生ぐらいの年齢になってから勝てるようになる人間は、概して、それまでは体も小さく、相撲も弱いのです。 それでも相撲が好きで、頑張って続けてきた子供が、18歳ぐらいから急に大きくなったときに強さを発揮するわけです。』
極真の少年部の試合でも、体格にまさる選手が有利になりがちです。 チーム城西の少年部の中にも、技術は優れているのに体格差が原因でなかなか入賞・優勝に手が届かない選手が、私が思いつくだけで何人もいます。
また、小学・中学生時代になかなか勝てなくても、高校2・3年生ぐらいから強くなり、試合に勝てるようになったケースをこれまで何人も見てきました。
国際親善大会後のブログ(4月17日)にも『「10年・20年の計」の強化でよいのだと思います。』と書きました。 大事なことは長期的な展望で、あきらめずに、コツコツと稽古を続けることだと思います。
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2017.04.23 Sun
牛一歩
『 もう一息
もう一息と言う処でくたばっては何事もものにならない
八十二歳 実篤 』
何度かブログにも書きましたが、下高井戸道場に武者小路実篤先生が書かれた上のような額が掛けてあります。 1972年に新宿の紀伊國屋書店で購入したものです。 最初は自宅に飾っておいたのですが、1980年に代田橋で初めて常設道場を確保した時にそちらに移しました。
地図を眺めていたら、京王線の仙川駅近くに『実篤公園』というのを見つけました。 ネットで調べたら武者小路実篤先生の晩年の自宅が公園になっています。 敷地の中に『実篤記念館』があり、そこで三女の武者小路辰子さんが書いた『ほくろの呼鈴』(筑摩書房)を買ってきました。 本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『1.父の愛用の硯の一つに穴があいた。 いつも墨をすっている一ヵ所が貫かれてしまったのである。 硯に穴があくということは私は今まで聞いたことがなかった。 (画家の)中川一正小父様が「新潮」に、やはり「硯がこんな姿になったのを私は見たことがない」と書いて下さった。
2.①先だって、父のことを取材に実篤公園に見えた方たちがあって、頼まれて少しばかり話し合った。 仕事部屋の絵をかく机の上に、穴のあいた硯があり、父がどんなに勉強家だったかが、話題になった。
②本当に父がどれほど熱心に絵をかいたことか、それはなかなか口で説明しきれないことだった。 どう言っても、父のあの熱意の半分も伝え切れないとい思った。 しかし、硯がすりへって穴があくほどだったという事実は、驚くべきことに違いない。 (中略)
③そんな時、その人がふっと私に問いかけたのだ。 「実篤先生は、のんきにしていらしたことはないのですか」 私は一瞬、あっけにとられた。 思いがけない質問だった。 実は父ほどのんきの名人いないとも思っていたからだ。 (中略)
④それではどう言ったものか・・・さてむずかしい・・・と私はとまどう。 (中略) 父は勉強家だった。 特に亡くなる前年、せまりくる老衰と闘って、ものを書く父の姿に、強く胸をつかれた。 本質的に父は驚くべき努力家で勉強家だった。 本当にすごいエネルギーだった。
⑤しかし、また本当に父をのんびりの名人とも思い込んでいるのだ。 それも私が生まれて以来からの記憶にかけて、信じていることだ。 (中略) 実に意欲的で、書きたくて仕方なくて、そそくさと取りかかる。 その姿は一生懸命で、ひたむきだった。 元気な子供が動き回らずにいられないようだ。 自由に拘束されず、のびのびと、したいことをしているのだ。
⑥「健康だったら、したいことがあって早く起きたくなる」と父は言っていた。 努力するということが、厭なことでなく、もっとも自然な姿だった。 無心の境地に遊ぶとも見えた。 本当にのんびりしている名人だったと、やはり思う。
3.①父は意外に、はにかみやのところがあった。 大変自信家にみられるけれど、いつも進歩したいと思っていたようだ。 それで以前のことは、かまっていられないで、昂然とみえるらしい。 (中略)
②「おれはまだあきらめないんだ」と言い、「もうじきものになると思っているんだ」とつけたした。 「それはそうね」と私は笑ってしまう。 内心あきれてしまっている。 正確な年は忘れたけれど、仙川時代だから晩年のことで、八十ほどだったかと思う。
③本当に八十過ぎても九十になっても、あきらめたくなかった人だった。 父の印に「牛一歩」というのがあって、これは「モウ一歩」と読むそうで、まったくいつもその気だった。』
ちなみに武者小路実篤先生は1976年4月9日、満90歳で亡くなられています。
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2017.04.17 Mon
2017国際親善大会・第6回世界ウェイト制大会
一昨日は2017国際親善大会、昨日は第6回世界ウェイト制大会でした。 チーム城西の結果と気づいたことを書いてみます。
1.4月15日(土)2017国際親善大会
①江島陽向(組手6歳男子の部第3位)・・・準決勝で身長で15cm・体重で7kg大きな選手に判定負けしました。 私がいた本部席から遠い第11コートでしたので、森善十朗に確認したところ、「相手選手は身長が高く、動きの速い選手でした。 ボディーに膝蹴りや前蹴りを多く蹴られ、お腹を効かされて動けなくなり、3-0(審判は3人制)の判定負けです。」とのことでした。 次に同じような大きな相手と当たったときにどう戦うべきか、ぜひ研究してもらいたいです。
②中水流梨央(型10歳の部優勝・組手10歳女子+35kg級準優勝)・・・型については「力強さ」と「一つ一つの技の伸び」が評価されたように感じました。 組手の決勝戦の相手は身長で10cm・体重で12kg大きな選手です。 序盤はうまく戦っていましたが、瞬間的な隙をついた上段前蹴りで技有りを取られました。 自分より手足の長い相手と戦う時、リーチにまさる相手の「出会いがしら」と「離れ際」の上段への攻撃には注意が必要です。 残念ながら連覇はなりませんでしたが、型と組手の両方で決勝に進むということは大したものだと思います。 組手での次回の雪辱に期待します。
③林秉天(組手壮年40~44歳以下-70㎏級第3位)・・・第9コートも遠かったので、森に確認したところ「前半は打たれすぎており、後半はまとめきれず、3-0の判定負け」とのことです。 昨年の準優勝に続き、安定した成績を収めています。 でも、ここから一歩抜け出るには、昨年のブログにも書きましたが、継続的なウェイトトレーニングによるパワーアップが必要だと思います。
④中水流嘉臣(組手壮年40~44歳以下-80㎏級第3位)・・・林さんと同じ第9コートでしたので、森が中水流さんのコメントをもらってくれました。 「準決勝は完全に打ち負けました。 もう1ランク、2ランクも上の打ち合い技術やスタミナを身に付けないと優勝には手が届かないですね。 ただ、ここ一年取り組んできた押すパンチじゃなくて効かせられるパンチを!という課題については改善の兆しが見えはじめたように思います。 旗は3-0で全部向こうにあがりました。」とのことです。 今後の工夫研究に期待します。
⑤吉村基(ユースエリート16歳17歳男子+75㎏級第3位)・・・優勝した高橋扶汰選手に本戦判定負けしました。 試合後に本人にも話しましたが、昨年末の関東大会決勝での高橋選手との試合に比べ「その差は相当に詰まってきたな」との印象を受けました。 特に相手の攻撃に対する下段廻し蹴りの返しが速く、的確でした。 サポーターを付けない一般の試合だったら、下段が効いてくるので違う展開になったかもしれません。 でも、後半になって疲れたのか、突きの連打で場外に押し出されたのは反省する必要があります。 あれがなければ、延長戦も十分にあり得ました。
紙面の関係で入賞した選手のみ取り上げましたが、他の選手についても僅差の判定負けで勝ち上がれなかった試合が多く見られました。
試合の後などでよく話しますが、「負けた試合の中でも良かった点や向上した点を見つける」ことは、「勝った試合の中でも反省点を見つける」ことと同じぐらいに重要です。 「正確に自分を評価」し、「普段の稽古で、今回の試合で気づいた良かった点を伸ばし、反省点を修正」することが次の試合での勝利につながるのです。
大山倍達総裁がいつも「早く強くなろうと焦ることはない、じっくり時間をかけて強くなるんだ」と言われていました。 「10年・20年の計」での強化でよいのだと思います。
2.4月16日(日)第6回世界ウェイト制大会
鎌田翔平が重量級で優勝しました。 ここ数年の海外選手の中で、私自身の評価ではオレクサンダー・イエロメンコ選手が実力ナンバーワンです。 そのイエロメンコ選手に危なげなく勝った決勝戦を見て、「この強さは本物だな」との実感を持ちました。 これで昨年の第33回全日本ウェイト制・第48回全日本に続いて負け知らずです。
ただ、新ルールの応用に関しては若干意識し過ぎており、空回りした印象を持ちました。 全盛期の松井館長について、大山泰彦師範が当時の『パワー空手』紙上に書かれていたコメントが記憶に残っています。 「松井選手の一番優れているところは攻撃の殺気を消せるところだ」というコメントです。 つまり、上段への蹴りでも「当てよう当てよう」とすればするほど、その意図が相手に察知されたり、自分自身が力んだりして、かえってヒットしないものです。 今後の課題と言えばそこだと思います。 無意識のうちに上段蹴り・捌き・足掛けが出ることが理想です。
選手・セコンド・応援の皆さんお疲れ様でした。 私自身も、初日全11コートの同時進行の中でチーム城西の選手の試合を、なるべく見逃しの無いように追うのは、疲れました(笑) また頑張りましょう。
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2017.04.09 Sun
本番に強い子の育て方
メンタルトレーナーの森川陽太郎さんが書かれた『本番に強い子の育て方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)を読みました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『1.①「本番」でも本来の力を発揮できる人というのは、「緊張しない人」なのでしょうか。 答はNOです。 程度の差はあるでしょうが、大舞台ともなれば、どんな一流のアスリートだって、誰もが緊張を感じています。
②「緊張」というのは、無意識にわいてくる感情です。 そして感情というのは、それがどんな種類のものであっても、自分の力で打ち消したり、別の感情に変えることはできないものなのです。
③「本番に強い人」というのは、決して「緊張しない人」ではありません。 本番に強いか弱いかは、緊張するかしないかの違いではなくて、「緊張していても実力が発揮できるか、できないか」の違いなのです。
2.①感情には、プラスの感情とマイナスの感情があります。 ただし、ここでいうプラス/マイナスは、それを心地いいと感じるか、嫌なものだと感じるかの違い、いわば受け取り方の違いであって、「プラスの感情=いいもの、マイナスの感情=悪いもの」ではないということに注意してください。
②多くの人が誤解をしていますが、本番で力が発揮できないのは、「緊張している」という事実のせいではありません。 (中略) 本当は緊張しているのに、緊張していないと強引に考えること、無理に自分にとってプラスの感情にすり替えとようとすること、マイナスの感情を打ち消そうとすること。 それが、実力を発揮できない大きな原因なのです。
③明らかに緊張している様子のお子さんに対して、「落ち着いて!」「平常心で!」という言葉で励ます人は多いのですが、むしろこれは、逆効果。 なぜなら、これらは感情を押し殺せと言っているのに等しい言葉だからです。 同様に、「大丈夫、全然緊張していないよ」などと暗示をかけるのも避けるべきだと、僕は思っています。
④つまり、大事なことは、感情をむしろ素直に「気にする」ことです。 たとえそれが「怖い」「ドキドキする」「逃げ出したい」といったマイナスの感情だとしても、それを正直に受け入れ、無視したり否定したりしないこと。
⑤「緊張」を感じているなら、「自分は緊張している」ということを、ありのままに受け入れることです。 それが、本番で実力を発揮するための大事な最初のステップなのです。
3.①「うまくいったときのイメージをもって本番に臨めば、実力を発揮できる」 このようなポジティブシンキングは、本番で実力を出すために、はたして本当に必要なのでしょうか? (中略) 「どんなときでも結果を出す、力を発揮する」という観点から考えるなら、ポジティブなこともネガティブなことも想定して、いかに「想定外」をつくらないかが大事なんです。
②これは具体的な「事態」をすべて想定しろというわけではありません。 想定するのは、本番のなかで、自分がどういう「感情」になりうるかということです。
③お子さんがどんなときにどんな感情になりやすいのかを普段から親子で話す習慣を持つのがとても大切なのです。 感情が想定されていれば、その感情に対する対処法を事前に考えておくことができます。
④たとえば、「あわてる」「焦る」という感情が想定されるのなら、「あわてたり、焦ったりしても、必ずできることは何?」と質問してみてください。 「味方とパスを回すことならできる」「大きい声を出すことならできる」という答えが返ってきたら、「じゃあ、その気持ちになったら、それをやるようにしよう!」と、事前に決めておけばいいのです。
⑤ただしこれは、「あわてている」「焦っている」気持ちを落ち着かせるための行動ではありません。 大事なのは「あわてていても、パスが回せた」「焦っていても、大きな声が出せた」という感覚を味わうこと。 いわば「できた感」を得ることです。
⑥本番の中で、このような「できた感」をたくさん味わうと、本当の意味で、気分が乗ってきます。 それによって、本来の力を発揮できるようになるのです。
⑦また、このような「マイナスの感情をもっていてもできた!」という経験を重ねていけば、マイナスの感情=失敗する=悪いこと、という思い込みが次第に解消されていきます。 すると、マイナスの感情を感じて「もうダメだ」と短絡的に思うのではなく、「でも大丈夫、イケる!」と思えるようになるのです。 たとえそのまま試合には負けてしまったとしても、「あわてたけど、できた」「焦ったけど、できた」という自信がつきます。
⑧つまり、あらゆる感情に対する嫌なイメージが解消されれば、どんな状況でも=どんな感情になっても、実力を発揮できるようになります。 それが「本番に強い子」になるということなのです。』
選手・指導者だけでなく、少年部のご父兄にもお読みいただきたい一冊でした。
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2017.04.01 Sat
黒澤浩樹
1.今週・水曜日の午後は松井館長・菊澤院長と一緒に、加藤友康社長の関係する会に出席していました。 その席で菊澤院長に「3月25日に黒澤浩樹が急性心不全で亡くなった」旨の連絡が入りました。
黒澤とは、1996年に対談集『極真対論「勝負の諸相」』(スキージャーナル刊)を出しています。 「まえがき」から抜粋して紹介します。
『黒澤浩樹が私の道場に入門してきたのは、1983年の春だった。 それまで黒澤は他の道場にいたのだが、直前に行なわれた首都圏交流試合に敗れ、初めての挫折を味わっていた。
一方、私の方も前年に行われた第14回全日本選手権大会を最後に選手生活を終え、自分の気持ちを指導者としての気持ちに切り替えつつあった時期だった。
結果的にみると、黒澤と私にとって、これ以上ないという絶妙なタイミングで出会いがあったような気がする。
師弟としての縁を得てから13年の月日が経過したが、その間の関係は、師弟というより極真空手の頂上を目指すパートナーであった。 そしてある時期から黒澤浩樹という存在は、私にとっての人生の師でもあった。
別に黒澤が私に何かを指導するということではないが、黒澤の選手としての生きざまを近くから見ているだけで、勇気づけられたり、人生を考えさせられたりすることが、ままあった。』
残念ながら、それから2年後の1998年に黒澤は極真会館を退会します。 その後の19年間は音信不通状態が続いていました。 同じように音信不通状態にあった増田章とは一昨年9月の「フルコンタクト空手友好団体化」記者会見の場で20年ぶりに会ったので、時期が来れば黒澤ともまた会える機会が訪れるのかとも思っていましたが、それもかなわぬ夢となりました。
2.「本当のことを言うと、私は君の大ファンでした。 天国に行ったら、大西靖人(2003年1月22日逝去)にもよろしく言って下さい。 君たちは間違いなく今の『城西』の礎を築いてくれました。 おかげさまで、昨年は鎌田翔平が田村悦宏以来24年ぶりに全日本チャンピオンとなりました。
私は今しばらく空手指導に励みたいと思います。 いずれ私も君たちの所へ行くので、そのときはお互いに若かったころの思い出話に花を咲かせて、三人で酒を酌み交わしましょう。」
好漢・黒澤浩樹君のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌
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