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2016年09月 | ARCHIVE-SELECT | 2016年11月

「身がこわばる」と「身が引き締まる」

脳科学者の茂木健一郎さんと将棋の羽生善治さんが書かれた『「ほら、あれだよ、あれ」がなくなる本』(徳間書店刊)を読みました。  羽生さんが書かれた「ベストパフォーマンスを発揮するには」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①当然のことながら、挑戦をしていく、あるいはなにかをやっていく時には、モチベーションややる気というのが非常に大きく影響していると思います。  最近、スポーツをしているアスリートたちが、インタビューの受け答えなどで、「楽しんでやりたいです」「楽しんでその競技に打ち込みたいです」という趣旨の発言をしていることが、非常に多いような気がします。

②彼らや彼女らがなにかのメンタルトレーニングを受けてそう言っているのか、あるいは自分自身の経験則から話しているのかは判別できないのですが、本当にそのとおりだなと思います。  どういう状態がいちばんいいパフォーマンスを発揮できるかと言われたら、ほぼ間違いなく楽しんでいて、落ち着いていて、リラックスしているという状態がいちばんいいということになります。

③ただ、これも現実的な話として、いつもいつも、どんな状態でもリラックスをしていて、落ち着いていて、ゆとりを持った心持で臨めるかと言われたら難しいと思います。  時には緊張してしまったり、焦ってしまったり、慌てたり、あるいはプレッシャーにさいなまれるというようなこともあります。

④そういうプレッシャーがかかっている時に、棋士はどんなふうに考えているかというと、一つにはプレッシャーがかかっている状態や緊張している状態というのは、最悪ではないと思っていることです。  いちばん悪いのは、やる気がない状態だと思います。  どんなに能力があってもやる気がないわけですから、そこはいかんともしがたいことです。  しかし、少なくとも緊張している状態は、やる気はあるということになります。

⑤もう一つは、そういう緊張とか、プレッシャーがかかっている状態というのは、けっこういいところまで来ているということが多いということもあります。  (中略)  あともう少し、もう一歩のところで目標に到達できるとか、次のところに進むことができるとか、そういうときにプレッシャーはかかりやすいということです。  (中略)  自分でもあと少しという手応えがあるからこそ、緊張してしまうのではないかと思っています。

⑥もう一つは、プレッシャーのかかる状態に挑戦していくとか、緊張している状態に身を置くということによって、初めてその人が持っている能力とかセンスとかが、開花するということもあると感じています。  (中略)  日常の練習の中でも一生懸命やっていますが、どういう時にいちばん深く考えているか、どういう時にたくさんアイデアを思いつくかというと、それはやっぱり公式戦です。  待ったができなくて、緊迫して、時間に追われているという状態なのです。  そういう状況環境に身を置くことによって、さらに自分が持っているものが発揮されていくということがあるのではないかと思っています。

⑦日本語の表現ってすごいなと思う時があります。  緊張しているとか、プレッシャーがかかっているとか、なにか上がってしまっている時に、それが程よい場合と、ガチガチになってしまってうまくいっていない場合の2種類があると思います。

⑧よくない緊張には「身がこわばる」という表現があります。  身がこわばっているという表現が当てはまる時は、あまりいい状態の緊張ではありません。

⑨いい緊張には「身が引き締まる」という言葉があります。  身が引き締まっているというのは、ある程度の力は入っているのですが、ただ、必要以上は入っていない状態です。

⑩適切な状態の緊張感、緊迫感を持っているということなので、なにかに挑戦していく時に「身が引き締まるような」状態を作り上げていくというのがちょうどいいのではないかと思っています。』

私の経験では、大事な試合や試験の際に、⑧~⑩に言う「身がこわばる」のではなくて「身が引き締まる」状態を作り上げられるようになるには、「場数を踏む」しかありません。  試合や審査会のあいさつでもよく話しますが、試合や審査会というのは、「場数を踏む」ための大事なトレーニングの場でもあります。

2週間前は城西カップ、昨日はビギナーズカップ、今週末は第48回全日本大会と試合が続きます。  選手の皆さんの参考になればと思い、若干長くなりましたが、紹介しました。

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日本長寿企業の源泉

『韓非子』(守屋淳著 日本経済新聞出版社)を読みました。  

1.本書中の「日本長寿企業の源泉」の項に『商人の知恵袋』(青野豊作著 PHP文庫)からの引用があります。  番号を付けて紹介します。

『①元禄の時代は、今日でいうと高度成長の時代で経済繁栄が続いた。  その中で元禄の商人たちはかってない繁栄を味わい、なかでも紀伊國屋文左衛門に代表されるような特権商人らは幕府の権力者と結びついて巨額の富を築いた。

②元禄から享保にかけての激しい経済変動の中で、かっての特権商人は相次いで没落し、京都だけで五十数家もの豪商が没落している。

③しかしその一方で三井、住友、白木屋、大丸だの元禄末期以降に抬頭した〝新興商人〟らは生き残り、また多くの老舗も生き残った。

④しかもそればかりでない。  かれら享保の商人たちはやがて〝商人の江戸時代〟さえも築き上げるほどの実力をみせはじめた』


2.本書中の1の引用に続く部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①元禄時代というのは、バブルのような経済成長に沸き立っていた。  しかし、この時期は日本中で開発が進み、しかも幕府は鎖国政策をとっていた。  このため、パイがそれ以上増えないという限界に直面してしまう。  そして、これ以降に誕生した商家では、「家訓」を作ることが一般的になった。

②「家訓」に書かれている内容の多くは、「信用を大切にして、家業を末永く受け継ぐように」といったもの。  つまり江戸時代において「空間的なパイが広がりにくい」という現実に直面したとき、『論語』的な価値観を入れて「時間的に継続していくのがよい」「代々つないでいくのがよい」という方向に転換を遂げたのだ。  これを、「永続主義」という。

③そうした組織の成員のモチベーションのもととなるのは、パイが増えることではなく、お客様からの感謝や厚い信頼に応えること、そして、その集団の中で、後世語り継がれる存在になることでもあった。  日本に、世界的に見ても百年以上続く長寿企業が多い背景には、この価値観がある。

④そして、「永続主義」をとる商家には「家訓」に象徴される理念や規範があるが、それはあくまで「継続」という土台の価値観を支えるための手段として生まれてきたことに注意が必要だ。

⑤ちなみに、江戸時代のこうした商家では、「から傘商売」なる手法をとっていたところもあった。  景気がいいときは、傘を開くように事業を多角化し、逆に景気が悪くなると、不景気下でも生き残れる事業に選択と集中をかけて、傘をすぼめてしまう。  また景気がよくなると多角化し・・・。  この繰り返しで、長く継続していくわけだ。』

私が不動産コンサルティング会社を立ち上げてから、来年の8月でちょうど30年です。  「百年以上続く長寿企業」って、あと70年ですから大変なことですね。

ちなみに、わが社にも社訓があります。  ホームページに書いてありますが、『カキクケコ』つまり『感謝・勤勉・工夫・倹約・貢献』です。  ゼンジュウロウ、知っているのかな~(笑)

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カウンターアタック

10月10日の体育の日、家内と二人で長野県岡谷市の母方祖父の墓参りに行きました。  往復の車中で『カウンターアタック』(永井洋一著 大修館書店)を読みました。 「ボクシングのカウンターパンチ」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①カウンターパンチとは、相手がパンチを打ってくる瞬間に、それと入れ替わるように、こちらのパンチをいち早く打ち込んでしまう高度なテクニックです。  元プロボクシング日本ウェルター級チャンピオン・小林秀一さんの解説で探っていきます。

②ボクシングでは、相手がガードをがっちり固め、待ち構えている状態にパンチを打ち込んでも、効果的なパンチになることは多くありません。  パンチに効力を持たせるためには、ガードをかいくぐり、可能な限りカウンターになるタイミングで急所にクリーンヒットさせなければなりません。

③そのためにはまず、相手のガードが空いている状態をつくらなければなりません。  相手のガードが空きやすいときとはすなわち、相手がパンチを打とうとしているときです。  ですからボクシングでは、いかにして相手にパンチを打たせ、その合間を縫って自分のパンチをカウンターでヒットさせるか、ということが最大のポイントになるわけです。  つまり、ボクシングとはカウンターパンチの狙い合いといっても過言ではないでしょう。

④ですからボクシングでは、いかにしてガードしている相手がパンチを打つように誘導するか、そして、そこに防御の隙をつくらせるか、ということが大切になります。  しかし、いくら相手が攻撃してくるときにこちらがパンチを打ち込む隙が生まれるといっても、そのときをひたすら受動的に「待つ」という姿勢では効果的なパンチは打てないと小林さんは言います。

「待っていて、相手が打ってきたら合わせて打つという姿勢では、相手が得意とする動きのリズムにこちらの動きを合わせてしまうことになりかねません。  そうなると、主導権は相手に握られ、相手の間合い、相手の呼吸に合った動きの中で、相手にとって最もよいタイミングで攻防が進んでしまうことになる。  そうした間合いでパンチを繰り出してしまうと、逆に相手の狙いどおりのタイミングでこちらがカウンターを食うことになりかねません。  ですから、あくまでもこちらが動きの主導権を握りつつ、相手が『動かざるを得ない』という状況をつくり、狙いどおりに動いてきた瞬間にカウンターを打ち込むのが理想的です」

⑤では、ボクシングでは、具体的にどのようなタイミングでカウンターパンチを繰り出すのでしょうか。  この点に関して小林さんは「相手のパンチの打ち終わりの瞬間に打つ、というのが最も基本的な原則」と言います。  パンチを打つということは、腕を伸ばしながら体勢を傾けていく姿勢を作ることです。  一方の腕が体から離れて伸びていく姿勢では、誰でも急所を十分にガードできない瞬間ができます。

⑥またこのとき、繰り出す拳を中心に体全体が前のめりの状態になります。  前のめりになっている体に反対方向からパンチを受けると、体が静止しているときに比べて物理的な衝突エネルギーがはるかに大きくなり、パンチは「効く」ことになります。』

墓参りを済ませた後、諏訪大社の下社春宮・秋宮に行きました。  諏訪大社に祀られるタケミナカタノカミは、日本を代表する戦いの神様で、名将・武田信玄も合戦のたびに戦勝祈願をしたそうです。  勝守りを6つ買ってきて、チーム城西の選手に渡しました。

また、10月10日は私たち夫婦の37回目の結婚記念日でした。  長いな~(笑)

明日は光が丘で城西カップです。  選手の皆さんの健闘を祈っています。

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幸福

1.『鋼のメンタル』(百田尚樹著 新潮新書)を読みました。  幸福について書かれている部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人類は誕生以来、凄まじく過酷な環境で生きてきました。  飢餓、疫病、戦争は常に身近にあり、しかも生死に直結する恐ろしいものでした。  つい百五十年ほど前の江戸時代には、飢饉になると一挙に何十万もの人が飢えて死んだのです。

②今なら抗生物質や手術で治せる病も、最近までその多くが治療法がありませんでした。  盲腸でさえ命取りの病気でした。  足を骨折すれば一生障碍者の可能性が高いし、白内障になればほとんど失明に近い状態でした。

③近代に入ってさえ、七十年前は大戦争がありました。  多くの日本人は毎日、空襲に遭っていたのです。  嘘のような話ですが、夜、寝ていると、空から爆弾が降ってくる中で暮らしていたのです。  空襲で命を失った人は八十万人にものぼります。  地獄の戦場で命を失った人は二百三十万人もいたのです。

④幸いにして現代の日本人は、戦争や飢餓とは無縁の生活を送っています。  病気も医療の発達でかなり克服されました。  こんな幸福な国民があるでしょうか。  人類が何万年も苦しんできた三つの厄災から、ほぼ完全に逃れることができたのです。  

⑤さらに言えば、奴隷制度もなく、人身売買もありません。  私には、現代の日本は人類が何万年も追い求めてきた「地上の楽園」を実現させた世界のように思えます。  にもかかわらず、現代人を見ていると、少しも幸福そうに見えないのです。

(中略)

⑥日本人はこんなに素晴らしい環境に暮らしていて、自分を少しも幸福と思っていないのです。  これは結局のところ、私たちが自分の幸福を常に他人と比べてばかりいるからにほかなりません。

⑦そろそろ、そういうことはやめにしませんか。  幸福の基準を自分で持とうではありませんか。  それが出来た人は幸福を掴める人になれると信じています。』


2.昨日、『世界史の誕生』(岡田英弘著 ちくま文庫)を読んでいたら、今から二千年前の中国の記述がありました。  これも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①紀元二年の統計では、中国の人口は約六千万人であったが、内乱が続き、後漢の洪武帝が紀元三十七年に中国の統一を回復したときには、約一千五百万人しか生き残っていなかった。  (中略)

②後漢の中国は繁栄して、百五十六年の統計では人口が五千万人を超えたが、百八十五年の「黄巾の乱」を始めとする内乱・内戦が半世紀も続いた結果、中国の人口はわずかに四百万人台に激減し、華北の平原では住民はほとんど絶滅した。

③生き残りの中国人のうち、二百数十万人が魏の曹操の配下に、百数十万人は呉の孫権の配下に、百万人足らずは蜀の劉備の配下に、それぞれ集まった。  これが三国時代の中国の実状である。』

①の紀元1世紀初頭の人口はわずか三十五年間で四分の一に、②の紀元2世紀末の人口は五十年間で十分の一以下に激減したわけです。  これを見ても、今の日本に暮らしていることがいかに幸せか分かります。

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謎の拳法を求めて

9月22日、久しぶりに金沢に行きました。  偶然にも金沢でのお通夜が二日続きました。  帰宅する24日に金沢駅構内の書店で『謎の拳法を求めて』(松田隆智著 日貿出版社)を購入しました。  1994年出版の『謎の拳法を求めて』(東京新聞出版局)に、新たに第五章から第九章を増補したものです。  「第八章 松田隆智ラストインタビュー」(インタビューは2012年11月から合計三回)から抜粋して紹介します。

『(剛柔流は東京で習われるわけですが、どうして東京だったのでしょうか?)・・・あの頃(1955年、 筆者は当時、愛知県の高校2年生)は東京、大阪の大都市くらいでしか空手をやっていなかったんじゃないの。

(一番最初に東京に訪ねていったのは?)・・・大山倍達先生だよ。

(それで松田先生から「習いたい」という手紙を大山先生に出したら、「じゃあ来なさい」というお返事があったわけですね。)・・・うん。  まだのんびりした時代で、多分そういう子供が少なかったんだろうな。  だから自分の少年時代の面影を俺に追っていたんじゃないかな。  それから毎年夏休み、冬休みに東京に出て来て、山口(剛玄)先生の家とか大山先生の家とか沢山空手の先生と会ったよ。  他の流派の先生や澤井(健一)先生もそうだし。

(当時の大山先生の家はどんな感じだったのでしょうか?)・・・二階建ての庭付きで、目白の駅から2、3分くらいのところだったよ。

(当時はそのお庭で練習をされていたんですね。)・・・毎朝な。  ベンチプレスと縄の無い巻き藁と、ヘソよりちょっと高いくらいのバーがあってね、それを飛び越すサーキットトレーニング。  それをグルグル回りながらやる。  あとは組手だよ。  型はほとんどやらない。

(型はやらなかったんですか。)・・・平安の初段・二段くらいまでしかやらなかったな。  ナイファンチは知っているかもしれないけど最初から最後までやるのは見たことがない。  型の記憶はないなぁ。  組手ばっかりで。  それでバスルームがあったかどうか分からないんだけど、毎朝一緒に銭湯に行ったよ。  線路沿いを歩いて行くと銭湯があって。  帰りには、「おい、牛乳を飲んでいこう」と近くの牛乳屋に寄って、お店の人が出してくれた椅子に座って、ヨーグルトと牛乳を飲んでいたな。  大山先生は、「これには大腸菌がうようよいるんだぞ」って言われて、「食べて大丈夫ですか?」「大丈夫だよ、胃腸に良いんだよ」って。  今考えるとビフィズス菌だよな(笑)。  けっこう歳がいってから、「あ、先生間違えていたんだ」と気がついた(笑)

(大山総裁ではなく、大山道場の組手はどんなものだったのでしょうか?  顔面は寸止めだったんですね。)・・・うん。  でも大概当たったけどな。  ただ当てるといっても倒してしまう気持ちで当てるのではないから。  何をやってもいいんだから。  頭突きだって金的だって本当には蹴らないけどたまには当たった。  まあ、それは剛柔会でもそうだからな。  面白かったよ、今より。  寝技もOKだったから逆十字をする奴もいたよ。  楽しかったよ、目一杯暴れるから終わったあとが爽快だよ。』

先般、『極真空手50年の全技術』を出版しましたが、極真会館となる以前の大山道場・大山総裁・澤井先生など、極真フリークにはたまらない情報が満載でした。  

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