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道徳

『新しい道徳』(北野武著 幻冬舎)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「食い物が旨いとか不味いとかいうのは下品だ」  母親にそういわれて育ったせいで、俺にもそういう感覚が染みついているけれど、その「道徳」を他人に押しつけるつもりはない。  自分の子どもにだって、そんなことはいわない。

②道徳は他人に押しつけたり、押し付けられたりするものではないのだ。  もちろん親として、自分の子どもに最低限の道徳は身につけさせたいとは思う。  ただ、それはあくまでも最低限のことだけだ。  (中略)

③最低限のことしか教えないのは、どんなに厳しく道徳を躾けたところで、子どもが自分からそう思わなきゃ意味はないからだ。  結局のところ、道徳は自分で身につけるものなのだ。  どんな道徳を身につけるかは、人によって違うだろうけれど。

④たとえば、俺は弟子にも最低限のことしかいわない。  理由は同じだ。  最低限というのは、あいさつと礼儀だ。  芸人の社会は縦社会だ。  自分より先にこの世界に入った人は先輩として立てなくてはいけない。

⑤それから相手がいくら年下でも、仕事をする以上は最低限の礼儀がある。  テレビの制作現場では、若いADがディレクターやプロデューサーにこき使われている。  そのディレクターやプロデューサーは、俺たち芸人のことを大事にしてくれる。  

⑥それで、ときどき勘違いする弟子がいる。  自分まで偉くなったつもりで、ADにぞんざいな口をきいたりする。  そういうことだけは絶対にやっちゃいけないよ、と教える。  それくらいの必要最低限のことを教えたら、あとは放っておく。  冷たいようだけど、それ以上は本人が努力するしかない。

⑦不思議なもので、成功する芸人は例外なく、あいさつをきちんとするし、それなりの礼儀もわきまえているものだ。  人当たりもいいし、ADに横柄な態度をとることもない。

⑧芸人には芸人の道徳ってものがあるわけだけれど、それを細かく教える必要はないし、教えたってなかなか身につくものじゃない。  ところが、向上心があれば、そういうものは自然に身につく。

⑨芸人に限らず、どの世界でも成功する人間は、だいたいそういうものだろう。  人間社会の中で、上に行こうとするやつは、放っておいても道徳的になる。  そうでないと、上には行けない。』

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村上春樹さん

先週紹介した村上春樹さんの『職業としての小説家』の中に不思議な逸話がいくつか書かれていたので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.国分寺でジャズ喫茶を経営していたころの話

①銀行に月々返済するお金がどうしても工面できなくて、夫婦でうつむきながら深夜の道を歩いていて、くちゃくちゃになったむき出しのお金を拾ったことがあります。  シンクロニシティーと言えばいいのか、何かの導きと言えばいいのか、不思議なことにきっちり必要としているお金でした。

②その翌日までに入金しないと不渡りを出すことになっていたので、まったく命拾いをしたようなものです(僕の人生にはなぜかときどきこういう不思議なことが起こります)。  本当は警察に届けなくてはいけなかったんだけど、そのときはきれいごとを言っているような余裕はとてもありませんでした。


2.小説を書こうと思ったときの話(国分寺の店が立ち退きを迫られ、千駄ヶ谷に店を移した後)

①1978年4月のよく晴れた日の午後に、僕は神宮球場に野球を見に行きました。  午後1時から始まるデー・ゲームです。  僕は当時からヤクルトファンで、神宮球場から近いところに住んでいたので、よく散歩がてらふらりと試合を見に行っていました。  (中略)

②1回の裏、広島の先発ピッチャーが第1球を投げると、(先頭打者)ヒルトンはそれをレフトにきれいにはじき返し、二塁打にしました。  バットがボールに当たる小気味の良い音が、神宮球場に響き渡りました。  ぱらぱらというまばらな拍手がまわりから起こりました。  僕はそのときに、何の脈絡もなく何の根拠もなく、ふとこう思ったのです。  「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と。

③そのときの感覚を、僕はまだはっきり覚えています。  それは空から何かがひらひらとゆっくり落ちてきて、それを両手でうまく受け止められたような気分でした。


3.「群像」の新人賞を取ったときの話

①「群像」の編集者から「村上さんの応募された小説が、新人賞の最終選考に残りました」という電話がかかってきたのは、春の日曜日の朝のことです。  神宮球場の開幕戦から1年近くが経ち、僕はすでに30歳の誕生日を迎えていました。  (中略)  

②その編集者の話によれば、僕のものも含めて全部で5篇の作品が最終選考に残ったということです。  「へえ」と思いました。  でも眠かったこともあって、あまり実感は湧かなかった。  僕は布団を出て顔を洗い、着替えて、妻と一緒に外に散歩に出ました。  

③明治通りの千駄ヶ谷小学校のそばを歩いていると、茂みの陰に1羽の伝書鳩が座り込んでいるのが見えました。  拾い上げてみると、どうやら翼に怪我をしているようです。  僕はその鳩を両手にそっと持ち、表参道の同潤会アパートメントの隣にある交番まで持って行きました。  そのあいだ傷ついた鳩は、僕の手の中で温かく、小さく震えていました。

④そのときに僕ははっと思ったのです。  僕は間違いなく「群像」の新人賞をとるだろうと。  そしてそのまま小説家になって、ある程度の成功を収めるだろうと。  すごく厚かましいみたいですが、僕はなぜかそう確信しました。  とてもありありと。  それは論理的というよりは、ほとんど直観に近いものでした。』

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職業としての小説家

『職業としての小説家』(村上春樹著 スイッチ・パブリッシング刊)を読みました。  『第一回 小説家は寛容なのか』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①つまり小説というジャンルは、誰でも気が向けば簡単に参入できるプロレス・リングのようなものです。  ロープも隙間が広いし、便利な踏み台も用意されています。  リングもずいぶん広々としています。  (中略)  しかしリングに上がるのは簡単でも、そこに長く留まり続けるのは簡単ではありません。

②小説家はもちろんそのことをよく承知しています。  小説をひとつふたつ書くのは、それほどむずかしくはない。  しかし、小説を長く書き続けること、小説を書いて生活していくこと、小説家として生き残っていくこと、これは至難の業です。

③普通の人間にはまずできないことだ、と言ってしまっていいかもしれません。  そこには、なんと言えばいいのだろう、「何か特別なもの」が必要になってくるからです。  それなりの才能はもちろん必要ですし、そこそこの気概も必要です。  また、人生のほかのいろんな事象と同じように、運や巡り合わせも大事な要素になります。

④しかしそれにも増して、そこにはある種の「資格」のようなものが求められます。  これは備わっている人には備わっているし、備わっていない人には備わっていません。  もともとそういうものが備わっている人もいれば、後天的に苦労して身につける人もいます。

⑤この「資格」についてはまだ多くのことは知られていないし、正面切って語られることも少ないようです。  それはおおむね、視覚化も言語化もできない種類のものだからです。  しかし、何はともあれ、小説家であり続けることがいかに厳しい営みであるか、小説家はそれを身にしみて承知しています。

⑥だからこそ小説家は、異なった専門領域の人がやってきて、ロープをくぐり、小説家としてデビューすることに対して、基本的に寛容で鷹揚であるのではないでしょうか。  「さあ、来るんならいらっしゃい」という態度を多くの作家はとっています。  あるいは誰が新たにやってきたとしても、とくに気には留めません。

⑦もし新参者がそのうちにリングから振るい落とされれば、あるいは自分から降りていけば(そのどちらかが大半のケースなのですが)、「お気の毒に」とか「お元気で」ということになりますし、もし彼なり彼女なりにがんばってリングにしっかり残ったとすれば、それはもちろん敬意に値することです。  (中略)

⑧小説家が寛容であることには、文学業界がゼロサム社会ではないということも、いくぶん関係しているかもしれません。  つまり新人作家が一人登場したからといって、その代わりに前からいた作家が一人職を失うということは(まず)ないということです。  (中略)

⑨しかし、にもかかわらず、長い時間軸をとってみれば、ある種の自然淘汰は適宜おこなわれているようです。  いくら広々としているとはいえ、そのリングにはおそらく適正人数というものがあるのでしょう。  あたりをぐるりと見渡して、そういう印象を持ちます。』

きょうは私たち夫婦の36回目の結婚記念日です。  そして明日は城西カップが行われます。  良い週末を!

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不安をなくす技術

『不安をなくす技術』(嶋津良智著 フォレスト出版)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私たちは毎日さまざまな不安を抱えます。  お金の不安、将来の不安、などさまざまです。  不安は適切に対処することで解消します。

②私はそのことを、「不安を心配に変える」と呼んでいます。  不安は行動につながりませんが、心配は行動につながります。  そして行動することで不安は消えていきます。  (中略)

③「心配する」とは主体的な行動を表します。

④自分のことを「心配する」、子どものことを「心配する」、両親や恋人のことを「心配する」。  誰をどのように心配するかはいろいろですが、心配するかしないかは自分が決めます。  つまり、心配は「主体的な行動」なのです。

⑤一方で「不安する」とは言いません。  似た言葉に「不安になる」はあります。  つまり、不安は主体的な行動ではなく、いつのまにかなるものなのです。  ふと気がつくと不安になっているのです。

⑥不安とは行動をともなわない静的なものです。  そして何より重要なのは、心配は行動につながるということです。

⑦松下幸之助さんは、「社長の給料は心配料だ」と言いました。  実際にはこのように言っています。

「小さい心配は課長の人がやる。  それよりちょっと大きい心配は部長がする。  けれども『これは大変だ』というような大きな心配は社長である僕が心配しなくてはいかん。  そのために社長はいちばん高い給料をもらっているんだ。  まあいわば心配料みたいなもんだ」

⑧これは会社にお金がなくなったらどうしようかと心配して備える、製品が売れなかったらどうしようかと、心配事が起きないように先に心配して備えておくということです。  不透明な未来に対する心配り料こそが、社長の給料であるという意味です。

⑨心配は行動の結果、何かを生み出すことがあります。  不安は何も生み出しません。  非生産的です。  それどころか不安は思考と行動を停滞させます。  (中略)

⑩アメリカの神学者ラインホールド・ニーバー氏は次のような祈りの言葉を述べています。

「変えられないものを受け入れる心の静けさと、変えられるものを変える勇気と、その両者を見分ける英知を我に与えたまえ」

⑪この言葉の真意は置くとして、「変えられるもの」を増やし、勇気をもって変えていくという体験によって、自分の状態をよくすることができるのです。』

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