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頭がいい

日常的に毎日十人以上のかたのブログを読ませてもらっています。  多くの場合、そのかたの「日常生活の報告」や「さまざまなニュースに関する意見」をブログの形で発信されています。

ところが私のブログは、「日常的に目にした活字(新聞・ネット・書籍など)内容のメモ」がほとんどです。  ですから、2007年9月3日開設当初のブログのタイトルは『今日の一言』でしたが、2009年2月10日より『私の備忘録』に変えました。

1.今朝の朝日新聞朝刊の連載小説『春に散る』(沢木耕太郎)より抜粋し、番号を付けて紹介します。  ボクシングジムへの入門を考えている広岡に対してジム会長の真田が面接する場面です。

『真田はそう言ってから、急に質問の方向を変えて言った。  「君は頭がいいですか」

あまりにも唐突な質問で、どう答えたらいいか広岡にはわからなかった。  「学校の成績はあまりいい方ではありません」

(真田)「成績なんかはどうでもいいんです。  重要なのは、頭がいいかどうかです」

(広岡)「わかりません」

(真田)「考えてごらんなさい」

しばらく黙って考えてみた。  だが、そんなことはわからなかった。  そもそも頭がいいかどうかなどということは他人が評価することなのではないのだろうか。

(広岡)「そんなこと自分でわかるものなんでしょうか」

(真田)「頭がいいか悪いかを判断するのは簡単なことです。  ポイントはその人に考える習慣があるかどうかです。  逆に言えば、考える習慣を持っている人を頭のいい人と言うんです」

(広岡)「…………」

(真田)「天才的なスポーツ選手というのは無限に考える力を持っている人です。  ただ、そのプロセスを言語化できない人もいます。  だから、一見すると、愚かなようにしか思えない。  しかし、秀(すぐ)れたスポーツ選手は、練習のときにも、試合のときにも、すごいスピードで頭を働かせているんです」』


2.吉崎達彦さんのブログ『かんべえの不規則発言』の9月25日分は北方領土に対する日本政府の対応について書かれたものでした。  内容は割愛しますが、そのまとめの文章は是非『私の備忘録』に残しておきたいものだったので紹介します。

『理想は高く、期待値は低く、時間軸は長く。  いい仕事をする時は、そういうマインドセットが大事なんじゃないかと思います。』


3.城西の指導員や同好会のメンバーが書いている『極真空手 東京城西支部の日記帳』も面白いのでご覧になってください。  最近私が気に入っているのはファブが書いている英文のブログです。  今朝開いたら、ICU(国際基督教大学)同好会のブログも英文でした。  『スピードラーニング』じゃないですが、『読み流す英語教材』になりますね(笑)

今日・明日は自宅でノンビリです。  良い週末を!

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撤退戦の研究

半藤一利さんと江坂彰さんの対話集・『撤退戦の研究』(青春出版社)を読みました。  江坂さんの発言部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.歴史に学ぶ

①日本が高度成長期に向かう過程では、リーダーも勉強していた。  しかし、高度成長を続けているあいだに、成長に安堵して、いつしか群れる日本ムラの習性が顔を出して、「私は帰って勉強する」という人間は出世できないようになっていった。

②当時の役員には、イベント重役、セレモニー重役が多く、ウィークデーはイベントでスケジュールはいっぱい、そして土日はゴルフがお定まり。  いったいいつ勉強しているのかと思っていたが、やはりそういう役員が経営者になった企業は凋落していった。

③優秀な経営者は、歴史をよく勉強してますよ。  未来を知る最良の方法は、歴史を知ることですから。  (中略)

④当たり前のことだが、未来というものは誰にも分らない。  だから、歴史に学ぶのがいちばんよい。

⑤歴史のなかでも、戦争は国民と国民の総力戦であり、勝ち負けです。  だから、企業競争でもいちばん参考になるし、戦史を学ぶ意味がそこにある。

⑥たんなるノスタルジーから太平洋戦史を学ぶのではなく、なぜ日本が負けるやり方で戦争したかを学ぶ。  そこから教訓をつかんで、いまとこれからに生かしていく姿勢を経営者にもミドルにも強く求めたい。


2.衆議独裁

①戦後日本が焼け跡から立ち直ったとき、トップは衆議独裁をやりました。  しかし、右肩上がりの時代になり、トップは何もやらないほうがいい、ボンクラぶっているほうがいいという風潮に染まっていってしまった。  それだけならまだしもだが、本当にボンクラになってしまった。

②日本の三代目の陸海軍のリーダーは、おもしろいことに、佐官から上になると、まったくと言っていいほど勉強しません(※一代目が明治陸海軍のリーダー、二代目が大正のリーダー、三代目が昭和に入ってからのリーダー)。

③(戦後)三代目の(高度成長時代の)日本企業もそうです。  私の知人で、重役になった途端、バンザイ、これでもう勉強しなくていいと叫んだのどかな人がいました。

④だから、集団合議でないとものごとが進まなくなった。  集団合議と言うと聞こえはいいが、何のことはありません。  実態は当事者不在です。  決定した責任者がいないということです。

⑤もう集団合議制経営、アマチュアにちょっと毛の生えた程度の経営では、激流の時代は乗り切れません。  リーダーシップを持った経営者が絶対に必要です。  

⑥だから、衆議独裁。  トップは、スタッフにいろいろな案を出させ、そのなかからみずからの決断でチョイスする。  「この案でいきましょう」という権限をスタッフには与えず、選択の権限はトップが握っている必要があります。

⑦スタッフにチョイスする権限を与えると、現場感覚のないスタッフ王国ができて頭でっかちな組織になってしまいます。  (中略)  

⑧企業でいえば、大戦略を決断するのはトップしかいません。  どう儲けるか、どこで撤退戦をするか、誰も教えてはくれない。  しかし、一歩決断を誤れば、倒産とか大リストラをやらなければならない羽目に陥る可能性もある。

⑨こうした大戦略を他の人に任せる人間は真のリーダーではありません。  だから、衆議独裁をやる。  衆議で他人の意見をしっかり聞き、リーダーの裁量として独裁決断を下す必要があるわけです。』

だいぶ涼しくなってきました。  明日は父親の墓参りです。  今日から選手たちは強化合宿に行っています。  

よいシルバーウィークを!

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十字路が見える

1.菊澤院長を通じて北方謙三先生から『十字路が見える』(新潮社)を私宛のサイン入りで頂きました。  『空の上にも遭遇はある』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ミルウォーキーからロスへむかう機内だ。  (中略)  その大男は、ゆっくりと壁に手をついて入ってきた。  黒いスーツ。  白いシャツ。  挙措は落ち着いていて、静かだった。  私は圧倒され、口を開いていただろうと思う。

②その男は、私の前の列の席に腰を降ろした。  斜め後ろの私の席からは、肩や横顔の一部が見えた。  威風あたりを払うという感じではなく、存在感だけが静かで、しかも強烈だった。

③(同行の)隣のレーサーは、日本で最も高名な実業家の孫で、闊達な男だった。  サインしてくれ、なんて言えないよな。  囁くと、レーサーは大きくかぶりを振った。

④着陸すると、乗員に声をかけられ、彼はゆっくりと立ちあがった。  最初に出て行った。  次が私たちで、機外に出たところから黄色いランプをくるくる回した、介助用のカートに彼が乗るのが見えた。

⑤モハメッド・アリである。

⑥不思議なことだが、私は機内でボクシングのことは一度も思い浮かべなかった。  キンシャサの試合でさえも。

⑦戦いを終えた男の背中を、ただ見ていたという気がする。』


2.モハメッド・アリの部分の前段からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①本物ですよね、と訊かれたことが、私ごときにもかなりの数ある。  (中略)  

②電車に乗っていた。  久しぶりの電車で、私は緊張して吊り革につかまっていた。  ある駅で、どかどかと高校生が十数人乗り込んできた。  私の方を見ている。

③私は、青年誌で人生相談のコーナーを持っていたころで、結構人気があった。

④わかっちまったかと思った瞬間、あのオヤジ、北方謙三の真似してるぞ、と聞こえよがしに言うのである。

⑤私はむっとして、本物だぞ、と睨みつけた。 

⑥あ、真似した真似した。  高校生たちには、大受けに受けた。  私はひどく傷ついてうつむいた。』

きょうはテレビでフロイド・メイウェザーの最終戦(?)と大相撲です。

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孔明・家康の誠実さ

城野宏さんの著書については私のブログで何冊か紹介していますが、今回は『諸葛孔明の戦略と戦術』(不昧堂出版)です。  『あとがきに代えて・・・現代に生きる孔明の軌跡』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①孔明は誠実な人であった。  劉備との約束はその最期の日まで守って、ついに五丈原の陣中に没した。  頭の悪い劉禅(劉備玄徳の後継者)をたすけて、孔明の生きている間は、蜀漢帝国を微動だもせずに守り通した。

②こんな約束を守る、義理に固い、誠実な仲間をつくることができたら、人生のしあわせであろう。

③そのためには自分もそういう人物になることである。  自分は約束を守らないが、他人は自分との約束を守れと言っても、他人はそうはしてくれない。

④曹操は、陳宮とともに難を逃れる時、自分をかくまい助けてくれた人たちを殺してしまった。  それでも「我をして天下に背かしむるとも、天下をして我に背かしむることなかれ」と言っていた。

⑤他人は約束をおれに守れ、おれは守らないと言っているわけである。  こういう人物だから孔明は十分の機会がありながら、曹操に仕えず、劉備を選んだのであろう。

⑥人の世は約束の世界である。  孔明の軌跡の中に、こういう誠実な人間のあり方を学ぶことができよう。』

一昨日のテレビ『英雄たちの選択』(BSプレミアム)で徳川家康について『織田信長が本能寺で死ぬまで、戦国時代には珍しく21年間も同盟を守り続けた』と取り上げていましたが、家康にも孔明のような誠実さがあったようです。  

以前観たテレビ特番でも家康について、『(幼少時に人質となっていた)今川義元、織田信長、豊臣秀吉を裏切ることは一度もない律義者(りちぎもの・・・義理がたく実直な人)だ』としていました。

だからこそ、最後には天下を取り、徳川の世が260年も続いたのですね。

全空連のアジア大会に招待していただいたので、明日午後は横浜です。

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