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2015.05.31 Sun
トップに嫌われる言葉
5月29日に配信された宋文洲さんのメルマガのタイトルは『知らずにトップに嫌われる言葉』でした。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『出世したい管理職がトップに喜ばれるように話すのは当然です。 しかし、問題はその話が本当にトップに喜ばれるかどうかです。 良いつもりで発した言葉がトップの気分を害して密かに×印を付けられることも多いのです。
トップのタイプによって嫌われる話し方も異なるのですが、だいたいのトップが共通して嫌う言い方があります。 ご紹介しましょう。
1.私は良いが、部下が・・・
①トップは管理職に意見を求めているのに、その管理職が自分の意見を言わず、部下の意見を持ち出すのは大変失礼です。 そもそも管理職を与えたのはトップです。 言い換えれば部下を与えたのもトップです。 社員に話を聞きたいならばトップが管理職に聞く必要はありません。 直に聞くのが一番良いに決まっています。
②実際、「私は良いが、部下が・・・」で始まる話の殆どは部下の意見ではなく、管理職自身の話です。 リスクを感じるから勝手に部下の名義を借りるのです。 そのことをトップはよく知っているので「私は良いが、部下が・・・」と言った瞬間にもう不快に思い始めています。
③私がトップを務めていた時、自分が任命した管理職からそんな台詞を聞いてその場で叱りました。 「君の話を聞いているのだから、自分の話ができないならば帰ってくれ」と警告しました。
④トップを経験すれば分かりますが、このような言い方はまるで部下達を人質にして自分を正当化した上、トップにプレッシャーをかけているように感じるのでやめたほうがいいです。 言っている本人にそのつもりがなくても、誤解される危険性が高いのです。 誤解されなくても「この人は自分の言葉で語る勇気がない」と思われるのです。 勇気のない部下を好むトップは滅多に居ません。
2.世間では・・・
①私が経営改革を提案した時代には、保守的なお客様から必ず「日本では・・・」と言われました。 政治でもなく文化論でもなく、ただ具体的な経営改革の話ですから、自分の視点とロジックで賛成や反対をしてくれればいいのに、頭に「日本では・・・」を持ってくるのは最初から、国籍の壁を使って私の提案を拒否しようとする証拠です。
②私が外国人だからこのような言い方をするのでしょうが、相手が日本人ならこれが「世間では・・・」「世の中は・・・」と変わるのです。
③長くサラリーマンをやっていると、トップに対して媚を売りながらも、トップの気持ちが分からなくなります。 自分の意見を「私が」と主語を入れて伝えるとリスクを感じてしまうため、ついつい「世間では・・・」と一般論として間接的に伝えたかったのでしょうが、トップには「あなたは世間知らず」に聞こえているのです。
④トップは仮に少し現場離れしたとしても、もともと現場の重要性を誰よりも分かる人です。 痴呆症にでもかかっていない限り、トップは社員なんかよりずっと世間を知っているはずです。 言いたいことにリスクを感じるならば、「間違ったらお許しください」と前置きしてもいいですから、とにかく自分を主語にして語るのが一番感じがいいのです。』
そういえば昔、「みんなが納得しないだろう」と言う人がいたな~(笑)
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2015.05.24 Sun
人を待たせる
1.5月12日に配信された藤間秋男先生のメルマガから抜粋し、番号を付けて紹介します。
『(1)①わたしは学生時代は遅刻魔だった。 ところが社会人になってから、時間厳守の人間になった。 どうしてだろう。 お金をもらうようになったからなのか。 じつに現金な男である。 今ではわたしは必ず約束の時刻より、十分、二十分早く約束の場所にいっている人間に変貌した。
②開高健さんも柴田錬三郎さんも今東光さんも思い出すに時間にシビアな人たちであった。 だから原稿は締め切りよりいつも早くいただいた。 私も三文豪の顰(ひそ)みに倣(なら)って担当編集者に待たせたことは一度もない。
③約束の場所に早く着いて読みかけの本でも読んでいると、必ず相手は定刻にやってきて「すみません」という。 インタビューするわたしは、それで十分に優位に立つことになる。
④佐々木小次郎を待たせて勝った宮本武蔵がいるが、あれは例外である。 人生はあっという間に過ぎてゆく。 相手を待たせてなんの得があるのか。
⑤人と神の契約説から、欧米人は時間厳守である。 あの忙しい開高文豪はいつも素敵な笑顔をたたえながら三十分前には約束の場所にどっかと座って待っていた。
⑥自由業の身になってから、わたしはほとんど時間に制約を受けなくなった。 朝はいくらでも寝ていられるので、夜は何時まででも読書ができると考えていたのだが、働き者のわたしは朝は八時過ぎに起き、ゆで卵を一個食べて同じマンション同じフロアーにある仕事場《サロン・ド・シマジ》にこもる。
⑦朝九時には原稿を書いている。 朝は脳みそに天使が宿る時間である。 今日も指の先に天使と悪魔が宿ってくれと祈りながら机の前に座っている。 「人を待たせるより、待ったほうがいい」
(『はじめに言葉ありき おわりに言葉ありき』 島地勝彦 著 二見書房)』
(2)①借りをつくる人からは、運が逃げていく。 その逆の、貸しをつくる人は、運がよくなる。
②ただし、貸しはつくっても、その見返りをもとめない人。 「ギブ&テイク」ではなく、「ギブ&ギブ」。
③同様に、待つ人には余裕があるが、人を待たせればそこに負い目が生じる。 だから、待たせる人は、借りをつくる人であり、運が逃げる人。
④「人を待たせるより、待ったほうがいい」 時間厳守の人でありたい。
(hiro-sanさんのブログ「人の心に灯をともす」より)』
2.5月21日に配信された本郷孔洋先生のブログからも抜粋し、番号を付けて紹介します。
『医者「わしが処方した薬はよく効くかな?」
患者「バッチリです。 先生。」
医者「ほんとに効いたのだな?」
患者「ええ、本当です。」
医者「そうか、そういうことなら・・・わしも同じ病気にかかっているから、その薬を飲むことにするか。」
(ジョーク集より)』
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2015.05.10 Sun
歴史を学ぶ
1.先月末の中国出張中、ライフネット生命会長の出口治明さんが書かれた『仕事に効く教養としての「世界史」』(祥伝社)を読みました。 『終わりに』から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①ある生命保険会社に勤務していたとき、子会社への出向を命じられました。 もう二度と、生命保険の世界には戻れないと思い、遺書のつもりで『生命保険入門』(岩波書店)を書き、生命保険への思いを断ち切りました。 けれども、別に自分が不運だとは思いませんでした。
②小さいときから歴史の本を読むのが好きでした。 歴史にはさまざまな人間が登場して、時代や自然災害や流行病などの大波にもまれ、社会のトラブルで傷つきながら、知恵をつけ、戦ったり愛し合ったりしながら、今日まで歩き続けてきた姿が描かれています。
③歴史を見ると、自分の好きな仕事をやって順調に出世するなんて奇跡に近いことです。 昇進人事で敗れたり、左遷されたりすることが、むしろ日常茶飯事です。 しかもそれらは、多くの場合、自分の意欲や能力に関係なく、王様(上司)の巡り会わせや仕事上の思いがけないトラブルなどに起因します。 人生は青写真どおりにはいかない、運や偶然に振り回されて当然なのです。
④遺書を書き、生命保険の世界から離れた僕に、ライフネット生命を立ち上げる話が偶然に舞い込んできました。 人生には、何が起こるかわかりません。 人間万事塞翁が馬、楽あれば苦ありです。
⑤ですから、とりわけ未来のある若い皆さんには、人生の出来事に一喜一憂するのではなく、長いスパンで物事を考え、たくましく生き抜いてほしいと思います。 そのためには、目前の現実ばかりに心を奪われることなく、自分のアンテナを高く広く張りめぐらして勉強してほしい。
⑥そして、今日まで流れ続け、明日へと流れていく大河のような人間の歴史と、そこに語られてきたさまざまな人々の物語や悲喜劇を知ってほしいと思います。 それが人生を生き抜いていく大きな武器になると思うのです。』
2.また、出口さんは『仕事に効く教養としての「世界史」』という書名に関して次のように書かれています。
『歴史を学ぶことが「仕事に効く」のは、仕事をしていくうえでの具体的なノウハウが得られる、といった意味ではありません。 負け戦をニヤリと受け止められるような、骨太の知性を身につけてほしいという思いからでした。 そのことはまた、多少の成功で舞い上がってしまうような幼さを捨ててほしいということでもありました。』
私の読書・テレビ鑑賞の八割は歴史ものです。 今日もこれから幸田露伴の『蒲生氏郷』や『為朝』を読みます。
3.ゾウ
①ゾウのサンドイッチを作るには?・・・ゾウが挟めるパンか、パンに挟めるゾウを用意せよ。
②ゾウの鼻はなぜ長いのか?・・・ゾウの鼻は長くない。 我々の鼻が極端に短いだけである。
③ゾウに選挙権がない理由は?・・・鉛筆がうまく握れないから。
④ゾウが電話を持たないわけは?・・・前足で電話を掛けるにはプッシュボタンが小さすぎるし、送話口を口に向けると受話口が耳に届かない。 おまけに話すには牙が邪魔。 どっちみちジャングルには話題が少ない。
⑤六本木にゾウが出ないわけは?・・・深夜もタクシーがあるので、ターザンが呼ばない。
(ジョーク集より)
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2015.05.03 Sun
1985年 山下対斎藤
30年前の1985年、柔道の全日本選手権で山下泰裕さんが前人未到の9連覇を達成しました。 3年連続となる決勝対決の相手は今年1月に亡くなった斎藤仁さんです。 この時の模様が4月28日の朝日新聞に出ていました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①「世界一決定戦」と呼ばれていた。 前年ロサンゼルス五輪で山下が無差別級で悲願の金メダル。 斎藤も95㎏超級で勝った。 山下は引退がささやかれていた。 「最後の決戦になるかも知れない」 そんな思いが会場を包む。
②10分だった決勝の前半は、予想通り。 ともに左組みから斎藤が大外刈り、大内刈りで追い込む。 過去の対戦は組み負けていたが、この日は先んじる。 初の日本一へ、機は熟したかに見えた。
③4分20秒。 試合は大きく動く。 局面打開を狙った山下が、支え釣り込み足を仕掛けた。 瞬間、斎藤が体を寄せて浴びせた。 「ドタンッ」。 無敵の山下が背中からもんどり打った。
④斎藤が投げたか。 場内が一斉にどよめく。 しかし、主審は「有効」などのポイントは告げなかった。 「山下が自分で技を掛けた腰砕け」と判断したからだ。
⑤斎藤は大会前、指導陣から「2人の差はない。 投げての決着は難しい。 返し技が鍵」と言われ、山下の大外刈りを返す練習を積んでいた。 技は違ったが、タイミングはそのまま。 ポイントはなくても、斎藤はリードを確信した。 しかし、直後にとった行動で、互いの優劣は逆転することになる。
⑥再び正対する前、斎藤が左手を挙げた。 タイムを取り、顔をしかめ、畳に座り込む。 約1分半、右ひざの治療に費やした。 足とともに心を軽くしたかった。 「(優位な)ポイントになったと思い、落ち着かないと、と思った」と後に振り返っている。
⑦一方、この待ち時間は山下に幸運を呼び込んだ。 「助かった。 冷静に戦い方、流れを変える余裕が出来た」。 再開後の後半は攻めに徹する。 大内刈り、内また、大外刈り。 6分過ぎに「指導」がきた斎藤に「技が出ない。 10分は長い」と思わせる猛攻だった。
⑧実は開き直りだけではない勝算が、山下にはあった。 「斎藤が普段は袖を持つ右の引き手で、私の脇をついてきた。 この組手は受けは強いが、思い切った技は掛けられない。 自分も投げるよりも、精神的に重圧をかける感じで先に技を出していけば、相手にミスが出るかもと思った」
⑨結局、技のポイントはないまま試合は判定へ。 副審2人が上げたのは、ともに山下の勝利を示す白旗だった。
⑩副審を務めた元全日本王者、関根忍は鮮明に記憶をよみがえらせる。 「転んだ場面は自滅。 ポイントなし、ということで3人の審判団の見方は一致していた。 後半がイーブンだったら、旗は反対に上げていた」
⑪当時、全柔連強化コーチだった講道館長の上村春樹は「あの頃は体力、気力とも斎藤のほうが上だったと思う。 だが、山下は冷静で存在自体が大きかった。 斎藤にタイムを取らせたのも山下だからこそ。 わずかな差が勝敗を分けた。 全日本は『心・技・体』の勝負の場。 あの決勝は象徴的な試合だった」。』
先日の選手稽古で「局面的に劣勢の場合、戦術をいかに変更するか」という話をしたので、取り上げました。
1985年のこの試合、私は日本武道館で実際に観ています。 当時の状況は感動とともに鮮明に思い出します。 年を取ると、直近のことで思い出せないケースが多くなりますが、古いことは忘れません(笑)
今日は10時からWOWWOWで『フロイド・メイウェザー対マニー・パッキャオ』です。 楽しみだな~(^^)/
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