2014.05.21 Wed
あ~、幸せ
日曜日から中国・煙台に行っていました。 帰りに『遠回りがいちばん遠くまで行ける』(有川真由美著 幻冬舎刊)を読みました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①父は大正生まれで、まるっきりサービス精神というものがない人でした。 プレゼントどころか、お土産すら買うこともなく、家事も一切しない。
②私が、「そんな人、夫にするのは絶対嫌」と言うと、母は笑いながらこう答えました。 「あら。 いてくれるだけでいいのよ。 なんにもいらないわ」 (中略)
③そして、その言葉を再び聞いたのは、30年以上、闘病生活を送っていた父が亡くなったときのこと。 涙を見せることはなく、寂しそうな笑顔で、「いてくれるだけでよかったのにね」。
④たしかに、父は、特別なことはなにもしないけれど、愚痴や不満を言うことはなく、食事をしたり、散歩をしたりするだけで、すぐにご機嫌になる人でした。 幸せになりやすい父と一緒にいた母は、まちがいなく幸せな人だったのでしょう。 (中略)
⑤心の品格のない人は、どれだけあっても足りないと不満を言う人。 心の品格のある人は、いまあるもので幸せになろうとする人なのでしょう。 本当に大切なものは、特別なものではなく、あたりまえにそこに存在しているのです。
⑥そういえば、私も父からプレゼントをもらったことがありません。 でも、父から贈られたものは、かぎりなくあります。 そのひとつが、日常のなかで、「あ~、幸せ」とつぶやくクセ。
⑦忙しいときは、食事をするのも、お茶を飲むのも、お風呂に入るのも、なんの感慨ももたなくなりますが、「幸せ~」とつぶやくだけで、心がこめられて、深くしっかりと味わおうという気分になるのです。
⑧幸せとは、特別な〝状態〟ではなく、毎日の生活のなかから、甘美な〝一瞬〟をとらえて、味わうこと。 大きな幸せが稀(まれ)にあるよりも、小さな幸せが頻繁にあったほうが、幸せ度は高いように思います。
⑨じつは、「あたりまえ」のようにあるものはすべて「奇跡」的に成り立っているもの。 なくしたときに、それが、かけがえのないものだったと気付くはずです。
幸せになろうとするなら、幸せになろうとがんばるより、幸せに気づく感受性を高めたほうがずっと近道なのです。』
『①父は大正生まれで、まるっきりサービス精神というものがない人でした。 プレゼントどころか、お土産すら買うこともなく、家事も一切しない。
②私が、「そんな人、夫にするのは絶対嫌」と言うと、母は笑いながらこう答えました。 「あら。 いてくれるだけでいいのよ。 なんにもいらないわ」 (中略)
③そして、その言葉を再び聞いたのは、30年以上、闘病生活を送っていた父が亡くなったときのこと。 涙を見せることはなく、寂しそうな笑顔で、「いてくれるだけでよかったのにね」。
④たしかに、父は、特別なことはなにもしないけれど、愚痴や不満を言うことはなく、食事をしたり、散歩をしたりするだけで、すぐにご機嫌になる人でした。 幸せになりやすい父と一緒にいた母は、まちがいなく幸せな人だったのでしょう。 (中略)
⑤心の品格のない人は、どれだけあっても足りないと不満を言う人。 心の品格のある人は、いまあるもので幸せになろうとする人なのでしょう。 本当に大切なものは、特別なものではなく、あたりまえにそこに存在しているのです。
⑥そういえば、私も父からプレゼントをもらったことがありません。 でも、父から贈られたものは、かぎりなくあります。 そのひとつが、日常のなかで、「あ~、幸せ」とつぶやくクセ。
⑦忙しいときは、食事をするのも、お茶を飲むのも、お風呂に入るのも、なんの感慨ももたなくなりますが、「幸せ~」とつぶやくだけで、心がこめられて、深くしっかりと味わおうという気分になるのです。
⑧幸せとは、特別な〝状態〟ではなく、毎日の生活のなかから、甘美な〝一瞬〟をとらえて、味わうこと。 大きな幸せが稀(まれ)にあるよりも、小さな幸せが頻繁にあったほうが、幸せ度は高いように思います。
⑨じつは、「あたりまえ」のようにあるものはすべて「奇跡」的に成り立っているもの。 なくしたときに、それが、かけがえのないものだったと気付くはずです。
幸せになろうとするなら、幸せになろうとがんばるより、幸せに気づく感受性を高めたほうがずっと近道なのです。』