2013.10.27 Sun
自由な政治と自由な経済
『らくちんのつれづれ暮らし』というブログの9月29日のテーマは『自由な政治と自由な経済は両立しがたい』でした。
政治と経済の組み合わせには、①権威主義的政治と規制的経済、②権威主義的政治と自由な経済、③自由な政治と規制的経済、④自由な政治と自由な経済、の4種類があります。
内容がやや難しいかもしれませんが、私のブログのタイトルである『私の備忘録』として残しておきたいので、抜粋・補足修正し、番号を付けて紹介します。
『1.中国をみて、自由な経済で成長してくると、政治も自由を求めてくるのは必然であり、いずれ矛盾に直面すると指摘するむきもある。 本当にそうだろうか。
2.「④自由な政治と自由な経済」の組み合わせよりも、「②権威主義的政治と自由な経済」の組み合わせ、「③自由な政治と規制的な経済」の組み合わせの方が、社会として長期間持続しているのではないだろうか。
3.もちろん、「④自由な政治と自由な経済」が、僕は好きだしそうあってほしいと思う。 しかし、古今東西の現実の社会の力学では、それは均衡点になっていないのではないか。
4. 中国の成長を筆頭にして、アジア各国やBRICSなどの新興国の成長期をみていると、「②権威主義的政治と自由な経済」の組み合わせが経済成長に一番効果的にみえる。 長い中国史の中でも、最も経済が成長した宋の時代は、「②権威主義的な政治と自由な経済」の組み合わせだった。 (中略) 多少の権威主義があろうとも安定した政治のもとで、規制を減らし経済的自由を保障してやると、経済というのは成長してくる。
5.こういう社会は、その権威的政治手法が疎まれもするけれども、経済成長の実感が、その体制の支持につながっていく。 国民の大半が成長の果実を実感する限りにおいて、支持が長期間継続し、社会が安定しある種の均衡点になっている。
6.しかし、自由な経済のもとで経済が成長すると、貧富の格差がどうしても拡大して、経済成長が鈍化する。 (中略) 経済成長が鈍化すると、国民からの政治的な支持も衰える。
7.そうすると確かに、大衆による政治的参加の要求が高まり、政治的自由が拡大するにつながる。 (中略) 政治的自由が拡大し、大衆の政治参加が積極的、組織的になるほど、大きな政府となり、むしろ経済上の規制が強化される。 自由な政治を手に入れたと思ったら、すぐに経済の自由を失ってしまい、そこである種の均衡になってしまう。
8.ちなみに、「①権威主義的政治と規制的経済」の組み合わせは、計画経済のソ連や鄧小平以前の中国の例をみると、軍事的には強くても、経済が壊滅する。 こうした「①権威主義的政治と規制的経済」の失敗の例をみて、その対極にある、「④自由な政治と自由な経済」体制に社会は必然的に向かうと、思いがちだ。 僕も漠然とそう思っていた。
9.しかし、よく古今東西の社会をみていると、なかなか「④自由な政治と自由な経済」体制というのは、長期間安定せず、均衡点にみえない。 「②権威主義的政治と自由な経済」という均衡点から、「③自由な政治と規制的経済」という均衡点に移行する途中で、短期間通過するだけだ。
10.ということは、我々が、「④自由な政治と自由な経済」を好むならば、相当な意思をもってリーダーもフォロワーも行動しないと維持できないということになる。 それは、今、欧米も日本も直面している課題ではないだろうか。』
一昨日、朝9時成田発の便で中国・煙台に行って一泊し、昨日は21時成田着です。 東京から直行便がないので韓国・インチョン空港で乗り継ぎし、往復で4回飛行機に乗ります。 さすがに疲れました(笑)
政治と経済の組み合わせには、①権威主義的政治と規制的経済、②権威主義的政治と自由な経済、③自由な政治と規制的経済、④自由な政治と自由な経済、の4種類があります。
内容がやや難しいかもしれませんが、私のブログのタイトルである『私の備忘録』として残しておきたいので、抜粋・補足修正し、番号を付けて紹介します。
『1.中国をみて、自由な経済で成長してくると、政治も自由を求めてくるのは必然であり、いずれ矛盾に直面すると指摘するむきもある。 本当にそうだろうか。
2.「④自由な政治と自由な経済」の組み合わせよりも、「②権威主義的政治と自由な経済」の組み合わせ、「③自由な政治と規制的な経済」の組み合わせの方が、社会として長期間持続しているのではないだろうか。
3.もちろん、「④自由な政治と自由な経済」が、僕は好きだしそうあってほしいと思う。 しかし、古今東西の現実の社会の力学では、それは均衡点になっていないのではないか。
4. 中国の成長を筆頭にして、アジア各国やBRICSなどの新興国の成長期をみていると、「②権威主義的政治と自由な経済」の組み合わせが経済成長に一番効果的にみえる。 長い中国史の中でも、最も経済が成長した宋の時代は、「②権威主義的な政治と自由な経済」の組み合わせだった。 (中略) 多少の権威主義があろうとも安定した政治のもとで、規制を減らし経済的自由を保障してやると、経済というのは成長してくる。
5.こういう社会は、その権威的政治手法が疎まれもするけれども、経済成長の実感が、その体制の支持につながっていく。 国民の大半が成長の果実を実感する限りにおいて、支持が長期間継続し、社会が安定しある種の均衡点になっている。
6.しかし、自由な経済のもとで経済が成長すると、貧富の格差がどうしても拡大して、経済成長が鈍化する。 (中略) 経済成長が鈍化すると、国民からの政治的な支持も衰える。
7.そうすると確かに、大衆による政治的参加の要求が高まり、政治的自由が拡大するにつながる。 (中略) 政治的自由が拡大し、大衆の政治参加が積極的、組織的になるほど、大きな政府となり、むしろ経済上の規制が強化される。 自由な政治を手に入れたと思ったら、すぐに経済の自由を失ってしまい、そこである種の均衡になってしまう。
8.ちなみに、「①権威主義的政治と規制的経済」の組み合わせは、計画経済のソ連や鄧小平以前の中国の例をみると、軍事的には強くても、経済が壊滅する。 こうした「①権威主義的政治と規制的経済」の失敗の例をみて、その対極にある、「④自由な政治と自由な経済」体制に社会は必然的に向かうと、思いがちだ。 僕も漠然とそう思っていた。
9.しかし、よく古今東西の社会をみていると、なかなか「④自由な政治と自由な経済」体制というのは、長期間安定せず、均衡点にみえない。 「②権威主義的政治と自由な経済」という均衡点から、「③自由な政治と規制的経済」という均衡点に移行する途中で、短期間通過するだけだ。
10.ということは、我々が、「④自由な政治と自由な経済」を好むならば、相当な意思をもってリーダーもフォロワーも行動しないと維持できないということになる。 それは、今、欧米も日本も直面している課題ではないだろうか。』
一昨日、朝9時成田発の便で中国・煙台に行って一泊し、昨日は21時成田着です。 東京から直行便がないので韓国・インチョン空港で乗り継ぎし、往復で4回飛行機に乗ります。 さすがに疲れました(笑)