2013.03.28 Thu
加藤誠三朗さん
経営者の方が書かれた本を三冊読みました。
1.『熱意力闘』(潮田健次郎著 日本経済新聞社)
潮田さんは住生活グループの創業者です。 長男で現在の代表執行役会長・潮田洋一郎さんが書かれている第Ⅲ部「父、潮田健次郎を語る」から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①最晩年の介護にあたってくれた妹の話では、ある時父が「私は怖いんだよ。 すべてがなくなりそうで。 だから時々、激しい言葉がでてしまう」と謝りながら語ったそうだ。
②事業における脇の堅さは、人一倍の恐怖心の強さが為せるわざだったようにも思う。 恐怖心が強いことは創業者にとって多分美質だろう。
③そのために、徹底的に考える。 朝令暮改などは日常茶飯事で、会社の幹部一同よくそれに振り回された。』
2.『運をつかむ技術』(澤田秀雄著 小学館)
澤田さんはHISの会長です。 第4章中の『「運の悪い人」実験』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①私は運の悪い人、悪い気を持つ人に近づくなと言っているが、自分に余裕があるときには、そうした人たちを助けたい、チャンスをあげたいと思うこともある。
②と同時に、陰陽の考えに基づいて、ちょっと調子が良すぎるときにスピードを調整するため、あえて倒産を経験した元経営者など、あまり元気のない人たちを自分の周りに配した。 言葉は悪いが、ある意味、運についての実験の意味も持っていた。
③結果としては、やはり私の運はかなり落ちた。 実はその最後に招いたのが、ライブドア事件の大混乱だった。』
3.『経営者が欲しい、本当の人材』(加藤友康著 ワニブックス新書)
加藤さんは「つるとんたん」で有名なカトープレジャーグループ代表取締役兼CEOです。 第四章中の『「できません」をいわない社風』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①私は大学を卒業するとすぐに代表者になり、弟は主任という立場で事業を再スタートさせました。 その様は、他人からは異常に思われたかも知れません。 弟を完全に部下として扱い、怒鳴りつける。 弟はそれに耐え、必ず「やります」と答える。
②普通の兄弟であれば、「兄貴。ふざけるなよ」といった文句が出てもおかしくないのに、彼はそういうことを一切いいませんでした。 今も私を「兄貴」と呼ぶことはありません。 そういう特殊な生き方をお互いに約束をして、やってきたわけです。
③のちに人づてに聞いたのですが、「自分は兄弟という立場を捨て、兄を立てて生きることを決断した。 だから彼の前では『できません』とは絶対にいわないようにする」と語っていたそうです。』
毎年大阪で行われる全日本ウェイト制大会の前日、加藤社長に「つるとんたん」でご馳走していただくようになって10年以上が経ちます。 数年前のその席で弟の誠三朗さんとなぜか冷酒の一気飲みをしてしまい、千鳥足で帰ったことを思い出しました(恥)。
1.『熱意力闘』(潮田健次郎著 日本経済新聞社)
潮田さんは住生活グループの創業者です。 長男で現在の代表執行役会長・潮田洋一郎さんが書かれている第Ⅲ部「父、潮田健次郎を語る」から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①最晩年の介護にあたってくれた妹の話では、ある時父が「私は怖いんだよ。 すべてがなくなりそうで。 だから時々、激しい言葉がでてしまう」と謝りながら語ったそうだ。
②事業における脇の堅さは、人一倍の恐怖心の強さが為せるわざだったようにも思う。 恐怖心が強いことは創業者にとって多分美質だろう。
③そのために、徹底的に考える。 朝令暮改などは日常茶飯事で、会社の幹部一同よくそれに振り回された。』
2.『運をつかむ技術』(澤田秀雄著 小学館)
澤田さんはHISの会長です。 第4章中の『「運の悪い人」実験』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①私は運の悪い人、悪い気を持つ人に近づくなと言っているが、自分に余裕があるときには、そうした人たちを助けたい、チャンスをあげたいと思うこともある。
②と同時に、陰陽の考えに基づいて、ちょっと調子が良すぎるときにスピードを調整するため、あえて倒産を経験した元経営者など、あまり元気のない人たちを自分の周りに配した。 言葉は悪いが、ある意味、運についての実験の意味も持っていた。
③結果としては、やはり私の運はかなり落ちた。 実はその最後に招いたのが、ライブドア事件の大混乱だった。』
3.『経営者が欲しい、本当の人材』(加藤友康著 ワニブックス新書)
加藤さんは「つるとんたん」で有名なカトープレジャーグループ代表取締役兼CEOです。 第四章中の『「できません」をいわない社風』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①私は大学を卒業するとすぐに代表者になり、弟は主任という立場で事業を再スタートさせました。 その様は、他人からは異常に思われたかも知れません。 弟を完全に部下として扱い、怒鳴りつける。 弟はそれに耐え、必ず「やります」と答える。
②普通の兄弟であれば、「兄貴。ふざけるなよ」といった文句が出てもおかしくないのに、彼はそういうことを一切いいませんでした。 今も私を「兄貴」と呼ぶことはありません。 そういう特殊な生き方をお互いに約束をして、やってきたわけです。
③のちに人づてに聞いたのですが、「自分は兄弟という立場を捨て、兄を立てて生きることを決断した。 だから彼の前では『できません』とは絶対にいわないようにする」と語っていたそうです。』
毎年大阪で行われる全日本ウェイト制大会の前日、加藤社長に「つるとんたん」でご馳走していただくようになって10年以上が経ちます。 数年前のその席で弟の誠三朗さんとなぜか冷酒の一気飲みをしてしまい、千鳥足で帰ったことを思い出しました(恥)。