2012.04.27 Fri
占い人生論
1.『占い人生論』(高木彬光著 東洋書院)を読みました。 巻末の著者紹介には『1920~1995年。 旧制一校・京都大学工学部卒。 太平洋戦争後、二人の占い師に勧められ、処女作『刺青殺人事件』を書きあげ、江戸川乱歩氏に認められて推理作家の第一線を歩むことになった。』とあります。 本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①「占い」を数えあげていくと・・・手相、人相、骨相、家相、方位、トランプ占い、周易、断易、そろばん易・・・60種類ぐらい数えられる。
②こういう占法のすべてに通じるということは、専門家にさえ出来ない相談なのである。 たいていは、自分の特技を一つ持ち、そのほかに、二つ三つの占法をきわめて、ときにそれを併用するというところだろう。
③「占い」を大きく分けると、「易」と「相」である。 「相」というのは、また「人相」とか「手相」とか「家相」とか、おのおのの種類にわけられるが、これを要約していうならば、形にあらわれ、五感で認識できるものから、運命を読みとろうという方法なのだ。
④「易」というのは、要するに、未発無形の運気を読みとる方法なのだ。 これほど、占い師の実力がはっきりあらわれる方法はない。 いくつかの簡便法はあるが、原則として、易占には二つの道具が使われる。 50本の筮竹(ぜいちく)と六個の算木(さんぎ)とがそれである。
⑤私は占者の技量が、易占におけるほどはっきりあらわれるものはないというのである。 平凡な易者は、こういう卦が出ればこうだと、易の解説書に書いてあることしか読みとれない。 しかし、名人達人になると、この一つの象徴の中から、ありとあらゆる変化を読みとるのだ。
⑥ほかに、透視術とか、霊感占いとかいう方法があるが、これについては、私は多くを語ることが出来ない。
⑦もちろん、占い師というものは、多少の差こそあれ、霊感というものは、持ちあわせているのが当然なのだ。 そのうち、とくにそれを強調しているのが、霊感者という人々なのだが、これも一般の占い師とおなじように、玉石混淆なのだろう。
⑧私が霊感者という人々何人かに会った印象では、これこそあたりはずれが甚だしいのだ。 たよるべき何の法則もなく、ただ自分自身の感覚だけをたよりに、判断を下すのだから、自然そういうことになるのだろうが、私としては、相手が神様のような存在でないかぎり、その託宣にたよってことを決しようという気はない。 この種の感覚だけによる判断は占いの大道とはいいきれないように思う。
⑨「易」と「相」・・・これは占いの道における大道である。 そのほかに、四柱推命学という恐ろしい秘法もあるが、この秘法も完全に駆使するためには、易の基本的な知識がなければ出来ないのだ。
⑩易学という学問は、刀のようなものなのだ。 その使い手によって、正宗のような切れ味も発揮し、菜切り包丁程度の切れ味しか発揮しないおそれもある。 その腕に自信のないお方には、私はむしろ四柱推命学をおすすめしたい。
⑪これも、ある意味では、難解きわまる学問である。 ただこれがすぐれている点は、誰にでもある程度までは、ほとんど機械的に、方程式を解くように、解決できることなのだ。』
2.本書でも取り上げられている易聖・高島嘉右衛門の波乱万丈の生涯を描いた『「横浜」をつくった男』(高木彬光著 光文社文庫)も併せて読みました。
3.昨日、上海から帰ってきました。 4月26日でしたから大山総裁の命日です。 もう18年ですね。
4.羽田空港に着いて携帯のiチャネルで初めて小沢一郎先生の無罪を知りました。 トモちゃんおめでと~! 久しぶりの内輪ネタです(笑)
5.①片方のヘビが、もう一匹のヘビにこう聞いた。
「なぁ、俺たち毒ヘビだよな?」
「それがどうかしたか?」
「いやぁ舌かんじゃって・・・」
②「あの、表につないである犬の飼い主はあなたですか?」
「そうだが?」
「すみません、私の犬が、あなたの犬を殺してしまいました」
「えっ! あのライオンのように強く牛のように大きなボクサー犬を? あんたの犬はいったいどんな犬なんだ?」
「チワワです」
「えっ! チワワ? いったいどうやって殺したんだ!?」
「あなたの犬が、私の犬を喉に詰まらせたんです」
①②とも本郷孔洋先生のメルマガからのパクリです(笑)
『①「占い」を数えあげていくと・・・手相、人相、骨相、家相、方位、トランプ占い、周易、断易、そろばん易・・・60種類ぐらい数えられる。
②こういう占法のすべてに通じるということは、専門家にさえ出来ない相談なのである。 たいていは、自分の特技を一つ持ち、そのほかに、二つ三つの占法をきわめて、ときにそれを併用するというところだろう。
③「占い」を大きく分けると、「易」と「相」である。 「相」というのは、また「人相」とか「手相」とか「家相」とか、おのおのの種類にわけられるが、これを要約していうならば、形にあらわれ、五感で認識できるものから、運命を読みとろうという方法なのだ。
④「易」というのは、要するに、未発無形の運気を読みとる方法なのだ。 これほど、占い師の実力がはっきりあらわれる方法はない。 いくつかの簡便法はあるが、原則として、易占には二つの道具が使われる。 50本の筮竹(ぜいちく)と六個の算木(さんぎ)とがそれである。
⑤私は占者の技量が、易占におけるほどはっきりあらわれるものはないというのである。 平凡な易者は、こういう卦が出ればこうだと、易の解説書に書いてあることしか読みとれない。 しかし、名人達人になると、この一つの象徴の中から、ありとあらゆる変化を読みとるのだ。
⑥ほかに、透視術とか、霊感占いとかいう方法があるが、これについては、私は多くを語ることが出来ない。
⑦もちろん、占い師というものは、多少の差こそあれ、霊感というものは、持ちあわせているのが当然なのだ。 そのうち、とくにそれを強調しているのが、霊感者という人々なのだが、これも一般の占い師とおなじように、玉石混淆なのだろう。
⑧私が霊感者という人々何人かに会った印象では、これこそあたりはずれが甚だしいのだ。 たよるべき何の法則もなく、ただ自分自身の感覚だけをたよりに、判断を下すのだから、自然そういうことになるのだろうが、私としては、相手が神様のような存在でないかぎり、その託宣にたよってことを決しようという気はない。 この種の感覚だけによる判断は占いの大道とはいいきれないように思う。
⑨「易」と「相」・・・これは占いの道における大道である。 そのほかに、四柱推命学という恐ろしい秘法もあるが、この秘法も完全に駆使するためには、易の基本的な知識がなければ出来ないのだ。
⑩易学という学問は、刀のようなものなのだ。 その使い手によって、正宗のような切れ味も発揮し、菜切り包丁程度の切れ味しか発揮しないおそれもある。 その腕に自信のないお方には、私はむしろ四柱推命学をおすすめしたい。
⑪これも、ある意味では、難解きわまる学問である。 ただこれがすぐれている点は、誰にでもある程度までは、ほとんど機械的に、方程式を解くように、解決できることなのだ。』
2.本書でも取り上げられている易聖・高島嘉右衛門の波乱万丈の生涯を描いた『「横浜」をつくった男』(高木彬光著 光文社文庫)も併せて読みました。
3.昨日、上海から帰ってきました。 4月26日でしたから大山総裁の命日です。 もう18年ですね。
4.羽田空港に着いて携帯のiチャネルで初めて小沢一郎先生の無罪を知りました。 トモちゃんおめでと~! 久しぶりの内輪ネタです(笑)
5.①片方のヘビが、もう一匹のヘビにこう聞いた。
「なぁ、俺たち毒ヘビだよな?」
「それがどうかしたか?」
「いやぁ舌かんじゃって・・・」
②「あの、表につないである犬の飼い主はあなたですか?」
「そうだが?」
「すみません、私の犬が、あなたの犬を殺してしまいました」
「えっ! あのライオンのように強く牛のように大きなボクサー犬を? あんたの犬はいったいどんな犬なんだ?」
「チワワです」
「えっ! チワワ? いったいどうやって殺したんだ!?」
「あなたの犬が、私の犬を喉に詰まらせたんです」
①②とも本郷孔洋先生のメルマガからのパクリです(笑)