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2011.12.27 Tue
ハエとゾウと犬
『1.①とある男がハエに芸を仕込んだ。 そのハエは賢く、ありとあらゆる芸を覚え、一攫千金も確実と思われた。
②男はハエを見せるために、とある酒場へ向かい、マスターの前でハエの芸を見せる事にした。
③「おい、マスター。 このハエをみな」
④マスターはハエを見ると「おっと、すみませんね旦那」
⑤…とたたきつぶした。
2.①ゾウのサンドイッチを作るには?・・・ゾウが挟めるパンか、パンに挟めるゾウを用意せよ。
②ゾウの鼻はなぜ長いのか?・・・ゾウの鼻は長くない。 我々の鼻が極端に短いだけである。
③ゾウに選挙権がない理由は?・・・鉛筆がうまく握れないから。
④ゾウが電話を持たないわけは?・・・前足で電話を掛けるにはダイヤルが小さすぎるし、送話口を口に向けると受話口が耳に届かない。 おまけに話すには牙が邪魔。 どっちみちジャングルには話題が少ない。
⑤六本木にゾウが出ないわけは?・・・深夜もタクシーがあるので、ターザンが呼ばない。
3.①交番に一人の女性がやってきて言った。 「犬のジョンがいなくなったんですが」
②「張り紙をだしたらどうでしょうか」とおまわりさんは言った。
③「ええ、そうも思ったんですがジョンは字が読めないんですよ」』
(ネットで検索したジョーク集より)
今年最後のブログです。 動物ジョークですみません(恥)。
良かったことも悪かったことも、一年前には想像もしなかったことがたくさん起こった年でした。
その一年を漢字一文字であらわすこと・・・『今年の漢字』・・・が最近はやっています 。
私の『今年の漢字』は『変』です。
『変』を大辞林で調べてみました。・・・『かえる。 かわる。 うつりかわり。 「変位・変易・変化・変幻・変更・変色・変心・変身・変節・変遷・変装・変調・変転・変動・激変・大変・転変」』
『変』の結果が来年どう出るか、楽しみです。
今年も多くの方々に支えられて無事に年越しを迎えることができました。
皆さんにとって素晴らしい一年となりますよう祈っています。
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2011.12.20 Tue
伊集院静さん『理不尽』
読書が唯一の趣味です。 10代の頃は空手も趣味だったのですが、今は職業になりました。 どんな本を買うかは、ほとんど新聞(朝日・日経)の出版広告を見て決めます。 先日、朝刊に『続・大人の流儀』(伊集院静著 講談社刊)の広告が載っていました。 紹介されている二つの文章に惹かれました。
①「世の中の肌触りを覚えるには、理不尽と出逢うのがいい。 ひとつひとつを乗り越えていけば、笑い話にさえなる。」
②「不幸の底にある者と幸福の絶頂にある者が隣り合せて路上に立つことが日常起こる。 だから大人はハシャグナというのだ。」
①②とも、本書では「雪」と「月」という章の扉に書かれていて、本文中に内容が記述されています。 ①に関する記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①甥っ子が社会に出る時、その母親から「社会人になるにあたって何か一言息子に助言して欲しい」と言われた。
②神妙な顔をして甥っ子はやって来た。 「世の中は白いものを黒いと言う人がいる。 それを覚えておきなさい」 甥っ子はきょとんとしていた。
③「理不尽ということは知っていますか」 「間違っていることでしょう」 「少し違う。 理不尽というのは道理を尽くさないことだ。 そこから、道理に合わないことを意味するようになった。 無理無体と言うだろう。 あれだ」
④「皆が見て、白いものは道理として白い。 それを黒いと言い、君に黒だと言わせる。 それが理不尽だ」 「それ、おかしいでしょう」 「たしかにおかしいが、理不尽があるということを覚えておくことだ」 (中略)
⑤世の中の肌ざわりを覚えるには、理不尽と出逢うのがいい。 職場の中に、得意先の中に、理不尽を絵に描いたような人がいることは、不幸に見えて実は幸いなことだ。
⑥「無理なことを言ってきやがったな」 「無体なことをさせやがるな」 その時はそう感じても、ひとつひとつを乗り越えていけば、笑い話にさえなる』
今まで見聞きした経験から、「理不尽なこともグッと飲み込んで生きていくのが人生だ」と思っています。 先日も娘にその話をしたばかりです。
早いもので、あと10日ちょっとで新年です。 今年もいろいろなことがあったな~(笑)。
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2011.12.14 Wed
ねこ背は治る
最近、カミさんに「姿勢が悪いよ」とよく言われます。 そこで『ねこ背は治る』(小池義孝著 自由国民社刊)という本を読みました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①胸を張って、背筋はピンと綺麗に伸びている姿勢を「良い姿勢」だと思っている人がほとんどです。 私も子供の頃、嫌というほど、この姿勢をしつけられました。 けれどもこの格好は、強く意識している時にはよいのですが、少しでも気を緩めると元に戻ってしまいます。
②また姿勢が悪くなってしまう原因を、筋肉が衰えているからだと主張する人もいます。 けれどもこの考え方には、私は反対です。 極端な運動不足、病的に筋肉が弱っているレベルでなければ、そんなケースにはなりません。
③結局は、無理に背筋を伸ばす解決方法が、そもそもの間違いです。 この間違いから抜け出せれば、その時から矯正ベルトもジム通いも要らなくなります。 正解を知れば、姿勢の改善は一瞬です。
④寝ている時には、ねこ背にはなりません。 もう一つ、ねこ背にならない状態があります。 それは膝立ちをしているときです。 膝立ちは無条件に、大腿骨で身体を支える姿勢を作ります。
⑤大腿骨に上手に乗れば、人間は良い姿勢に楽に到達できます。 良い姿勢とは、このように、骨が自然と立っている状態を指します。 決して無理に背筋を伸ばして、強引に作るものではありません。
⑥大腿骨に乗るためには、つながるスネの骨に乗らなければなりません。 スネの骨は二本ありますが、乗るのはもちろん、内側の太い方の骨です。 少し内側に絞るイメージになります。 この時に、スネの太い骨に乗る意識を強く持ってください。
⑦ねこ背になる本当の原因は、正しく骨に乗れていないからです。 ねこ背になる時の重心は、正しい位置よりもつま先側に寄っています。
⑧ねこ背は「結果」ではありません。 足の裏の間違った重心のせいで、倒れそうになる身体を修正する「手段」です。
⑨「つま先に寄る」と言っても、本当に指先に体重を乗せている人はいません。 多くのねこ背の人は、足の裏の中心あたりで立っています。
⑩スネの太い骨の位置と、足の裏の中心とでは、距離としては近いように見えます。 しかし、明らかに、この二つは違うものです。』
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2011.12.09 Fri
木村政彦先生
先週と今週の中国出張中、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(増田俊也著 新潮社刊)を読みました。
1.ウィキペディアで本書を検索しました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①昭和12年から全日本柔道選手権を13年連続で保持、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」「鬼の木村」と讃えられ、15年間不敗のままプロに転向した史上最強の柔道家木村政彦の生涯を、取材執筆に15年以上かけて追っている。
②柔道経験者である作家、増田俊也が、尊敬する柔道家木村政彦の名誉を回復するために、昭和29年(1954年)12月22日に行われたあの木村政彦VS力道山(いわゆる「昭和の巌流島」決戦)の真相を追う。
③力道山との「昭和の巌流島」決戦では引き分けの約束ができていたが、力道山が突然ブック(プロレスの試合進行の台本)を破り、力道山の張り手連打で木村は血まみれになってKOされてしまった。
④試合翌日の新聞はどれも1面トップでこの血の惨劇を報じた。 全国民の前で恥をかかされた木村は、柔道の現役時代に天皇から下賜された短刀を手に力道山を刺し殺すために付け狙うが、結局はそれを思いとどまる。
⑤柔道時代に培った名誉をけがされながら力道山を刺し殺して決着を着けず、苦しみ抜いて後半生を生き続けた木村政彦、木村を蹴落として国民的スターに登り詰めながらその絶頂期の昭和38年(1963年)に喧嘩で刺し殺された力道山。
⑥木村政彦の生涯を追う過程で明治期から大正、昭和、平成にかけての柔道史と、世界の総合格闘技史、空手史、合気道史、ブラジリアン柔術史、プロレス史など、あらゆる格闘技史を貫くストーリーとなっている。』
2.晩年の木村先生と奥様の斗美さんに関する記述から抜粋して紹介します。
『妻斗美は絶対に力道山戦のことには触れないようにしていた。 妻として、ずっと木村の苦しみを側で見続けていた。
(大腸がん手術の)リハビリのために、夫婦で毎日散歩をした。
ある日のことだ。
いつものように二人で堤防を歩いていると、木村が「これでよかったよね」とぽつりと言った。
見ると、木村は泣いていた。
「これでよかったよね・・・・・・」木村がまた言った。
涙はあふれ続け、頬を伝って落ちていく。
長く苦しい木村の後半生をずっと近くで見てきた斗美は黙ってうなづいた。 「力道山を殺す」と言って短刀を手にしたときから、ずっとその煉獄(れんごく)の苦しみを見てきたのだ。』
701ページ・二段組みの大著ですが、木村先生全盛時の猛稽古、ブラジルでのエリオ・グレイシーとの戦い、若き日の大山倍達総裁との交流など興味深い記述が沢山あります。 一読をお勧めします。
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