2011.11.26 Sat
内田樹先生『学びと勇気』
神戸女学院大学名誉教授・内田樹先生のブログ『内田樹の研究室』(11月24日)に『学力とは何か』という項がありました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①今の日本の子供たちは劇的に学力が低下しています。 それは僕も認めます。 でも、その人たちの言っている「学力」と僕が言っている「学力」はたぶん全く別のことです。 彼らが「学力」と読んでいるのは、単に成績のこと、点数のことです。 (中略)
②でも、問題はそのことではないんです。 成績が下がっていることより「学ぶ力」が劣化していることが問題なんです。 学ぶ力とは何か。 乾いたスポンジが水を吸うように、自分が有用だと思う知識や技術や情報をどんどん貪欲に吸い込んで、自分自身の生きる知恵と力を高めていって、共同体を支え得るだけの公民的成熟を果たすこと。 それを「学ぶ力」という。 僕はそう理解しています。
③学力を構成する条件の第一は自分自身の無知、非力についての強い不全感、不満足感。 (中略) どれほど試験の成績がよくても、「オレは必要なことは全部もう知っているので、これ以上学ぶべきことはない」と豪語する子供がいたら、その子にはもう「学ぶ力」がない。 その理屈はおわかりになるでしょう。
④第二番目は、誰が私のこの不全感を埋めてくれるのか、それを探しあてる力。 「メンター(導き手)」、自分を導いてくれる人、それを見当てる力です。 本当に強い不全感を持っている子供は必ず「この人について行けば大丈夫」、この人なら、本当に自分が何をしたいかを教えてくれるという直感が働きます。
⑤先ごろ亡くなったスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチがあります。 半生を振り返って得た結論が、一番大事なことは、「あなたの心と直感に従う勇気を持つことだ」(the courage to follow your heart and intuition)と。 どうしてかというと、ここが素晴らしいんですが、「あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいかを知っているからである(they somehow know what you truely want to become)」。
⑥これを僕は本当に素晴らしい言葉だと思いました。 僕の言う二番目の学力というのはこれのことです。 「勇気」です。 こういうことを勉強すると、これこれこういういいことがある、この知識や技能や資格や免状はこういうふうにあなたの利益を増大させる、というような情報に耳を貸すな、とジョブズは言っているんです。
⑦だって、まわりの人が「これを勉強しろ。 これを勉強すると得をするぞ」と言い立てている通りに勉強するなら、勇気なんか要りませんから。 勇気が要るのは、「そんなことをしてなんの役に立つんだ」とまわりが責め立てて来るからです。
⑧それに対して本人は有効な反論ができない。 でも、これがやりたい。 これを学びたい。 この先生についてゆきたい。 そう切実に思う。 だから、それを周囲の反対や無理解に抗して実行するためには勇気が要る。 自分の心の声と直感を信じる勇気が要る。 (中略)
⑨そのときには、いったい将来自分がどんな職業に就くことになり、今習っているこのことがどんなかたちで実を結ぶか、予測できなかった。 でも、10年後に振り返ってみたら、そこにははっきりとして線が結ばれていた。 ジョブズはこれを「点を結ぶ」(connection the dots)という言い方で表現しています。
⑩僕たちは「何となく」あることがしたくなり、あることを避けたく思う。 その理由をそのときは言えない。 でも、何年か何十年か経って振り返ると、それらの選択には必然性があることがわかる。 それが「点」なんです。 自分がこれからどういう点を結んで線を作ることになるのか、事前には言えない。 「点を結ぶ」ことができるのは、後から、回顧的に自分の人生を振り返ったときだけなんです。
⑪「学び」というのは、なんだか分からないけど、この人についていったら「自分がほんとうにやりたいこと」に行き当たりそうな気がするという直感に従うというかたちでしか始まらない。 ただし、この導き手、メンターというのは実にさまざまなありようをする。 必ずしも生涯にわたって弟子に敬愛される恩師というわけではない。
⑫道を教える役割ですから、場合によっては、会って次の角まで連れて行って終わりということだってある。 でも、この人がいなかったらその次はなかった。 やっぱり、必要不可欠のメンターではあったのです。 その出会いを後から振り返ると、みごとに「点がつながって線になっている」。 ジョブズの言うconnectiong the dots です。
⑬学びの始点においては自分が何をしたいのか、何になりたいのかはわからない。 学んだあとに、事後的・回顧的にしか自分がしたことの意味は分からない。 それが成長するということなんです。
⑭成長する前に「僕はこれこれこういうプロセスを踏んで、これだけ成長しようと思います」という子供がいたら、その子には成長するチャンスがない。 というのは、「成長する」ということは、それまで自分が知らなかった度量衡で自分のしたことの意味や価値を考量し、それまで自分が知らなかったロジックで自分の行動を説明することができるようになるということだからです。
⑮だから、あらかじめ、「僕はこんなふうに成長する予定です」というようなことは言えるはずがない。 学びというのはつねにそういうふうに、未来に向けて身を投じる勇気を要する営みなんです。』
大学2年・茶帯のとき、このまま空手を続けるか国家試験の勉強を取るかで悩んだことがありました。 父親に「空手なんかやっていて将来どうするんだ。 勉強に専念しろ。」と言われたことが思い出されます。
明日は昇級審査会、来週・再来週は中国です。
『①今の日本の子供たちは劇的に学力が低下しています。 それは僕も認めます。 でも、その人たちの言っている「学力」と僕が言っている「学力」はたぶん全く別のことです。 彼らが「学力」と読んでいるのは、単に成績のこと、点数のことです。 (中略)
②でも、問題はそのことではないんです。 成績が下がっていることより「学ぶ力」が劣化していることが問題なんです。 学ぶ力とは何か。 乾いたスポンジが水を吸うように、自分が有用だと思う知識や技術や情報をどんどん貪欲に吸い込んで、自分自身の生きる知恵と力を高めていって、共同体を支え得るだけの公民的成熟を果たすこと。 それを「学ぶ力」という。 僕はそう理解しています。
③学力を構成する条件の第一は自分自身の無知、非力についての強い不全感、不満足感。 (中略) どれほど試験の成績がよくても、「オレは必要なことは全部もう知っているので、これ以上学ぶべきことはない」と豪語する子供がいたら、その子にはもう「学ぶ力」がない。 その理屈はおわかりになるでしょう。
④第二番目は、誰が私のこの不全感を埋めてくれるのか、それを探しあてる力。 「メンター(導き手)」、自分を導いてくれる人、それを見当てる力です。 本当に強い不全感を持っている子供は必ず「この人について行けば大丈夫」、この人なら、本当に自分が何をしたいかを教えてくれるという直感が働きます。
⑤先ごろ亡くなったスティーブ・ジョブズのスタンフォード大学の卒業式での有名なスピーチがあります。 半生を振り返って得た結論が、一番大事なことは、「あなたの心と直感に従う勇気を持つことだ」(the courage to follow your heart and intuition)と。 どうしてかというと、ここが素晴らしいんですが、「あなたの心と直感は、あなたが本当は何になりたいかを知っているからである(they somehow know what you truely want to become)」。
⑥これを僕は本当に素晴らしい言葉だと思いました。 僕の言う二番目の学力というのはこれのことです。 「勇気」です。 こういうことを勉強すると、これこれこういういいことがある、この知識や技能や資格や免状はこういうふうにあなたの利益を増大させる、というような情報に耳を貸すな、とジョブズは言っているんです。
⑦だって、まわりの人が「これを勉強しろ。 これを勉強すると得をするぞ」と言い立てている通りに勉強するなら、勇気なんか要りませんから。 勇気が要るのは、「そんなことをしてなんの役に立つんだ」とまわりが責め立てて来るからです。
⑧それに対して本人は有効な反論ができない。 でも、これがやりたい。 これを学びたい。 この先生についてゆきたい。 そう切実に思う。 だから、それを周囲の反対や無理解に抗して実行するためには勇気が要る。 自分の心の声と直感を信じる勇気が要る。 (中略)
⑨そのときには、いったい将来自分がどんな職業に就くことになり、今習っているこのことがどんなかたちで実を結ぶか、予測できなかった。 でも、10年後に振り返ってみたら、そこにははっきりとして線が結ばれていた。 ジョブズはこれを「点を結ぶ」(connection the dots)という言い方で表現しています。
⑩僕たちは「何となく」あることがしたくなり、あることを避けたく思う。 その理由をそのときは言えない。 でも、何年か何十年か経って振り返ると、それらの選択には必然性があることがわかる。 それが「点」なんです。 自分がこれからどういう点を結んで線を作ることになるのか、事前には言えない。 「点を結ぶ」ことができるのは、後から、回顧的に自分の人生を振り返ったときだけなんです。
⑪「学び」というのは、なんだか分からないけど、この人についていったら「自分がほんとうにやりたいこと」に行き当たりそうな気がするという直感に従うというかたちでしか始まらない。 ただし、この導き手、メンターというのは実にさまざまなありようをする。 必ずしも生涯にわたって弟子に敬愛される恩師というわけではない。
⑫道を教える役割ですから、場合によっては、会って次の角まで連れて行って終わりということだってある。 でも、この人がいなかったらその次はなかった。 やっぱり、必要不可欠のメンターではあったのです。 その出会いを後から振り返ると、みごとに「点がつながって線になっている」。 ジョブズの言うconnectiong the dots です。
⑬学びの始点においては自分が何をしたいのか、何になりたいのかはわからない。 学んだあとに、事後的・回顧的にしか自分がしたことの意味は分からない。 それが成長するということなんです。
⑭成長する前に「僕はこれこれこういうプロセスを踏んで、これだけ成長しようと思います」という子供がいたら、その子には成長するチャンスがない。 というのは、「成長する」ということは、それまで自分が知らなかった度量衡で自分のしたことの意味や価値を考量し、それまで自分が知らなかったロジックで自分の行動を説明することができるようになるということだからです。
⑮だから、あらかじめ、「僕はこんなふうに成長する予定です」というようなことは言えるはずがない。 学びというのはつねにそういうふうに、未来に向けて身を投じる勇気を要する営みなんです。』
大学2年・茶帯のとき、このまま空手を続けるか国家試験の勉強を取るかで悩んだことがありました。 父親に「空手なんかやっていて将来どうするんだ。 勉強に専念しろ。」と言われたことが思い出されます。
明日は昇級審査会、来週・再来週は中国です。