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2011年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2011年06月

瀬戸雄三さん『お辞儀』

日経新聞朝刊の連載『私の履歴書』は1ヶ月毎に執筆者が代わります。  今日が最終回の5月分はアサヒビール元会長・瀬戸雄三さんが書かれていました。  5月13日分を抜粋し、番号を付けて紹介します。  タイトルは『お辞儀』です。

『①このような新人も少しずつ成長する。  (中略)  アサヒ絶頂の時代だから造れば造るほど売れる時代。

②150年の歴史をもつお店での出来事だ。  3度目の訪問のとき、ご主人が「あんさんのお辞儀は心がこもってまへんで」とやんわり言われた。  「白鶴酒造の神足(こうたり)さんを訪ねてみなはれ」という。

③ドアをあけたら神足さんがにっこり笑って「瀬戸はん、おいでやす」。  両手を膝頭にあて、ゆっくりと頭をさげて迎えてくださった。  全身に電気が走った。  自分のお辞儀は形だけだったのだ。  (中略)

④後年、営業部長時代、北陸にある食品問屋のカナカンを訪ね辞去する際、社長さんが2階の事務所から1階まで降りてきて、我々の車が見えなくなるまで見送りをされ、感動した。

⑤「ビジネスは挨拶に始まり挨拶に終わる。  特に余韻が大事なのだ」。  自分でも胆に銘じ実践してきたし部下にもそう教えてきた。  

⑥お見送りの際、エレベーターの扉がちゃんと閉じるまで、足を動かしてはならない。  受話器はお客様より先にこちらが置いてはならない。  

⑦言いだせばキリがない。  今でも挨拶をするとき、色々な教えを思い出し心を込めて頭を下げる。』

中華料理は青島(チンタオ)ビール、イタリアンはイタリアンビール(ナストロ・アズーロ、モレッティ、メッシーナ)ですが、それ以外はもっぱらアサヒ・スーパードライを飲んでいます。

瀬戸さんの入社が1953年で私が生まれた年です。  私が会社を創業した1987年にスーパードライが発売されました。 1992年から99年まで瀬戸さんは社長を務められました。  2001年、アサヒビールはビール類(当時はビールと発泡酒が該当)シェアにおいてキリンビールを抜き首位に返り咲きました。  瀬戸さんが入社した1953年以来じつに48年ぶりの快挙です。

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203高地と魔都・上海

17日(火)から22日(日)まで仕事で中国に行ってきました。  宿泊は17日・大連、18日・青島、19日・上海、20日・蘇州、21日・上海です。  大連旅順の203高地と上海について書いてみます。

1.203高地
17日の夕食前に203高地を案内していただきました。  海抜203メートルにあることから名付けられたそうです。  旅行ガイドブックから抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1904年、日露戦争が始まると、ロシア軍の基地(軍港・要塞)があった旅順に日本軍が攻め込んだ。  

②乃木希典将軍率いる日本陸軍第三軍は、同年8月に第1回総攻撃を仕掛けたが失敗し、1万5000人もの死傷者を出すほどの多大な被害を受けた。  

③2度目の総攻撃も失敗したが、それでも11月26日に3度目の総攻撃を開始し、乃木将軍の次男・保典が戦死するなどしたが、12月5日にようやく203高地の奪取に成功した。』

『坂の上の雲』(司馬遼太郎著)にも出ているので知識として知ってはいました。  しかし、現地で乃木保典戦死の場所などを見てみると、実感として胸に迫るものがありました。


2.魔都・上海
21日にお世話になった上海森ビルの吉村総経理から上海日本商工クラブ会報・2011夏版をいただきました。  その中で吉村さんが『上海の発展史を紐解く』という文章を書かれていますので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1862年(5月6日)、高杉晋作が上海を訪れた。  「上海には欧州諸国の商船軍艦数千隻が停泊し、マストが林立、港を埋めんばかりなり。  陸上には商館白壁千尺を連ね、あたかも城壁の如し」と日記に記載している。

②現在の外灘(ワイタン、英語名:The Bund)に並ぶ歴史的建造物が建設されたのは1920年代であるが、1923年に上海を訪れた村松梢風が「上海旅行記」で初めて〝魔都上海〟の表現を用いている。

③現在の上海の発展を語るとき、その原動力となったのは、浦東(プードン)開発と言って間違いないだろう。  我々森ビルが初めて浦東地区を訪れたのは1993年。  当時は金融貿易区も幹線道路もなく、工場や労働者向けの住宅があり、開発区造成のための解体工事が一部進んでいた。

④上海の地下鉄1号開通は、1995年である。  現在の総延長距離は420km、東京の地下鉄の総延長距離301kmを遥かに超える。  驚くべきことは、わずか15年あまりの年月でこれだけのインフラを整えてしまった上海のスピードと底力である。』

『世に棲む日日』(司馬遼太郎著)にも高杉晋作の上海行きが書かれています。  

上海森ビルの植木副総経理の説明によると、上海市の面積は東京都と埼玉県を合わせたぐらいで人口は二千四百万人だそうです。  

上海森ビルが手掛けた上海環球金融中心ビルの地上100階を超える展望台には足がすくみました。  帰国の際に乗ったリニアモーターカーでは時速430kmを体験しました。    


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竹内啓先生『偶然とは何か』

東日本大震災発生から丸2ヶ月が経ちました。  『偶然とは何か』(竹内啓著 岩波新書 2010年9月17日発行)という本を読んだら、半年後の2011年3月11日を想定したような文章が載っていました。  「第6章 歴史の中の偶発性」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①もしそれが発生すれば莫大な損失を発生するような、絶対起こってはならない現象に対しては、大数の法則や期待値にもとづく管理とは別の考え方が必要である。

②例えば、「百万人に及ぶ死者を出すような原子力発電所のメルト・ダウン事故の発生する確率は一年間に百万分の一程度であり、他のいろいろなリスク(自動車事故など)に比べてはるかに小さい」というような議論がなされることがあるが、それはナンセンスである。

③そのような事故がもし起こったら、いわば「おしまい」である。  こんなことが起こる確率は小さかったはずだなどどいっても、何の慰めにもならない。  (中略)  なすべきことはこのような事故が「絶対に起こらないようにする」ことであり、そのうえでこのようなことが起こる可能性は無視することである。

(中略)

④このような場合にはその確立を一億分の一、あるいは百億分の一というような小ささにしたうえで、それは起こらないこととするのでなければならない。

⑤しかし、実際に一億分の一あるいは百億分の一という確立を検証することは不可能である。  そこで重要なのは「互いに無関係な二つの因果関係によって起こる二つの事象が同時に起こったときにのみ起こる事象の確率は、最初の二つの事象がおこる確率の積(掛け算)である。」という法則(乗法法則)である。  (中略)

⑥そこである事象がおこる確率がきわめて小さくなるようにするには、いくつかの事象が同時に起こらなければその事象が起こりえないようにしたうえで、それぞれの個別事象の起こる確率を検証可能な小さい水準に抑えるようにすればよい。  それは多重安全システムの基本的な考え方である。

⑦そうして一つの安全システムが失敗する確率が千分の一の互いに独立なシステムを四重に設けておけば、全部が失敗して大災害が現実化する確率は(千分の一×千分の一×千分の一×千分の一=一兆分の一)となって、これは十分小さくて事実上ゼロといえるであろう。』

先週末、森と鎌田が松井館長と郷田師範に引率していただき、岩手県の被災地に行ってきました。  今日の朝練で話を聞きました。  いつもと変わらない道場でいつもどおり空手の稽古ができる幸せを感謝しなければいけませんね。

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