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本郷孔洋先生『「ローコスト」も第二ステージへ』

1.1月20日に配信されてきた『本郷孔洋のビジネスの眼』のテーマは『「ローコスト」も第二ステージへ』でした。  紹介します。

『 1.日本の失われた20年の中で、勝った会社の共通項の一つに「ローコスト」が挙げられます。
 
デフレに対応した原価でオペレーションができた企業しか勝てませんでした。
 
言い換えますと、コストに上乗せして、価格を設定した会社は、しんどかったと言えます。

 
2.さて今後です。
 
私見で恐縮ですが、もう一段のローコストが進むのではないかと思うのです。
 
例えば、全日空もついに格安航空会社を作ると宣言するほど、今、LCC(ローコストキャリア)と言われる格安航空会社が注目されています。

LCCは、機材を1種類に限定したり、駐機時間を短くしたりと、アメリカのサウスウエスト航空が先鞭をつけ、あっという間に世界中に広がったのは周知の通り。

 
3.ところが、その格安の売りのLCCでも、もう一段のローコストオペレーションの会社が現れています。
 
例えば、
 
(1)飛行機のトイレも有料化?
 
お金を取るのが目的ではなく、もし、もっと多くの客が空港でトイレを済ませていれば、3つあるトイレを1つに減らして座席を6つ増やせる。
 
(2)座席のポケットがない
 
ポケットがあるとそこにゴミが捨てられ、到着後の機内清掃の時間がかかる
 
(3)機体の標準化、単一機種はもちろんのこと、駐機時間25分、副操縦士も飛行中はサービス要員にする等で、機材も機体も高速回転。
 
(4)キャンセルも返金も受け付けない、立ち席の検討、操縦士の半数は契約社員。
 
(ライアンエアー(世界最大の格安航空) NIKKEI BUSINESS 2010/11/22)より)

 
4.もう普通のローコストでは勝てない?
 
仕事の仕組み自体を変えないとダメ?』

2月14日夜の本郷先生を囲む食事会に呼んでいただきました。  お話をうかがうのが楽しみです。



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ヒクソン・グレイシー『無敗の法則』

『無敗の法則』(ヒクソン・グレイシー著 ダイヤモンド社刊)を読みました。  「400戦無敗」というキャッチフレーズを持つヒクソン・グレイシー選手が高田延彦選手、船木誠勝選手に勝った試合は私もテレビで見た記憶があります。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私が人生最大のプレッシャーを感じたのは、19歳で初めてノールールの試合に出たときのことだった。  当時私の体重は72キロだったが、相手は98キロもある30歳ぐらいの男だった。

②その男は「こっちはプロだよ。  120勝してたった4引き分けだ」と言う。  それでもぜひ闘いたいと私が言い張ったので、試合が組まれることになり、1ラウンド10分ずつで、合計3ラウンドと決まった。

③相手が近づいてきたとき、私は少し下がって力いっぱい顔面に膝蹴りを入れた。  ところが敵はあっさり体勢を立て直すと、歯を一本吐き出して、もう一度向かってきたのだ。

④さらに8分間闘い続け、第1ラウンド終了のベルが鳴ったとき、私にはもう体力が残っていなかった。  コーナーへ行き、父に行った。  「父さん、もうだめだ。  試合を続けるなんて無理だ」。

⑤すると父は「そんなことはない。  あいつのほうが参っているじゃないか。  もう一度行って、やっつけて来い」という。  「父さん、嘘じゃないんだ。  くたくたで、もうだめだ」。  兄はバケツに入った冷水を頭から私に浴びせ、リングに戻れと繰り返し叫ぶ。  それは確かに人生最悪の経験だった。

⑥しかし、私が闘っているのは対戦相手ではなく、自分の恐怖心、自分を信じられない心だということも分かっていた。  もう敵は対戦相手ではない。  私が見つめていたのは、自分自身、自分の疲労、実戦の能力のなさだった。

⑦周りの人がみんな、「行け、行け」と叫ぶ。  ベルが鳴る。  そしてリングへ戻り、試合を続けてみると、まさに父が言ったとおりなのだと分かった。  相手も私と同じぐらい疲れていた。  3分後に私が寝技に持ち込んで、勝ったのだ。

⑧その経験から、私はおそらく人生で最も重要な教訓を学んだ。  つまり、厳しいトレーニングを積み重ね、自分の技術のすべてを使い、それでも疲れてしまったのなら、相手も同じぐらい疲れているはずだし、自分と同じぐらいばてているはずだ。

⑨相手の力は自分と同じペースで失われていく。  どんなに形勢が不利に思えたとしても、試合開始のときと同じチャンスが常にある、ということを知ったのだ。

⑩あれほど悪い状況は、後にも先にも二度となかったように思う。  良いことだろうと悪いことだろうと、何が起こっても、敵も同じ体験をしているのだと分かったからだ。  もう疲れることは怖くなかった。』

私が極真会館総本部に入門したのは1971年です。  その頃、大山倍達総裁が「相手は神様じゃない。  自分が苦しいときは相手も苦しいし、自分が怖いときは相手も怖いんだ。」という話を道場稽古の後などによくされていたことを思い出しました。

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横綱・白鵬『相撲よ!』

『相撲よ!』(白鵬翔著 角川書店刊)を読みました。  横綱・白鵬といえば昨年の九州場所2日目に連勝記録が63でストップしたことが話題になりました。  それでもかっての名横綱・双葉山の69連勝に迫る大記録です。  そんな大横綱・白鵬も下位力士の頃には辛かったことが何度もあったそうです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①言葉の壁も大きかった。  先輩後輩の上下関係がわからないのは当然のこと、敬語という概念だけでなく、「さん」という敬称も知らないので、先輩を呼び捨てにしてよく叱られた。

②泣きたいことの連続だった。  しかし親方や兄弟子の前では涙は見せられない。  屋上にある洗濯物干し場に駆け上がり、一人泣いた。

③この頃はメソメソ泣いていたが、そんな私に声をかけてくれたのが元付け人だった。  「強くなって見返してやればいい」となぐさめてくれた。  

④その悔しい気持ちは、「絶対に上に上がってやる。  覚えとけ!」というエネルギーに変換することにした。


2.①2001年三月(大阪)場所で初土俵を踏んで、私の相撲人生が始まった。  しかし一直線に何の苦労もなく番付けを上げられたわけではない。  

②デビュー直後の序の口、そして三段目で一回ずつ、負け越したことがある。  負け越しが決まった日は、泣きながら部屋に帰ったのを覚えている。

③歴代、横綱に昇進した人が、序の口で負け越したのは、十五日制復活以降、私だけらしい。  そんなとき龍皇関や部屋のおかみさんが優しく接してくれたおかげで、何とか踏みとどまることができた。  

④自分は運がいいなと思うのは、このように、思うようにいかないことがあっても、そのたびに周囲の人たちや友だちの何人かが私を励ましてくれたところである。』

横綱・白鵬は1985年3月11日生まれです。  森善十朗も同じ1985年の7月4日生まれです。  白鵬の方が4ヶ月弱早く生まれたことになります。  相撲と空手で分野は違いますが、少しでも白鵬の域に近づけるといいですね。

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箱根駅伝『もっともがく』

1.明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いいたします。  


2.2日・3日は箱根駅伝のテレビ観戦です。  早稲田大学がわずか21秒差のデッドヒートを制して東洋大学を下し、18年ぶりに総合優勝を飾りました。


3.惜しくも総合優勝はなりませんでしたが、往路優勝の東洋大学も素晴らしい走りを見せてくれました。  特に5区で3位から逆転した(2分54秒遅れでスタートし、逆に27秒の差をつけた)柏原竜二選手の活躍と試合後のインタビューには感銘を受けました。


4.1月3日の日経新聞に柏原選手の記事が出ていたので抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①もはや「定番」の観がある。  山上りのスペシャリスト、東洋大の柏原が今年もやった。

②小田原をスタートする直前、酒井監督に電話で伝えた。  「つぶれるか、行けるか。  覚悟しておいてください」。

③3位でタスキを受けたため、ゴボウ抜きを演じた過去2年の高揚感はなかった。  「前の姿がなかなか見えなくて、本当に差が詰まっているのか、と心が折れそうになった」。

④「この1年を考えたら信じられない」。  故障に始まる準備不足で不完全燃焼が続いた今季。  早大に逆転負けした昨年11月の全日本大学駅伝以降、「もっともがく」と徹底した走り込みで、箱根に間に合わせた。

⑤元来が気持ちで走るタイプ。  険しい山道も力を引き出す絶好の舞台装置のようだ。』


5.今朝の日経新聞の記事からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①視界に入れ続けた敵はしかし、捕えることはなかった。  「もっとハイペースで突っ込めと監督にも言われたけど、体が動かなかった。  力不足です」と東洋大のアンカー、山本。  たすきを受けた時の40秒差を21秒差まで詰めたものの、3連覇に届かず号泣した。

②おえつを上げる選手たちの中、涙をこらえたのがエースの柏原。  「泣いたら悔しさも晴れてしまう。  走って晴らしたい」。  ライバルの胴上げをしかと目に焼き付けた。』


6.今日から森善十朗と鎌田翔平が強化練習のため総本部冬合宿に参加しています(小林大起はインフルエンザのため不参加)。  年末に翔平とは話しをしましたが、彼らが世界大会で上位に行けるかどうかは、日常のスタミナ稽古の中で『もっともがく』ことができるか否かにかかっていると思います。  

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