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2009年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年02月

加藤陽子先生『太平洋戦争』

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著 朝日出版社)を読みました。  東京大学文学部教授の加藤先生の専攻は日本近現代史です。  加藤先生が栄光学園の生徒(歴史研究部のメンバーを中心とする中学一年生から高校二年生までの約20人)に、冬休みの5日間にわたって講義を行いました。 テーマは日清戦争から太平洋戦争までの日本史です。 本書はその内容を本にしたものです。  『第5章 太平洋戦争』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①敗戦後に東大総長になる政治学者・南原繁(なんばらしげる)は、開戦の日(1941年12月8日)に「人間の 常識を超え 学識を 超えておこれり 日本 世界と戦う」という短歌を詠(よ)む。  意味するところは、人間の常識を超えて、学問から導かれる判断をも超えて戦争は起こされた、日本は世界を敵としてしまった、との嘆きです。

②学識、つまり学問から得られる知見からすれば、アメリカと日本の国力の差は当時においても自覚されていました。  たとえば、開戦時の国民総生産(GNP)でいえばアメリカは日本の12倍、すべての重化学工業・軍需産業の基礎となる鋼材は日本の17倍、自動車保有台数にいたっては日本の160倍、石油は日本の721倍もあった。

③こうした絶対的な差を、日本の当局はとくに国民に隠そうとしなかった。  むしろ、物的な国力の差を克服するのが大和魂(やまとだましい)なのだと、精神力を強調するために国力の差を強調すらしていました。

④このときすでに戦争をしていたドイツとソ連の間を日本が仲介して独ソ和平を実現させる。  ソ連との戦争を中止したドイツの戦力をイギリス戦に集中させることで、まずはイギリスを屈服させることができる。  イギリスが屈服すれば、アメリカの継戦への意欲が薄れるだろうから、戦争は終わると。 

⑤すべてがドイツ頼みなのです。 またイギリスが屈服すれば、アメリカも戦争を続けたいと思わないはずということで、希望的観測をいくえにも積み重ねた論理でした。

⑥アメリカは総動員体制に入ったあと、兵器の大量生産という点でものすごかった。  1939年の時点では、アメリカは飛行機を年間で2141機しかつくれませんでした。  それに対して日本は2倍以上、年間で4467機を製造する能力があった。

⑦1941年の時点でのアメリカの製造能力は1万9433機、日本は5088機で、アメリカは日本の4倍もの生産能力を獲得している。  そして、この比率は1945年(8月15日に終戦)まで変わりません。

⑧アメリカという民主主義国家が売られたケンカを買ったときに、いかに強くなるかがわかりますね。  日本側の予測をはるかに超える事態でした。』

私がこの一年間に読んだ本の中で一押しです。  よい週末を!

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カカトコリさん『ウイニングエッジ』

『一天地六の法則』(カカトコリ著 サンマーク出版)を読みました。  ハンドルネームがカカトコリさんの本名は林俊之さんといいます。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①どんな競技でも、頂上決戦と呼ばれる勝負では、勝敗を分けるのは針の先ほどのほんのわずかな差です。  このほんのわずかな、ギリギリのラインを「ウイニングエッジ」と言います。  一位と二位の差はいったい、何なんでしょう。 

②実力が伯仲した競争では、最後の指先ひと伸び、鼻先ひとつを決するのは、最終的には「勝ちたい」、いや「必ず勝つ!」という気持ち。  その気持ちがより強いほうが、チャンピオンの栄誉を手にすることができるのです。

③このたった1センチの僅差のために、スポーツ選手たちは、膨大な時間と労力をかけてトレーニングします。  普段は最高の演技ができても、真剣勝負でその能力を100パーセント発揮できないと、優勝はできません。  勝利は常に僅差で決まります。

④優勝を手にした選手と、次点の選手では、絶望的と思えるほどの距離ができてしまいます。  オリンピックで金メダルをとった選手のことはみんな覚えているけれど、銀メダルや銅メダルをとった人で顔や名前を覚えられている人はぐっと少なくなります。 

⑤アスリートたちは僅差の中に宿る、一位と二位の計り知れない価値を知っているからこそ、たった1ミリのために、生涯をかけて、強くなろうと鍛えているのです。』

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伊勢ー白山 道さん『佐川幸義先生』

(1)毎日読んでいるブログの一つに伊勢ー白山 道さんのブログがあります。  1月25日のテーマは『生活の極意』でした。  内容は大東流合気柔術の佐川幸義(さがわゆきよし 1902年生)先生の語録に対する感想です。  語録を紹介します。

『1.腹が大事だと言っても腹に力を入れるわけではない。  座禅みたいにやれば「腹ができるか」というと、そういうものじゃない。  「動きの中で腹を作っていく」のだ。

2.気力というのは表に出すものではないのだ。  内に秘めていく。

3.相手が「オー」と気合を入れてかかってきたら 、「ホーそうかい」と軽く入っていく。』


(2)伊勢ー白山 道さんの感想も番号を付けて紹介します。

『①1900年前後の地球には、世界中で興味深い人物がたくさん輩出されています。  特に宗教家や武術家に多いです。

②良い意味で、ものの怪の様なパワーを持つ魂が受肉した時代だと思います。  この佐川氏もその中の一人ですが、灰汁(あく)がかなり抜けている感じがします。

③佐川氏の師匠である武田惣角(たけだそうかく 1859年生)などは、私の眼には小鬼が着物を着ている様にしか見えません。  「なぜ、この世界に居るんだ?」と言う感じがします。  人間離れしていたことでしょう。

④私は佐川氏を知りませんでしたが、上記の言葉を観れば、心の奥義に触れていたのが良く分かります。  これは武道の極意では無く、人間の生活や人生をより良く幸福に生きる為のエッセンスが在ります。

⑤1.は、「瞑想という型に座るな! 日常生活の動きの中に深い瞑想が在る」と私が示唆して来た事と同じです。  人間の中心に在る腹とは、非常に重要です。  人間の五体(五大陸)の中心ですから、肉体全体を左右させる中心です。

⑥腹には、人間の寿命や健康・運勢を左右させる霊的な原子力発電所が存在します。  白隠さんが病弱で死を覚悟した時、腹式呼吸の実践で生気を取り戻した話は有名です。  物理的にも肉体の腹で呼吸を意識するだけで、全身に生気が行き渡るのです。

⑦病弱な人やウツ病の人は、ノドだけで呼吸をする浅い息しかしていません。  これでは酸欠状態であり、肉体が復活したくても難しいのです。

⑧肉体には動の作業をさせて肉体の注意を向けさせて置き、その間に「肉体の縛りから自由に成った心」で自分の良心を見つめます。  これが一般的には難しく、何のこっちゃ? と成りますので、その代わりに、「生かして頂いて 有難う御座います」と思いながら仕事をして、呼吸は腹式呼吸に務めます。  腹式呼吸は上手に出来なくても、意識するだけでも大丈夫です。

⑨心には感謝の気、肉体には深い呼吸の気を意識的に維持する事により、自分の霊体が強化されて行きます。  霊体の力的な中枢も腹の部分に存在します。  霊体の腹が強く成るに従って、良心に基づいた自分の希望が実現する力が増します。  金銭的な事も、良心に沿った内容ならば与えられます。

⑩2.3.は言葉の通りであり、生活に役立ちます。  2.は、心の漏電を無くす意味でもあります。心配せずに、目の前の仕事をするのが良いのです。  3.は、他人から嫌な言葉を言われても硬く成らずに、「あら、そう~ですか」といなしながら対応して行けば、自分が有利に成る落とし所が見えるものです。  心の余裕は人を強くさせます。』


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岡山嘉彦さん『セレンディピティ』

1.昨日のブログの中に「セレンディピティ」という言葉がありました。   「セレンディピティ」を大辞林で引くと次のように出ています。

『セレンディピティ(serendipity)・・・思いがけないものを発見する能力。  特に、科学分野で失敗が思わぬ大発見につながったときなどに使われる。』

2.先週末に読んだ『生命のパズル』(岡山嘉彦著 PHP研究所)にも「セレンディピティ」に関する記述がありました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①幸運の訪れを察知して成功に導く能力のことをセレンディピティと言う。  セレンディピティは重要な科学的発見をするために必要な能力とされる。

②セレンディピティという言葉は18世紀の中頃、英国のホレース・ウォルポールという人物が友人に出した手紙の中で「造語」として使われたのが最初である。  彼は探しているものはすべて見つけ出してしまう特殊な才能を持っていた。  ウォルポールは自分のそのような「洞察力」や「探索能力」をスリランカに伝わる寓話「セレンディップの三人の王子」物語にちなんで「セレンディピティ」と名付けた。

③寓話の内容を簡単に紹介してみよう。  王様の命令で世界中を旅した三人の王子たちは、さまざまな人々やいろいろな事件に出遇ったが、すぐれた洞察力によって偶然をも味方につけ、賢明さと勇気と忍耐によって次々と起こる困難を克服し、立派に成長して国に帰って来るという話である。

④ウォルポールが名付けた「セレンディピティ」という言葉は我々に様々なことを示唆してくれているが、「偶然」という視点から整理してみると次のようなことが言える。

・「偶然」とはいろいろな人や事件に遭遇すること。
・「偶然」をチャンスと気づくには「洞察力」が必要。
・「偶然」の出来事を通して「必然」を発見することができる。』

3.岡山さんはセレンディピティによって成し遂げられた例として、次のようなものを挙げています。

・フレミングによるペニシリンの発見
・ノーベルによるダイナマイトの発見
・レントゲンによるX線の発見
・ニュートンによる万有引力の発見
・田中耕一による高分子質量分析法の発見
・江崎玲於奈によるトンネルダイオードの発見
・白川英樹による導電性高分子の発見
・福井謙一による化学反応過程の理論的研究

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森田健さん『外応』

1月21日に紹介した『幸運の女神を味方にする方法』(森田健著 マガジンハウス)の中に『外応(がいおう)』に関する記述がありました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①占いの専門用語に〝外応〟という言葉があります。  これは占いに直接表れる卦(け)とは別に、「間接的に表れる卦」を読む方法です。

②例えば、「あるプロジェクトがうまくいくか」を占うとします。  占ったその瞬間、近くで笑い声が聞こえたら〝吉〟、逆に悲鳴や鳴き声が聞こえたら〝凶〟と判断するわけです。

③中国の占い師を見ると、ベテランになるほど、この外応を重視するようになります。

④本来、近くで「笑い声が聞こえた」ことと「プロジェクトがうまくいくか」は何の関係もありません。  その時笑った人は、プロジェクトとはまったく関係ない話題で笑ったわけですから。  ところが、占った瞬間の笑い声には意味があるのです。  これこそシンクロニシティ(共時性・・・心に思い浮かぶ事象と現実の出来事が一致すること)です。

⑤「偶然から何かを発見する能力」のことを「セレンディピティ」と呼びます。  占い師には、この能力が欠かせません。  なぜなら、「女神は遠回しに答える」からです。  偶然を装って、大切なことをそっと教えてくれるのです。  

⑥いかに的確に外応を読めるか、ここに占い師の実力が表れるといっても過言ではありません。

⑦セレンディピティは、人間が持っている能力のひとつです。  生まれつき個人差がありますが、他の能力のように鍛えて伸ばすこともできます。

⑧もっとも大切なのは心の持ち方です。  どんなときもリラックスして、周りを見る余裕を失わないことが大切なのです。』

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宋 文洲さん『ケチな人』

昨晩帰宅したら、妻と娘から「今日のブログの『ケチな人』って○○さんみたい」と言われ、ある知人の話題になりました。  

今日配信された、ソフトブレーン創業者・宋文洲さんのメルマガ『論長論短』のタイトルは『商売上手な人の共通項』です。  『ケチな人』についても言及されていますので、抜粋し、番号を付けて紹介します。  

『①日本では「商売上手」は必ずしも良いイメージの言葉ではありません。  この言葉の裏に「したたか」、「薄情」など暗示が見え隠れします。

②しかし、長い間経営者と付き合ってきた私ですが、商売上手な人達は殆ど「良い人」であるという確信を持っています。  彼らには2つの共通点があります。

③まず彼らの多くは面倒見のよい人です。  それも無理して作った見せ掛けの美徳ではなく習慣や癖のようなものです。

④次に彼らの殆どは無意識のうちにいろいろなことに投資します。  ここでいう投資は決して単純に株や不動産を売買することではありません。  一見メリットがないことにお金をかけて損しているように見えますが、そのことが将来に大きな価値をもたらしてくれます。

⑤後輩や部下におごることも、勉強会や食事会に参加することも、無条件に顧客の利益を考えることも、どれも立派な投資なのです。  やっている本人は見返りを期待してやっていないとしても投資である事実には変わりありません。  だから商売上手な人は商売上手な自覚はないかもしれません。

⑥逆に商売下手な人に商売下手な自覚がないのも同様です。  商売下手な人の殆どは相手のメリットに無頓着です。  たまに自分のメリットにも無頓着な人も居ますが、殆どの人が本能で自己のメリットにより敏感なはずです。

⑦しかし、ケチな人ほど自分のケチに気付かないものです。  この損したくない発想、損をしない習慣は結果的に他人の心情に対する想像力を削ぎ落とし、顧客志向を損ない、利益を投げ出しているのです。

⑧成功しないベンチャー経営者のビジネス・モデルをみると驚くほどの共通点があります。  自分が少しでも損しない、少しでもリスクをとらない、できるだけ相手の褌で相撲を取りたい「意志」が丸見えです。

⑨他人の成功を妬む人々はよく「金持ちほどケチ」といいますが、それは一面しか当たっていないのです。  金持ちがお金を無駄にしないのは挑戦と投資に回すためです。』

  

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森田健さん『金運』

『幸運の女神を味方にする方法』(森田健著 マガジンハウス)を読みました。  『金運』について書かれた部分を抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ケチな人が意外とお金が貯まらないのは、決して気のせいではありません。  「思わぬことで散財する」運命を避けたければ、自分から積極的に他人におごるといいわけです。  インフルエンザにかかる前に、予防接種のワクチンを打つのと似ています。

②デジタル思考で細かいことを気にしない女神から見れば、「詐欺に遭って100万円だまし取られる」のも「友達にランチをおごって1000円失う」のも同じようなこと。  どちらも「他人にお金をあげた」と考えています。

③「幸運の女神」はストレートな願望が嫌いです。  だから、「お金持ちになりたい」と思い、いつもお金儲けのことばかり考えて目をギラギラさせているような人には、決して振り向きません。  あまり欲望を表に出さず、淡々としている〝草食系〟の人が好みのようです。

④金運を上げようと思ったらケチケチせず、積極的に他人におごった方がいいのです。  おごった相手から直接の見返りがなかったとしても、あなたが払ったお金は回り回ってあなたに返ってきます。

⑤まさに、「金は天下の回りもの」。  出費を抑え、他人のためにお金を使わないようにすると、お金が入ってくる機会も少なくなってきます。

⑥また、お金儲けをしようと意識して行動すると、お金が儲かっても意外と幸せにはなれません。  直接的に金運を上げようとすると、エネルギーが引っ張られて「楽しみ」が減ってしまいます。  

⑦それよりも自分が楽しいと思えることをしていると、自然と金運も良くなり、お金が入ってくるようになります。  つまり、お金儲けも間接的なほうがいいんです。  エネルギッシュに人生を楽しんでいると、自然と金運も上がってくるわけです。』

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池澤夏樹先生『聖書』

小説家の池澤夏樹先生と聖書学の権威である秋吉輝雄先生との対談集『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』(小学館)を読みました。  池澤先生が書かれた『まえがき』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①若い時からずっと、ぼくは宗教に関心を持ってきたが、その関心はついに哲学の範囲にとどまって信仰に到達しなかった。

②いくつもの宗教を覗いてきたが、それらは啓示宗教とそれ以外にはっきり分かれている。  ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が啓示(・・・人の力では知り得ないことを神が教え示すこと)の宗教であり、それ以外はそれ以外だ。  この三つは歴然と他と異なっている。

③五年ほど前からフランスで暮らして、キリスト教が(いわば人が生きる現場で)機能する場面を多く見てきた。  弊害について論は無数にあるけれども、しかしカトリックの信仰に支えられて誠実に生きる人々にも何度となく会ったのだ。

④キリスト教の前にはユダヤ教がある。  その後にはイスラム教が生まれた。  ユダヤ人のいない西洋史はありえない。  文化に対して、あれほど少数の人々があれほど大きな影響を与えた例は他にないし、それは今も続いている。  イスラエルなき現代史は意味を成さない。

⑤すべての源泉は聖書だ。  旧約と新約。  古い約束と新しい約束。  神と人の間の契約。  こういうことについて一定の知識を得てはじめて、世界の正しき姿が見えるだろう。』

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菜根譚『不遇のとき』

何冊かの本を毎朝少しずつ読んでいます。  そのひとつが、1月13日に紹介した『菜根譚』(王福振編 漆嶋稔訳 日本能率協会マネジメントセンター刊)です。  『菜根譚(さいこんたん)』は中国・明代の万暦年間(西暦1600年前後)の学者・洪王名が書いたものです。  前集・後集あわせて約300項から成りますが、本書はそこから100項を抜粋し解説しています。  昨日と今日読んだ日本語訳部分を紹介します。

『1.相対的に考えてみる(前集212項)

物事が思うようにいかないときには、自分より苦労している人のことを思えば、その逆境を恨む気持ちは消えていく。

やる気が失われ怠け心が生じたときには、自分より頑張っている人のことを思えば、自然に奮起するようになる。


2.不遇のときこそ平然とする(前集68項)

天の支配というものはとらえどころがない。  苦境を与えたかと思うと、順境をもたらせたりする。

こうして英雄豪傑の運命を翻弄しているのである。

ただ、君子のような人は不遇であってもそれを平然と受け止め、何も起きない穏やかな日々に災厄への備えに余念がない。

天はこうした人の運命をもてあそぶことはできない。』

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堺屋太一先生『歴史の使い方』

1.『歴史の使い方』(堺屋太一著 日経ビジネス人文庫)を読みました。  2004年に講談社から出版されたものを文庫化したものです。  講談社版も読んでいますが、たった6年前なのに内容をほとんど覚えていませんでした(恥)。  本書中の『はじめに』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「賢者は歴史に学び、愚者は体験に従う」とは鉄血宰相といわれたドイツのビスマルクの言葉だ。  人は成功体験に溺(おぼ)れやすく、危機経験に脅(おび)えつづける。

②歴史は成功が失敗の父であり、失敗が成功の母であることを教えてくれる。  人は成功体験には警戒し、失敗の経験こそ活(い)かすべきなのだ。  高度成長の成功体験とバブル弾けの失敗体験を持つ今の日本は、歴史を知り歴史に学ぶべきであろう。

③歴史がそのまま繰り返されることはない。  人類の文明を性格づける人口と資源環境と技術が、昔に戻ることはないからである。  しかし、人間性はさほど変わらず、組織の原理と経済の変動は循環するものとすれば、相似た事象は似たように進むのも不思議ではあるまい。

④歴史のアナロジー(=類推)は、歴史に学ぶ警告であって、未来の予測ではない。  歴史に学ぶとは、歴史を使って現実を判定することであって、歴史を真似ることではない。』

2.1月4日から15日までの日経新聞・経済面の『やさしい経済学』は東大の山内昌之教授が『歴史に学ぶ「戦略的思考の本質」』というテーマで書かれていました。  その中でも、歴史に学ぶことの有用性についての記述があります。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①戦争という愚行は、歴史の偶然と人間の判断のミスマッチで引き起こされた。  それだけに、平和に向けた教訓を歴史から学ぶことは、複雑な政策や経営の方針を決定するリーダーシップと戦略的思考を深める一助ともなるだろう。

②平和への道筋を素描するには、それなりの戦略的思考が必要となる。  それは歴史から学べるものだ。

③予測不可能な世界の未来を分析する戦略的思考にとって、歴史は依然として知の宝庫なのである。』

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米長邦雄先生『人物三等』

昨日紹介した『呻吟語』の中の『人物三等』について日本将棋連盟会長の米長邦雄先生が1993年に書かれた『運を育てる』(クレスト社刊)にわかりやすく出ているので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(東燃の社長・中原伸之さんから伺った『呻吟語』の中の『人物三等』について)その言葉が腹に落ちなかった。  第三等の資質、聡明才弁、これはわかった。  頭がよくて弁舌さわやかならば役に立つ。  優れた人物である。  ただし、それは三番目だと言う。  ないよりはあったほうがいいが、三つの資質のうちでは最下位だ。

②その上の資質、第二等は、なんと磊落豪雄。  人間は頭ではなくて肚(はら)だ。  秀才、エリートは効率よく仕事をこなすが、何かあるとポキリと折れる。  それよりは、少々荒っぽくとも、すべてのことを呑み込める男がいい。  手酷(ひど)いダメージを受けて、皆がショボクレているときに、カッカッカッと笑った者が親分になる。  そういうことだろう。  竹の子のように真っ直ぐすくすくと伸びていける、というのなら話は簡単だが、失敗と挫折を繰り返すのが人生だ。  そんなとき、磊落豪雄は宝である。

③ところが、第一等の資質、深沈厚重とはどんなものか、どうもピンと来ない。  そこで、どういう意味ですかと聞いてみた。  「そうだねぇ・・・。  たとえば会って話をしてみたけれど、何だこの男は、ちっともとらえどころがない。  もしかしたら馬鹿じゃないか。  そう見える人間。  まあ、大平正芳みたいな男だね」  石油会社の経営者だからか、中原さんは当時の通産大臣(後の総理大臣)の名を挙げて笑った。  そうか、大平正芳のような男か。  ウシみたいなのが第一等の資質なんだろうか。』

よい週末を!

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呻吟語『人物三等』

1.昨日の『人間の四等級』に続き、今日も「人物評価」がテーマです。  昨日紹介した『菜根譚』が書かれたのとほぼ同時期、中国の明代・万暦年間(西暦1600年前後)に呂新吾(りょしんご)が書いた『呻吟語(しんぎんご)』に人物を第一等から第三等までに評価・解説している次のような記述があります。   

『深沈厚重(ちんしんこうちょう)はこれ第一等の資格。  磊落豪雄(らいらくごうゆう)はこれ第二等の資質。  聡明才弁(そうめいさいべん)はこれ第三等の資質』

2.守屋洋先生の編・訳本(徳間書店刊)では次のように訳されています。

『どっしりとして落ち着いて深みのある人物、これが第一等の資質である。  積極的で細事にこだわらない人物、これは第二等の資質である。  頭が切れて弁の立つ人物、これは第三等の資質にすぎない。』

今日はこれから打ち合わせなので、明日もう少し詳しく紹介します。

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王福振さん『人間の四等級』

中国の作家・王福振さんが『菜根譚』(漆嶋稔訳 日本能率協会マネジメントセンター刊)の中で『人間の四等級』について解説しています。  『菜根譚(さいこんたん)』は中国・明代の万暦年間(西暦1600年前後)に大学者・洪王名が書いたものです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間について、昔の人は聡明さを基準に四つの等級に分けて考えた。

②第一等の人間はどうか。  時には、多少間の抜けた印象さえ与えるが、実際にはものごとの本質がよくわかっている。  この聡明さは最高位に位置するものであり、「能ある鷹は爪を隠す」とはこのような人のことをいう。

③第二等の人間はどうか。  見るからに鋭利な人間であるために、品格に欠け、周囲からも煙たがれる。  このために、その頭の良さも十分に発揮できず、第二等に処せられることになるのである。

④第三等の人間はどうか。  とくに何が得意なわけでもなく、見るからに愚かしく、実際にも愚かである。  このような人間を騙(だま)すには忍びないとまで思われているので、結果として安穏(あんのん)として生きられる。

⑤第四等の人間はどうか。  一見すると人情に厚そうであり、人よりも頭が良いと思っている。  周囲からは嫌われ、事をなしとげる能力はないが、悪意ではなくても失敗させる能力は十分にある。

⑥以上の位置づけは常に流動的であり、固定されたものではない。  たとえば、第二等の人間でも、その有能さのために策士策におぼれ、第四等に落ちぶれて立ち直れなくなる場合もある。  本来第三等の人間でも、よくよく修練を積んで人生の要諦をつかむに至り、一変して第一等の人間に上り詰めることがあり、しかもそのような例は少なくない。』

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江原啓之さん『スピリチュアリズムを語る』

『スピリチュアリズムを語る』(江原啓之著 PARCO出版刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①そもそもスピリチュアリズムは死後の世界を真摯(しんし)に研究する心霊研究から出発しています。  (中略)  すなわち、スピリチュアリズムとは、精神的価値観、または霊的価値観であり、そこから生まれる「哲学」であり「生き方」なのです。  私たちには現世のみならず別の世界があるのです。

②スピリチュアリズムはよく宗教とごっちゃにされがちです。  (中略)  宗教で言う「聖人、聖者」と言われる人たちはみなある種の超能力や霊能を有しています。  (中略)  その点では似ているのですが、わざわざ「スピリチュアリズム」と言う必要があるのは、宗教は神がもとであり、スピリチュアリズムは心霊研究がもとになっているからです。

③人はたいがい、つつがない人生を望みますが、スピリチュアリズムの視点からすると、それは少し矛盾していることになります。  というのも、現世ではたましいの修行をするわけですから、つつがない人生というものはありえない。  本当に神様の力が働いたら、苦難の道につき落とされるはずなのです。

④本来、スピリチュアリズムは、「経験と感動」によって理解されるべきものなのです。  苦難を乗り越えることが自分自身の成長につながる大切なプロセスであることは言うまでもありませんが、「楽しみ」や「喜び」を味わっていなければ、人を喜ばすことも、楽しませることもできません。  そのためには、自分に喜びを与えることも大事だし、自分で楽しみを体感することも大事です。

⑤自分はスピリチュアルなことを頭では理解するのだけれど心のうちではまだわからない、という人もいっぱいいますが、そういう人に私がアドバイスしたいのは、「毎日祈りなさい」ということ。  そして、そこで何を祈るかといったら、自分自身が生きている中でさまざまなことへの感謝、自分はどうしたら人や社会や世界平和に貢献できるかということ。  そういったことを内観し、祈り続けていくと、必ず答えがやって来ます。

⑥私自身は「祈り」という言葉はあまり使わず、「内観」と言います。』

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津本陽先生『歴史小説』

昨年12月の日経新聞『私の履歴書』は作家の津本陽先生が書かれていました。  12月29日のテーマは『歴史小説』です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①上杉謙信、武田信玄、毛利元就、信長、秀吉、家康らの、戦国時代に驍名(ぎょうめい・・・強いという評判)をはせた武将たちは、兵卒と同様の危険を冒さねばならない野戦に、数えきれないほど出撃した。  

②人生の動きには、常に運がからみついている。  ある者は、奈落の底に沈みこんでいる境涯から、なにかのきっかけで浮きあがり、考えもしなかった大成功をして、しあわせな一生を送る。  

③ある者はいったんは成功の絶頂にいながら、わずかなきっかけで気づかぬうちに功業にかげりがさしはじめ、立ち直ろうとつとめても、すべての当てがはずれ、あがけばそれだけ没落のいきおいが早まり、短い期間に没落、窮死する。

④戦国武将の生涯には、その過程が鮮明に刻まれている。  私は彼らの盛衰のなかに、人間の才覚だけではどうすることもできない、運の変化を感じとった。

⑤運によって動かされるのは、私も同様である。  思いがけない作家の生活に入ったのも、運に導かれたというほかない。  私の書いたものを読んでくれる読者がいることも、ふしぎと思うばかりであった。』

約10年間使い続けたパソコンを買い換えました。  ハードもソフトも微妙に差があるので、操作に手間取っています(恥)。

三連休ですが、11日は総本部の鏡開きなので早起きします。  よい週末を!

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湯川秀樹先生『天才の世界』

『天才の世界』(湯川秀樹・市川亀久彌著 光文社知恵の森文庫刊)を読みました。  本書は1973年に出版された『天才の世界』(小学館刊)を文庫本化したものです。  弘法大師・石川啄木・ゴーゴリ・ニュートンの四人を対談形式で取り上げています。  湯川先生が書かれた「まえがき」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①本書では、それぞれ違ったタイプの、スケールにおいても、業績の客観的価値においても、大小の差があり、また時代も地理的環境も異なる四人の人たちを考察の対象とした。

②共通するのは、生涯のある時期に、やや異常な精神状態となったことであろうと思われる。  それは外から見て異常かどうかということではなく、当人の集中的な努力が異常なまでに強烈となり、それがある時期、持続されたという点が重要なのである。

③それが一番よくわかっているのはニュートンの場合であり、また啄木の場合である。  弘法大師の場合にもそれがあったに違いないが、具体的にはつかみにくい。  ゴーゴリの場合も、伝記を詳しく調べれば、同様なことがあったろうと思うが、確言はできない。』

やはり、どんな分野であれ、他に抜きん出た実績を上げるには、ある時期に異常なまでの集中力を発揮することが必要なのですね。

日本初のノーベル物理学賞を、湯川秀樹先生が受賞されたのは1949年です。  私は1953年生まれですが、同級生には「○○秀樹」君がたくさんいます(笑)。  

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森清之さん『没蹤跡』

1月4日の朝日新聞『ひと』欄で、ライスボウル(アメリカンフットボールの日本選手権)を制した鹿島のヘッドコーチ・森清之さんが取り上げられていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①鹿島を率いて9年目で初のアメリカンフットボール日本一に。

②京大が1987、88年に日本一になった時の守備メンバー。  指導歴は21年目。  京大や欧州プロリーグで指導した実績が買われ、鹿島に。

③戦力が整っているチームを日本一に導けず、陰口をたたかれたことも。  「もう少し早く勝ちたかった。  優勝できなくて苦しいというより、悔しい思いの連続で、引退した選手たちには申し訳ない」

④学生より少ない練習時間を補うため、日ごろの意識の持ち方を説いた。  「どんなに泥くさくても、最後に勝てばいい」という信念に、選手が応えた。

⑤「没蹤跡(もつしょうせき)」という禅語がモットーだ。  「実際は欠かせない存在なのに、自分の足跡を消す。  皆が、ぼくがいてもいなくても変わらないと思う姿が理想」。  自立した集団こそが勝利に近づくという思いがある。

⑥請われる限り、指導者を続けていたい。』

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『新・プラットフォーム思考』

『新・プラットフォーム思考』(平野敦士カール著 朝日新聞出版刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①毎年アメリカの経済誌「フォーブス」誌が発表している世界の億万長者ランキングがあります。  ここにランクインしている億万長者の多くには、巨額の富を得ている以外に、ある特徴が見られます。  それはまさに「プラットフォーム戦略に基づいたプラットフォーム型ビジネスで成功している」ことです。

②プラットフォーム戦略とは簡単にいえば「一社だけで多くの人々のニーズに対応するのではなく、多くの企業との提携を行なって、一緒に舞台(=プラットフォーム)を拡大していく」戦略です。

③『新・プラットフォーム思考』とは「たった一人で、顧客、他社の社員や自社の上司、部下など、周囲の人を巻き込み、自分が持てる力の何十倍もの成果を上げつつ、まわりの人間も幸せにしていく」思考法のことです。

④私がよくお話する例は「一人で1億円のビジネスを作るのではなくて、十人で100億円(=一人当たり10億円)のビジネスを作りましょう」というものです。

⑤ところが残念なことに「なるべく1億円を独り占めしたい」、という発想の人があまりにも多いのです。  (中略)  そうした会社は、短期的には成功を収める可能性がありますが、長期的には成功することはないと断言できます。

⑥強調しておきたいことがあります。  「『人間力』がなければ、真の新・プラットフォーム思考リーダーにはなれない」ということです。  (中略)  『人間力』とは、「一緒にいると心地よくなり、人をひきつけ、会った人が好きになってしまう力」です。

⑦細かく分解すれば、「常に先回りして、相手の立場に立って、物事を考えられる」 「人のアドバイスを素直に受け入れる」 「自分の間違いをすぐに認めて、謝ることができる」 「一緒にいると、こちらまで触発されるほど、やる気に満ちあふれている」 「嘘をついたり、嫉妬したりしない」 「あいさつや大きな声での返事など、日常的なマナーを守っている」 これらのようなことを常に実行できる能力でしょう。』

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『僅差の勝負』

1.明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いいたします。

2.昨日の朝日新聞に将棋の羽生善治名人と囲碁の井山裕太名人の対談が載っていました。  抜粋して紹介します。

『・・・井山さんは、この機会に何か羽生さんに聞きたいことがおありだとか?

井山・・・ええ。  どうしたら、そんなにたくさんのタイトルを取れるのですか。

羽生・・・難しい質問ですね(笑)。  プロ同士が対戦しているのだから基本的に大きな力の差はない、微差でぎりぎりのところで対戦している・・・・・・常にそういう気持ちでいるということが一番大切なような気がします。  あと、長いこと棋士をして年齢が上がっていくと、考え方が古くなったりすることがあるんです。  ずっと変わらないと、絶対に停滞する。  だから、常にちょっとずつ何かに挑戦する、というのはあります。

井山・・・羽生先生は、対局をして緊張したりということはあるんですか。

羽生・・・ありますよ。  でも、簡単ではないところ、ちょっと高いところを目指しているから緊張する。  そしてまったく無理な目標ではなく、たとえば「名人になれるかもしれない」と思っているからこそ緊張する。  だから、緊張するということは自分がそこそこ良いところまで来ている表れなのだ、と受け止めるようにしています。』

3.昨年の12月9日、城西OBの支部長忘年会に松井館長にも出席していただきました。  その席で田中健太郎について、松井館長が次のようなことを言われました。

『本当に強い選手というのは僅差の勝負を勝ち上がっていきます。  ここ1、2年の田中君は僅差の勝負で実績を残し、一皮むけたのではないかと見ていました。  そのことが、第4回世界ウェイト制大会と第41回全日本大会の優勝につながったのではないでしょうか。』

4.羽生名人の言われる『微差でぎりぎりのところで対戦』と館長が言われる『僅差の勝負』は同じことだと思います。  将棋や空手だけでなく、ビジネスの世界でも『僅差の勝負』に強いことは生き残るための必須条件です。  特に近年の不況下ではビジネスで大勝することが難しくなっています。  私も『僅差の勝負』に強くなることを心がけて一年を過ごして生きたいと考えています。

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2009年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2010年02月