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2009年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年10月

藤井聡先生『なぜ正直者は得をするのか』

『なぜ正直者は得をするのか』(藤井聡著 幻冬舎新書)の「はじめに」から抜粋し、番号を付けて紹介します。  京都大学大学院工学研究科教授の藤井聡(ふじい・さとし)先生の専門は土木計画および公共政策のための心理学です。

『①「得」と「損」の間の関係は、決して単純なものではない。  

②なぜなら「得をしよう」と考えれば考えるほど、目標とする「得」からますます遠ざかり、結局は「損」をしてしまうということは決して少なくないからである。  そして逆に、「損得など度外視して、いろいろな事業を行なう」ということが、思いもかけず大きな「得」を呼び込むことも多い。

③例えば、金儲けのことばかりを考えている商店や企業は、短期的にはそれなりに栄えることはあっても、中長期的には大きな失敗をしてしまう一方で、金儲けのことをほとんど考えずに真面目にやってきた商店や企業が、徐々に力を蓄え、大きな収益を上げ、景気が悪い時にも潰れずに持続的にやっていくことができる、という現実に遭遇することは多い。

④これは、人から好かれようと考えれば考えるほど、ちぐはぐな行動をとってしまい、結局は嫌われるようになってしまう一方で、いわゆる「好感度」が高い人物は、人から好かれようなどとはほとんど考えていない、というようなことと似た構造を持っている。』

ちなみに私も、ご指導いただいている気学の安部芳明(あべ・よしあき)先生に「2009年・2010年はボランティアに徹しなさい。  そうすれば2011年には花が咲くから。」と言われています(笑)。  

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桜井章一さん『負けない技術』

1.『負けない技術』(桜井章一著 講談社+α新書)を読みました。  副題は『20年間無敗、伝説の雀鬼の「逆境突破力」』です。

2.桜井さんの著書は私のブログで何度か取り上げています。  興味のある方は、パソコンの私のブログ画面右下の「ブログ内検索」で「桜井章一」と検索すれば出てきます。  この「ブログ内検索」機能は過去に書いた内容を確かめるときに重宝しています。

3.抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「負けるわけにはいかない」という気持ちを強めれば強めるほど、不思議とプレッシャーは感じなくなる。  逆に「勝ち」を求めてしまう人は、どこまでもプレッシャーにつきまとわれることになる。  「勝ち」ばかりを追いかけると視野は狭(せば)まり、自分の技量以上のことをしようとするようになってしまう。  それがやがて、大きなプレッシャーを生み、そのプレッシャーに足を引っ張られて負けてしまったりするのだ。

②勝負事にしろ、世の中にしろ、その人を取り巻く状況は常に変化している。  その変化にいかに、そしてどうして対応するかがカギなのであって、型にこだわりすぎてはならない。  「型にはまれば強い」というのも、裏を返せば「その型で戦えなければ弱い」ということでしかない。

③勝負は〝気づき〟の多さで勝敗が決する。  ということは当然、気遣いのできる人は勝負にも強い。

④〝いい間合い〟を取るには、相手との距離感やリズムといったものが大切な要素となってくる。  ギリギリの距離感を保ちつつ、一瞬の隙(すき)を突く。  (中略)  うまく間合いを取るのには、前に行くことだけを考えるのではなく、それに合わせて後ろに行く動きもきちんとできていなければならない。  もちろん、左右のフットワークも大切になってくる。  目の前の一極に集中せず、前後左右、上下など四極、五極、六極を感じることができなければ〝いい間合い〟を取ることはできない。

⑤相手の隙を見て「ここでいってやろう」というのは、〝勝負所〟ではなくチャンスというべきである。  〝勝負所〟とは、さらにその上にあるものだと私は考えている。  (中略)  相手が七分で勝負をかけてきて、こちらは三分という不利な状況のときこそ〝勝負所〟になる。  (中略)  そんなときこそ、〝勝負所〟を越えようとする思いもよらないギリギリの力が出てくる。

⑥体構えがしっかりしていれば、自然と心の構えもしっかりしてくる。  (中略)  しっかりした体構えとは、ぐっと力が入っているようなものではない。  その逆だ。  柔らかくてどこにも力が入っていない状態である。
 
⑦勝負にたとえれば、専門家は得意技で勝とうとする人だ。  一方、万能家は何が来ても負けないぞ、という感覚を持てる人。  だから、私は専門家になろうと思わないし、専門家より、あらゆることに通じた万能家でありたいと思っている。』

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秀くん

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1.土日は秀くんを預かりました。  

「秀(ひで)くん」は今年から娘が飼い始めたオスのウサギです。  本名を「秀吉(ひでよし)」といいます。

昨年まで飼っていたハムスターが死んだので、今年からウサギを飼うようになりました。

ウサギといえば耳が立っているものとばかり思っていましたが、秀くんのように耳の寝ている種類もいることを初めて知りました。  立ち耳のウサギの動きは機敏で、寝耳のウサギの動きはゆっくりしているのだそうです。

2.以前にも、一時間ほど連れられてきたことがありますが、そのときはお互いに緊張してあまり仲良く慣れませんでした。

今回は二日間一緒にいました。  ずっとながめていても、動作がかわいいのでまったくあきません。  エサも上げたりして、本当に仲良くなれました。

カゴごと預かったのですが、体が大きくなった分、狭くなってきたようなので、私が大きなカゴを買ってあげることにしました。

3.娘に『秀くんを買った「うさぎのしっぽ」という店にはかわいいウサギがたくさんいるよ』と言われて見に行ったら、なんと本部直轄恵比寿道場のまん前にありました。  「うさぎのしっぽ」が1階に入っているビルのオーナーが駐車違反に異常に厳しく、いつも怒っているようですが(笑)、皆さん恵比寿道場に行ったら一度のぞいてみて下さい。

4.心の底から癒されました。  今日帰っちゃうのでちょっと寂しくなります。  



  


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内田樹先生『照顧脚下』

1.神戸女学院大学・文学部総合文化学科教授、内田樹(うちだ・たつる)先生のブログ『内田樹の研究室』の9月24日のタイトルは「夢の合気道合宿」でした。  内田先生は合気道六段、居合道三段、杖道三段の武道家でもあり、神戸女学院大学・合気道部顧問も務められています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①月曜から水曜までは合気道の秋季合宿。  いつもの神鍋高原。  

②観光バスを仕立てて、遠足気分ででかけたのはよいのだが、これがシルバーウィークの中日で、高速道路1000円デ―。  行きの阪神高速の入り口からすでに渋滞。  (中略)  2時間半おくれて現地着。
 
③さっそく稽古の支度にかかるが、またもトラブル発生。  畳にガラス破片が散乱していたのである。

④畳を運んでいる私が手を切って、そこで畳についていた白い破片がゴミではなくて、ガラス破片であることに気づくという粗忽な話であるが、まさか畳にガラスをつけたまま積み上げておくような非常識な使用団体があるとは思わなかった。

⑤直前にこの畳を使ったのは京都の某大学の合気道部である。  ガラス窓を割ったということだけは宿の人に申告したようだが、ガラスの破片を畳に散らしたまま掃除せずに帰ったのである。

⑥かつて武道家の心得を多田宏先生(合気道多田塾主宰)にお伺いしたとき、先生は「照顧脚下(しょうこきゃっか)」と即答された。  「足元を見よ」と。

⑦足元を見ずに帰った諸君は武道家としての資格が自分にあるかどうか熟慮願いたい。  ガラス破片拾いでずいぶん時間が遅れてしまったが、さいわい切り傷は二人だけで済んだ。』

2.『照顧脚下』は『脚下照顧』とも言います。  大辞林では『脚下照顧』として次のように出ています。

『(「脚下を照顧せよ」という禅家の標語から)他に対して理屈を言う前に自分の足もとをよく見ろ。  自己反省を促す意で用いられる。  照顧脚下。』

3.会社の私の部屋に、父が彫った『照顧脚下』の額が置いてあります。  昨年父が亡くなったあと、実家に置いてあるのを目にし、貰い受けました。  父の形見、と言ってもいいかも知れません。

二日働いただけでまた週末です。  よい休日を。  

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島田洋七さん『がばいばあちゃん お寺へ行こう』

島田洋七さんが書かれた『がばいばあちゃん お寺へ行こう』(本願寺出版社)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ばあちゃんとの生活が、いよいよ終盤に近づいてきた。  中学三年になり、野球の実力を認められた僕は、母校(佐賀の城南中学校)の推薦で野球の名門・広島の広陵高校に進学することになったのだ。  (中略)

②ばあちゃんと共に過ごした八年間の思い出をいっぱい心につめて、広島のかあちゃんの元で暮らすことになった。

③中学の卒業式を終え、家に戻り、卒業証書をお仏壇にお供えして手を合わせていると、ばあちゃんんも後ろに座り、一緒に「ナマンダブ、ナマンダブ」と手を合わせてくれた。  そして突然立ちあがり「ばあちゃんからも昭ちゃんに卒業証書をあげるばい」と言って、読み上げてくれた。

④「卒業おめでとう。  小学校二年のとき、かあちゃんと離れてこんな佐賀の田舎の貧しい家に来たけど、よく八年間がんばりました・・・・・・」  (中略)

⑤ご飯がないときは、おっぱさん(お仏壇に供えるお仏飯のこと)に醤油を塗って食べていたが、本当はおなかいっぱいご飯をたべさせてあげたかった。  毎日走れ、と言ったが本当は好きな習い事をさせてあげたかった。  そして何より、本当はかあちゃんと一緒に暮らさせてあげたかった・・・・・・。

⑥かわいい孫に苦労をさせたことに、ばあちゃんも涙を流したかったに違いない。  そう思えば、ばあちゃんは、僕以上につらい八年間だったのかもしれない。』

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一流大リーガーが語るイチロー選手

9月13日、イチロー選手が9年連続200安打を達成し、ウィリー・キーラーの持つ大リーグ記録(8年連続200安打)を108年ぶりに更新しました。  朝日新聞朝刊に9月15日から18日まで『イチローを語ろう』という連載記事が載りました。  9月16日分は一流大リーガーのコメントです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①2632連続試合出場の大リーグ記録を持つ元オリオールズのカル・リプケン氏

「ファンにはイチローの打撃を見て欲しい。  打ってから走り出す1歩目の速さ。  そして、塁に出ると、投手陣と守備陣のリズムを崩そうとする。  彼のプレーには、何かを起こそうという雰囲気が漂っている。」

②今季イチローとア・リーグ首位打者を争うジョー・マウアー捕手(ツインズ)

「バットに球を乗せる感覚が大事、と言っていたのが記憶に残っている。  走りながら打つ、イチローのスタイルをまねする選手が出てきた。  彼は大リーグにスピードをもたらした。」

③レッドソックス時代の2002年にア・リーグ首位打者に輝いたマニー・ラミレス外野手(ドジャース)

「左足のタイミングについて悩んでいた。  イチローに聞いたら、もう少し、左足を早めに上げた方がいい、と教えてもらった。  そのおかげもあって首位打者をとれたんだ。」』

明日からシルバーウィークです。  日曜日と月曜日、二日続けてお彼岸の墓参りに行きます。  よい連休を。

  

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清水克衛さん『朋友』

読書普及協会理事長・清水克衛さんのブログ『読書のすすめ』9月15日分から抜粋し、番号を付けて紹介します。  テーマは「朋友とは」です。

『①近頃よく「朋友(ほうゆう)」という言葉を、わたくし使います。  これはどういうことかと言うと、「心配もしないし、心配もさせない」という人間関係のことをさします。

②いて当たり前で、会話があってもなくってもいい存在です。  いるだけでいいのです。  だから、ハガキを出したり贈り物なんかもしません。  いわば、空気や水のような存在ですね。

③いなければ、ものすごく困るけど普段その存在が当たり前すぎてありがたい。  それすらも感じない。  でも、もしいなくなったらものすごく悲しい・・・。  こんな関係を「朋友」と呼びます。

④それなのに、友達といいながらちょっとしたことで「疑い」という思いが出て「ああ言った」とか「こう言った」とか、言いながらちょいと考えればちっちゃなことなのに文句や批判を言い出し、ひいては破壊的な行動をとってしまうんです。  これは非常にもったいないことです。

⑤「朋友」を持ちたいなら強烈な「信じる力」がなければなりません。  ほとんどの人が「信じる力」が足りないのです。

⑥昔から人間の道徳的レベルを上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)と三つにランク分けしていたんです。  上品の人っていうのは、普通に生きている人には信じられないくらいの強烈な「信じる力」を持っています。

⑦だから多数をしめる中品や下品の人達から「あいつアホや!」とホメられてしまいます。(笑)  しかし、この乱世の時代に突入して上品な人達の存在が貴重になってきたんですね。』

私は、一緒にいるとき2~30分お互いにずっと黙っていられるような関係が、最高の友人関係だと思っています。  普通の友人関係だと、間が持てなくてどちらかが会話で埋めようとしますよね。
  

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伊藤之雄先生『山県有朋』

1.京都大学教授・伊藤之雄(いとう・ゆきお)先生が書かれた『山県有朋・・・愚直な権力者の生涯』(文春新書)を読みました。

2.ウィキペディアで山形有朋を検索し、抜粋して番号を付けて紹介します。

『①山県有朋(やまがた ありとも)は、日本の政治家、軍人。   

②長州藩に生まれ、高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となる。  明治新政府では軍政家として手腕をふるい日本陸軍の基礎を築いて「国軍の父」とも称されるようになった。

③官僚制度の確立にも精力を傾け、門閥や情実だけで官僚文官官吏が登用されることの無いように文官試験制度を創設し、後進を育成。

④晩年も陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」として隠然たる影響力を保ち、「日本軍閥の祖」の異名をとった。

⑤第3代、第9代内閣総理大臣。  伊藤博文とならび明治維新期に低い出自から栄達を遂げた代表的人物である。』

3.伊藤先生の本の「おわりに」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①山県有朋の人生を一言で表現すれば、「愚直」という言葉がもっともふさわしいであろう。  自分の利害や人気を勘定に入れず、やるべきだと考えることを全力でやる。  それが山県の「愚直」さであり、伊藤博文にも共有されていた感覚である。

②山県の内面を形作る重要な要素は、列強への不信や軍備拡張を求める狂信に近い信念、生涯のほとんど最後まで消えなかった政党や議会政治に対する強い嫌悪感である。  これには同時代の伊藤博文ですらついていけなかったし、いらだちすら覚えた。

③ましてや帝国主義や冷戦の時代が去った現代の私たちの感覚からみれば、強い違和感を覚えるであろう。  これが、太平洋戦争の敗戦以降現代にいたるまで、山県にあまり人気がなかった大きな理由と思われる。

④しかし私は山県を研究し伝記を執筆していく中で、山県の「愚直」さに限りなく惹かれていった。  山県にとって「愚直」さとは、おそらく、幕末・維新の過程で倒れていった多くの志士たちに対する責任感であったろう。』

東京の目白にあるホテル『椿山荘(ちんざんそう)』は山県有朋の屋敷のあとです。  広さ1万8千坪の自宅ですって(笑)。

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本郷孔洋先生『へんないいわけ事件簿』

辻・本郷税理士法人理事長、本郷孔洋先生のブログ『時代を読む』9月11日分は『へんないいわけ事件簿』(吉野すぐる著 扶桑社刊)からの引用でした。  番号を付けて紹介します。  「(内容)・・・(いいわけ)」の順で書いています。  

『①カキフライの注文を忘れられ腹いせに、食堂を1年間脅し続けた。・・・「昼食を食いそびれた恨みは忘れない。」

②「金を落とした」が手口の寸借詐欺の少年の母。・・・「またですか?」(警察からの電話で)

③連続放火の消防団員・・・「酒を飲むと無性に寂しくなり、消防仲間に会いたくて火をつけた。」
   
④警視庁の出頭要請に応じなかった・・・「忙しくて出頭できなかった。」   
   
⑤「110番」を使って電話番号を聞いてくる人に「104番」の利用を勧めると・・・「お金がかかるだろ。」
   
⑥痴漢行為現行犯で逮捕された男の供述・・・「インターネットで埼京線なら痴漢ができると書いてあった。」
   
⑦ナイフを突きつけて現金強盗した犯人の供述・・・「電話をかけるために10円が欲しかった。」
   
⑧窃盗するたびに、神社で拝んだ一言・・・「今日も捕まらずありがとうございました。」
   
⑨公然わいせつの現行犯で逮捕されて・・・「他人に見せるつもりはなかった。」
   
⑩78歳の女性宅・寝室に侵入して・・・「年を取った女性に興奮する性格だ。」
   
⑪普段は山地で運転しているスイス人が、カナダでスピード違反して・・・「ヤギをはねる心配がないもんでついスピードを出し過ぎてしまいました。」
   
⑫肌の色が違うと、経営者の犬がかみつく危険があることを理由に不採用にして・・・「私が飼っている犬は〝人種差別主義者〟だ。」
   
⑬横領の犯人が、ノド自慢に出演して・・・「番組には出る気はなかったが、知人が申し込んだ。  優勝すれば、やばいと思っていたが...。」
   
⑭インターネット掲示板に「小学校で小女子を焼き殺す」と書いたことにより逮捕されて・・・「(焼き殺すと言った)小女子とは小魚の意味。」
   
⑮有名人を殴って・・・「有名人を殴れば、有名になれると思った。」
    
⑯審判へ、キスしたことにより、イエローカードが出されて・・・「それがルール違反になるなんて、知らなかったんだ。」
   
⑰生徒に教室内でバケツに放尿させた教師の言い分・・・「真に受けるとは思っていなかった。」』

いつもながら本郷先生のブログは最高です(笑)!


   

 

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萩原健一さん

1.昨日の午後見たフジテレビのノンフィクションは最高でした。  タイトルは『ショーケンという「孤独」 俳優・萩原健一再生への日々』です。  

2.「ショーケン」というニックネームの萩原健一さんは私が中学生の頃、ザ・テンプターズというグループのボーカルで、ザ・タイガースのボーカルだった沢田研二さんと人気を二分していました。  その後は俳優となり、水谷豊さんと共演した『傷だらけの天使』などたくさんの作品に出演するとともに、ソロ歌手としても活躍します。

3.萩原さんは、降板した主演映画の出演料を巡るトラブルで制作側から恐喝未遂容疑で告訴され、2005年2月に逮捕されました。  同年6月に懲役1年6ヶ月・執行猶予3年の有罪判決を受け活動休止していましたが、現在公開中の「TAJOMARU」に出演中です。

4.作家の瀬戸内寂聴さんとの交遊は番組中でも紹介されています。  最近、『不良のススメ』(瀬戸内寂聴・萩原健一著 角川学芸出版刊)を読みました。  本の中で瀬戸内さんが「あとがき」的に語り下ろされた「役者馬鹿・・・ショーケンとの二十五年」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ショーケンという人は、やはり、普通の人とは違う何かを持っています。  よく言えば「天才」、悪く言えば・・・・・・ということです。  

②ショーケンを見て思い出すのは岡本太郎さん。  岡本さんも独特の雰囲気があって普通の人とは違う。  ショーケンには少し、岡本さんの感じがある。  

③私はこれまで、いろいろな役者さんに会いましたけど、そういう感じを強く持つ人は、それほどいません。  歌舞伎の勘三郎、あるいは海老蔵くらいでしょうか。  彼らには、やはり何かありますね。

④ショーケンと初めて会ってから、ずいぶん長い月日がたちましたけれど、彼はあまり変わらないし成長しない。  けれど、ほんとうの天才というのは、そういうものではないか、と思います。  こう言うと、人は私を笑うかもしれませんが、私は彼を、ある種の天才だと思っているんです。

⑤ショーケンに夢中になった世代は、もう、かなりの年齢になっているのではないか、と思います。  でも役者である以上、その次の世代、今の若い人にとっても魅力的に映らないといけない。  

⑥何も主役じゃなくてもいいんです。  脇役だって大切ですから。  そういう役柄で彼の才能を示して、若い人たちからも支持されるようになってほしいですね。』

同感です!

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小泉十三さん『頭がいい人の文章の書き方』

『頭がいい人の文章の書き方』(小泉十三と日本語倶楽部著 河出書房新社刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.書き出しは印象的で短いほうがいい

①書き出しが決まれば、その小説は書けたも同然。  (中略)  どこの小説家がいったのかは知らないが、この言葉は、世の小説家たちが、いかに書き出しで悩みつづけたかを雄弁に物語っている。  (中略)

②それでは、なぜ、書き出しがそれほどむずかしいのか。  それは、書き出しは、その小説のアイデンティティーの表明だからだ。

③舞台では、ある役者が登場したとき、服装、振る舞い、歩き方、しゃべり方によって、一瞬にして、そのキャラクターがどんなものであるかを表明する。  書き出しは、それに似ている。  だから、書き出しは、強烈で印象的で、かつ短いほうがいい。  

④なかでももっとも肝心なのは「短い」ということだ。  登場の印象は、一瞬にして決まるのである。

2.名作古典の書き出しの例

①「メロスは激怒した」(太宰治著 『走れメロス』)

②「山椒魚(さんしょううお)は悲しんだ」(井伏鱒二著 『山椒魚』)

③「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」(川端康成著 『雪国』)

④「ある日の夕暮れのことである」(芥川龍之介著 『羅生門』)

⑤「ある日のことでございます」(芥川龍之介著 『蜘蛛の糸』) 

3.読点(とうてん・・・「、」のこと)の打ち方の基本

①文章が並立するときは、そのあいだに打つ。・・・(例)「酒を飲んだり、タバコを吸ったり」

②限定したり条件をつけたりするときには読点を打つ。・・・(例)「酒を飲むまえに、胃薬を」

③時や場所、方法を示す語句のあとには読点を打つ。・・・(例)「会議に出席するさい、書類は準備する」

4.漢字とかなは意味によって使い分ける

①「物」と「もの」・・・漢字の「物」は具体的な物や品を表すとき、ひらがなの「もの」は抽象的なものを指すときに使う。・・・(例)「物を運ぶ」 「物を選ぶ」 「ものわかりが悪い」 「ものにする」

②「時」と「とき」・・・特定の時期や時点を指すときは漢字の「時」、状況や仮定、条件を表すときは、ひらがなの「とき」を使う。・・・(例)「時には遊びも必要だ」 「松井がホームランを打ったその時」 「お金がないとき」 「裸足で走ったとき」

③「方」と「ほう」・・・人の場合は「方」、方角の場合は「ほう」を使う。・・・(例)「学校の方(学校関係の人)」 「学校のほう(学校のある方角)」』

大分過ごしやすくなってきました。  明日は善十朗の優勝祝賀会です。  よい週末を。

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矢田部英正先生『からだのメソッド』

1.『からだのメソッド』(矢田部英正著 バジリコ刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  武蔵大学非常勤講師の矢田部先生は日本の伝統的な身体技法を研究されています。

『①猫背になりやすい人は、背筋を伸ばそうとするのではなく、肩を広げるようにして治します。  左右の肩と肩を手で触れて、両方の距離をできるだけ遠くに保つようにします。  両方の肩を下げ、肩と肩とを広く遠くに保つようにすると、胸に自然と張りが出てきて、ストレスなく猫背をなおすことができます。  (中略)

②「胸を張ろう」と意識をすると、上半身に力みが生じやすく、これもストレスの多い姿勢となります。  外見的にはそれほど悪い印象はありませんが、上体を支える基点がウェストの高い位置に上ずってきて、腰椎(ようつい)にはストレスがかかってきます。

③腰を強く反るような意識をした場合にも、胸が反射的に張り出してくることがあります。  (中略)  猫背と同様、腰を反ることにも注意が必要で、からだが発達中の子どもたちは、腰を反ることによる障害(腰椎分離など)を引き起こしやすいので、とくに気をつけておく必要があります。』

2.矢田部先生は武蔵大学で「日本の身体文化 演習」という実習を指導されているそうです。  巻末に掲載されている受講者の実習レポートに次のような記述がありました。

『以前から「姿勢を良くしなくては」という意識があったが、よい姿勢は疲れ、気が張り、一度正してもすぐに元の姿勢に戻ってしまった。  授業で学んだことを思い返すと、腰にストレスを与える「反り腰」の状態だったからだと思う。  正しい姿勢は疲れる、という強い思い込みがあった。』

3.家内からよく「歩くときに猫背になっている」と指摘されます。  逆に気を付けて歩いているときは、胸を張った「反り腰」になっていました。  「胸を張る」というより「肩を下げて広げる」というイメージを持つことが大切なんですね。

猫背で歩いている私を見かけたら、ぜひ注意して下さい(笑)。
  

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長谷川和廣さん『社長のノート』

『社長のノート』(長谷川和廣著 かんき出版刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  長谷川さんはいくつかの外資系企業の社長を経て、現在は国際ビジネスコンサルタントとして活躍されています。

紹介する項のタイトルは『これは実感していること! 相手の目を見て話せば話すほど、営業はうまくいかない』です。

『①人と話す時は目を見て話せ、とよく言われることですが、日本のビジネスシーン、とくに営業に関して私は、この言葉を信じません。

②実は日本人にとってじっと目を見つめられることは苦痛だからです。  下手をすると「あの人と話していると、なぜか疲れる」と、相手にネガティブな印象さえ植え付けかねません。

③とはいえ、そっぽを向いていたり、うつむいて話していたら真剣さが足りないとか、自信がなさそうと思われてしまう。

④ですから、私は基本的に、相手の鼻の下、いわゆる「人中」といわれる部分に視線を合わせ、ポイントポイントで、かすかに目を合わせるくらいにしています。』

私も相手と視線を合わせて話すのは苦手です。  でも、過去に読んだビジネス書に「相手の目を見て話すことが大切」と書いてあったので若干不安もありました。  

本書を読んで、私のやり方でもいいんだ、と納得しました。  まさに「目からウロコ」でした(笑)。

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五木寛之先生『人間の運命』

『人間の運命』(五木寛之著 東京書籍刊)の「あとがきにかえて」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①思うとおりにならないもの、というのが私の人生に対する見方である。  そして、このことをはっきりと認め、目をそらさずに直視することからしか人は行動できないのではないか。  

②ありのままの現実を、勇気をもってはっきり認めることを、「あきらめる」という。  諦(あきら)める、という言葉を、私は自分流に読みかえて、「明(あき)らかに究(きわ)める」と読んでいる。  

③どんない嫌なことでも、不快なことでも、そこから目をそらすわけにはいかない。  しっかりと現実をみつめ、そのありのままの姿を見定めることが第一歩なのだ。

④運命とは何か、運命は変えることができるのか、という主題は、繰り返し古代から考察されてきた。  (中略)

⑤運命に身をまかせる気はない。  しかし、運命に逆らうこともできない。  そこでできることは、ありのままの自己の運命を「明らかに究める」ことだけだ。  自分の運命をみつめ、その流れをみきわめ、それを受け入れる覚悟をきめることだけである。

⑥そのことによってのみ、運命にもてあそばれるのではなく、運命の流れとともに生きることが可能になるのではないか。  私は、やっといまそんなふうに前向きに運命について感じられるようになってきた。』

五木先生の最近の著書はほとんど読んでいます。  12歳のときに、太平洋戦争の敗戦を平城(へいじょう・・・現在の朝鮮民主主義人民共和国の首都ピョンヤン)で迎え、2年後に内地(日本)に引き揚げてきたという過酷な体験が、先生の思想のベースになっているようです。  

読んだ後にスッキリするというより、何かどんよりと重い気分になることが多いのですが、それを通り越すとお腹の底から勇気が湧いてくるような気がします。

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香山リカさん『しがみつかない生き方』

精神科医・立教大学教授の香山リカさんが書かれた 『しがみつかない生き方』(幻冬舎刊)を読みました。  『第6章・仕事に夢をもとめない』の中の『「パンのために働いている」で十分』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「夢を仕事に」といった言い方が問題なのは、「夢と違う仕事なら、働く意味がない」と思って仕事から遠ざかる人が増えることにある。  (中略)

②私が大学を出て就職したのは、ひとえに〝パンのため〟であった。  大学卒業と同時に仕送りはいっさい止める、と親に言われて、とにかくすぐに報酬がもらえるようにしなければ、と思ったのだ。

③大学院に進む、留学する、無給だが人気の研修病院に行く、といった選択も自動的になくなった。  後から考えると、最初から選ばなかったほうに「本当にやりたいこと」に近いものがあったことに気づいたが、まさに後の祭り。

④そのときは落ちこんだが、だからといって働くのをやめるわけにもいかず、ますます〝パンのため〟と割り切って仕事に精を出すようになった。  (中略)

⑤ただ、仕送りがなくても自分で生計を立てている、ということは、それだけで私に思わぬ自信を与えてくれた。  (中略)  それに、〝パンのため〟であれば仕事にも身が入らないか、というと、それも違った。  この仕事を失ったら今月から暮らせないと思うと、かえってそれなりに真剣になる。

⑥また、仕事そのものが「本当に好きなこと」とは違っていたとしても、その中である程度、長くやっていると、だんだん技術が身についていく、まわりの人からも認められたり頼りにされたりする、という別の喜びが味わえる。

⑦しかも、たとえちょっとした失敗をしても、「これはしょせん本当に好きな仕事じゃないんだから」という逃げ道があるので、激しく落ち込まずにすむこともある。  仕事と適度な距離を保つことができるので、燃えつきずに長く続けることもできる。

⑧これは強がりでも何でもなく、私はある時点から「やりたいことを仕事にしなくてよかった。  自己実現のためではなく、〝パンのため〟の仕事だからこそ、私はこうして続けていられる」と思うようになった。』

今朝の東京はすっきりした秋晴れでした。  よい週末を!

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平尾誠二さん『矛盾や理不尽を乗り越える強さ』

8月30日の朝日新聞朝刊にラグビーの元日本代表監督・平尾誠二さんのインタビュー記事が載っていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.矛盾や理不尽を乗り越える強さ

①僕らが若かった頃、スポーツに限らず何かを教わること、指導を受けることには常に「鍛える」という厳しさがありました。  (中略)  質より量を重視する練習には無駄もあり、非効率な面も少なくなかったと思います。  (中略)

②その後、時代が変わるとそんな非効率はやめよう、無駄をなくそうという考えが主流になってきました。  (中略)  いってみれば「鍛える」から「育てる」へシフトしたということです。

③ところが最近は、どうもそれだけでは足りないんじゃないか、基礎的な部分でしっかりと「鍛えられた」ベースがない人は、なかなかうまく育たないんじゃないかという声が、指導の現場で聞かれるようになってきました。

④あらゆる矛盾や理不尽をすべて排除すれば、たしかに効率はよくなり、問題解決のスピードは上がるでしょう。  しかし僕がこれまで見たかぎり、そういうものを排除するのではなく、積極的に乗り越えていったチームや個人だけが、本当に強くなっていくんです。  (中略)  

⑤だから最近は、「鍛える」ことが教育や指導の現場で、もう一度重要なキーワードになってきたのだと思います。  (中略)

2.言葉の説得力と洞察力が不可欠

①指導者は選手達の個性に合わせて、いくつものやり方を使い分けなければなりません。  厳しくしかることもあれば、温かく励ますこともあります。  細かく教えることもあれば、ヒントだけ与えて放っておくこともあります。  

②それぞれの選手がどんなタイプなのか、指導者は見抜く目を持ってなければなりません。  言葉の説得力と同時に、そういう洞察力を持っていることが、指導者にとっては不可欠な資質だと思います。

③難しい仕事ですが、自分が教えたことを選手ができるようになったとき、チームが成長して結果を出したとき、指導者もまた、心が揺さぶられるほどの感動を覚えます。  スポーツに限らず人を育てる仕事には、そんな喜びと面白さがあると思います。』

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山崎正和さん『世論と空気』

今日の朝日新聞朝刊に『世論と空気』と題したインタビュー記事が出ていました。  表題の次に「民主党の地滑り的勝利を生んだのは何だったのか。  大衆社会の気分や動向を長く見つめてきた、劇作家で評論家の山崎正和さんに聞く。」と書いてあります。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私は日本社会に広がる「リーダーなきポピュリズム」が今回の結果を生んだと見ています。

②「ポピュリズム」はメディアでは「大衆迎合」とか「衆愚政治」などと言われますが、ここでは「ある問題を、主として否定することをテーマに、大多数の人がムードに乗って一気に大きく揺れること」としましょう。  人々が互いに過剰に適合しあって、雪だるまのように世論が形成されていく、そういう状態です。

③一人ひとりが熱狂的だとファシズムになりますが、そうでなくても、互いに影響しあうことで全体では熱狂的な結果が生まれる、それがポピュリズムの特徴です。  (中略)

④今回の衆院選は前回2005年の、小泉政権によるいわゆる「郵政民営化選挙」と対になっています。  どちらも特徴はワンフレーズ選挙です。  前回は小泉さんの「郵政民営化」以外のテーマはほとんど関心を引かず、今回は鳩山さん(あるいは小沢さん)の言う「政権交代」に終始しました。  (中略)

⑤歴史を振り返ると、ポピュリズムは、人間はどう振る舞ったら良いかが暗黙の了解として存在しているときには発生しません。  不安な時代、あるいは既成の秩序がゆるんだ時に起きやすいのです。  (中略)

⑥じっくり考えるよりも、すぐに反応する、すぐに断定する、何でも二者択一で考える。  そういう社会に進んでいるように私には見えます。  (中略)

⑦かって評論家の山本七平さんが「空気」と呼んだ、あのえたいの知れない世論の流れが非常に形成しやすくなりました。  これは日本人の伝統的な性向にも合うんですね。  世の中の流れに乗り遅れまいとする傾向です。  (中略)

⑧即反応、即断定、二者択一。  そうした性向を持った多数の人々が、時々の「空気」を読んで行動したら、その集積は巨大な変化を生むでしょう。  私は「世論形成の液状化現象」と呼んでいます。』

記事中の山本さんの写真の下に「英国の人類学者ダンバーが唱えた、人間の社会は無駄話やゴシップが作ってきたという説に注目している」と書いてありました。

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邱永漢先生『「運」や「ツキ」の力』

作家・経済評論家の邱永漢(きゅう・えいかん)先生が読者の質問に答える形式のサイト『ハイハイQさんQさんデス』の8月29日(土)の内容を抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.読者からの質問:「運」や「ツキ」の力

私は経営者の立場におりますが、「運」や「ツキ」を信じております。  会社の業績も努力だけではなく、「運」や「ツキ」の力も必要だと思っておりますが、邱先生は如何お考えですか?

2.邱永漢先生の答え

①人間にはやはり運といいますかツキといいますか、そういう波がつきまとうし、従って生まれつきツキのいい人・悪い人、運のいい人・悪い人があると思います。

②しかしそれ以上に大切なことは自分は運やツキのいい人だと思うか思わないかだと思います。  

③それを信じる人は、なるべく運がつくように、ツキがあるように動きます。  自分の方でその方向に動くわけですからチャンスも当然ふえます。  

④私にも「楽観主義のすすめ」という本がありますが、自分は運が悪いと思う人は必らず不運に見舞われます。  例えば、歩いていて上から看板が落ちてきて肩に当たった場合、自分が運が悪いと思う人は「やっぱりオレは運が悪い」と思うし、自分は運のいいと思っている人は「頭に当たらなくて良かった、やっぱりオレは運がいいなあ」と思うわけです。

⑤ですから、あなたもどうぞご自分は運のいい人、ツキのいい人と思って生活して下さい。』

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2009年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年10月