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2009年04月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年06月

(60) 2001年 第33回全日本

1.総本部事務局資料によると2001(平成13)年7月1日、福田達也が西湘支部長に就任しています。

2.7月9日、明大前道場を開設しました。  併せて、Kネットワーク東日本本部道場としての機能もスタートします。  旧・城西支部三軒茶屋道場のメンバーで、元全日本キック・バンタム級チャンピオンの貝沼慶多が師範代を務めることになりました。  総本部直属の一撃アカデミーとともに、極真の選手がK-1など他の格闘技に参加する際の指導機関としての役割を担うことになります。

3.7月14日、久米川道場を開設しました。  当初は全日本キックボクシング連盟傘下のジムとの併設でしたが、その後ジムが撤退したため、現在は東京城西支部の専用道場になっています。

4.11月3・4日、東京体育館で第33回全日本大会が開催されました。  城西関連の入賞者を紹介します。

①第6位・池田祥規(東京城西)・・・1回戦・上段廻し蹴り技有り判定勝ち、2回戦・3回戦・本戦判定勝ち、4回戦(伊藤慎選手)・試し割り判定勝ち、準々決勝(木山仁選手)本戦判定負け。

②第7位・田中健太郎(横浜港南)・・・1回戦・2回戦・3回戦・4回戦(山本雅樹選手)・本戦判定勝ち、準々決勝(木村靖彦選手)本戦判定負け。

5.12月8日開催のK-1WORLDグランプリ2001決勝においてフランシスコ・フィリォ選手が、マーク・ハント選手に延長ラウンドで判定負けしたものの、準優勝を果たしました。

東京は雨が降っています。  来週はウェイト制大会ですね。  よい週末を。

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小宮一慶さん『東郷平八郎元帥』

104年前の昨日と今日《1905(明治38)年5月27日と28日》、日本海対馬沖で司令長官・東郷平八郎元帥の率いる連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を壊滅させました。  その海戦中の東郷元帥の様子は4月27日のブログで取り上げましたが、『あたりまえのことをバカになってちゃんとやる』(小宮一慶著 サンマーク出版刊)にも書かれていたので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①鬱々(うつうつ・・・心がふさいで晴れ晴れしないさま)としているときは、チャンスなのです。  言い古された言葉ですが、死ぬ気になれば何でもできるのです。

②鬱々とした状態から成功した人の例で思い出すのは、日露戦争で無敵のバルチック艦隊を破った東郷平八郎元帥です。  彼は日本海海戦で連合艦隊の司令長官を務めますが、それ以前は舞鶴鎮守府(ちんじゅふ・・・軍港の警備、部隊の監督などを行なった機関)の長官をしていました。  いわば裏方の役目、左遷(させん・・・前より低い地位にうつされること)されていたようなものです。

③それをいきなり連合艦隊の司令長官に抜擢(ばってき・・・特にひきぬいて用いること)した人もすごいと思いますが、日本の命運を賭けた仕事を受けて立った、東郷平八郎元帥にも相当の覚悟があったに違いありません。  (中略)

④東郷元帥は旗艦三笠のブリッジに4、5時間も立ちつづけて、指揮をとったといいます。  当時の戦艦ですから、ブリッジには防護壁もなく鉄柵(てつさく)だけだったといいます。  当然のことながら、バルチック艦隊は旗艦めがけて集中砲火を浴びせたはずです。  一発でも被弾すれば即死です。

⑤それでも元帥はブリッジを動かなかった。  そして万一自分が被弾して、指揮がとれなくなったときのために、副官たちを安全な場所に移し、自分はブリッジに残りつづけました。

⑥自分はこの日本の命運を賭けた海戦に命を懸けている。  その気持ちがブリッジから彼を動かさなかったのだと思います。  

⑦その勇気とエネルギーは、たぶん、彼が鬱々とした生活を送っていたこととも関係していたのではないでしょうか。  場を与えられた喜びもあったことでしょう。』

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相田みつをさん『出逢い』

昨日配信された携帯サイト『相田みつをの心ー今日のことば』を紹介します。

『その時の出逢いが

その人の人生を

根底から変えることがある


出逢いが

人間を感動させ

感動が人間を動かす


人間を動かすものは

むずかしい理論や

理屈じゃない


人間を根底から変えていくもの

人間を本当に動かしていくもの

それは人と人との出逢い

その時の出逢いー


           相田みつを』

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赤瀬川原平さん『ため息の効用』

昨日の日経新聞夕刊に『ため息の効用』というインタビュー記事が出ていました。  インタビューに答えているのは作家・画家の赤瀬川原平さんです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①未曾有(みぞう・・・きわめて珍しいこと)の経済危機で地球のあちこちから、ため息が漏れている感じがする。  半世紀ほど前から積極的にため息をついてきた人物に登場してもらい、薀蓄(うんちく・・・深く研究して身につけた知識)を傾けてもらおう。  (中略)

②「二十歳のころ、友人と二人で意識的にため息をついた時期がありました。  美術学校の貧乏学生でした。  東京の湯島天神の近くにある店舗装飾の会社でアルバイトを始め、何とか暮らしていけるめどが付いた。  やれやれ、という気持ち、それにやせていて疲れやすい体質が、意識的にため息をつきやすくしていたように思います。」    

③ため息仲間のU君も同じ学生アルバイト。  彼は肥満体だったので、体格的にため息が出やすかったようだ。

「近くの食堂で昼食を食べ終えて、アーア。  坂道を上り終えて、アーア。  交差点で立ち止まっても、アーア。  二人でわざと声を出してやっていたものだから、会社でお茶を入れてくれるおばさんに注意される。  それがまたうれしくて、アーア。  へそ曲がりの美大生が、ほかに手段がないので、ため息でリズムを作ろうとしていたんですね。」  (中略)

④(ため息は)赤瀬川さんの人生にとって、どんな意味を持つのでしょうか?

「携帯のビール。  私はそんな風にとらえています。  仕事を終えて、やれやれとか、とりあえずとか、言って飲むビールはうまいですね。  人間は日々、無意識に呼吸をしています。  その中に、ビール的な呼吸を潜(ひそ)ませアクセントをつけるということです。」  (中略)

⑤ため息には様々な効用がある。

「私の体験では・・・。  心身が疲れたときに、深いため息をつき、さらに追い打ちをかけるように、あとからもう一度ついてみる。  実際の疲れ以上にため息をつくと、ため息が疲れを追い越していくんです。  疲労回復にプラスに働くんですね。  これが第一とすれば、第二の効用は、生活にリズムとか区切り、メリハリをもたらすことです。」』

日曜日は川嵜雅央が責任者を務める城西国分寺支部・南大沢道場の道場開きです。  よい週末を。

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小山薫堂さん『もったいない主義』

『もったいない主義』(小山薫堂著 幻冬舎新書)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  小山さんは放送作家、コラム・小説の執筆者、脚本家、ラジオパーソナリティー、企業の顧問やブランドアドバイザーなどとして活躍されています。  最近では、初めて手がけた映画脚本「おくりびと」が米アカデミ-賞外国語映画賞を受賞したことでも話題になりました。

『①失敗したら失敗したで、「これでよかったんだ」と思うクセがあります。  (中略)

②僕はいつでもベストの道に進んでいると思うことにしています。  たとえば楽しみにしていたある仕事が何かの都合で中止になっても、「これでよかったんだ」と思う。

③「すごくやりたい仕事だったけれど、もしあの企画が進行していたら、忙しすぎて身体をこわしていたに違いない。  だから神様が病気になるのを阻止してくれたんだ」と解釈する。

④あるいは何か新しいことを始めて失敗したら、「神様がこの世界には行くなと言ってるんだな」と解釈します。』

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天海『一隅を照らす』

1.『天海』(堀和久著 学陽書房刊)を読みました。

2.天海についてウィキペディアで検索し、抜粋して紹介します。

『天海(てんかい) (1536年? ~1643年11月13日)は、安土桃山時代から江戸時代初期の天台宗の僧である。  徳川家康のブレーンとして、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与した。  二代将軍徳川秀忠・三代将軍徳川家光にも仕え、寛永元年(1624年)には忍岡(上野)に寛永寺を創建する。  江戸の都市計画にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護(ちんご・・・乱をしずめ国を守ること)を構想する。』

3.本書から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①随風(後の天海)自身、「仏の道を修行し、及ばずながら一隅を照らす人になりたい」という初志を熱っぽく近親者に語ったのだった。

②一隅を照らす人とは、唐(中国)から帰国した宗祖・最澄が天台宗を確立した弘仁9(818)年に、比叡山(山家)の僧侶(学生)を養成する法式を朝廷に上奏する形で示した「山家学生(さんけがくしょう)式」の一節である。

③当時10歳であった随風は、龍興寺の瞬幸和尚から、天台宗の僧侶は、修行によって自ら世の一隅を照らす光となり、さらに人々を教化して一隅を照らす人を増やし、この世を光り輝く浄土と化すのが務めだと教えられ、「山家学生式」の全文を諳(そら)んじたものであった。  (中略)

④唐の古典「史記」に、魏(ぎ)の王が斉(せい)の王に「わが国には直径一寸(約3.03cm)の宝石が十枚もある」と自慢したところ「当方の家臣は、それぞれ一隅を守って敵に破られることがなく、将軍となれば千里を照らすほどの力をもつ」と応じた逸話(いつわ・・・エピソードのこと)があるという。』

4.江戸初期の人が107歳(本書では108歳)まで生きたというのですから驚きです。

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『プーチンと柔道の心』

『プーチンと柔道の心』(ウラジミール・プーチン他著 山下泰裕・小林和男編)を読みました。  ロシアのプーチン首相(元大統領 柔道5段)が他の二人と書いた柔道の本です。  元NHKロシア支局長の小林さんがプーチンさんにインタビューした部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

小林『柔道を習った目的は、世界チャンピオンを目指すことだったのですか。』

プーチン『①そんな、たいしたことではありませんでした。  目標は柔道の力を借りることでした。  かなり単純なものです。  

②私は子供の頃不良だったのです。  日本の皆さんにわかっていただけるかどうかわかりませんが、ほとんどの時間を外で遊んで過ごしました。  つまり、他の子供たちと一緒に、通りでよたっていたということです。  ですから、私は「通りで育った」と言ってもいいでしょう。

③両親は私をまともにしようと、接する時間をなるべくたくさん取ろうとしていました。  そのために母は仕事を辞めたくらいです。

④「通り」には厳しい掟(おきて)がありました。  特にあのくらいの年齢だと、何か揉(も)め事が起きたときには、数学の方程式が解けるかどうかで勝ち負けを決めるようなことにはなりません。  芸術や文学の知識も役には立ちません。

⑤たいていは、掴(つか)み合いの喧嘩(けんか)です。  はっきり言えば。  そして、強いものが正しい、ということになるのです。  強い人が頼られるのです。

⑥その頃の私の周りの世界でいい顔をするために、私はいろいろな方法で体を鍛えようとしました。  小柄でしたから。  ボクシングをしてみたり、レスリングをしてみたり、そうやっていくうちに柔道に辿(たど)り着いたわけです(13歳)。  

⑦ただ、柔道に辿り着いて、私は変わりました。  考え方だとか、人生観、他の人との接し方も変わりました。  そういうふうに、スポーツ、特に柔道は私の人生の中で大きな役割を果たしたのです。  センセイが良かったのです。』

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(59)2001年 第2回世界ウェイト制・第3回女子世界大会

1.2001年(平成13年)6月10日、大阪府立体育会館で第2回世界ウェイト制大会が開催されます。  城西関連では軽量級に八木沼史朗(城西世田谷東)、中量級に進裕治(城西世田谷東)、軽重量級に市村直樹(城西下北沢)・田中健太郎(横浜港南)・池田祥規(東京城西)が出場しました。 

①軽量級・・・八木沼は2回戦からの出場で、本戦判定勝ちします。  3回戦は準々決勝となっており、前回大会チャンピオンのピーター・サヴィッキー選手(ポーランド)と対戦し、延長2回判定勝ちしました。  続く準決勝では田ケ原正文選手に本戦判定負けしますが、3位決定戦でリュウジ・イソベ選手(ブラジル)に本戦判定勝ちし、第3位に入賞します。

②中量級・・・進も2回戦からの出場で、延長1回判定勝ちします。  準々決勝はアレキサンダー・カルバチョフ選手(東ロシア)に延長2回判定勝ちしました。  準決勝は木立裕之選手に本戦判定負けし、3位決定戦もホスロ・ヤクビ選手(イラン)に上段廻し蹴りで一本負けし、第4位でした。

③軽重量級・・・市村も2回戦からの出場で、延長1回判定勝ちで準々決勝に進みます。  ヴセヴォルド・モキレヴ選手(東ロシア)と対戦し、中段廻し蹴りで一本勝ちしました。  準決勝は木山仁選手に延長1回判定負け、3位決定戦も田中に延長1回判定負けで第4位でした。
 
田中も2回戦からの出場で、延長1回判定勝ちし、準々決勝に進みます。   ヨハン・ハーブスト選手(南アフリカ)と対戦し、本戦判定勝ちしました。  準決勝はセルゲイ・オシポフ選手(西ロシア)に延長1回上段廻し蹴り技有り判定負けしますが、3位決定戦で市村に延長1回判定勝ちし、第3位となります。

池田は1回戦は本戦判定勝ちしますが、2回戦でセルゲイ・オシポフ選手に延長1回判定負けします。

2.第2回世界ウェイト制大会前日の9日、同じく大阪府立体育会館で第3回女子世界大会が開催されました。  城西関連では軽量級に江口美幸(城西国分寺)、中量級に中村章子(城西世田谷東)が出場しました。

①軽量級・・・江口は1回戦はシードです。  2回戦は本戦判定勝ちし、準々決勝はイザベル・シモン選手(カナダ)に中段突き技有り判定勝ち、準決勝はアンナ・アノソバ(ロシア)に本戦判定勝ちしました。  決勝の相手は前回大会チャンピオンのエワ・パウリコスカ選手(ポーランド)です。  前回大会の準決勝で負けた相手に延長2回判定勝ちし、日本人初の女子世界チャンピオンとなります。

②中量級・・・中村も1回戦シードで、2回戦は本戦判定勝ちします。  3回戦もプージャ・シパニ選手(インド)に本戦判定勝ちしました。  準々決勝はメラニー・チャボット選手(カナダ)に本戦判定勝ち、準決勝はマルタ・ドゥカ選手(ルーマニア)に延長2回判定勝ちします。  決勝はオルガ・ミキルツモバ選手(ロシア)に試し割り枚数1枚差で破れ、準優勝でした。

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(58)2001年 早大同好会・18回ウェイト制

1.2001(平成13)年4月、早稲田大学同好会が発足します。  早稲田実業高校在学中に入門した浅郷剛と林真司が大学2年生になったのを機に両名を中心として活動が始まりました。  2009年5月現在、51人のメンバーが在籍しています。

2.4月14・15日、代々木第2体育館で第18回全日本ウェイト制大会が開催されました。  6月に行なわれる第2回世界ウェイト制大会の選抜選手権を兼ねています。  ベスト8以上に勝ち上がった城西関連の選手を紹介します。

(1)軽量級
①準優勝・八木沼史朗(城西世田谷東)・・・1回戦・シード、2回戦・3回戦・4回戦・準々決勝(山下武範選手)・本戦判定勝ち、準決勝(安田幸治選手)・延長1回上段廻し蹴り一本勝ち、決勝(福井裕樹選手)・本戦判定負け。

②ベスト8・尾崎亮(城西世田谷東)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・4回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(塩島修選手)・延長2回判定負け。

③ベスト8・大貫直人(横浜北)・・・1回戦・2回戦・3回戦・本戦判定勝ち、4回戦・延長1回判定勝ち、準々決勝(福井裕樹選手)・本戦判定負け。

④ベスト8・伊藤貴博(城西世田谷東)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・4回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(安田選手)・延長1回判定負け。

(2)中量級
①優勝・進裕治(城西世田谷東)・・・1回戦シード、2回戦・上段廻し蹴り技有り判定勝ち、3回戦・4回戦・準々決勝(成田武治)・準決勝(井野真孝選手)・本戦判定勝ち、決勝(福田達也)・延長1回判定勝ち。

②準優勝・福田達也(高知道場)・・・1回戦シード、2回戦・上段廻し蹴り合わせ一本勝ち、3回戦・4回戦本戦判定勝ち、準々決勝(里山義和)・準決勝(本間唯志選手)・延長2回判定勝ち、決勝(進)・本戦判定負け。

③ベスト8・里山義和(城西世田谷東)・・・1回戦シード、2回戦・本戦判定勝ち、3回戦・4回戦・延長1回判定勝ち、準々決勝(福田)・延長2回判定負け。

④ベスト8・成田武治(横浜桜木町道場)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・4回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(進)・本戦判定負け。

(3)軽重量級
①優勝・池田祥規(東京城西)・・・1回戦・上段廻し蹴り一本勝ち、2回戦・延長1回判定勝ち、3回戦・下段廻し蹴り技有り判定勝ち、準々決勝(洪太星)・準決勝(佐藤誉仁)・本戦判定勝ち、決勝(中川正士選手)・上段廻し蹴り一本勝ち。

②第3位・杉山史紘(横浜北)・・・1回戦・シード、2回戦・3回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(山辺光英)・下段廻し蹴り合わせ一本勝ち、準決勝(中川選手)・上段膝蹴り一本負け、3位決定戦(佐藤誉仁)・下段廻し蹴り技有り判定勝ち。

③第4位・佐藤誉仁(城西世田谷東)・・・1回戦・本戦判定勝ち、2回戦・延長1回判定勝ち、3回戦・準々決勝(内藤慎也)・本戦判定勝ち、準決勝(池田)・本戦判定負け、3位決定戦(杉山)・下段廻し蹴り技有り判定負け。

④ベスト8・洪太星(横浜港南)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・上段廻し蹴り一本勝ち、準々決勝(池田)・本戦判定負け。

⑤ベスト8・内藤慎也(湘南)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(佐藤)・本戦判定負け。

⑥ベスト8・山辺光英(東京城西)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(杉山)下段廻し蹴り合わせ一本負け。

(4)重量級
①第4位・近藤博和(城西世田谷東)・・・1回戦・本戦判定勝ち、2回戦・準々決勝(佐藤昇選手)・延長1回判定勝ち、準決勝(足立慎史選手)・本戦判定負け、3位決定戦(市川雅也選手)・本戦判定負け。

②ベスト8・御子柴直司(横浜東)・・・1回戦本戦判定勝ち、2回戦・体重判定勝ち、準々決勝(市川選手)・本戦判定負け。

日曜日は審査会です。  よい週末を。

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外尾悦郎さん『サグラダ・ファミリア』

昨日の日経新聞夕刊に外尾悦郎(そとお・えつろう)さんのインタビュー記事が載っていました。  テーマは「若者の適職とは何か」です。  外尾さんは1882年にアントニオ・ガウディが着工し、現在も建築中のサグラダ・ファミリア(聖家族教会 スペイン・バルセロナ)の主任彫刻家(彫刻部門の責任者)です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①31年前、24歳の時、石を彫刻する仕事に就きたいとの気持ちが抑えきれなくなった。  高校の教師を辞め、石造建築の本場である欧州へ渡った。  (中略)

②現在は欧州有数の観光地となったサグラダ・ファミリアだが、当時は知名度が低く、観光客など皆無だった。  (中略)  無理やり頼み込んで採用試験を受けさせてもらい、専属の彫刻家として働き始めた。  (中略)

③私ほどの幸運の持ち主はいないと思う。  私は最高の適職に就けたと日々、実感している。  しかし、幸運だったのはサグラダ・ファミリアの彫刻家になれたことではなく、「石」と出会えたことだ。  一日中、石のことだけ考えていられれば、私はほかに何もいらない。  (中略)

④これだけ多種多様な事象があふれる世の中で、誰にとっても必ず、私にとっての「石」のようなものが見つかると信じている。

⑤もちろん実際にそれが見つかることは極めてまれだろう。  だが、だからこそ若者たちには、それを見つける努力をしてほしい。

⑥同時に、努力すれば必ず報われるはずだという甘い考えを捨て去る厳しさや、非情な現実と向き合う強さも、併せ持っていてほしい。』

以前からガウディの建築には大変興味を持っているのですが、残念ながらまだ実物を見たことがありません。  

先週の日曜日にスペイン料理店に行き、数年前にテレビのドキュメンタリー番組で見た外尾さんの話をしたばかりです。  パエリアとサングリアが最高でした(笑)。
  

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新渡戸稲造『自警』

1.『自警(じけい)』(新渡戸稲造著 渡邊毅編訳 PHP研究所刊)を読みました。

2.ウィキペディアを参考にした新渡戸稲造の紹介です。

『新渡戸 稲造(にとべ いなぞう 1862年~1933年)、農学者・教育者。  国際連盟事務次長も務めた。  著書 『武士道』(『Bushido:The Soul of Japan』)は、流麗(りゅうれい)な英文で書かれ、名著と言われている。』

3.編訳者あとがき(『「新しい道徳」の構築者・新渡戸稲造』)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①博士による「新しい道徳」の構築は、『武士道』発刊の約十年後に、いわゆる「修養書」と呼ばれる著作群となって実現されていく。

②修養と言う言葉は現在あまり使われなくなったが、簡潔に言えば道徳によって人格を養い育てていく、といった意味である。

③だから修養書というのは現代では「道徳読本」というぐらいに訳してよいであろう。  本書『自警』は、この修養書の一つとして数えることができる。』

4.『自警』本文から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①堅苦しくまじめくさって鎧兜(よろいかぶと)をつけ威張るものは、古来〝猪(いのしし)武士〟と呼ばれている。

②これに反して、外見は穏やかにして円満で人と争うということはないが、一旦(いったん)事変が起きたときはすごい力を発揮する人を〝真の武士〟と言っている。

③このような人は、この世の中にたくさんいる。  一見吹けば倒れそうで柔和な人が、いよいよというときに思いがけない力を発揮するという事例はたくさんある。

④イギリスの客船タイタニック号が大西洋で沈没したとき(1912年)の話である。  船が沈もうとしているときも泰然自若(たいぜんじじゃく・・・少しも物事に動じないさま)として落ち着きはらい、死に直面してもあせらず悠々(ゆうゆう)として船と運命をともにした者が数十名もいたという。

⑤このようなことは、大きな勇気と強い力を持つものでなければできない業(わざ)である。  普段は威張ったこともなく、穏やかに事務をこなす人でありながら、こうしたことができるというのは実に立派な人たちである。  人の強さということも、このレベルに達しなければならない。』

昨日紹介したチェズレイ・サレンバーガー機長みたいな人のことですね。  

これから総本部で郷田師範を中心にウェイト制大会の組み合わせです。

乞う御期待(笑)。

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『ハドソン川 奇跡の着水』

1.先週の9日の土曜日、午後11時10分から「BSドキュメンタリー」(NHKBS1)を見ました。  テーマは「ハドソン川 奇跡の着水」です。  イギリスで製作された、USエアウェイズ1549便不時着事故のドキュメンタリー番組でした。

2.USエアウェイズ1549便不時着事故は、今年の1月15日午後3時30分ごろ(現地時間)、ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便がニューヨーク市マンハッタン付近のハドソン川に不時着水した航空事故です。

3.ウィキペディアで「USエアウェイズ1549便不時着事故」を検索してみました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。 

『①USエアウェイズ1549便は、エアバスA320(1999年製造)に操縦要員2名・客室乗務員3名と乗客150名が搭乗し、ニューヨークのラガーディア空港からノースカロライナ州のシャーロット・ダグラス国際空港へ向かう便であった。  しかし離陸直後、バードストライク(飛んでいる鳥がエンジンに入るトラブル)によって両エンジンが停止し、機体維持が出来なくなった。  空港管制は、近くのテターボロ空港への着陸を指示した。

②離陸後、およそ北方向に向かい、そのあと時計と反対周りに旋回してハドソン川に沿って南下した乗務員は事態の改善に努力したがエンジンは再始動せず、機長のチェズレイ・サレンバーガーは不時着しか手段が無いと判断した。

③異常発生から約3分後、1549便はパイロット達の懸命な操縦によりニューヨーク市マンハッタン区とニュージャージー州ホーボーケン市の間に流れるハドソン川へ通常着陸時と同様の滑るような着水をした。  そのため機体の損傷は無いに等しく、乗客ら全員が迅速に機体から脱出シューターに避難した。

④乗務員は、(1)川へ着水させて市街地への墜落を防ぐ、(2)機体後方のドアを開けないなど、エンジン停止と不時着水という非常事態に冷静に対処した。

⑤特に機長は不時着水後も機体内を2度見回り、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから自身も脱出する等、最後まで冷静に事態の対処にあたった。

⑥乗員乗客全員が助かったことから、ニューヨーク州知事のデビット・パターソンはこの一件を"miracle on the Hudson"(“ハドソン川の奇跡”)と呼んで褒め称えた。』

4.脱出の際、機体沈没を恐れて一旦ハドソン川へ飛び込んだ後、救命ボートに救助された乗客がインタビューに答えていました。

『救命ボートには最後に脱出した機長も乗っていました。  私がずぶ濡れなのを見ると「そのままでは凍えるよ。」と言って、自分が着ていた服を脱いで渡してくれました。』

感動しました。

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勝間和代さん『運を戦略的につかむ』

経済評論家・公認会計士の勝間和代さんが書かれた『起きていることはすべて正しい(運を戦略的につかむ勝間式4つの技術)』(ダイヤモンド社刊)を読みました。  『「他人に対しての貢献」の大きさが引き寄せる運の総量になる』という項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①応援団が生まれる手法は意外と簡単で、自分の能力を最大限に発揮して、他人に対して貢献できればできるほど、周りに応援団も生まれますし、周りの人たちも私たちがやろうとしていることについてサポートを惜しまないようになるのです。

②私はどうやって応援団を作るかについて、「GIVEの5乗」という表現を使っていますが、自分ができることについては、なるべく多くの人に対して知恵なり、人脈なり、考え方を供給することを推奨しています。

③そうすれば、相手がGIVEされた物に強く感謝し、何か自分が相手を助けられるときには、なるべく相手に貢献しようという気持ちがふつふつと湧いてくるからです。  (中略)

④このような自分の力をまず醸成し、それを還元し、応援団をつけるというスパイラル(循環するような変動のこと)を1度身につけてしまうと、自分自身の価値観や行動パターンについて、そのようなパラダイム(物の見方や思考の枠組みのこと)でしか逆に周りを見られなくなります。

⑤ただし、そのようなパラダイム・チェンジに至るまでには、この本で書いてきたようなトレーニングや力をつける必要がありますが、これらを行なった人には非常に高い確率で自然と運が向いてくるような好循環の育成ができるようになるでしょう。』

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(57)2000年 17回ウェイト制・32回全日本

1.2000(平成12)年4月9日、内山武盛が宮崎県支部長に就任しました。

2.6月17・18日、大阪府立体育会館で第17回全日本ウェイト制大会が開催されました。  ベスト8以上に勝ち上がった城西関連の選手を紹介します。

(1)軽量級
①準優勝・尾崎亮(城西世田谷東)・・・1回戦・シード、2回戦・3回戦・延長1回判定勝ち、4回戦・5回戦・準々決勝(西村和晃選手)・準決勝(八木沼)・本戦判定勝ち、決勝(田ヶ原正文選手)・本戦判定負け。

②第3位・野加久詞(城西国分寺)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・4回戦・5回戦・準々決勝(福田高広選手)・本戦判定勝ち、準決勝(田ヶ原選手)・本戦判定負け、3位決定戦(八木沼)・本戦判定勝ち。

③第4位・八木沼史朗(城西世田谷東)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・4回戦・5回戦(リュージ・イソベ選手)・準々決勝(安田幸治選手)・本戦判定勝ち、準決勝(尾崎)・3位決定戦(野加)・本戦判定負け。

④ベスト8・伊藤貴博(城西世田谷東)・・・1回戦シード、2回戦・本戦判定勝ち、3回戦・上段廻し蹴り一本勝ち、4回戦・本戦判定勝ち、5回戦・中段廻し蹴り技有り判定勝ち、準々決勝(田ヶ原選手)・本戦判定負け。

(2)中量級
①第3位・池田祥規(東京城西)・・・1回戦シード、2回戦・3回戦・4回戦・準々決勝(大谷善次)・本戦判定勝ち、準決勝(木立裕之選手)・延長2回判定負け、3位決定戦(金森俊宏選手)・上段廻し蹴り一本勝ち。

②ベスト8・大谷善次(城西国分寺)・・・1回戦・延長1回判定勝ち、2回戦・下段廻し蹴り技有り判定勝ち、3回戦・本戦判定勝ち、4回戦・延長1回判定勝ち、準々決勝(池田)・本戦判定負け。

(3)軽重量級
①優勝・田中健太郎(横浜港南)・・・1回戦・下突き合わせ一本勝ち、2回戦・3回戦・準々決勝(瀬戸哲男選手)・本戦判定勝ち、準決勝(菅野哲也選手)・下段廻し蹴り技有り判定勝ち、決勝(住谷統選手)・本戦判定勝ち。

②第4位・御子柴直司(横浜東)・・・1回戦・本戦判定勝ち、2回戦・3回戦・延長1回判定勝ち、準々決勝(辻本諭選手)・本戦判定勝ち、準決勝(住谷選手)・3位決定戦(菅野選手)・本戦判定負け。

③ベスト8・成田武治(横浜桜木町道場)・・・1回戦・2回戦・3回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(菅野選手)・本戦判定負け。

(4)重量級
①優勝・近藤博和(城西世田谷東)・・・1回戦シード、2回戦・下段廻し蹴り技有り判定勝ち、準々決勝(小野瀬寧選手)・準決勝(市川雅也選手)・決勝(徳元秀樹)・本戦判定勝ち。

②準優勝・徳元秀樹(横浜港南)・・・1回戦シード、2回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(渡部篤選手)・中段廻し蹴り技有り判定勝ち、準決勝(樋口恵士選手)・延長1回判定勝ち、決勝(近藤)・本戦判定負け。

3.11月4・5日、東京体育館で第32回全日本大会が開催されました。  城西関連の入賞者を紹介します。

①第3位・市村直樹(城西下北沢)・・・1回戦・2回戦・3回戦・本戦判定勝ち、4回戦(入澤群選手)・延長1回判定勝ち、準々決勝(幸龍敬選手)・本戦判定勝ち、準決勝(木村靖彦選手)・本戦判定負け、3位決定戦(木立裕之選手)・下段廻し蹴りと中段突きの合わせ一本勝ち。

②第7位・田中健太郎(横浜港南)・・・1回戦・2回戦・3回戦・4回戦・本戦判定勝ち、準々決勝(木山仁選手)本戦判定負け。

4.12月20日、新宿道場を開設します。  道場開き・初稽古には松井館長を始め、城西OBの支部長が多数参加してくれました。  その後、羽田シゲルのお兄さんが店長を務める中華料理店で忘年会を行ないました。

五連休の後、二日仕事しただけで、また二連休です。  よい週末を。


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植島啓司先生『偶然のチカラ』

関西大学教授で宗教人類学者の植島啓司先生が書かれた『偶然のチカラ』(集英社新書)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「いい流れには黙って従う」のが得策である。  あまり幸運が続くと、次は不運がやってきそうで不安になり、別の流れに乗ろうかと迷うケースがしばしばある。  しかし、いかなるときでも、好ましい流れは自分から放棄してはならない。  

②もし流れが悪くなったら、そのとき初めてどうすればいいのか考えればいいことで、自分から動いてはいけないということである。  あくまでもわれわれが運命を引っ張るのではなく、運命がわれわれを導いてくれるように、さりげなく振る舞うことが肝心なのである。  (中略)

③いいときは、未来は決まっているように見える。  だが、悪いときは未来は一瞬にして闇のなかに閉ざされてしまう。  そんなときにじたばたして資格を取ろうとしたり何か努力しなければいけないと考えるのは誤りだ。  悪ければ悪いほど、これまでの自分のままでそれに対処していかなければならない。

④では、そういうときにいったいどうすればいいのだろうか。  人類の歴史が教えるところに従えば、そういうときには、逆説めいて聞こえるかもしれないが、「自分をなくす」ことがもっとも理にかなった行動となる。

⑤「自分」を前面に押し出すほど周囲が見えなくなってくる。  そんなときには、自分を限りなく縮めていって流れを見やすくするのである。  逆にいうと、あまり自分に固執してばかりいると、もっと別の力が入り込む余地がなくなってしまうということである。』

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(56)1999年 16回ウェイト制・第7回世界大会

1.1999(平成11)年6月12・13日、大阪府立体育会館で第16回ウェイト制大会が開催されました。  城西関連の入賞者を紹介します。

①軽量級・・・尾崎亮(城西世田谷東支部)がベスト8に入りました。  尾崎は1回戦から4回戦まですべて本戦判定勝ちします。  続く準々決勝で成島竜選手に上段膝蹴りで技有りを取られ、本戦で判定負けしました。

②中量級・・・福田達也(城西世田谷東支部)と荒井裕志(城西世田谷東支部)がベスト8に入ります。  1回戦シードの福田は2回戦・3回戦は本戦判定勝ち、4回戦は延長1回判定勝ちしました。  準々決勝で伊藤慎選手に本戦判定負けします。

前年の第15回ウェイト制大会で優勝した荒井も1回戦はシードで、2回戦は下突きで技有りを取り、本戦判定勝ちしました。  3回戦・4回戦とも本戦判定勝ちしますが、準々決勝で優勝した木立裕之選手に本戦判定負けし、連覇はなりませんでした。

③軽重量級・・・田中健太郎(横浜港南支部)が第3位、御子柴直司(横浜北支部)が第4位、川本英児(東京城北支部)がベスト8に入ります。  1回戦シードの田中は2回戦・3回戦で本戦判定勝ちします。  4回戦で池田雅人選手に、準々決勝で林圭一選手にそれぞれ本戦判定勝ちしますが、準決勝で優勝した足立慎史選手に本戦判定負けします。  3位決定戦では御子柴に延長1回判定勝ちしました。

御子柴も1回戦シードで、2回戦・3回戦は本戦判定勝ちします。  4回戦は市川雅也選手に延長1回判定勝ち、準々決勝は佐藤正博選手に本戦判定勝ちしますが、準決勝で住谷統選手に延長1回判定負けしました。

川本も2回戦からで、2~4回戦まで本戦判定勝ちしますが、準々決勝で足立選手に本戦判定負けします。

④重量級・・・佐野忠輝(城西世田谷東支部)が準優勝、近藤博和(城西世田谷東支部)がベスト8でした。  1回戦シードの佐野は2回戦・3回戦・準々決勝と本戦判定勝ちします。  準決勝で岩崎達也選手に延長2回判定勝ちしますが、決勝では優勝した志田清之選手に本戦判定負けします。

同じく1回戦シードの近藤は2回戦は本戦判定勝ちします。  続く準々決勝は志田選手に本戦判定負けしました。  

2.1999年11月5・6・7日、東京体育館で第7回世界大会が開催されます。  城西関連では前年の第30回全日本大会準優勝の田村悦宏(湘南支部)・4位の野地竜太(城西世田谷東支部)・6位の市村直樹(城西下北沢支部)、第16回ウェイト制重量級準優勝の佐野・軽重量級3位の田中、前年のワールドカップ・パリ大会で活躍した福田達也が出場しました。  全員1回戦はシードです。

①Aブロック・・・佐野が2回戦でシルヴェスター・シピエン選手(ポーランド)に体重判定負けしました。

②Bブロック・・・2回戦・3回戦ともに本戦判定勝ちした田村は4回戦でアーテム・プーカス選手(ロシア)に延長1回判定勝ちしますが、5回戦で3位に入賞したアレキサンダー・ピチュクノフ選手(ロシア)に体重判定負けします。  ベスト16でした。

③Cブロック・・・福田は2回戦で中段突きで技有りを取り本戦判定勝ち、3回戦も本戦判定勝ちします。  4回戦でグラウベ・フェイトーザ選手(ブラジル)と当たり、本戦は互角の勝負で会場を沸かせますが、延長1回上段廻し蹴りで一本負けしました。  ベスト32です。

市村は2回戦を本戦判定勝ち、3回戦を延長1回判定勝ちします。  4回戦でアミラン・ビターゼ選手(グルジア)に延長3回判定負けしました。  ベスト32です。

田中は2回戦を延長2回判定勝ちしますが、3回戦でセルジオ・ダ・コスタ選手(ブラジル)に上段廻し蹴りで一本負けします。

野地は2回戦が相手選手の試合放棄、3回戦は延長1回下段廻し蹴りで技有りを取り判定勝ち、4回戦は本戦判定勝ちでした。  5回戦はセルジオ・ダ・コスタ選手に試割り判定で勝ちますが、続く準々決勝でグラウベ・フェイトーザ選手に本戦判定負けします。  試割り枚数23枚で第7位に入賞します。

④決勝でブラジルのフランシスコ・フィリォ選手が数見肇選手に試割り判定勝ちし、外国人選手初の世界チャンピオンが誕生しました。

明日から6日まで5連休です。  よい休日をお過ごし下さい。

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