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2009年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年04月

前田義子さん『強運に生きるワザ』

『前田義子の強運に生きるワザ』(前田義子著 小学館文庫)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  前田義子(まえだのりこ)さんは株式会社フォクシー社主兼オーナーデザイナーで、2007年9月7日のブログでも取り上げさせていただきました。

『①何が運がよくて、何が運が悪いのかを考えるとき、たとえば両親がお金持ちで資金を出してくれるとか、社会的地位が高くて就職時のスタートラインが有利だとか、そういうことを「運がいい」と思っている人が世の中にはたくさんいると思います。

②でも、私から見るとそれはすごく運の悪いことなんです。  なぜなら、そういう親はあまり子供に苦労をさせたくないと思っていることが多いから、何かいやなことがあると、「そんなに苦労することないから、会社なんて辞めなさい」と言いがちなんですね。

③「苦労することない」と言い続ける親がいて、それを振り切りながら働くのはすごく大変なことだと、私は経験上知っています。

④だけど私は、「仕事はお金のためだけではなく、人間としての尊厳を守るために必要なこと」だと思っています。  自分の足で立つことによって、人間としての尊厳を保てるのです。  

⑤そしてそれは、私にとっては「自分が食べたいものを食べたいときに、だれに遠慮することなく食べる」ことで、そのためには、自分の収入がいるのだという認識をもっています。 

⑥だから、そんな哲学を持って働きたいと考えている人、特に女の子にとっては、「苦労させたくない」と思っている親を持つことは運の悪いことだと思うんです。』

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佐藤優さん『交渉術』

『交渉術』(佐藤優著 文藝春秋刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  佐藤さんは元・外務省国際情報局主任分析官です。

『①交渉の目的は、交渉を行うことによって、こちら側の利益の極大化を図ることである。  従って、交渉を行うことで、こちら側の利益が損なわれることが明白である場合は、交渉を行ってはならない。

②テーブルにつく以前に、すでに交渉は始まっているのである。  一般には、交渉といえば、丁々発止と議論を展開し、相手を説得するというイメージがあるが、それは交渉の一部でしかない。  私の理解では、広義の交渉術には三つのカテゴリーがある。

③第一のカテゴリーは、「交渉をしないための交渉術」である。  交渉を行ってもこちら側が損をすることが明白な場合は、そもそも交渉の土俵に上がってはならない。  (中略)  アメリカやイギリスがアルカイダと交渉しない、ロシアがチェチェン分離派と交渉しないという交渉術をとっているのも、アルカイダやチェチェン分離派を犯罪者集団として一方的に処理できる枠組みが必要だからだ。  (中略)

④第二のカテゴリーは、「暴力で相手を押さえつける交渉術」である。  相手の言い分には耳を貸さず、一方的にこちらの要求をのませる。  (中略)  もっともそれは、次に述べる「取り引きによる交渉術」と併用されることが多い。  「力の論理」だけでは弊害が多いからだ。  (中略)  現在、このカテゴリーの交渉術をとっているのが北朝鮮だ。  弾道ミサイルと核兵器による恫喝で、自国の利益極大化を図っている。  (中略)  北朝鮮のような弱い国が、この交渉術をとっても、いずれ息切れする。  そのときにこれまで温和(おとな)しくしていた他国が北朝鮮を徹底的に叩き潰そうとする。  中長期的には得策ではない。  (中略)

⑤第三のカテゴリーは、「取り引きによる交渉術」だ。  これが狭義の交渉術にあたる。  交渉術で伝達される技法のほとんどがこのカテゴリーで使用されることが想定されている。  (中略)  集団と集団の力関係が対等か、優劣はあるが、その差があまりない場合には、一方の集団が他方の集団を征服することができない。  あるいは征服することができたとしても、こちら側の損害と損失が大きすぎる。  (中略)  ことばなどを使い、さまざまなメッセージを交換することで、衝突を回避するのである。  (中略)

⑥第三カテゴリーの「取り引きによる交渉術」の場合、交渉に絶対勝利することができる確実な技法を身につけるということは、そもそも不可能なのである。  交渉とは、関係者全員が俳優、演出家、シナリオライター、観客の役割をもち、その役割が頻繁に移動するという不思議な劇場なのである。』

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(52)1997年 第1回世界ウェイト制・29回全日本

1.①1997年(平成9年)4月20日、両国国技館で第1回世界ウェイト制大会が開催されます。  城西関連では中量級に福田達也、軽重量級に市村直樹と杉山史紘、重量級に田村悦宏、女子軽量級に江口美幸が出場しました。  また、私も日本選手団の監督を務めさせていただきました。

②中量級・・・福田は2回戦からの出場で、延長1回判定勝ちします。  3回戦は準々決勝となっており、ブラジルのマルコス・コスタ選手と対戦します。  延長1回判定負けし、ベスト8でした。

③軽重量級・・・市村は1回戦延長1回判定勝ち、2回戦本戦判定勝ちで準々決勝に進みます。  中央ロシアのイゴール・シュミン選手と対戦しますが、延長2回判定負けし、ベスト8でした。

杉山は2回戦からの出場で、延長1回判定勝ちし、準々決勝に進みます。  ノルウェーのイギル・オークランド選手に本戦判定勝ちしました。  準決勝は優勝した高久昌義選手に本戦判定負けしますが、3位決定戦でイゴール・シュミン選手に本戦判定勝ちし、第3位となります。

④重量級・・・田村も2回戦からの出場で、本戦判定勝ちしますが、準々決勝でブラジルのグラウベ・フェイトーザ選手に上段廻し蹴りで一本負けします。  ベスト8でした。

⑤女子軽量級・・・江口は1回戦は不戦勝です。  2回戦が準々決勝で本戦判定勝ちしますが、準決勝では優勝したポーランドのエワ・パウリコスカ選手に延長1回判定負けします。  3位決定戦も渡辺雅子選手に延長一回・中段突きの合せ一本負けで、第4位でした。

⑥女子を含めた全6階級のうち、日本選手団は中量級の木山仁選手、軽重量級の高久選手と二人のチャンピオンを出すことができました。  監督として、少しホッとしたことを思い出します。

2.①1997年11月1・2日、東京体育館で第29回全日本大会が開催されました。  城西関連の入賞者を紹介します。

②第4位・・・田村悦宏。  1回戦本戦判定勝ちした田村は2回戦で成田武治と対戦し延長1回判定勝ちします。  3回戦も延長1回判定勝ちしました。  4回戦ではニコラス・ペタス選手と対戦し、試し割り判定勝ちします。  準々決勝は高尾正紀選手と当たり、延長1回下段廻し蹴りの技有りで判定勝ちしました。  準決勝はギャリー・オニール選手に体重判定負けします。  3位決定戦も堀池典久選手に延長1回判定負けし、第4位でした。

③第6位・・・市村直樹。  1回戦から3回戦まで本戦判定勝ちします。  4回戦は木村靖彦選手と対戦し、本戦判定勝ちしました。  準々決勝ではギャリー・オニール選手と対戦し、延長1回判定負けします。  試し割り合計枚数21枚で第6位でした。

よい週末を!  

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桜井章一さん『人を見抜く技術』

『人を見抜く技術』(桜井章一著 講談社刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。  副題は『20年間無敗、伝説の雀鬼(麻雀の鬼)の「人間観察力」』となっています。

『①中国に古来から伝わる代表的な武道のひとつに太極拳がある。  太極拳の動きはみなさんご存じのように、ゆっくりとした静かな動きの連続だ。  あのしなやかな動きを体現するには、体力のみならず、精神面や呼吸法といった内面的な鍛練もかなり必要とされる。  あの動きにも〝剛〟を制する〝柔〟の強さの秘密が隠されている。

②柔らかい動きは、同じ力を出すにしても、余分な力を必要としないため効率がよくスタミナ切れもしにくい。  動きの〝省エネ〟といってもよいだろう。  さらに、柔らかい動きは次の動きに入りやすいし、相手の変化にもついていくことができる。

③私が考える勝負の三原則は「臨機応変」「適材適所」「柔軟性」だ。   臨機応変はどんな状況にも動じず冷静に対応するということ、適材適所はその場その場にふさわしい行動、動きをとらなければならないということ。  そして最後の柔軟性は、肉体的な柔軟性ということではなく思考的な柔軟性、「どう攻めようか、どう受けようか」という考え方の柔らかさを示している。

④つまり動きの柔らかさとともに、思考の柔らかさも持っていなければならないということなのだ。  ところが日本では、トップアスリートと呼ばれる人たちの中にも、これが固いままでトレーニングを積んでいる人が少なくない。

⑤思考の固い人は筋肉や関節の動きなど体のいたる箇所が硬い。  そして体の硬い人は心も固くなってくる。  「固い意志」を持つことが日本では美徳とされるようなところがあるが、本来は柔軟な「柔らかい意志」のほうがいい。

⑥アスリートでも、精神的、肉体的に柔軟性を欠いているために、才能があるにもかかわらず伸び悩んでいる人もたくさんいる。  柔軟性というのは、あらゆる勝負事においてとても大切な要素なのだ。』

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ビートたけしさん『下世話の作法』

『下世話の作法』(ビートたけし著 祥伝社刊)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(前略)  なんてことを言うのも、今の日本人のスポーツ選手って、試合前から「死ぬ気で行く」とか「叩き殺してやる」とか、そんな下品な言葉をいつから口にするようになったのかという思いがあるからでね。  勝ったら勝ったで雄叫(おたけ)びを上げたり大げさなガッツポーズをつくったり、日本人なのに外国人みたいなオーバーアクションをするじゃない。

②日本は柔道を外国に売り渡しちゃったからいけないんだと思うけど、やっぱり日本の武道とか伝統的なことを考えりゃ、外国式のリアクションは慎むべきだよ。  ジャパニーズのかっこよさとは、自分の喜怒哀楽(きどあいらく)をあまり表に出さないで、つねに相手を気使うところにあるんだから。  柔道も剣道も「礼に始まり礼に終わる」のが基本なんだろう。  それは相手を思いやる謙虚な気持ちを持ちなさいってことじゃないの。

③試合で勝つっていうことは、つまり負けた相手がいるわけで、相手は家族から国民からみんなに応援されて、なおかつ試合に負けちゃった。  われわれだって夜中にテレビを見ていて、試合で日本の選手が負けるとガックリするでしょ。  それと同じことを相手に思わせているんだから、もう少し気を使ったらどうなんだって。  勝ったからって派手に喜んじゃいけない。  勝っただけで自分はもう充分だというような態勢でいるべきじゃないか。

④つねに相手を思いやる、人に気を使うという日本特有の精神構造をもう一回持たないと、日本人はかっこよくならないと思う。』

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工藤公康投手『現役力』

プロ野球記録の実働28年目、現役最年長の45歳、横浜ベイスターズの工藤公康投手が書かれた『現役力』(PHP新書刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「後輩達の未来が見える」  最近ぼくは、こんな言葉を使うようになりました。  それは、いままでに多くの後輩たちを見てきて、自分が経験してきたことを併せてデータ化した結果、道半ばにして辞めていった人間と、よくなった人間との境界線を知るにいたったからなのです。  (中略)

②もっとも陥りやすい落とし穴が、自分の過去の栄光をどうしても捨てられないことだと思うのです。  (中略)  身体が日に日に衰えているにもかかわらず、よかったときの自分しか見えていない。  成功していたときにやっていたトレーニング方法とか、キャンプの過ごし方を、いつまでも同じように続けようとする。  年齢を重ねているにもかかわらず。  (中略)

③「工藤さん、いいときのイメージをもってやろうとするのは、大事なことじゃないですか」

「大事だよ」

「じゃあ、そのときのイメージでキャンプを送れるんだったら、同じようにいいシーズンを送れるんじゃないですか」?

「じゃあ、そのとき20勝した人間は、永遠に20勝できるのか」

「いや、そんなことはないですけど、でも、2、3年は続きません?」  そんなのんきなことを平気で口にするのです。

「続かないのがプロだろ。  相手はおまえのことをもう知りつくしているんだ。  知らないうちは、どうにか抑えられる。  でも、相手は必ずおまえのことを研究してくる。  同じレベルで戦ったら、今度は打たれるに決まってない?  たとえ去年と同じくらいスピードもキレもあったとしても、同じでいるうちは打たれるでしょ。  それがプロというものなんだよ。  だから新しい球種を覚えたり、コントロールに磨きをかけたり、それまで投げなかった組み立てをしたりして、すこしでも現役の寿命を延ばそうと努力するものなんじゃないの」  (中略)

④そうした後輩たちの少なくない数が、それでもなお自分を変えようとせずに、いつのまにか辞めていく。  気づかないことは致命的なのです。  せっかく潜在能力がありながら、大切なことに気づかないために、みずから道を閉ざしてしまう。  ほんとうに残念です。  でもこれが、その人間の未来を分ける残酷な境界線なのです。』

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泉正人さん『お金の教養』

『お金の教養』(泉正人著 大和書房刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①なんでもかんでも節約ばかりしていては、人生におもしろみがありません。  それこそ貯蓄だけが目的の人生になってしまっては、本来のお金の価値を楽しむことはできません。  お金を価値のあるものやサービスにはしっかり使い、価値のないものやサービスに対しては使わない、というルールが必要です。

②私の考えるルールとは、私たちが普段使う小さなお金を、使い方によって「投資」と「消費」と「浪費」の3種類に分けて考えるということです。

・買ったものが、払った額以上の価値がある=「投資」

・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」

・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」

③たとえば、英会話スクールで優秀な講師からマンツーマン指導を受け、ビジネス英会話を完璧にマスターする。  この授業料は明らかな「投資」です。  (中略)  こういう自己投資は、使った額は大きいですが、大きな投資となって自分に戻ってくる良い投資です。

④月に1度のおいしい高級レストランで食事するのも、その味や雰囲気を味わい、人としての経験や教養が高まるのであれば、それは「投資」となるでしょう。  また、急いでいるときにタクシーに乗る。  これは「消費」でしょう。  早く目的地に到着したいという目的と、タクシー代という額が、一致しているのです。

⑤ところが、ストレスが溜まっているからと言って暴飲暴食をしたり、使わないようなダイエットグッズを衝動的に購入したりするのは、単なる「浪費」となってしまうのです。  (中略)

⑥浪費を減らすよい方法があります。  それは「欲しいものと必要なものを区別する」という方法です。  私たちは、新しいものやカッコイイものを見ると、それが欲しくなり、所有欲がわき上がります。  (中略)  所有欲が高まっているときは、なんでも「必要なもの」と思いがちです。

⑦そこで欲しいものを見つけたら、私はまずメモをするようにします。  その時点では買わずに1度だけ我慢をするのです。  そして1週間だけそのまま待ってみる。  1週間経っても欲しい気持ちに変わりがなければ、それは「必要なもの」と考えて購入するようにしますが、1週間経って欲しい気持ちが少しでも薄らいでいるようなら、それはただの「欲しいもの」だったのです。』

三連休ですね。  明日は墓参り、明後日は父の一周忌です。  よい週末を!

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堀江貴文さん『徹底抗戦』

ライブドアの元社長・堀江貴文さんが書かれた『徹底抗戦』(集英社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①一度目の起訴が終わり、拘置所内で次の逮捕を待っていた時期の話だ。  いつもと同様、高井弁護士、政木道夫弁護士が面会に来た。  その日は特別に、二枚の色紙を持ってきてくれた。  その色紙には・・・・・・ライブドア社員たちからの応援メッセージがびっしりと書き込まれていた。

②いつも以上に精神的に追い込まれ、孤独で感傷的になっていたのかもしれない。  生まれて初めてか、あるいは少年時代まで遡(さかのぼ)らないと思い出せないほど、号泣した。  嗚咽(おえつ)した。  そこにいた弁護士らはみな、もらい泣きしていた。

③そのときの政木弁護士の言葉が忘れられない。  「どんなに泣いてもいいんだよ。  泣くことで嫌なこともすっきり洗い流せる」

④ところが、嫌味(いやみ)な検察官は、その色紙にクレームをつけたそうだ。  「堀江を元気づけるようなことするな」と。

⑤元気になんかなるはずないよ。  ただ、みんなの気持ちがうれしかった。』

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北の湖・麻生首相・松尾スズキさん

1.『小川宏の心に残るいい話』(小川宏著 清流出版刊)より

『①昭和という時代をかけ抜けたスター・長谷川一夫さんから聞いた、とっておきの話がある。  長谷川さんは相撲が好きでよく見るとおっしゃった。

②昭和五十年代に活躍した大横綱に北の湖がいた。  「勝ったあとの態度が小にくらしいので好きになれません」といった後、長谷川さんは唇に指をあてて口外無用の仕草をされた。

③某日、ある雑誌社からの依頼で、その北の湖と対談した。  話し終えたあと、関係者に席をはずしてもらい、二人だけのこった。  相撲にのこったはつきもの。  長谷川さんは人生の先輩として苦言を呈した。  「あなたにもう少し愛嬌があれば、花も実もある横綱の地位が保てます」

④これを聞いた北の湖は、教えられない理由があるという。  長谷川さんは粘った。  根負けした北の湖が、他言無用と念押ししてこう答えた。  「先生の出演された忠臣蔵を見ると、大石内蔵助ばかりでは芝居が成り立ちません。  悪役(吉良上野介)がいたからこそ、芝居が成り立ってお金が入ります。  そう思ってあえて悪役を演じています」

⑤以後、ファンになったとのこと。  第一印象の評価には落とし穴がある・・・という教訓にもつながる。』

2.『本郷孔洋ビジネスの目』(辻・本郷税理士法人理事長、本郷孔洋先生のメールマガジン)3月12日配信分より

『麻生首相とオバマ大統領の共通点は?

答え「漢字が読めない」

私が言ったのではありません(笑)』

3.『中年入門』(松尾スズキ著 朝日新聞出版刊)より

『タクシーに乗れば

背もたれに付いているタクシー広告は

「痩せろ」「ハゲを直せ」「家をきれいにしろ」と、

俺の痛いところばかりついてくる』

(『サビシーマン』より。  「おまけに『止めてください』と言った後で必ずメーターがカシャッと上がる」)


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浅田次郎先生『ま、いっか』

3月2日のブログで作家の浅田次郎先生が書かれたエッセイ集『ま、いっか』(集英社刊)を紹介しました。  3月15日の朝日新聞の『著者に会いたい』というコラムで同書と浅田先生が取り上げられていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①自分で考えた座右の銘も紹介した。  「花笑鉄心(かしょうてっしん)」。  「鉄の意思を持っているやつはいっぱいいるけど、たいがい嫌なやつ。  へらへらしているやつは鉄の意思がない。  二つを持っていれば、自分のためにも、周りのためにもなる」

②実は、エッセーは苦手だそうだ。  「小説はうそ話。  うそつきの仕事。  エッセイストは心に映るよしなしごと(由無し言・・・つまらない言葉)を書くのだから正直者でなきゃだめ。  うそつきの僕には難しい。  使うエネルギーが3倍くらい違うよ」

③本には載っていない極め付きの人生哲学を、もうひとつ。  競馬場にいくとき、ダンディーにきめる理由にかかわる。  「だって、神聖な金を労働せずにやり取りするんだから。  なりをきちんとしていなきゃ、お金に嫌われちゃうよ」

④「金持ちは、なりがいいでしょ。  あれは金持ちだからなりがいいんじゃなくて、なりをよくしているから金がまわってくるんだよ」』

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(51)1996年13回ウェイト制・28回全日本

1.①1994年(平成6年)頃から城西OBの支部長が多数誕生しました。  城西OBでもっとも古い支部長は初代師範代の浜井良明で、1980年(昭和55年)春から富山県支部長を務めています。

②総本部事務局から入手した資料による支部長認可日は次のとおりとなっています。  実際の活動開始日とはズレがあるかもしれません。  

③1994年(平成6年)・・・2月9日・五来克仁(ニューヨーク支部)、11月1日・田口恭一(城西三軒茶屋支部、のちに城西世田谷東支部に改名)

④1995年(平成7年)・・・5月1日・鴨志田裕寿(茨城県常総支部)、7月1日・江口芳治(城西国分寺支部)、11月1日・小田勝幸(広島西支部)・川本英児(東京城北支部)、12月1日・羽田シゲル(横浜港南支部)・戸田直志(神奈川相模原支部)

⑤1996年(平成8年)・・・1月1日・根本清志(城西野方支部)、2月1日・岡本英樹(広島東支部)・田村悦宏(湘南支部)・市村直樹(城西下北沢支部)、3月1日・今西俊彦(横浜北支部)、11月1日・桜沢正大(横須賀支部)、12月1日・青木英憲(横浜東支部)

2.①1996年(平成8年)6月8・9日舞洲アリ-ナで第13回ウェイト制大会が開催されました。  組み合わせ表を見ると、選手は新しい支部からの出場となっています。  城西関連の出場選手が多いので入賞者のみ紹介します。

②軽量級第3位・・・高野博充(城西田無支部)。  現在、埼玉県西支部長の中江辰美は当時城西田無支部長を務めており、高野はそこの所属選手でした。  4回戦を下段廻し蹴り技有りを含む判定勝ち、準々決勝を本戦判定勝ちで勝ちあがった高野は準決勝で優勝した田ヶ原正文選手に延長1回判定負けします。  3位決定戦では大谷に本戦判定勝ちしました。

③軽量級第4位・・・大谷善次(城西国分寺支部)。  3回戦を上段廻し蹴りで一本勝ちした大谷は4回戦・準々決勝ともに延長2回判定勝ちで準決勝に進みます。  準決勝では準優勝の神尾伸幸選手に本戦判定負けしました。

④中量級準優勝・・・福田達也(城西三軒茶屋支部)。  1回戦から準々決勝まで本戦判定勝ちで勝ちあがった福田は準決勝で木立裕之選手に延長1回判定勝ちします。  決勝戦では成島竜選手に上段廻し蹴りで一本負けしました。

⑤中量級第4位・・・橋本正一(城西三軒茶屋支部)。  4回戦まで本戦判定勝ちで勝ちあがった橋本は準々決勝で足立慎史選手に延長1回判定勝ちし準決勝に進みますが、成島選手に延長1回判定負けします。  3位決定戦でも木立選手に本戦判定負けしました。

⑥重量級ベスト8・・・根本清志(城西野方支部)。  2回戦・3回戦と体重判定勝ちした根本は4回戦で延長1回下段廻し蹴りで合せ一本勝ちしまします。  準々決勝では入澤群選手に本戦判定負けしました。

⑦重量級ベスト8・・・島端明(城西中野支部)。  黒澤浩樹が支部長を務めていた城西中野支部から出場した島端は4回戦で岩崎達也選手に体重判定勝ちし準々決勝に進みますが、木村靖彦選手に本戦判定負けしました。

3.①1996年11月3・4日、東京体育館で第28回全日本大会が開催されます。  城西関連の入賞選手を紹介します。

②第5位・・・市村直樹(城西下北沢支部)。  1回戦から3回戦まで本戦判定勝ちした市村は4回戦で下段廻し蹴りで合せ一本勝ちしました。  準々決勝では高尾正紀選手に延長1回判定負けします。  試し割り合計枚数22枚で第5位でした。

③第7位・・・田村悦宏(湘南支部)。  ゼッケン128番の田村は1回戦から3回戦まで本戦判定勝ちし、順調に勝ちあがります。  4回戦も木山仁選手に延長1回判定勝ちしますが、準々決勝ではギャリー・オニール選手に体重判定負けします。  試し割り合計枚数16枚で第7位でした。

よい週末を!

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小池靖さん『日本的な宗教性』

宗教社会学者の小池靖さんが書かれた『テレビ霊能者を斬る』(ソフトバンク新書刊)と『セラピー文化の社会学』(勁草書房刊)の二冊の本を読みました。  『テレビ霊能者を斬る』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①江原啓之の能力として特に注目するのは、その絶妙なバランス感覚にあると私には思われる。  本人がどこまで自覚しているかは別として、スピリチュアリズムとカウンセリングと日本宗教の世界を橋渡ししたのが江原のスタイルである。

②では、日本的な宗教性とは一体何か?  さまざまな解釈が可能であろうが、基本的には、日本古来の自然崇拝が体系化された「神道(しんとう)」、インドに発祥し、中国や朝鮮半島を伝わって来た「仏教」、さらに、年長者や親への忠孝を説いた「儒教」、そして、方位や六曜(ろくよう・・・太陰太陽暦で、吉凶を定める基準となる六つの日。  先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口。)などによって今も残っている「道教」。  

③この四つが渾然(こんぜん)一体となって、現代日本人の宗教生活を形作っている。  そして、その核心にあるのが祖先崇拝である。  自分は、古くから続く○○家の一員であり、その家名と墓を守る使命(ないし道徳的義務)がある。  家族の誰かが死んだら、滞りなく正式の手続きで葬らなければならない。

④人は死ぬとホトケとなる。  そして年月がたてばホトケはやがて山のカミ、海のカミとなっていく。  きちんと成仏しない霊は、生きている者に祟(たた)りをもたらすことがあるので、先祖供養をおこなう必要がある。

⑤そのために、葬送関係の行事は仏教寺院でおこなう。  盆には先祖霊が帰ってくるので、遠方の親類縁者も生家(せいか)に集う。  正月には、新しい一年をカミに祈願するために神道の神社へ赴(おもむ)く。

⑥そして、こうした一連の習俗(しゅうぞく)を、とりたてて「宗教」だとは思っていないということも、現代日本人の宗教性の特色である。』  

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王汀さんと帯津良一先生

中国宮廷気功科学教会副会長の王汀(おう・てい)さんが書かれた『病気が怖くなくなる超呼吸法』(青志社刊)を読みました。  昨年の10月1日と11月7日に紹介した帯津良一先生との対談が巻頭に載っています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『帯津・・・気功は中国医学の四本柱のひとつです。  中国医学は大きくふたつに分かれていて、治療医学と養生(ようじょう)医学。  治療医学の方法は主に漢方薬と鍼(はり)ですね。  養生医学の方法が食養生と気功なんです。  この漢方薬、鍼、食養生、気功が四本柱。  姿勢・呼吸・心を正す中国の伝統的な養生法なんです。  (中略)

王汀・・・現在の気功は、まず軟気功と硬気功とに分かれていて、軟気功のなかに、人に気を与える外気功と、自分で練習して自分の中の気をコントロールする内気功とがあります。  内気功のうち、太極拳など体を動かす種類は動功(どうこう)と呼ばれていて、瞑想などは静功(せいこう)といわれるものです。  (中略)

帯津・・・ただし、「気」というものはまだ証明されていない。  中国、日本、欧米で論文はたくさんあるけれど、「これが気ですよ」って目に見える形で出せる人がいないんですね。  でも、今多くの人が「気」の存在を信じている。  今はまだつかまえられていないけれど、「気」の存在は否定できないものがあると誰もが思っているわけです。  私自身は「気」というものは、物ごとに秩序性を与える働きを持っている何かだと考えています。

王汀・・・自分の気を外に出して人に与える外気功をすると、逆にその方の気を感じますしね。  植物も人間もみんな気を持っていますから。  中国では昔から大きな木と向き合って気功を練習することがあります。  長く生きているものからは特にいい気が出るといわれているんですね。  公園なんかを散歩していて、大きな木と向き合うとなんとなく自分とあう木、そうでない木があったりしませんか?  それは木から出ている「気」のせいなんです。』

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大山社長『心の勉強ノート』

1.3月3日、私の友人である株式会社ニーズの大山利公男社長を訪問しました。  帰り際に、大山社長と小学校4年生のお嬢さん・小学校2年生の息子さんとの勉強会の内容を記録した『心の勉強ノート』を頂きました。  その中に特攻記念館の話が出てきます。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①32~33歳の頃から、鹿児島の知覧町にある特攻記念館にかれこれ10回くらい行っている。  この特攻記念館というのは、先の太平洋戦争の時に敗戦濃厚となった日本軍が、片道だけの燃料と爆弾を戦闘機に積んで、米軍の戦艦に体当たりして自爆するという気違いじみた作戦を遂行した時に、この鹿児島の知覧町の空港から、特攻隊員が飛び立った場所で、ここに敗戦後、この特攻隊員ほぼ全員の遺書が集められて記念館が建てられた。  (中略)

②何回目かに家族で行った時に、ケンはその当時4歳で、字も読めんかったのに、やっぱり雰囲気でわかったと思うけど、オンオン泣きまくってた。』

2.『心の勉強ノート』の中の「ユリ・ケンとの勉強タイム」という項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「前に知覧の特攻記念館に行ったやろ?  皆20歳くらいで、人生これからやのに、国のため、家族のために死んでいったやろ?」

②「うん」「うん、かわいそうやった」

③「そやろ。  人生、生きている限りは、これからいろんな悩みや辛い事やしんどい事がいっぱいあると思うけど、そやけど、そんなときは、自分は不幸やと思わんと、『知覧の特攻隊』の事や『はだしのゲン』の事を思い出して、世の中には自分よりもっともっとしんどい目にあってる人がいっぱいいるっていう事を思い出して、頑張らなあかんで。  その代わり、生きているうちには、楽しいこともいっぱいあるしな。  自分の心の持ち方次第で、人生は楽しい事や、嬉しい事の方が多いからな」』

3.64年前の今日は東京大空襲のあった日です。  『広辞苑一日一語』(岩波書店刊)の3日10日の項を紹介します。

『東京大空襲・・・太平洋戦争下、1945年3月10日アメリカ軍B29爆撃機344機による東京への夜間焼夷弾爆撃。  死者約10万人、焼失戸数約27万、下町地域を中心に全都の約40%、40平方キロメートルが焦土(しょうど・・・家などがすっかり焼けてしまった土地)と化した。』

4.「1929年以来の世界同時不況到来か?」と言われています。  日本人にとって、1929年も大変でしたが、1945年も試練の年でした。  不景気とはいえ、平和な時代に生きていることに感謝しなければ罰が当たりますね。

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山田永さん『敬語力』

『社長は食べられました-「敬語力」養成講座』(山田永著 集英社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します(一部、私が補足・編集しています)。

『1.×「もしもし。 ○○です。」
   ○「はい。 ○○です。」

かかってきた電話を受けたとき、第一声になんと言っていますか?  携帯や家庭の電話だと、「もしもし」という人がとても多いのでは。  「もしもし」は、電話をかけた側が言う言葉です。  「もしもし」の語源は、「申し申し」であって、「これから用件を申し上げます」という謙譲語です。  よって、電話を受けた側は「もしもし」を使えません。  携帯や家庭にかかってきた電話なら、「はい。 ○○です。」と答えましょう。

2.×「きょうは気温が高いです。」
  ○「きょうは気温が高いん(の)です。」

  ×「きのうは気温が高かったです。」
  ○「きのうは気温が高かったん(の)です。」
 
「い」「た」は助動詞です。  動詞に助動詞がついて、「きょうは行くです」「きのうは行ったです」という人は絶対いないのに、形容詞に助動詞がつくと、「きょうは気温が高いです」「きのうは気温が高かったです」とやる人がかなりいます。  (中略)  でも普段は「い」「た」と「です」のあいだに、小さく「ん」を入れてしゃべっていませんか?  「高いんです」「高かったんです」。  この「ん」は「もの」「こと」というもっとも簡単な名詞を表します。  話すときは「ん」で、書くときは「の」と表記します。  つまり、「い」「た」に直接「です」をつけず、あいだに名詞が入るのが正しい言い方なのです。

3.×「とんでもございません。」
  ×「とんでもありません。」
  ○「とんでもないことです。」

「とんでもない」はこれで一語なのです。  「い」で終わるから形容詞です。  (中略)  その最後の「ない」の部分だけを敬語にして、「ございません」「ありません」にすることはできません。  「くだらない」の敬語に「くだらございません」「くだらありません」という言い方がないのと同様、「とんでもございません」「とんでもありません」は存在しません。

  ×「とんでもないです。」

2.で見たように《い+です》の、「とんでもないです」もダメです。』

敬語って難しいですね。  昨日、本書を読んだばかりなのに、朝一番の携帯に「もしもし。」と出てしまいました(恥)。

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(50)1996年 貝沼、全日本バンタム級チャンピオンに

1.現在、城西支部の師範代を務める貝沼慶多の現役時代の映像が一昨日のフジテレビの番組で取り上げられたことは、一昨日・昨日のブログでも書きました。  「相手選手に勝利した直後、コーナーポストからバック転でリングに降り立つパフォーマンスを見せようとして、足を踏み外し、背中から落ちる」という映像です(笑)。

2.そんなお茶目な貝沼先生ですが、1996年(平成8年)に全日本キックバンタム級チャンピオンとなります。  貝沼も城西支部三軒茶屋道場に入門当初は空手の試合に出ていました。  三軒茶屋道場を指導する大賀雅裕が「アクティブJ」というキックボクシングのジムを併設してからキックの試合に出始めます。  「反逆のかませ犬」というニックネームの中堅選手でした(後になって貝沼に聞いたら、このニックネームは自分で考えたそうです)。

3.1996年に入り一度はタイトルマッチに敗れるものの、最終的には念願のチャンピオンベルトを腰に巻くことになります。  貝沼のこの年の戦いを紹介します。

①3月24日(横浜文化体育館)・・・全日本キックバンタム級チャンピオン土屋ジョー選手(谷山ジム)とのタイトルマッチ。  3R(ラウンド)に左フックでダウンを取られ、5R判定負けします。

②5月31日(後楽園ホール)・・・ヨーロッパムエタイ協会ジュニアバンタム級チャンピオンのナンボー選手(フランス・プリゾンジム)とのメインイベント。  出場予定だった土屋選手がケガで欠場したので代役出場を要請されたのです。  試合まで数日しかありませんでしたが、「勝者は7月28日土屋選手との対戦が約束される」との条件だったので出場することにしました。  パンチとロー主体でファイタータイプのナンボー選手に対し、ジャブ、前蹴り、ミドルキックのヒット&アウェー作戦で対応、ポイントをかせぎ5R判定勝ちを収め、7月28日の土屋選手へのタイトルマッチ再挑戦の権利を得ます。

③7月28日(後楽園ホール)・・・中島稔倫選手(大和ジム)との全日本キックバンタム級暫定王者決定戦。  当初予定されていた土屋選手とのタイトルマッチが、土屋選手のケガが完治しないため、暫定王者決定戦に変更になりました。  対戦相手の中島選手は前王者で同級1位です。  ステップワークからのパンチ、キックを繰り出すテクニシャンタイプの選手で、同じようなスタイルを身上にしている選手同士の戦いになりました。  お互いが、打っては離れ、打っては離れの繰り返しで、非常にスタミナを消耗する試合になります。  4Rの膝蹴りがポイントとなり、判定(2-0)で辛くも全日本キックバンタム級暫定王座を獲得しました。

④8月25日(タイ国ラジャダムナン・スタジアム)・・・ チャーサガー・パーラングルップ戦。  9月29日の土屋選手との全日本キックバンタム級王座統一戦が正式に決まります。  チャーンコーチの助言で、タイトルマッチ前に練習と経験をつむため、ラジャダムナン・スタジアムで試合をすることにしました。  2ラウンドでパンチと蹴りのコンビネーションを当てたものの、3ラウンド以降は、チャーサガー選手に肘打ちや首相撲からの膝蹴りでポイントを奪われ、5ラウンド判定負けとなります。  試合後、鏡を見ると相手の肘打ちによる攻撃で、左側頭部がぼっこり腫れていたそうです。

⑤9月29日(後楽園ホール)・・・土屋ジョー選手との全日本キックバンタム級王座統一戦。  「チャンピオンになるには、これが最後のチャンスだ。」と思ったそうです。  朝はランニングとミット。  夕方はスパーリング、ミット、サンドバック、首相撲、補強。  試合の5日前まで毎日トレーニングを行います。  パンチの強い土屋選手に対して、1・2Rは作戦通り、ジャブ、前蹴り、ミドルキックで攻撃を返します。  3R中盤に打ち合いに来た土屋選手に右ハイキックがヒットし、ダウンを奪います。  4・5Rと土屋選手の猛攻をかわし、試合は終了します。  3-0の判定勝ちです。

4.多くの挫折を乗り越え、貝沼は第20代の全日本キックバンタム級チャンピオンに輝きます。  初代チャンピオンは極真会館の偉大な先輩で「小さな巨人」ともいわれた藤平昭雄(リングネームは大沢昇)先輩ですから、土屋選手に敗れた3月24日の試合に続いて会場へ応援に行っていた私にとっても感慨深い勝利となりました。

雨の日が続いています。  よい週末を!

  

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堺屋太一先生『大激震』

『大激震』(堺屋太一著 実業之日本社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①戦後日本的構造というのが今、大いに揺るがされています。  では、そういう時に、我々はどう生きたらいいのか。  ここはやっぱり、私たち自身も主観的に生きるべきです。  あなたと私とどっちが所得が高いかなんて比べるより、自分の満足は何かが大切です。

②これからの世の中、「好き」を追求することが一番大事です。  客観的にどっちが大きいとか、どっちの価値が高いか、誰が高い服を着ているか、そういうことを気にする必要は全くない。  自分でいいと思うものがいいのです。

③ところが、残念なことに人間は自分の本当に好きなものがわかりません。  人間の一番悲しいところは、「有利」だと聞かされたら、「好き」だと思い込んでしまうことです。  (中略)

④本当に何が好きか。  まず、世間の目を除く、未来の利益を除く、どれをやったら儲かるという経済を除く。  世間と未来と経済から自由になって、好きなことを求める。  そうすると、本当に豊かな生活ができます。  (中略)

⑤何が好きかを見きわめるためには、どうしたらいいか。  

⑥まず第一に、長くやっても疲れないものが「好き」です。  他人が三時間やったら疲れてくる、飽きてくる。  しかし自分は六時間、七時間やっても疲れないというのは本当に好きです。  これを一度試してみてください。

⑦もう一つは、そのことについて誰にでもしゃべりたい。  相手が迷惑でもしゃべりたい。  また、それについての情報なら聞きたい。  そう思うのなら「好き」です。

⑧この二つのものを探して、本当に好きなものに時間とお金を使う。  そうしたら、わずかなお金でも、本当に幸せな時代が得られるでしょう。  (中略)  本当に好きなこと、これがこれからの皆さんのテーマだと思います。』

昨日のブログで紹介したフジテレビの番組で貝沼先生の映像が第一位でした。  夜帰ってからビデオで見ましたが、サイコーでした(笑)。

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瀬島龍三さん『守一隅 照千里』

1.東急エージェンシー元社長の新井喜美夫(あらい・きみお)さんが書かれた『転進 瀬島龍三の「遺言」』(講談社刊)を読みました。

2.瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)さんの略歴です。

『1938年、陸軍大学校を首席で卒業。  1945年、満州で関東軍参謀として終戦を迎え、捕虜となる。  この後、11年間シベリヤに抑留(よくりゅう)される。  1958年、伊藤忠商事入社。  1978年、会長に就任。  1987年、第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員に任命される。』

3.新井さんの自宅新築祝いに瀬島さんから贈られた書についての項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「何を書こうか、いろいろ考えて、やっと昨日、書き上げたばかりです。」というと、瀬島は半紙を取り出した。

②味のある字で「守一隅 照千里」とあった。  元は最澄(さいちょう)の言葉で、「自分の与えられた一つの隅を守れば、それはやがて千里を照らすことになる」という意味で、組織の要諦(ようてい・・・物事の肝心なところ)をあらわす言葉である。

③「あなたは本を出されたり、講演活動など、本業以外にもいろいろなことをされていると思うが、一つの世界を極めることで、ほかにも大きな影響を与えることができるということを考えていただければと、この言葉にしました。」

④礼を述べると、瀬島が漏らした。  「戦時中に参謀だったときに、私は、みんながこういう気持ちでいてほしいと思っていた」』

4.瀬島龍三さんは2007年9月に95歳で亡くなられました。  お墓は明大前道場から徒歩5分の築地本願寺別院和田堀廟所にあります。

余談ですが、今日午後9時からフジテレビの『ザ・ベストハウス123』という番組で貝沼先生の現役時代の映像が取り上げられるそうです。

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三田紀房先生『見て盗む』

『ドラゴン桜』で有名な漫画家の三田紀房(みた・のりふさ)先生が書かれた『「ここ一番」に強くなれ!』(大和書房刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①職人の世界では、しばしば「仕事は見て盗むものだ」という言葉が語られる。  これは半分正解で、もう半分は不正解だ。

②まず、教える側(師匠)としては「見て盗め」なんて怠慢以外の何者でもない。  うまく言語化できず、系統立てて説明することができないから「見て盗め」なんてことを言ってしまうのだ。  教えるスキルがあれば、そんな言葉は出てこない。

③一方、学ぶ側(弟子)にとって「見て盗め」は正しい。  見て盗む技術がないと、仕事の本質は理解できない。  自分の頭で考え、トライ&エラーをくり返し、身につけていくことができない。

④仕事の本質とは、言い換えるなら「仕事の骨格」のようなものだ。  表面的な技術ではなく、その下にある骨格部分を見抜くこと。  これは積極的な「見て盗む」という意識がない限り、なかなかできないものである。』

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浅田次郎先生『花笑鉄心』

作家の浅田次郎先生が書かれたエッセイ集『ま、いっか。』(集英社刊)を読みました。  「花の笑み、鉄の心」という項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①花笑鉄心(かしょうてっしん)・・・花のほほえみ、鉄のこころ、と読もう。  (中略)  この言葉は私のオリジナルで、出典があるわけではない。  (中略)

②なかなか夢が実現できずに、とうとう笑顔が地顔になってしまった。  しかし、どのような経緯があれ、幸せを求めるうえにも苦悩から免れるためにも、笑顔は不可欠な要件である。  楽しければ笑い、苦しければもっと笑い、どちらでもなければ自然に笑っていればいい。  日がな花のように笑い続けて、しかも大地に鉄のごとき根が生えていれば、なおさらいい。

③小泉八雲の随筆に「日本人の微笑」という名品がある。  それによると、明治以前の日本人は外国人が奇異に感ずるくらい、みな微笑していたらしい。  

④八雲はその不思議なほほえみについて、こう解析する。

〈日本人ほど、幸福に生活していく〝こつ〟をこれほど深くわきまえている国民は、他の文明国には見られないのである。  人生のよろこびは、周囲の人たちの幸福にかかっているのであるから、つまるところ、無私と忍従をわれわれのうちにつちかうところにあるという真理を、日本人ほどひろく理解している民族はあるまい〉

⑤考えるまでもなく、今日の日本人には当てはまるまい。  しかし年齢よりもずっと古くさい日本人である私は、まさか無私や忍従をつちかった覚えはないけれど、ヘラヘラと笑い続けるうちに幸福になった。

⑥「花笑鉄心」の福音である。  寝顔まで笑っている私が真顔に戻るのは、こうして原稿を書いているときだけであろう。

⑦自分のために笑え。  人のために笑え。  そしていつも背筋を伸ばし、鉄の心を忘れるな。』

②と⑦は本の帯にも印刷されています。

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2009年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年04月