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2008年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年02月

(46)1994年 大山総裁入院

1.①1994年(平成6年)2月19日、ハワイから帰ってきました。  本部に連絡して大山倍達総裁に旅行のお礼とご報告に伺いたい旨を伝えたところ、2月22日の12時に本部に来るようにとのことです。

②当日4人(山田、数見、田村、岡本)で本部に伺い、池袋駅近くの中華料理店に連れて行っていただきました。  全日本の入賞選手を引き連れて肩で風を切るように歩かれていた大山総裁の大きな後ろ姿が今でも目に浮かびます。  

③大山総裁は「大食は強運を呼ぶ」と常におっしゃられていました。  数見、田村に比べると食の細い岡本が総裁から「君はもっと食べなければダメだ」と注意されていました。

2.①3月19日に明治記念館で梶原一騎先生のご子息の結婚披露宴が開かれ、私も出席させていただきます。

②毎年、この時期に大山総裁は聖路加病院で人間ドックを受けられます。  披露宴にも聖路加病院を抜けて来られたとのことでした。  主賓のスピーチをされたのですが、いつもと違い、声を絞り出すようにして話されている、という印象を受けました。

3.①毎年大山総裁の人間ドック期間中に郷田師範を中心とした東京・埼玉の支部長でお見舞いに行くことが恒例になっていました。  ところが3月19日の披露宴で大山総裁にお目に掛かっていたこともあり、「もうすぐ退院されるはずだから、今年はお見舞いに行かなくてもいいのではないか」という話も出ていました。

②3月27日に宇都宮で第2回関東大会が開かれます。  その会場で「人間ドック後も大山総裁が入院されている」という話を聞きます。  急遽、翌28日に皆でお見舞いに行くことにしました。

③28日は家族で墓参りに行く予定が入っていましたので、妻と娘もお見舞いに連れて行きました。  郷田師範を先頭に病室に入ったのですが、見た目は普段とお変わりがないようでした。  娘を連れて行ったので、大山総裁が内弟子に「お嬢ちゃんにお茶を買って来なさい」と言って気をつかっていただいたことが思い出されます。

よい週末を!  

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安部英樹さん『不良のタオ』

『不良のタオ』(安部英樹著 講談社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①中国や華人社会ではタオ(道)を修行する人のことを修道人と呼び、こうした修道人を指導する先生を師父(しふ)と称する。  (中略)

②タオの思想は老荘(ろうそう)を起源とする。  老荘とは老子と荘子のことであるが、どちらも中国の紀元前の思想家で、老子のほうが『老子道徳教』、荘子のほうは『荘子』と呼ばれる書物を書き残したとされている。

③この老荘の思想を源流として、その下流で生まれたのが、いわゆる道教であるが、これは神仙を拝むことで現世利益を求める宗教だと思ったらよい。  この道教とは別に偶像崇拝を極力排して、純粋に老荘思想を学び、宇宙の法則とリズムに逆らうことなく生きることを目指す一派があり、彼らを道家(どうか)と呼ぶ。  私の師父である卓師父もこうした道家の一人である。  (中略)

④周囲を見渡して、アナタの同級生や仕事の同僚で、勉強が好きで好きでたまらない人とか、スポーツだったら三度のメシを抜いてもやりたいという人、また仕事の内容が好きで好きでたまらない人、子供のために何かをすることが嬉しくて嬉しくてたまらない人はいないだろうか?  (中略)

⑤本人は自分が好きで好きでたまらないからしているのだから、まったくゼロだとはいわないが、彼らの気持ちのなかには「頑張っている」という意識は希薄(きはく)なのである。  (中略)  リラックスして伸び伸びと物ごとに取り組んでいるのだ。  つまり生命エネルギーを浪費していないのだ。  (中略)

⑥卓師父が新しい弟子たちに口癖のようにいったのが「心を愉快にリラックスしなさい」ということであり、これがタオへ近づく第一歩なのである。』

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清原和博さん『男道』

『男道』(清原和博著 幻冬舎刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①この膝では、どうやっても昔のスイングは取り戻せない。  それははっきりしていた。  だから、2008年の残りのシーズンで終わりにしよう。  それ以上、球団に甘えるわけにはいかない。

②実家に帰って、両親を祖父母の墓参りに誘った。  祖父母の墓は、昔彼らが住んでいた村の裏手の小高い場所にある。  僕はそこによく帰ってきていた。  ジャイアンツ時代も、何かあるとひとりでハンドルを握り、高速を飛ばして帰ってきていたのだ。  岸和田の実家に帰るより、お墓参りの回数のほうが多かったかもしれない。  (中略)

③そのお墓の手前でクルマを降りて、母に背中を向けた。  「久しぶりにおんぶしてやるわ」と言った。  母は何か感じたのかもしれない。  黙って背中に乗った。  (中略)  母を背負ったのは、顔を見ていると言い出せなくなりそうだからだ。  背負ったとたん、堰(せ)き止めていたものがあふれて、涙がこみあげた。  (中略)

④「お母さん、僕な、野球やめるわ」  涙をこらえて、なるべくさりげなく言った。  母はびっくりするほど大きな声で応えた。  「わかった。  もうやめ」  母も嗚咽(おえつ)していた。

⑤何があっても絶対諦(あきら)めるなと言う、強い母だった。  (中略)  試合でデッドボールを受けて部屋に帰ると、母がよくものすごい勢いで怒っていた。  僕より怒っていた。  「あのピッチャーのボケは、ほんまにもう・・・・・・」  (中略)  「何もそこまで怒らんでも」  母をなだめるしかなくて、それで僕の怒りもおさまるのだった。  そういう母が、もうやめなさいと言って泣いていた。

⑥打ち明けて良かったと思った。  母はいくつも難しい病気を抱えている。  それでも元気でいてくれているのは、僕が野球をやっているからだ。  僕が野球をやめると言ったら、張り合いをなくして元気を失ってしまうんじゃないかと心配だった。  けれど母も僕がやめると知って、ほっとしたようだった。』

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畑村洋太郎先生『回復力』

『回復力』(畑村洋太郎著 講談社現代新書)を読みました。  東京大学名誉教授の畑村先生の専門は失敗学、知能化加工学、ナノ・マイクロ加工学です。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①程度に差はありますが、失敗したときには誰だってショックを受けるし傷つきます。  本人は気づかないかもしれませんが、直後はエネルギーが漏れてガス欠状態になっています。  こういうときに失敗とちゃんと向き合い、きちんとした対応をしようとしても、よい結果は得られません。

②大切なのは「人(自分)は弱い」ということを認めることです。  自分はまだ失敗に立ち向かえない状態にあることを潔く受け入れて、そのうえでエネルギーが自然に回復するのを待つしかないのです。

③不思議なもので、人はエネルギーが戻ってくると、困難なことにも自然と立ち向かっていけるようになります。  これは人間がもともと持っている「回復力」の為(な)せる業です。

④回復に必要な時間は人によっても失敗の種類・大きさによってもまちまちですが、エネルギーが回復すると必ず自発的に行動したくなります。  そうなるのをひたすら待つのが、遠回りのようですが、実は最善の策なのです。  (中略)

⑤「失敗とは真正面から向き合うべき」「失敗と向き合っていれば必ず道が開けるはず」と考えて頑張ろうとする人もいます。  しかし、このように無理して自分を鼓舞し続けるのは、自滅の方向に追い込んでいるのと同じことです。  

⑥なぜなら失敗に立ち向かうエネルギーがないのに、無理矢理エネルギーを絞り出すことを自分に強いているからです。  そのようなことを続けていたら、もともと減っているエネルギーがすぐに涸(か)れ果ててしまいます。  

⑦苦しいときにも頑張って、一時的に無理をするというのは、確かに窮地から脱するひとつの方法です。  ただし、この方法が使えるのは自分にまだエネルギーが残っているときに限られます。』

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安岡先生・横倉先生『健康』

1.東洋思想家・安岡正篤(まさひろ)先生の『安岡正篤一日一言』(致知出版社)の1月26日のテーマは『健康の三原則』です。  紹介します。

『第一に心中常に喜神を含むこと。  (神とは深く根本的に指して言った心のことで、どんなに苦しいことに遭っても心のどこか奥の方に喜びをもつということ。)

第二に心中絶えず感謝の念を含むこと。

第三に常に陰徳を志すこと。  (絶えず人知れず善い事をしていこうと志すこと。)』

2.1月25日の日経新聞に横倉クリニック院長の横倉恒雄先生が『輝きは元気の証し』という文章を書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①当時の健康外来受診者としては最高齢の78歳のご婦人だった。  つえをついて来られ、少し疲れているようで顔につやがなかった。  (中略)  体重は48キロ、体脂肪率は44%で高度肥満の状態だったが、変形性膝(しつ)関節症のため足が不自由で、運動を勧めるには不向きだった。  (中略)

②筆者はおいしく食べる快食療法を教え、天気のよい日だけ無理せずに気が向いたら散歩でもするように勧めた。  同時に下肢の筋力アップの方法も少し指導した。  その後、この方は無理に運動することなしに少しずつ快食ができるようになっていった。

③半年後に来られた時には、体脂肪率が40%を切るところまで下がっていた。  それにも増して顔を見た瞬間に、健康を取り戻されたことがすぐにわかった。  目の輝きが以前と違い、品の良さを感じさせる顔にはつやが戻っていた。  検査データだけではわからないが、これこそが健康の証しなんである。  (中略)

④「健康とは何ですか」と聞かれると「粋であること、輝き、色気、それと品格である」と答えることにしている。』

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(45)1993・94年 ポーランド・ハワイへ

1.①1993年(平成5年)11月、大山倍達総裁の秘書の渡辺さんから、ポーランドで開かれるヨーロッパ選手権に出席される大山総裁に随行するように、との連絡がありました。  11月11日に成田を発って、17日に帰国するというスケジュールです。  三瓶啓二支部長、メディア8の前田達雄社長、カメラマンの小林洋さんも一緒でした。

②ロンドン経由でワルシャワに夜9時到着のはずが、実際に着いたのは夜中の2時ぐらいでした。  そんな時間で、なおかつ摂氏0度を下回る寒さにも関わらず、少年部を含めた多数の生徒が基本稽古のデモンストレーションで出迎えてくれました。

③旅行中は大変寒かったにもかかわらず、大山総裁はコート無しで過ごされていました。  当時のポーランドは社会主義から自由主義に移行する変わり目で、商業施設も貧弱です。  総裁の大きな体に合ったコートをすぐ買い求めることが出来ませんでした。

④大会会場は超満員です。  海外における大山総裁の知名度の高さを垣間見ました。

⑤大会会場で大山総裁のサインを求める長蛇の列ができます。  キリがないので私がストップさせたところ、泣き出す女の子もいました。

⑥大山総裁のホテルの部屋にも10センチ以上の厚さで積み重ねた大量の大会ポスターが置かれています。  サインのし過ぎで腱鞘炎になった右手で、大山総裁はポスターに求められたサインをされていました。

2.①翌1994年(平成6年)2月、前年の第25回大会入賞者3人を引率してハワイへ行かせて頂きました。  優勝の数見肇君、準優勝の田村悦宏、第3位の岡本徹と私の4人です。  本来は優勝した数見君の師匠である広重毅支部長が行くはずだったのですが、都合が付かなかったので代わりに私が行くことになったのです。  2月13日に成田を発って、19日に帰国しました。

②ハワイではボビー・ロウ師範に大変お世話になります。  ホノルル空港への出迎えから見送り、一日おきに行われる道場稽古、その後の食事会など、至れり尽くせりの歓待を受けました。

③ボビー・ロウ師範のご自宅にも招待され、バーベキューをご馳走になりました。  ステーキを何枚食べるかで数見と田村が意地になって張り合っていたことを思い出します。

④ちょうどホノルル滞在中だった平井一政さんにもお寿司をご馳走になりました。

よい週末を!  

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邱永漢先生『貴人に会う』

作家・経済評論家の邱永漢先生が読者の質問に答える形式のサイト『ハイハイQさんQさんデス』を毎日読んでいます。  昨日はある大学生からの質問に答えられていました。  回答部分のみ番号を付けて紹介します。

『①人間が出世していくためには、良い先輩に出会って引き立ててもらうことが必要だと思います。

②中国の言葉でいうと「貴人に会う」と言います。  占いなんかでも「今年あなたは貴人に会います」と言われると、中国の人はとても喜びます。  つまりそれがチャンスになって、自分が引き立ててもらって出世できるということです。

③ですから会社に入っても、目上の人に気に入ってもらうにはどうするかというのを真剣に考えるべきだと思います。  引き立ててくれる人がいなかったら、自分一人だけで出世はできません。

④それは個人の才能に頼る仕事をやる場合でも同じです。  誰かが手伝ってくれなければ、音楽だろうと文筆だろうと他の人より傑出した道は歩けないと思います。

⑤先ず自分の周辺の自分より目上の人たちからどうしたら可愛がってもらえるかと考えて、その努力をする必要があるんじゃないでしょうか。』

明日は都合によりブログをお休みさせていただきます。  金曜日にお目に掛かります。

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『チェ28歳の革命』

1.先週末、『チェ28歳の革命』という映画を見に行きました。  チェ・ゲバラのフィデル・カストロとの出逢いからキューバ革命勝利までを描いています。  前にもブログに書きましたが、ゲバラに対する想いが高じて、2006年の10月にキューバに行きました。  首都ハバナで、メキシコから82名の同志を乗せて海を渡った『グランマ号』を見たり、300キロ離れたサンタクララまで行って、ゲバラの部隊が転覆させた政府軍の列車も見てきました。  それらも映画の中で再現されています。

2.昨年12月20日の朝日新聞の『天声人語』を抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①半世紀前の今ごろ、キューバではカストロの反乱軍が政府軍を追い詰めていた。  司令官に引き上げられたアルゼンチン人医師、チェ・ゲバラは、歓呼の中を首都のハバナに入る。  (中略)

②コンゴに続いて武力闘争を率いたボリビアの山中で、米国が支える政府軍に捕まり、翌日処刑された。  39年の生涯だった。  去年(2007年)が没後40年、今年(2008年)が生誕80年、年明け(2009年)がキューバ革命50周年とあって、ちょっとしたブームらしい。  (中略)

③死後は過激派のアイドルにして「Tシャツの顔」の印象が強いが、人間的な魅力あっての伝説だろう。  目の前の圧政と貧困を見過ごせず、私を捨て、体を張った一本気。  銃への信奉は論外でも、その生き様は時空を超えて心を揺さぶる。

④キューバ時代、海外の同姓(ゲバラ姓)女性から「親類?」と手紙をもらい、返事に書いた。  「この世で不正が行われるたびに怒りに震えることができるなら、我々は同志であり、そのことのほうが重要なのです。」

⑤《かって、本気で世界を変えようとした男がいた》。  映画の宣伝コピーを裏返せば、正義のために大きく生きる者が少なくなった、と読める。  貧しさが地上を覆う今、求められる男は天空の旅に出たままだ。』

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青木プロ・有吉九段・堀江さん『年をとると心も衰えるか』

1.毎週木曜日の朝日新聞夕刊の連載、『日々是修行』(花園大学教授・佐々木閑先生)の1月15日のテーマは『年をとると心も衰えるか』でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①老人の心は、若者の心よりも弱いのだろうか。  年をとれば、残りの寿命は減る。  体は衰え、記憶も薄れ、背後から死の薄闇が忍び寄る。  しかしだからこそ、年をとった人は、その切ない状況を、我が身のこととして確実に感じることができる。  (中略)

②肉体が衰えていくからこそ、そこに宿る心には、生きることの本質を見通す洞察と、そこから生まれる、他者に対する深い優しさが備わってくる。  それは、年をとることのなによりの恩恵である。  (中略)

③お年寄りはなぜ偉いのか。  それは生きる辛(つら)さを知っているから、そして、その辛さを抱えて生きる中で、智慧(ちえ)と慈悲の意味を本当に理解しているからだ。  年をとることそのものが修行なのである。』

2.今月読んだインタビュー記事で、老後のあり方について感銘を受けた3点を紹介します。

①プロゴルファー・青木功さん(66歳)・・・・朝日新聞夕刊(1月5日)

『負けたくない。  それがプロゴルファー青木功の原点。  年をとれば、世代交代かなという意識も自然に芽生える。  だから、気持ちに張りを持たせ、生きているうちは、プロゴルファー青木でいようと、戦っている。  できなくなる時は必ず来る。  引退時期に関心があるかも知れないが、決めていない。  むしろ、もっと上を目指しているのです。』

②将棋九段・有吉道夫さん(73歳)・・・・日経新聞夕刊(1月15日)

『なぜ将棋を指し続けるのか。  まず第一に将棋が好きだからです。  実は2001年の1000勝(達成者は過去8人のみ)を区切りに引退を考えたこともあったんですが、ちょうどそのころ私自身将棋が面白くなった。  私がこうだと信じていた将棋観を覆すような革命的な戦法を、発想が柔軟な若い人が指していて、自分も試してみると確かに長所もある。  改めて、将棋とは何と奥が深いものかと思いました。』

③冒険家・堀江健一さん(70歳)・・・・朝日新聞(1月17日)

『自分の人生が残り少ないことはわかっているが、年を取ると欲張りになる。  頭の中にテーマは、AもBもCもある。  これからもエンドレスにチャレンジする。  3年に1回のペースを、5年にしてもいい。  3けた(100歳)までやろうと思う。』


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(44) 1993年 第25回大会

1.①1993年(平成5年)6月18~20日、大阪府立体育会館で第10回ウェイト制大会が開催されます。  軽量級に福田達也・今西俊彦・横山誠・桜沢正大・高野博充、中量級に青木英憲・戸田直志・長友優典・加藤丈博・池田祥規・外智博・塚原典寿・川本英児、重量級に廣瀬武之・江口芳治・根本清志・小川俊一・市村直樹・吉岡憲久・佐野忠輝・岡本徹・小笠原和彦・我孫子功二・黒澤浩樹が出場しました。

②軽量級・・・優勝した山本健索選手に4回戦で福田、準々決勝で今西、準決勝で横山がそれぞれ敗れます。  横山が4位に入賞しました。

③中量級・・・青木が準々決勝で戸田、準決勝で長友にそれぞれ勝利し決勝に進みます。  もう一方の準決勝では川本が飯泉俊明選手に3度の延長戦の末に敗れました。  青木は決勝で飯泉選手に一本勝ちし初優勝を遂げます。  長友が3位、川本が4位に入賞しました。

④重量級・・・根本は準々決勝で優勝した八巻健志選手に敗れベスト8に終わります。  黒澤は準決勝で鈴木国博選手に再延長戦で判定負けし3位でした。

2.①1993年10月30・31日、東京体育館で第25回全日本大会が開催されます。  前回大会優勝の田村悦宏・第3位の岡本徹・第8位の小川俊一、ウェイト制入賞の横山誠・青木英憲・長友優典・川本英児・黒澤浩樹、支部内選抜で小笠原和彦・廣瀬武之・市村直樹・我孫子功二が出場しました。

②Aブロック・・・長友が4回戦で数見肇選手に延長1回判定負けします。  青木も準々決勝で数見選手に合せ一本負けし、5位に入賞しました。

③Bブロック・・・準々決勝で岡本が野上利幸選手に判定勝ちし、準決勝に進みます。  

④Dブロック・・・黒澤が3回戦で市村に試し割り判定勝ち、4回戦で川原奈穂樹選手に延長1回判定勝ちするものの、準々決勝は怪我のためドクターストップとなり、6位入賞となりました。  田村が不戦勝で準決勝に進みます。

⑤準決勝戦・・・岡本は数見選手に延長1回判定負けしました。  田村は七戸康博選手に体重判定勝ちし決勝に進みます。

⑥3位決定戦・・・岡本が七戸選手に下段廻し蹴りで合せ一本勝ちし、3位になりました。

⑦決勝戦・・・田村が数見肇選手に延長2回判定負けし、連覇はなりませんでした。

よい週末を!

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立川談春さん『赤めだか』

立川談志(たてかわ・だんし)門下の落語家・立川談春(だんしゅん)さんが書かれた『赤めだか』(扶桑社刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「よく芸は盗むものだと云うがあれは嘘だ。  盗む方にもキャリアが必要なんだ。  最初は俺が教えた通り覚えればいい。  盗めるようになりゃ一人前だ。  時間がかかるんだ。  教える方に論理がないからそういういいかげんなことを云うんだ。  いいか、落語を語るのに必要なのはリズムとメロディだ。  それが基本だ。  ま、それをクリアする自信があるなら今でも盗んでもかまわんが、自信あるか?」と云って談志(イエモト)はニヤッと笑って僕を見た。  (中略)

②意外に思うかもしれないが、談志(イエモト)の稽古は教わる方にとってはこの上なく親切だ。  お辞儀の仕方から、扇子の置き方まで教えてくれる。  (中略)

③後年、酔った談志(イエモト)は云った。  「あのなあ、師匠なんてものは誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」  (中略)

④「型ができてない者が芝居をすると型なしになる。  メチャクチャだ。  型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。  どうだ、わかるか?  難しすぎるか。  結論を云えば型を作るには稽古しかないんだ。」

⑤立川談志の凄さは、次の一点に尽きる。  相手の進歩に合わせて教える。  (中略)  教える側がいずれ通る道なのだから今のうちからと伝えることは、教えられる方には決して親切なこととは云い切れない、ということを僕は自分が弟子を持ってみて感じた。  混乱するだけなのだ。  学ぶ楽しさ、師に誉められる喜びを知ることが第一歩で、気長に待つ、自主性を重んじるなど、お題目はいくらでもつくが、それを実行できる人を名コーチと云うのだろう。

⑥「やるなと云っても、やる奴はやる。  やれと云ったところでやらん奴はやらん」  弟子を集めて談志(イエモト)はよくこう語る。』

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辻井喬先生『大衆消費・個人消費・選別消費』

西武デパート・パルコ・ロフトなどを経営するセゾングループの代表だった堤清二さんが、現在は詩人・作家の辻井喬(つじい・たかし)として多くの著書を出されています。  1月12日の朝日新聞で消費についてのインタビューに答えられています。  抜粋して紹介します。

『---辻井さんはかって「大衆消費社会から個人消費の時代に移った」と論じ、注目を集めました。  70年代から80年代、堤清二としてセゾングループを率いていたころです。  「みんなが同じものを欲しがる社会は終わった」という指摘は、時代の気分を見事に言い当てました。  しかし今は、「個人消費の時代は終わった」と考えているそうですね。

「『隣がテレビを買った。  我が家も欲しい』というのが大衆消費社会です。  しかし、『これがなければ生活できない』という絶対的なニーズ(必要性)は日本の場合20世紀のうちにほぼ満たされました。  隣が何を買おうと自分のニーズに合ったものしか買わない、というのが個人消費の時代です」

「その個人消費の時代は、21世紀に入って変化しました。  現在は選択的な好みによる需要しか残っていません。  一人ひとりのテイスト(趣味や志向)が違い、生活パターンが違うためです。  私は『選別消費』と呼んでいます」  (中略)

---不況はいずれ終わります。  その後の世界における日本の位置付けはどうなりますか。  あるいはどうなるべきだと考えますか。

「アメリカと欧州連合(EU)はそれぞれ極として残るでしょう。  新しく中国も。  インドはわかりません。  日本は極にはなっていないでしょうし、私はならなくていいと思っています。  今よりは小さい、でも絶対平和という理念を強く打ち出すことで独自性を発揮する、どこの極にも属さない国。  日本は本質的には通商国家です。  良質な製品を作って、貿易で成り立っていく。  それこそが、本来の、日本の生きていく道でしょう」』

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夢枕獏先生『東天の獅子』

『東天の獅子』(夢枕獏著 双葉社刊)「天の巻」全四巻を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①武術というものは、古来より、それは天才のものであった。  ある種の才能がなければ、その技術の習得は難しかった。  (中略)  これを、天才の世界から、常人の世界へ引きもどしたのが、剣の世界では北辰一刀流の千葉周作であり、素手の武術では柔道の嘉納治五郎であった。  (中略)

②名人、達人と呼ばれる人々は、武術の世界には何人もいるが、たとえば、何故人が倒れるのか、何故、人が人を投げることができるのか、この術理を言葉でもって説明できる人間は、そうは多くいなかった。  (中略)  これができたのが、嘉納治五郎であった。

③人が立っている。  これをいきなりただ倒そうと思っても、なかなか倒れるものではない。  人が倒れる時、あるいは投げられる時は、その立っている状態からいきなり投げられる状態に移行するのではない。  投げられる直前、人は、その重心を崩している。  そのことに、治五郎は気づく。

④人を投げるのも技だが、その前に、立っている人間の重心を崩すための技があるのではないか。  名人、達人と呼ばれる人々が凄いのは、投げる技よりも、まず、相手の重心を崩すための技が上手なのではないか。

⑤この立っている人間の重心を乱れさせることを、治五郎は〝崩し〟と呼んだ。  投げ技の前に、まず、この〝崩し〟がある。  立っている人間に仕掛け、崩し、投げる・・・人が人を投げるというのは、必ずこの、仕掛け、崩し、投げという三段階があることを治五郎は発見したのである。

⑥この概念は、治五郎以前にも知られていたものである。  しかし、これを、理論化し、誰にでもわかり易く体系化していったのが治五郎であった。』

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(43) 1992年 第24回大会

1.①1992年(平成4年)6月19~21日、大阪府立体育会館で第9回ウェイト制大会が開催されます。  軽量級に福田達也・今西俊彦・岡本良之・桜沢正大・長友優典、中量級に加藤丈博・青木英憲・外智博・小川俊一・田口恭一・河野高志・篠彰彦・横山誠・川本英児、重量級に羽田茂・上原淳・吉岡憲久・江口芳治・根本清志・市村直樹・小笠原和彦・岡本徹・田村悦宏が出場しました。

②軽量級・・・福田・桜沢がベスト8に入ったものの、準決勝には進めませんでした。

③中量級・・・青木・小川・川本が準決勝に進みます。  準決勝で小川に勝った青木と川本が決勝で当たり、川本が初優勝を遂げます。  青木が準優勝・小川が3位とベスト3を独占しました。

④重量級・・・根本と田村が準決勝で当たります。  これに勝った田村が決勝でも南豪宏選手に延長1回判定勝ちし、ウェイト制重量級の連覇を果たします。  根本は3位でした。

2.①1992年10月31日・11月1日、東京体育館で第24回全日本大会が開催されます。  第5回世界大会準優勝の増田章・第3位の黒澤浩樹、ウェイト制入賞の川本英児・青木英憲・小川俊一・田村悦宏・根本清志、支部内選抜で吉岡憲久・杉山文宏・加藤丈博・岡本徹が出場しました。

②Aブロック・・・小川は4回戦で岩崎達也選手に延長1回判定勝ちしますが、ブロック決勝で七戸康博選手に敗れ、8位になります。

③Cブロック・・・4回戦で加藤が判定負けした八巻建志選手と田村がブロック決勝で当たり、田村が延長3回判定勝ちを収めました。

④Dブロック・・・4回戦で岡本と川本が当たり、岡本が判定勝ちします。  ブロック決勝では杉村多一郎選手と対戦しました。  下段廻し蹴りで技有りを取りますが、直後に上段膝蹴りで技有りを取られます。  そして、その後再び下段廻し蹴りで技有りを取り返し、合せ一本勝ちを収めました。

⑤準決勝戦・・・田村が岡本に判定勝ちします。

⑥3位決定戦・・・岡本が七戸選手に下段廻し蹴りで合せ一本勝ちし、3位になりました。

⑦決勝戦・・・田村が数見肇選手に本戦判定勝ちし、念願の初優勝を遂げます。  大西・黒澤・増田に続く、城西4人目の全日本チャンピオンの誕生となりました。

3.三連休です。  寒くなってきたので風邪などひかれませんように。  よい週末を。

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小松政夫さんと植木等さん

コメディアンの小松政夫さんはデビュー前、植木等さんの付き人を務めていました。  小松さんが昨年12月18日の朝日新聞夕刊で、その頃のことについてインタビューに答えています。  抜粋して紹介します。

『ーーー小松さんの芸は回りの人をヒントにされたのですね。

私のデビューとなった、オカマッぽいギャグ「もう、知らない、知らない」は、植木が目をつけた。  (付き人になる前の)車のセールスマンだった時、「面白いヤツがいっぱいいただろう」と言われ、課長の話をした。  それが役立っているのですね。  (中略)

ーーー3年10カ月で植木さんの付き人を卒業されました。

晴天の霹靂(へきれき)でした。  運転していたら、植木が「明日から来なくていい」と。  私の独立に向けて給料もマネージャーも決めてあった。  涙で前が見えなくなり、車を止めさせてもらって、声を出して泣きました。』

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『老子の読み方』

1.谷沢永一先生と渡部昇一先生の対談集『老子の読み方』(PHP研究所刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①谷沢・・・チャイナにおけるものの考え方の伝統は、「儒家(じゅか)」と「道家(どうか)」の二つに大きく分けられます。  儒家とは孔子の流れを汲(く)む一派で、いわば現世密着の志向性がある。  一方、道家は老子、荘子を基にして、儒家に徹底的に反対した一派です。  「人間社会など小さなことであり、天地自然がどうだ、こうだ」と話を大きくし、現世離脱の志向性があります。  (中略)

②渡部・・・『老子』には訳のわからない文章がたくさん入っています。  後代につけ加えられたと思われるものや、当時の単なる諺(ことわざ)を入れたものなど、バラバラなメモを集めて一冊にしたという感じがします。  しかし、その中には「きらめくような鋭さ」を持つものがあるのです。  (中略)

③谷沢・・・『老子』は漢学者が漢学の知識で向かっていっても手に負える代物ではありません。  老子を読むには気分が大事なのです。  (中略)

④渡部・・・『老子』は全部わかる必要がないという立場に立って、難しいものは省きましょう。  あまりに説明が難しいところを無理に解釈すると、かえって老子の本心にあわない危険性が大きい。  『老子』はもともと訳のわからないものも含めて集めてできているのですから。  (中略)

⑤谷沢・・・儒教の場合は人間が社会で生きていく原理であり、非常に具体的なものです。  『老子』の「道」は天地運行の原理であり、儒教の道は道ではない。  それが老子の意見です。  (中略)  この世にいろいろと存在するのはすべて「道」である。  これは無際限な世の中を動かす大いなる力という意味です。  その「道」を世渡りの意味に用いるなんて小さいというのが道家の姿勢です。』

2.税理士・不動産鑑定士で城西の黒帯でもある井出真先生から年始の電話をいただきました。  12月25日のブログで「総勢60余人が (中略) 長州藩に革命を起こす勢いで叛旗(はんき)を翻(ひるがえ)したのです。」という半藤一利先生の『幕末史』の一部を紹介しました。  井出先生のお爺さんのお爺さんに当たる方が土佐藩の脱藩浪士で、その60余人の中の1人だそうです。  そんなことが分かるのもブログを書く喜びの一つですね。

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中村天風先生『霊性の満足』

『中村天風一日一言』(PHP研究所刊)の「あとがき」を元長崎県立大学教授・南方哲也先生が書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私が天風先生にはじめてお目にかかったのは、1954年4月に神戸で6日間にわたって行われた心身統一法の講習会を受講したときのことでした。  (中略)

②私は当時、大学で理論経済学を学んでいましたが、経済学では人間の幸福を得ることができないことに気づいていました。  (中略)  なぜならば、人間は財を得るとそれだけ欲望も大きくなっていくからです。  欲望はいつまでたっても満たされることがないのです。  それならば、個人が幸福を手に入れることは不可能だという結論に達します。  (中略)

③ところが、天風先生はこのテーマに明快な回答を与えて下さいました。  人間の欲望にはいろいろな種類がある。  本能的欲望、感覚的欲望、感情的欲望、理性的欲望がある。  しかし、これらのいずれの欲望満足を生活目標としても人間は幸せにはなれないと天風先生は説かれます。  その理由は、これらの欲望は満たされると、また、それだけその欲望の方が大きくなり、永遠に満足されることはないからです。  (中略)

④それではどのような欲望の満足を目標とするのがよいかというと「霊性の満足を目標とする」ことです。  創造の生活をし、人の世のためになることを生活目標とすることなのです。  これが霊性満足の生活であり、宇宙の進化と向上に順応するという人間本来の使命を遂行することになると説明されるのです。』

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安部芳明先生『牛年の生き方』

明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願いいたします。

いつもご指導いただいている青森の安部芳明先生の書かれた『牛年の生き方』を紹介します。

1.『牛の全ては 施しの命なり

牛年の新年を迎え 人類が牛の命に学ぶなら 世界は平和なり』

2.『牛の合意文字に 学びたし

犠(ぎ)・・・己の犠打(ぎだ)で他人を生かす

牮(せん)・・・他人を支える謙虚な心

物(ぶつ)・・・物に拘(こだわ)らず我欲を捨てる

牧(ぼく)・・・小さな事を気にせず広い心で

牷(ぜん)・・・遣(や)るべき事は几帳面(きちょうめん)に完全に

特(とく)・・・己の個性を大事にし自信に生きる

牢(ろう)・・・仁義に生きて罪を嫌う』

3.携帯では(せん)と(ぜん)の文字が出ないかもしれません。  (せん)は(代の下に牛)、(ぜん)は(牛へんに全)という文字です。

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2008年12月 | ARCHIVE-SELECT | 2009年02月