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2008.07.31 Thu
後藤新平その2
1.6月5日のブログで、後藤新平を取り上げました。 そこでも書きましたが、後藤新平は、私が尊敬する人物の一人です。
2.昨日紹介した『最高指導者の条件』(李登輝著 PHP研究所刊)の中にも、後藤新平に関する記述がありました。 抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①1898年3月、台湾総督の児玉源太郎中将に請われて、民政長官の職に就いた後藤新平は、台湾に赴任した。 以後、9年弱の間、後藤は実務のリーダーとして、台湾開発事業を推進する。 (中略)
②当時の明治政府は、国家が強いリーダーシップを発揮し、指導するというスタイルをもっていた。 後藤による台湾開発もまた、明治政府の方式を踏襲する、台湾総督府による、強いリーダーシップに基づくものだった。
③後藤が赴任した当時の台湾は、匪賊(ひぞく)が横行して治安が悪く、コレラ、ペスト、チフス、赤痢、マラリヤなどの伝染病が蔓延(まんえん)する、瘴癘(しょうれい=湿熱の気候風土によって起こる熱病や皮膚病)の地であり、毒蛇の害が多く、アヘン吸引者が少なからずいた。
④産業には見るべきものがなく、未開発状態だった。 人民は漢民族と原住民からなり、文化、宗教もそれぞれ異なった。 司法、行政、経済制度のいずれの面でも、近代的社会から立ち後れた、未完成の地域だったといってもよい。 (中略)
⑤後藤新平の、強力なリーダーシップによって行われた台湾開発は、8年7ヵ月という短い期間でできたとは思えないほど、スケールの大きなものだった。 (中略)
⑥その後における台湾の経営・開発は、すべて後藤新平の敷いたレールの上を走った、といっても過言ではないだろう。』
3.最近の日経新聞朝刊で、北方謙三先生が書かれている連載小説『望郷の道』は、その頃の台湾が舞台となっています。
余談ですが、私の家内の母方の祖父は、当時の台湾の警察官でした。
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2008.07.30 Wed
李登輝さん
『最高指導者の条件』(李登輝著 PHP研究所刊)を読みました。 李登輝(り・とうき)さんは1988年から2000年までの12年間、中華民国(台湾)の総統を務められました。 抜粋して、番号を付けて紹介します。
『①私はクリスチャンとして、『聖書』の強調する愛と公義の精神が信仰のすべてであり、主イエスはつねに私とともにあると考えているが、他の宗教を信仰しているならば、その神に祈ればよい。 (中略)
自己の存在を超越した「何か」を信ずることは、あらゆる困難を突破する際、精神面で唯一の助けになる。 「自己を離れた存在」が、私を助けてくれると信じていれば、どんな事柄であれ、恐れずに処理できる。 自らの倫理観を貫き、能力を十分に発揮するうえでも、信仰の存在は大きいのである。 (中略)
信仰は、フィロソフィー(哲学)と言い換えてもよいかもしれない。
②そもそも儒教は、「文字で書かれた道徳」ともいわれ、しょせんは科挙制度とともに、皇帝型権力を支えるイデオロギーにすぎない。 そう考えたとき、人民の心に平安をもたらすものではなく、また指導者のもつべき死生観の拠り所として、ふさわしいとはいいがたい。
士族出身で、儒教的な教養を積んできた、『武士道』の著者、新渡戸稲造(にとべいなぞう)先生が、最終的にキリスト教に道を求めたのも、結局は、儒教における死生観の不在が関わっているのではないのだろうか。
③指導者に勇気が必要だということに、多くの人は異論がないだろう。 (中略)
また「勇気」と同時に、対で求められるのが、「心の平静さ」である。 緩急あるなかで、いかに心を落ち着けた状態を保てるか。 これが適切な判断を下す基にもなる。
若い指導者の場合、この境地に達するのは、なかなか難しいかもしれない。 だが何事も経験であり、場数を踏むことで、より素晴らしいリーダーシップを発揮できるようになっていく。 そして、さまざまな困難にぶつかっているうちに、「こうなったあとには、こうなる」と、次第に手に取るように先の状況が読めるようになってくる。 そこで、真の「心の平静」も得られるようになるのだ。』
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2008.07.29 Tue
狩猟と農耕
1.精神科医・画家の吉田修二先生が書かれた、『ヒトとサルのあいだ-精神(こころ)はいつ生まれたか-』(文藝春秋社刊)を読みました。 後半・第四部の『狩猟採集民から農耕民へ』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。
『①想えば人類は、七百万年もの間、採集生活や狩猟採集生活をしてきました。 その長い旅路の果てに、農耕へとたどりついたのです。 それは、世界では一万年前に始まりましたが、日本ではほんの約二千年前の出来事なのです。
②これまで、ごく常識的に考えられてきたのは、おおよそ次のようなものでしょう。 〈狩猟採集は天候に支配されやすく、その日暮らしであったのが、農作物は貯蔵が可能であり、富が蓄積され、生活が安定した。〉 ところが、これはどうやら事実ではないらしいのです。 狩猟採集民は、栄養たっぷりのうまい物を食べ、余暇を楽しみ、心豊かに暮らしていたのです。 彼らは、決してその日暮らしではなく、食料の貯蔵は肉類にまで及んでいたのです。
③人類学者のヒュー・ブロディが、著書『エデンの彼方』(草思社)で、アラスカに住む狩猟採集民のイヌイットについて、次のように書いています。 〈彼らは、人間として賞賛に値する特性を、ふんだんに発揮する。 親切、寛容、思い遣り、情愛、誠実、もてなし心、同情、慈悲、等々。 (中略) 狩人にとって、こうした特性は、美徳というより、むしろ、生きるための必要条件である。 これがなければ、狩猟採集社会は崩壊する。〉
④(狩猟採集生活において、自然が保持されたことについて)獲物をより多く捕ることによって、富と地位を得るような社会であれば、たちまち獲物は捕り尽くされ、自然は破壊されたに違いありません。』
2.吉田先生が挙げられている、「一般に流布されている常識の誤り」を紹介します。
『①日本人は農耕民だから穏やかで、ヨーロピアンは狩猟民だから猛々しい・・・そもそも、このような民族論は何の意味もありませんが、もしその論法でいけば、日本人が穏やかであるのは、二千年前まで狩猟民をしていたからであり、ヨーロピアンは、もっと昔から農耕民であったから猛々しい、というべきなのです。
②近年、都市生活者が自然に親しむために、農耕的生活を羨望する・・・農耕は、いくら自然との共存を謳(うた)ったところで、自然破壊が原則であることに変わりはないのです。 実際、都市生活者が農園などを始めると、次第に耕地を広げ、自分たちでは食べきれないほどの作物を作ってしまう、という事態が起きることが少なくありません。』
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2008.07.28 Mon
(24)昭和58年 前半のニュース
昭和57年の第14回全日本大会終了後、昭和58年の第1回西日本大会までの出来事を書いてみます。
①今道人が第7回首都圏交流試合で優勝・・・昭和57年11月28日に行われた交流試合で、緑帯の今が優勝します。 準優勝は城南の緑健児選手でしたが、第3位に皿山、第4位に五来と、ベスト4に3名、城西の選手が入りました。
②黒澤浩樹が移籍入会・・・私が黒澤を初めて見たのは、昭和57年春に総本部で行われた昇段審査でした。 その審査会には、前年の第13回大会で活躍した、石川支部の水口敏夫・増田章の両名も、二段の審査を受けるために上京してきました。 その両名と組手をする、1人の茶帯が目を引きました。 がっちりとした体型で、水口・増田の攻撃をまともにもらっても、顔色一つ変えないのです。 それが黒澤でした。
黒澤は、昭和58年4月に行われた第8回首都圏交流試合に出場します。 1・2回戦は圧勝しますが、3回戦で、城南の親泊選手に延長・判定負けします。 パワーはあるものの、技が単調で、相手を崩すということが出来ていませんでした。 結果として、相手から返し技をもらってしまうのです。
試合が終わってから、私のところに挨拶に来たので、「ちょっと組手が大きい(大雑把=緻密さに欠ける)んじゃないか」という話をしました。 小笠原の後輩(東海大学)だったこともあり、数ヵ月後、城西に移籍してきます。
③大西靖人が支部内の全日本大会選抜試合で優勝・・・当時、城西支部の全日本大会出場枠は2名でした。 大西、小笠原、大賀、五来、森等が出場し、決勝では、大西が小笠原に延長・判定勝ちします。
④五来克仁が第1回西日本大会で第4位入賞・・・8月28日、建て替え前の大阪府立体育館で、第1回の西日本大会が開催されました。 西日本大会は、翌年からウェイト制大会に衣替えします。 五来は準決勝で、優勝した田原敬三選手に負けました。
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2008.07.25 Fri
乳酸の話
1.7月21日の朝日新聞の、『五輪を科学する』という特集に、乳酸について面白い記述があったので、抜粋して番号を付けて紹介します。
『①乳酸は従来、「疲労物質」の代表格で、筋肉の働きを妨げる、と考えられてきた。 ところが、デンマークの研究者らが04年、乳酸は逆に、疲労した筋肉の働きを高める、という説を米科学誌サイエンスに発表。 乳酸に対する見方は変わってきている。
②乳酸を研究する東京大の八田秀雄准教授も、「乳酸はエネルギーとして使いやすい」といい、乳酸を使う能力は練習で高まる、と指摘する。
③練習も「乳酸に耐える」ものから、「乳酸を使う」ものに変わってきた。 陸上短距離競技では、最後の100メートルのきつさに慣れるため、200メートルや400メートルを全力で走ってから90秒休み、さらに全力で100メートル走る、といった練習が広く行われてきた。
④息が上がり、きつい練習だが、八田さんによると、90秒の休みの間に、乳酸とは別のエネルギー源が再合成されるため、乳酸を使う能力は伸びない。
⑤「理想は競技と同じ距離を本番と同じ速さで走ること」。
⑥北京五輪の陸上男子400メートル障害に出場する、成迫(なりさこ)健児選手のコーチで、筑波大学体育センター長の宮下憲教教授によると、成迫選手は400メートル障害を3本走る練習でも常に全力。 3本走りきれないこともあるという。』
2.トレーニング方法の研究は、日進月歩です。 私達も、さまざまな情報を入手する必要があります。
もちろん、その情報を鵜呑みにする必要はありません。 自分で、取捨選択すればいいと思います。
暑い日が続いてますね。 よい週末を。
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2008.07.24 Thu
中村天風先生
1.『中村天風一日一話』(PHP研究所刊)の、昨日(6月23日)の項のタイトルは、『理想の積極心とは』でした。 抜粋して番号を付けて、紹介します。
『①積極精神とは、事ある時も、事なき時も、常にその心が、泰然不動(たいぜんふどう)の状態にあることをいう。
②何事があろうと・・・・・・たとえば、病魔に襲われようと、運命難に陥(おちい)ろうと、心がこれを相手にしない。
③言い換えると、それに克とうともせず、また、負けようとも思わず、超然として安如(あんじょ)たることを得る状態が、天風哲学の理想とする積極心=平安を確保し得た心的状態(絶対的な強さをもつ心)なのである。』
2.『心がこれを相手にしない。 言い換えると、それに克とうともせず、また、負けようとも思わず、超然として』という言葉がいいですね。
3.同書の、4月初めの見開きの言葉も、紹介します。 タイトルは『晴れてよし、曇りてもよし、富士の山』です。
『つかず離れず、怖れもしなければ、怖れまいとも思わない。
淡々として、流れる水の如(ごと)き心境、すなわち、「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」。
この心境が勇気の姿だ。』
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2008.07.22 Tue
ヒロ・ヤマガタさんとシュワちゃん
1.先週の朝日新聞夕刊の『人生の贈りもの』は、アーティストのヒロ・ヤマガタさんのインタビュー記事が5日続きました。 7月16日水曜日の内容を抜粋して、紹介します。
『---映画スターも暮らす高級住宅街、カリフォルニアのマリブにお住まいでした。
海に面している、なかなか手に入らない立地条件なんですよ。 プライベートビーチまで下りられる。 眺めがすごくきれいで、バラ園もあったかな。 全部で8部屋かな。 でも5、6年前に売ったんです、離婚で。 スタジオも売っちゃいました、レーザーの機材を買うために。
---レーザー光線には多額な資金が要る?
スポンサーがついてくるでしょう? でも、もっと要るわけですよ。 そうすると、友だちなんかに借金しまくる。 「あいつは借金の名人だ」って言われているぐらいです。 自分のやりたいことには、なりふり構わない。 プライドとか誇りとか、何にもないですから。
ロサンゼルスに借りているスタジオのガス代、電気代が払えない。 ある日突然、電話が止まっちゃう。 コンピューターも。 あれっと思ったら、電話局に回線切られてる。 電話料金払ってないから。 水道代が払えないから、従業員がトイレを借りに、隣のレストランに行くんです。 向こうも人がいいっていうか、「いいよ、いいよ」って。
友だちのところに2、3カ月転がり込む、そういうのはしょっちゅう。 最初は屈辱だったです。 「あいつは地獄に落ちた」とか言われるし。 でも、もう慣れました。
お金が入ると、「ありがとう。 助かった」って言って、みな返しますけどね。 ぼくが貸す場合もあるんですよ、リッチなときは。 ジェットコースターみたいですよね。』
2.7月17日木曜日の記事からの抜粋です。
『---1歳上のシュワちゃん(シュワルツネッガー・米カリフォルニア州知事)とウマがあったんですね。
そう縁ですよ、縁。 お金がある時は、みんな寄ってくるけど、破綻したら誰もいなくなった。 そのときに、シュワちゃんは「ここに1億円ある、使え。 返してほしくない」と。 貧困であっても、リッチであっても、心の深いつながりがある友だちですね。 日本で話すと「そんなの、ウソだろ」とか言われるけど、それが日常ですから。
建築家のフランク・ゲーリーと、俳優のデニス・ホッパー、それとシュワちゃん、著名人ではこの3人だけど、シュワちゃんが一番です。
その代わり、ぼくも選挙のときは絵を売ったりして、がんがん応援します。
人の絆(きずな)って、よくわかる人ですよ。 知れば知るほど、味のある男ですね。』
3.明日はバタバタで、時間的に書けそうもないので、今日は二つ書きました(笑)。
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2008.07.22 Tue
デレク・ジーター選手
1.7月17日付け日経新聞夕刊、『MLB(メジャーリーグベースボール)見聞録』の見出しは、「誰もいなくなった?」でした。 抜粋して、番号を付けて紹介します。
『①延長15回の熱戦となったオールスター。 今年で86年の歴史に幕を閉じる、ヤンキースタジアムを舞台に、好プレーが深夜まで続き、4-3でア・リーグがサヨナラ勝ちした。
②ア・ーリーグのロッカールームは、さぞかし熱気に包まれているかと思いきや、意外と静かだった。 実は、かなりの選手が試合の結果を待たずに、球場を後にしている。
③日本に比べ、球宴出場を名誉に思う気持ちは強いが、負担に感じる割合も増している。 5万人の観衆を沸かせた本塁打競争に、A・ロドリゲス(ヤンキース)やラミレス(レッドソックス)らは参加していない。
④そんな中で印象に残ったのは、ヤンキースのジーター。 6回途中でベンチに下がったが、最後まで試合を見届けた。 試合後は多くの報道陣に囲まれ、「こんな試合に出ることができたことは、素晴らしい」と話していた。』
2.ジーター選手は、ボランティア活動に積極的なことでも知られています。 6月8日付け日経ヴェリタスの記事を紹介します。
『①「ターン2基金」という、NPO法人の会長でもある。 ターン2とは、ダブルプレーを意味するスラングで、名ショートの彼らしい名前だ。 青少年の非行防止や奨学金など、活動内容は多彩。
②キャンプ地、フロリダ州タンパのゴルフトーナメント、ニューヨークのチャリティーイベントが毎年恒例となっており、100万ドル単位の資金を集める。
③(松井秀喜選手の話)「(球場の)クラブハウスで、選手全員にジーター名で手紙が配られるんです。 チャリティーを開くので、ゲストとして参加してください、という内容ですね。 ジーターのためならという気持ちがあって、僕は(メジャー入りしてから)5年間、毎年参加しています」』
3.松井選手は、尊敬する選手として、ジーター選手の名前を挙げています。
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2008.07.18 Fri
(23)昭和57年 第14回全日本大会
1.私は、昭和55年の第12回大会出場後、現役を引退するつもりでした。 昭和56年は道場指導以外、公認会計士第3次試験の受験勉強に専念していました。
2.ただし、昭和54年から始めたウェイトトレーニングだけは、道場で指導時間の前に続けていました。 選手時代に比べて、練習量は格段に少なくなっていました。 それがかえって、十分な休養をとりながらの筋力アップにつながったのか、第12回大会当時に比べると記録と体重が次のように、伸びていきます。
①ベンチプレス 137.5kg→150kg
②スクワット 200kg→237.5kg
③体重 83kg→87kg
3.あまり自信がなかった第3次試験でしたが、昭和57年2月の合格発表に自分の名前がありました。 ウェイトトレーニングの記録が伸びていることもあり、この頃から、もう一度大会に出てみようか、という気持ちが湧き上がってきます。 でも、まだ迷いがありました。
4.大会出場を、自分の中で正式に決めたのは、ある生徒とのスパーリングがきっかけです。 体重100キロ近い色帯の生徒とのスパーリング中に、私の下段回し蹴りを受けた相手のスネが骨折する、いうことがありました。 今思うと、その生徒には申し訳ないことですが、パワーアップの成果を、今度は試合で試してみたくなったのです。
5.11月13、14日に行われた第14回大会での、私の試合結果は次のとおりです。
1回戦・・・本戦判定勝ち 2回戦・・・本戦一本勝ち(下段回し蹴り) 3回戦・・・本戦判定勝ち(下段回し蹴り技あり、含む) 4回戦・・・本戦および3度の延長戦で引き分け、試し割り判定負け
下段回し蹴りの威力はアップしていましたが、またベスト16です。
6.私と一緒に、生徒も2人出場しました。 三和純は3回戦で4位に入賞した三好一男選手に、森憲義も同じく3回戦で準優勝した水口敏夫選手に、それぞれ判定負けします。
3連休ですね。 よい週末を。
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2008.07.17 Thu
竹内均先生
東大名誉教授で、地球物理学の世界的権威である、竹内均(たけうちひとし)先生が翻訳された、サミュエル・スマイルズ(1812~1904)の『自助論』(三笠書房刊)を読みました。 竹内先生の訳者解説を、抜粋して番号を付けて紹介します。
『①今から140年以上も前に、出版された本である。 明治4年には、その日本語訳が『西国立志編』と』題して出版されている。
『西国立志編』は、福澤諭吉の『学問のすゝめ』と並んで、明治の青年たちによって広く読まれ、当時の日本で、総計100万部ほど売れたと言われる。 「天は自ら助くる者を助く」という独立自尊のスローガンが、明治の青年たちを奮い立たせたのである。
②スマイルズがこれらの本を書いた頃のイギリスは、世界最強の国であった。 (中略)
世界で最も強かっただけでなく、この頃のイギリスは、世界中から集めた富をかなりじょうずに使って、世界の文化に貢献した。 このような最盛期のイギリスを支えたのは、自助の心をもったイギリス国民であった。
③この本の原題ともなっている自助とは、勤勉に働いて、自分で自分の運命を切り拓くことである。 つまり、他人や国に頼らないことである。 これを現代流にいえば、自己実現ということになるだろう。
私の理解では、自己実現とは、(1)自分の好きなことをやって、(2)十分に食うことができ、(3)のみならずその結果が他人によって高く評価されることである。
④そして、その方法としては勤勉・正直・感謝以外に無い、と言うのが私の結論である。 この中では、もちろん勤勉が最も需要である。 ともかく、大きい夢を描き、その夢の実現に向けて、倦(う)まずたゆまず働くことである。
「天は自ら助くる者を助く」・・・こういう人を天は助ける。 彼の夢は、いつの間にか実現する。 世の中に、これほど確かなことはない。 そういう意味では、この世は因果応報・善因善果・悪因悪果の世である。』
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2008.07.16 Wed
相田みつをさん
携帯サイトの『相田みつをの心』から、本日配信された『今日のことば』を紹介します。
『 うばい合えば足らぬ
わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい
わけ合えばやすらぎ
うばい合えばにくしみ
わけ合えばよろこび
うばい合えば不満
わけ合えば感謝
うばい合えば戦争
わけ合えば平和
うばい合えば地獄
わけ合えば極楽 』
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2008.07.15 Tue
林文子さん
1.今年6月、東京日産自動車販売の社長に就任した、林文子さんのインタビュー記事が、昨日の日経新聞夕刊に載っていました。
2.ウィキペディアで検索した、林さんの経歴を抜粋して紹介します。
『結婚後、本田技研工業系の新車ディーラー、ホンダオート横浜で自動車の販売を始め、頭角を現す。
1987年、ビー・エム・ダブリュー東京に入社。 (※ビー・エム・ダブリュー東京では、5年間に400台を販売し、1993年には同社として初の女性支店長に抜擢された。)
1999年、ファーレン東京(現:フォルクスワーゲン東京)、代表取締役社長就任。
2003年、ビー・エム・ダブリュー東京、代表取締役社長就任。
2005年5月、ダイエー、代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)に就任。 (※ダイエー再建の支援企業である丸紅株式会社、アドバンテッジパートナーズLLPに要請された。)
2008年6月24日、東京日産自動車販売、社長就任。』
3.日経夕刊の記事を抜粋して、番号を付けて紹介します。
『①「三年で再建を」。 こう要請されて、ダイエーの会長兼最高経営責任者に就任したのが、2005年春。 (中略) この三年間、経営とは辛抱することだと覚えました。
②朝も暗いうちから、自宅近くの鶴見川沿いを歩くのを日課としてきましたが、ダイエー再建に取り組んでからは、日の出に向かって祈るようになりました。 「がんばります。 お守りください。」 こう念じながら、上る太陽に手を合わせた。 そんな心境になったのは、経営者になってから初めてです。
③苦しい中、古典落語も経営の原点を思い起こさせてくれました。 (中略) ともすれば、経済合理性が優先される現代にあっても、人と人とのつながりが大切です。 落語には経営のヒントが詰まっています。 今でも、毎朝身支度しながら、CDで一席聴いて出社します。』
4.余談ですが、私の妻は結婚前に東京日産自動車販売で働いていました。
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2008.07.14 Mon
沢部肇さん
1.7月13日の日経新聞で、TDK会長の沢部肇さんが取り上げられていました。
2.抜粋して、番号を付けて紹介します。
『①TDK会長の沢部肇さんは、迷った時には「これは美しいことかどうか、で判断してきた」という。
それを、今は亡き素野福次郎元社長から教わったそうだ。 「素野は『正しいか正しくないかは時代によって変わる場合があるが、美しいか美しくないかは変わらない。 本当によい製品は美しいだろう。 自分の行動も、美しいかどうかで判断すればいいんだ』と言っていました」
②あるメーカーの第三者割当増資を引受けるかどうか、という議題が取締役会に出た時だ。 社長に内定していた沢部さんは「それはおかしい」と異議を唱えた。
非効率な株式の持ち合いに常々疑問を感じていたので、お付き合いで引き受けるのは「美しくない」と思ったからだという。 当時社長だった佐藤博さんが「社長に内定している人の意見に従おう」と応じて、この議題は否決された。
③(素野さんは)酸いも甘いもかみ分けた、懐(ふところ)の深い人である。 (中略) 「経営者は格好良いだけではいかん」とも述べている。
「自社の業績が悪ければ、経営者として失格だ。 私は、いかに下品であろうと、情熱を持って、業績を伸ばす経営者の方が立派だと思っている」というわけである。
ただし「我利我利亡者(がりがりもうじゃ)になったらおしまいだ。 無私、無欲の大欲といった姿勢が基本に無ければならない」とくぎを刺している。』
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2008.07.11 Fri
依田紀基さん
囲碁棋士の依田紀基(よだのりもと)さんが書かれた『プロ棋士の思考術』(PHP新書刊)を読みました。 抜粋して紹介します。
『1.プロが勝ち続けるための要素を、八つにまとめてみたことがある。 (中略) どれも頭文字が「か行」であることから、私はこれを「勝ち続ける八つのK」と称して、若手の棋士にも勧めている。
(1)「技」に関するK
①感動・・・これはすばらしい、と感動する。 (中略) 「こんないい手を打ちたい」と念じて、繰り返し並べていけば、必ずその人間に近づいていくと信じている。
②繰り返し・・・繰り返すことで、すばらしい一手の持つ意味が、意識の表層から無意識の段階にしみ入っていく。 知らないうちに同じ手が打てるようになる。
③根本から考える・・・一手の意味を「常識」「みんながやっている」で片づけず、根本から考え直す。
④工夫を加える・・・私(依田さん)はつねづね、トップに立つ近道は、古いことに工夫を加えて、新しいものを創り出すことだと考えている。
(2)「心・体」に関するK
⑤感謝・・・感謝すべきことに気づき、素直に感謝すれば、心は最もいい状態になる。 心を最良の状態に保つことは、勝ち続けるための大きな条件だ。
⑥健康・・・人間は、感謝するから健康になると思うのだ。
⑦根気・・・根気よく続けていけば、技術は無意識のレベルまで深まっていく。 技術が「テクニック」ではなくなって、「心」になっていく。
⑧虚仮(こけ)の一念・・・「虚仮」とは愚か者のことだ。 「虚仮の一念」とは愚か者でも一心に一つのことをやれば、目的を達せられるというほどの意味である。 (中略) どうしても勝たねばならない状況から生まれる、一心不乱の心境である。
2.大勝負のとき、対局の場に向かう間、私は、こう考えるようにしている。 「この一局を打つために、自分は生まれてきたのだ」 意識を集中し、雑念を払うためだ。』
ではまた、よい週末を。
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2008.07.10 Thu
志岐幸子さんの「スポーツ感性」
1.『岡田武史監督と考えた「スポーツ感性」』(志岐幸子著 日本経済新聞社刊)を読みました。 山下泰裕さんのインタビューと、田中ウルヴェ京子さんの項を、抜粋して番号を付けて紹介します。
2.山下泰裕さん(ロサンゼルス五輪柔道金メダリスト、東海大学教授)のインタビュー
『①(試合会場で体を休めながら行う、試合前の最後の)メンタルリハーサルでは「どういう展開に持っていくのがベストか」、「こうだったらこうしよう」とか、可能なかぎりのことを考えます。 頭の中でイメージした闘い方が出てくると、あわてないのです。
②こういう展開だけは、避けなくてはいけない。 相手が一番力を出しきれるかたち、相手の土俵に持っていかない。 いかに自分の力を出し切るか、逆にいうと相手の力を出し切らせないかということです。
③相手が自分より強い場合は、いかに自分の力を出し切るかというよりも、いかに相手の型に持っていかないかということですね。 自分が8しかなくて、相手が10あったとする。 相手の10の力を7とか6に落として、自分にとってはベストでやれればいい。
④自分のほうが強い場合は、いかに自分の力を出し切るかです。』
3.田中ウルヴェ京子さん(ソウル五輪シンクロナイズド・スイミング・デュエット銅メダリスト、メンタルスキルコンサルタント)の項
『わたし(志岐さん)自身は、いろいろなメンタルトレーニングに疑問をかんじていたところもあったのですが、田中さんは、メンタルトレーニングはある程度有効だけれども、あくまで枝葉であること、だからこそ「たとえば自分は『どう生きるべきか』というような、その人自身の信念や生き方に対するしっかりした考え方が根幹に必要だ」と、競技者としてメンタルトレーニングをする以前に、一人の人間として大切なことを教えてくださったんです。』
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2008.07.09 Wed
(22)昭和57年 トレーニング理論
1.支部道場をスタートして、4年が経ちました。 全日本大会での実績は、まだ無かったものの、6回行われた首都圏交流試合で、4回優勝者を出すところまで来ていました。 試行錯誤(しこうさくご)しながらも、トレーニングに関して、少しづつノウハウが蓄積されてきました。
2.その頃分かってきたことを、書いてみます。
①試合に勝つには、肉体的(フィジカル)な面と精神的(メンタル)な面の両面を強化する必要があります。 特に、肉体的な面の強化なくして、精神的な面のみでは勝てません。 例えば、下段蹴りに対するスネ受けをしないで、根性だけで戦っていても、いずれ蹴られた部分にダメージがたまってきます。
②肉体的な面は、技とパワー(力)とスタミナの3面から考えます。 つまり、対戦相手より3面すべてがまさっていれば勝てる理屈です。 逆に、3面の中の1面でも相手に劣っていれば、負ける可能性が出てきます。 例えば、相手より技とスタミナがまさっていたとしても、パワーでつぶされる可能性があるのです。
③技のトレーニングは、攻めの稽古と受けの稽古が考えられます。 攻めの稽古は一つ一つの攻撃技の稽古と、それを組み合わせたコンビネーション稽古です。 受けの稽古も一つ一つの受けの稽古と、受けに攻めを組み合わせた受け返し、あるいはカウンターの稽古です。
④技のトレーニングは、まず、基本的な反復稽古で体に覚えこませます。 次に、お互いに力をセーブしたスパーリングで実際に使ってみます。 もし、矯正すべき点があれば、また反復稽古に戻ります。 基本的な反復稽古でできない技がスパーリングで使えることはありません。 ましてや、思い切り技を当て合う試合で使えるわけがありません。 よく試合で、セコンドから「スネ受け!」と声がかかるケースを見かけます。 それは反復回数が足りないために、クセ付けされていないのであって、試合になって急にできるものではありません。
⑤パワートレーニングには、いかに重い重量を挙げるかという最大筋力トレーニングと、ある一定の重量のものをいかに数多く挙げるかという筋持久力トレーニングがあります。 直接打撃制・体重無差別の試合で戦うことを前提とすると、まず最大筋力トレーニングに力を入れるべきでしょう。
⑥スタミナトレーニングは極真空手の試合時間、本戦3分、延長戦2分、再延長戦2分の合計7分間、フルに動けるように、心肺機能の強化を図るトレーニングです。 陸上競技で言えば、1500メートルから3000メートルぐらいの距離を、全力で走るようなスタミナが要求されます。 実際にはランニングやサンドバッグトレーニングを行います。 サンドバッグは3分5ラウンド、インターバル20秒で行っていました。 スタミナトレーニングについて、私は「心臓に焼きを入れる」と言う表現で説明しています。
⑦トレーニング頻度(ひんど)についてですが、全日本大会で上位を狙うような選手を前提とすると、技とスタミナのトレーニングは週1日の休養日以外は毎日行うべきでしょう。 パワートレーニングは筋肉の休養が絶対条件なので、1部位のトレーニングは週2~3回が限度でしょう。
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2008.07.08 Tue
三浦雄一郎さん
1.プロ・スキーヤー、冒険家、三浦雄一郎さんの次男の三浦豪太さんが、日経新聞夕刊に『探検学校』というエッセイを連載されています。 最近の話題は、5月26日に75歳で頂上に立った雄一郎さんとのエベレスト遠征についてです。
2.「冒険のリーダーの条件は、とにかく明るいことさ。 死にそうなピンチでも冗談言ってるくらいにね。 機嫌が悪いやつのそばにいると、不愉快でしょう。 山ではカラ元気も必要なんだよ」という雄一郎さんの言葉は前にも紹介しましたが、私の好きな言葉の一つです。 7月5日の日経夕刊に、いくつかのエピソードが載っていましたので、抜粋して番号を付けて紹介します。
『①あまりの酷暑に、父がアンダーウエアを脱ごうと、ザックを降ろしたときのこと。 荷物を開けると、キラリと長方形に光るものがのぞき、「寿司海苔」と書いてある。 高所登山では、無駄なものは極力持たないのがセオリーだが、その海のりは300枚入り。 軽いとはいえ、そもそも今回の登山で、海のりに何の用があるのか。
②父に聞くと「世界最高所で、手巻き寿司をやるのだ」と、遠足を心待ちにした子供のように意気揚々と言う。 父・雄一郎との遠征は終始こんな感じだ。 どんな状況下でもユーモアを忘れない。
③過去の遠征でも、標高7000メートルの吹雪の中で用を足してテントに帰ってくると、「お尻が凍るかと思った。 これがレイケツ動物だ」と言った。 僕は笑い転げ、多少酸欠にはなったが、気分は明るくなった。
④1914年、エンデュアランス号を率いて南極大陸横断を目指した、アーネスト・シャクルトンがあげた、冒険者の5つの資質の1番目が「楽観主義」だ。 (中略) 10ヶ月にわたって隊員を勇気づけ、極寒の地から全員を無事に救出したのだ。
⑤今回の僕らの遠征も、成功率の高いものとはいえなかった。 父の心臓の不整脈、不安定な政治情勢、温暖化による氷河の崩壊など、登頂に不利な要素は山ほどあった。 だが、父はそれらの状況すら楽しみ、すべてを前向きにとらえていた。 先行きが見えない自然を相手にするとき、思い悩むタイプの人は、それだけで機能停止に陥ってしまう。
⑥僕が脳浮腫(のうふしゅ)で下山を余儀なくされた後、父は標高8300メートルの最終キャンプで、缶詰をネタに手巻き寿司を楽しんだ。 「どうだった?」と聞いてみると「最高の手巻き寿司だった」と満足げに笑うのだった。』
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2008.07.07 Mon
第16回全関東大会
昨日は全関東大会でした。 ずっと本部席にいたので、Aコートの試合しか見ていません。 Aコートの試合に出場した城西支部の選手について、気がついたことを書いてみます。
①宮崎未絵(一般女子-50kg級優勝)・・・稽古の成果が出たと思います。 宮崎はOLをしながら、週に6日は稽古しているようです。 月・金の私の稽古、水・土の選手稽古、ウェイトトレーニングとバランスよくこなしています。 私の稽古では9時からの意拳は一緒にやりますが、それ以外は自主トレです。 自主トレを見ていても、内容が工夫されているようです。 試合については、フットワーク、上段への蹴り、などに進歩が見られました。 欲を言うと、決勝戦で内股蹴りのカットが甘かったこと、顔面殴打の注意を受けたこと、が気になりました。
②斉藤直也さん(一般新人戦優勝)・・・齊藤さんも仕事を持ちながら稽古していますが、安定していたと思います。 以前は、攻め・受け共に若干バランスが悪かったのですが、今回は、それが修正されていました。 攻撃では、突きと下段蹴りが効果的でした。 今後は、ウェイトトレーニングなどにも取り組んで持ち味であるパワーにさらに磨きをかけるとともに、前蹴り・膝蹴り・上段蹴りなどの技を散らせればもっと強くなると思います。
③今坂優佑(一般新人戦準優勝)・・・大きな体の割には、組み手に柔らかさがあって良かったと思います。 今後の課題は、その柔らかさの中に力強さをいかに盛り込めるかだと思います。 また、全日本等の大きな大会を目指すのであれば、ウェイトトレーニングは必須です。
④鎌田翔平(全関東大会第4位)・・・翔平の良さと悪さが、両方出たと思います。 良さは、185センチという大きな体の割にはキレがあり、一本勝ち、技ありが狙えることです。 悪さは、粘りに欠ける所です。 私も含め多くの人が、今大会での優勝を望んでいたと思いますが、その期待を裏切ったことは、本人がしっかり受け止める必要があると思います。
翔平を見ると、チャンピオンになる前の八巻健志選手を思い出します。 八巻選手は、当時城西にいた増田章に2度下段蹴りの連打で一本負けしています。 ところが、優勝した第21回大会準決勝で当たった時には鬼気迫る表情で戦い、延長戦で念願の増田越えを果たしました。 八巻選手の心理状態はわかりませんが、推測するに『3度惨敗では男がすたる。 絶対に全日本チャンピオンになる』というところだと思います。
今は、翔平が第2の八巻健志選手になれるかどうか、本当に重要な時期です。 まず、今回の結果を言い訳せずに素直に受け止めるところから始まります。
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2008.07.04 Fri
鍛錬
1.鍛練(鍛錬)を大辞林(三省堂刊)と広辞苑(岩波書店刊)で引いてみました。
(1)大辞林・・・①体力・精神力・能力などをきたえて強くすること。 ②金属を打ってきたえること。
(2)広辞苑・・・①金属をきたえねること。 ②修養・訓練を積んで心身をきたえたり技能をみがいたりすること。
2.『坂村真民一日一言』(致知出版社刊)の7月2日の項、『四文字』を紹介します。
『 朝鍛
夕錬
何といういい言葉であろう
華厳(=仏教、華厳教)の行者になるには
この四文字をいつも丹田に置き
刻苦精進しなければならぬ
みめいこんとん(未明混沌)の刻に起き
己を磨かねばならぬ 』
3.『鍛練』は私の好きな言葉の一つです。 自分の世界に入って、コツコツと地道にやっていく、ストイックな感じがたまりません(笑)。
この間、年末の休みだと思ったら、もう今年も半分が過ぎました。 今年前半の皆さんの鍛練は、いかがでしたか。
今日の東京は晴れてて、気持ちいいです。 よい週末を。
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2008.07.03 Thu
伊藤忠彦頭取
1.関西アーバン銀行の伊藤忠彦頭取が書かれた『宇宙が味方する生き方』(講談社インターナショナル刊)を読みました。 伊藤頭取は、住友銀行の常務取締役を経て、関西銀行の頭取、関西さわやか銀行と合併した後の関西アーバン銀行の頭取にそれぞれ就任されました。
2.2006年10月に出版された『宇宙が味方する経営』(講談社インターナショナル刊)はベストセラーになっています。 私は、関西アーバン銀行と仕事上のお付き合いをさせていただいていた関係で、大阪の銀行本店を訪問したこともあります。 1時間ほどでしたが、仕事の話はほとんどなく、キリスト教について興味深い話をうかがいました。
3.本の中の『虹と夕焼けに感動する人に悪い人はいない』という項を抜粋して、番号を付けて紹介します。
『①私たちの体の中には、誰でも神を認識する遺伝子が受け継がれています。 それは、あたかも生まれたばかりの赤ん坊が母親を認識するようなもので、人間が神によって創造されたときから持っているものであり、論理的ではなく本能的に神を認識する力だといっていいでしょう。
②本来ならば、静かに星空を見たり、夕焼けを見たり、自然界に深く触れたりしたときに神を意識し、神に対する関心が湧き上がるようなメカニズムになっています。 しかし、現代社会には人間の欲念がつくり出した人工的なものが、あまりにも地上界に氾濫してしましました。 そのために、私たちはなかなかそうした力を呼び起こす機会に恵まれていないのです。
③そんな生活の中でも、神を意識させる現象が虹と夕焼けです。 (中略)
④夕焼けは人間にもっとも懐かしい感情を起こさせるものです。 (中略) 人間はそれを見て心がおだやかになるように遺伝子が仕組まれているのです。 しばしば、夕焼けの手前には自己の欲念を表象する雲が現れるのですが、雲に夕焼けの天の光が当たることで、むしろ美しさが増して懐かしさが感じられます。』
4.夕焼け好きの私としては、意を強くしました(笑)。
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2008.07.02 Wed
阿佐田哲也さん
1.色川武大(いろかわたけひろ)さんの『うらおもて人生録』(新潮文庫)を読みました。 裏表紙に次のように書いてあります。
『筆者の別名は雀聖(じゃんせい)・阿佐田哲也。 いくたびか人生の裏街道に踏み迷い、勝負の修羅場(しゅらば)もくぐり抜けてきた。』
2.内容を抜粋して、番号を付けて紹介します。
『①プロは、一生を通じてその仕事でメシが食えなくちゃならない。 だから、プロの基本的フォームでは持続が軸であるべきだ。 しかし、なにもかもうまくいくというということはありえない。
②運も、無限にあるとは思えない。 だから、無駄使いするのはよくないんだ。
③運は風向きみたいなもので、一瞬の時点なら東風が吹いているとわかるが、すぐ西風になるか、北風になるかわからない。 それで長い間には、どちらの方からも吹いてくる。 どちらからでも吹くのなら、ゼロみたいなものだな。 (中略) 運には定量があるわけじじゃないが、プラスとマイナスがかみ合って、一生を通じてみると原点と考えたほうがいい。
④どんな一勝でも、運の助けを借りないものはない。 ただ単に生きているだけでも、なにがしかの運を使っているのだからね。 だから、中途半端に倹約なんかしないで、運はどしどし使うべし。 ただし、今ここで、勝ちをとりにいくのならば、だ。
⑤全勝は危険だし、できない。 一生を通じてすべてに勝つ者はいない(というふうに考えた方がいい)。 では、ここで攻撃ではなく、守備を固めるところだ、というそのときに、運は、できるかぎり倹約すべきなんだ。
⑥連敗だけはよくないんだよ。 ツキが離れていくこともあるけれど、負け続けるとね、感性がにぶくなって、負けを負けとして認識できなくなる。 (中略) 連勝は、連敗よりはよいけれども、これも勝つことが普通の状態のようになってしまうとね、その次に大穴に落ち込む可能性がでてくるからね。
⑦ツキのサイクルを、個人の一生として受けとらないで、二、三代のトータルとして考えることも必要みたいです。 (中略) 人間は、やっぱり、二代も三代も前からのトータルで考えなければならないし、二代も三代もの長い時間をかけて作られてくるものなのですね。』
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2008.07.01 Tue
永野正巳君
1.今日のテーマは、空手とは直接関係のない経済の話です。
2.私は昨年の9月からブログを書き始めました。 私の友人にもブログを書く人が増えています。 高校時代の同級生の永野正巳(ながのまさみ)君もその一人です。 永野君は早稲田大学を卒業してラジオ局に就職し、その後、証券会社に転職しました。 証券会社時代はカリスマ・ファンドマネージャーとして週刊誌に取り上げられたこともあります。
3.永野君は2日に1回、 『自称粋人の株式投資』というテーマでブログを書いています。 昨日のブログの一部を、番号を付けて紹介します。
『①「投資家が株を売りたたくために起きるパニックや深刻な不況は、ほぼ20年ごとにやってくる。 (中略)
こうした幾つかのパニックにはそれぞれの原因があるが、全てに共通する真の原因は金融市場にある。
銀行は好況のときに、限度以上の貸出しを行い、今度は不況になると株の売却をせまってパニックを引き起こした。」
②少し長い引用となったが、これは最近書かれた物ではない。 ウィリアム・ギャンの1930年に書かれた「株の選択」という本の一節にある。
③現在はサイクルが当時よりも、早く、10年サイクルになっているが、サブプライム問題も昔から繰り返された、銀行の与信の拡大によって引き起こされた。 従って、どこかで必ず解決する。少し時間がかかろうが・・・』
4.私は昭和62年から不動産会社を経営しています。 今年に入ってからの不動産業界は、20年前のバブル崩壊のときに似た様相を呈しています。
永野君が引用したウィリアム・ギャンの文章の『株』を『不動産』に読み替えると、そのまま日本の不動産業界の現状を表しています。
5.歴史は繰り返すといいますが、経済の動きも80年前とあまり変わりませんね。
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