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民主主義がはらむ問題

明けましておめでとうございます。  今年もよろしくお願い致します。

毎年2月24日はカミさんの誕生日です。  思うところがあって昨年の2月24日から朝のジョギングを始めました。  そして、その日の昼過ぎにロシアがウクライナに侵攻したというニュースが出ます。

私は終戦から8年後の1953年生まれですから、戦争というものを体験せずに生きてきました。  昨年の11月11日に初孫(男子)が生まれました。  できることであれば、私同様に戦争体験がない人生を送ってもらいたいと思います。

(1)昨年12月24日の朝日新聞に『民主主義がはらむ問題』という論文が掲載されました。  著者は京都大学名誉教授の佐伯啓思さんです。  

年頭のブログのテーマとしてはちょっと固いかもしれませんが、私自身の考えを整理するためにも、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.反対派とも論議をつくすという「討議民主主義」は民主主義の理念である。  だが、利害が多様化して入り組み、にもかかわらず人々は政治指導者にわかりやすい即断即決を求めるという今日の矛盾した状況にあっては、由緒正しい民主主義では政治が機能しないことは明白である。  そしてこの現実こそが、民主政治へのいら立ちや不信感を生み出しているのであり、その政治への不満が(アメリカの)トランプ現象を生んだのであった。  (中略)

2.①経済成長がまだ可能であり、人々の間に社会の将来についてのある程度の共通了解がある間は、民主主義は比較的安定的に機能した。  そこには社会を分断するほどの亀裂は現れなかった。  多くの人々は経済の波に乗っておれば自然に「幸福を享受」でき、将来に大きな不安を抱くこともない。

②ところが、今日、経済は行きづまり、将来の展望は見えない。  すると人々は政治に対して過大な要求をする。  「安全と幸福」を、言い換えれば「パンとサーカス」(生存と娯楽)を求める。  政治は「民意」の求めに応じて「パンとサーカス」の提供を約束する。

③しかし、にもかかわらず経済は低迷し、格差は拡大し、生活の不安が増せば、人々の政治不信はいっそう募るだろう。  そこに、わかりやすい「敵」を指定して一気に事態の打開をはかるデマゴーグ(民衆扇動家)が出現すれば、人々は、フェイクであろうがなかろうが、歓呼をもって彼を迎えるだろう。  こうして民主主義は壊れてゆく。  民主主義の中から強権的な政治が姿を現す。

④古代ローマ帝国の崩壊は、民衆が過剰なまでに「パンとサーカス」を要求し、政治があまりに安直にこの「民意」に応えたからだとしばしばいわれる。  社会から規律が失われ、人々は倫理観を失い、飽食とエンターテインメントに明け暮れる。  内部から崩壊するうちにローマは異民族に滅ぼされた。  (中略) 

3.①今日、経済の混迷に直面する民主主義国が深い閉塞(へいそく)感にさいなまれていることは疑いえない。  この閉塞感の中で、西側の民主主義国は、ロシアのウクライナ侵略を契機に、この戦争を、民主主義と権威主義の戦いと見なし、「権威主義の軍事的拡張から平和愛好的な民主主義を守れ」という。  もちろん、そのことを否定するつもりはないのだが、それにしてもこれはいささか民主主義に都合のよい作り話、つまり一種のフェイクにも聞こえる。  (中略)
 
②決してプーチンを弁護するものではないが、それでも権威主義の脅威を掲げて民主主義を擁護するだけでは、民主主義がはらむ問題からわれわれの関心をそらしかねない。  民主主義はロシアや中国の権威主義の脅威によって危うくされるというより、それ自体がはらむ脆弱(ぜいじゃく)さによって自壊しかねないことを知っておくべきであろう。』


(2)追記

1月3日の朝日新聞の社説も上記(1)に関連した記述でした。  タイトルは『民主主義を守り育む』です。 抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①「民主主義国同士は戦争をしない」と、しばしば言及される。  確かに歴史を振り返れば、民主国同士が戦った例はほぼない。

②そもそも民主政治は暴力ではなく、話し合いを通じて問題に対処することを旨としている。  人権や少数意見の尊重を範とし、権力は民意に目を配らざるをえない。

③こうした仕組みや考え方を共有する国同士であれば、仮に対立や紛争が生じても対話や交渉で解決を探ることになる。

2.①日本も、政権の専横と代議制の不全という病が長引く。

②民主主義は政治的な共存の一つのあり方である。  人々を一色に染めがちな権威主義とは違い、様々に異なる思想信条、価値観、信仰などを持つ人々がそれでもなんとか共に生きていくための方法である。

③そこに最終的な解決というようなものはなく、常に暫定的な決定を重ねていくしかない。  間違えたと思ったらやり直せるのが民主主義のいいところだ。  こうして不断のプロセスが続く。  めんどくさいし、じれったいかもしれないが、上手に使いこなしていかなければならない。』


(3)追記その2

今朝(1月3日)ネットで、『毎日小学生新聞』の2022年12月21日の連載『名ぜりふ劇場』の記述を見つけけました。  これも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。  他に試みられたあらゆる形態を除けば」・・・イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルの名言です。
 
②民主主義はいろいろ厄介な問題があるが、これに勝る政治のかたちはない、というこの言葉ことば。  なるほどと思おもわせます。

③公平な議論を進める手順の面倒さ。  少数派の意見を大切にする心くばり。  多数派が何ごとも数の力で押通す危険。  皆さんのクラスの話し合いや討論でも意見をまとめきれず、議長役は大変でしょう。  でもそうした「苦労」が民主主義の土台をつくるのです。』




    

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寛容な心

『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子著 小学館)を読みました。  「子供のキモチは」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.①今から11年前、こういう出来事があった。  愛媛県今治市の小学校で、6年生の男子がサッカーボールを蹴っていたところ、ボールが校門の扉を越えて、丁度オートバイで走って来た老人に当たりそうになった。  老人はそれをよけようとして転倒し、足を骨折し入院。  それから1年4か月後に肺炎で死亡した。

②すると老人の遺族は少年の両親に5千万円の賠償を求めて提訴した。  少年の両親が監督義務を怠ったという理由である。  それに対する判決は一審二審共に両親の監督責任を認め一審1500万、二審1180万円の賠償を命じた。

③何ともおかしな話である。  少年は校庭でサッカーをしていた。  (中略)  それがなぜ親の「監督不行届き」になるのだろう?  親は子供が学校にいる間もその行動を監督しなければならないのか?  ボールを蹴る時は校門の外に出ないように、やさしく蹴るようにと教えなければいけないというのか?

④老人は転倒して骨折したが、それが原因で死亡したのではない。  亡くなったのはそれから一年半も経ってからで、しかも肺炎で亡くなっている。  足の骨を折ったのがもとで肺炎を引き起こすという話は世界中、聞いたことがない。

2.①我が国には昔から「運が悪かった」という言葉があり、不慮の災厄に遭った時など、この言葉を使って諦めて耐えるという「知恵」を誰もが持っていた。  人の世は決して平坦な道ではないということを皆が知っていた。  知っているからこそ親は子に耐えることや諦めることを教えた。 

②耐え難きを耐え許し難きを許すこと、それは最高の美徳だった。  自分がこうむったマイナスを、相手を追い詰めて補填(つまり金銭で)させようとすることは卑しいことだった。

③かっての日本人は「不幸」に対して謙虚だった。  悪意のない事故も悪意のある事故もゴチャマゼにしてモトを取ろうとするガリガリ亡者はいなかった。  今はそのガリガリ亡者の味方を司法がしている。  (中略)

3.①しかしこの春、事件から11年を経て、事件はようやく最高裁によって正しい判決が下された。  「危険がない遊びなどで偶然起きた事故ならば責任は免れる」という判決が示されたのである。  この国の司法にもまだ良識が生き残っていたのだ、と私の胸のつかえは一応下りた。  11年ぶりで少年の家庭から暗雲が去ったのである。

②しかし11年とはあまりに長い年月だ。  6年生だった少年は22、3になっている。  その長い思春期を彼はどんな思いで過ごしたのだろう。  彼は楽しくボールを蹴っただけだ。  それ以外にどんな悪いことをしたのか・・・。  (中略)

③そこで学校はゴールの位置を動かすなどし、教育委員会は「今後も学校施設の安全管理を徹底して行ってまいりたい」と語ったという。

④ナニが「行ってまいりたい」だ。  そんなことはどうだっていい。  そんなことより少年の心のうちを考えるべきだ。  損得よりも寛容な心を持つ人間が増えさえすれば起こる問題ではないのである。』

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愛国

今朝の朝日新聞・オピニオン面のテーマは『愛国』でした。  三人の方の話が載っています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。


1.鈴木邦男さん(新右翼団体・一水会顧問)

『①よその国の人も自分の国を愛しているということです。  日本人だけが愛国心を持っているわけではないのです。

②三島由紀夫は愛国という言葉は嫌いだ、愛は無制限であり、国境で区切られた愛など愛ではない、と言っています。

③外国人が母国に抱く愛国心を理解し、その上で日本を愛する。  自分の国がすべて、日本だけが素晴らしいという考えは、思い上がった自国愛にすぎません。  ただの排外主義です。  愛国とは最も遠いものです。』


2.亀井静香さん(衆議院議員)

『①浪花節って、実にいいもんですよ。  

②だけど隣近所に浪花節を聞いたらじんましんが出るという人ばかりが住んでいたら、その家のおやじは窓を開けて大声でうなるのは控えた方がいい。  本人は気分がよくても、家族は近所付き合いせにゃいかんのだから。

③首相の靖国公式参拝の問題も同じ。  首相が参拝するのは当然のことだけれども、隣国のことを考えて控えた方がいいというのが持論です。』


3.岩井志麻子さん(作家)

『①そもそも、よその国をおとしめて自国を愛するという愛国心は、ようないと思いますよ。

②あなたの国は良い国ですね、うちの国もよい国ですよ、と言った方が、母国の良さが相手に届くでしょう。  それこそ真の愛国じゃないですか。

③よその国を尊重する気持ちがない人は、愛国者を名乗っちゃいけんのじゃないですかね。』

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