FC2ブログ

| PAGE-SELECT | NEXT

取り越し苦労

対談集『身体の言い分』(内田樹 池上六朗著 毎日文庫)を読みました。  「取り越し苦労は傲慢である」の項の内田さんの発言から、抜粋し、番号を付けて紹介します。  内田さんは哲学者・武道家(合気道)です。

『①「取り越し苦労をしてはいけない」というのは、言葉では簡単ですけれど、実はすごく難しいし、重要なことだと思うんです。

②ぼくの師匠の師匠に当たる中村天風先生の教えに「七戒」というのがあって、それは「怒るな、恐れるな、悲しむな、憎むな、妬むな、悪口を言うな(言われても言い返すな)、取り越し苦労をするな」というんです。  (中略)

③でも、ある程度年をとってくるとだんだんわかってくるわけですよ。  取り越し苦労って、かなり危険なものだということが。 これは、怒りや嫉妬と同じくらい人間の心身を蝕む有害なものなんです。

④取り越し苦労って、要するに、時間を先取りすることだから。  時間を先取りして、まあこんな程度のことが起こるのであろう、とある程度の未来予測をして、さらにその未来予測の中のネガティブなファクターだけを拾い出してゆくことが取り越し苦労ですからね。

⑤未来というのは何が起こるかわからないから未来なのに、それをわかったつもりになって、その上、起こるか起こらないかわからないことのうちのマイナス要素だけを確実に起こることだと思い込んで苦しむわけですから。

⑥たしかにそういうふうに見る人にはそういうふうに見えるかもしれないけれど、違う見方をする人には違うふうに見える。

⑦こっちに、来月のうちの会社の売り上げはどうなるんだろうと取り越し苦労をしている人がいて、こっちに来月彗星が衝突して地球がなくなったらどうしようと取り越し苦労をしている人がいる。  彗星の衝突に怯えている人から見たら、来月の売り上げなんかどうだっていいじゃないかということになりますよね。  (中略)

⑧だから、取り越し苦労をする人って、「取り越し苦労自慢」みたいなのをすることになる。  「彗星」の人のほうが「売り上げ」の人より威張れるわけですよ。  オレの心配ごとのほうがずっとすごいぞ、と。

⑨取り越し苦労をしている人って、傲慢な人間だと思うんです。  何が起こるか自分はわかっていると思っているという点でまず傲慢だし、お気軽にすごしているほかの人間に比べて、自分のほうがずっと濃密で重厚な人生を送っていると思っている点でも。』

自戒のために取り上げました(笑)

TOP↑

趣味に随順する

このブログで何度か紹介している幸田露伴の『努力論』の「静光動光」の項に、散る気(何かをやろうとしても、すぐ他のことに気が散ってしまうこと)の習癖を取り除く方法について書いてあります。  ①為すべきことがあったら為してしまう、②趣味に随順(心から信じて従うこと)する、③血行を整理する、の三点です。

①については2012年12月22日、『全気全念』のタイトルで紹介しました。  今回は②について、前回同様、渡部昇一先生が編述された現代語訳から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①およそ人間には、すべてそれぞれ《因》《縁》《性》《相》《体》《力》の六つがそなわっている。  これらがそれぞれ作用するわけだから、先天的な約束事を背負っていると思ってよい。  あまり運命的な決めつけをしてはいけないが、もって生まれた「好き嫌い」に従っていくやり方も悪くない。

②絵を描くのが好きな人は親が反対しても好きだし、人の身体を触るのが嫌いな人は、親兄弟が医者であっても医者にならない。  僧侶が好き、軍人は嫌いと、まさに人それぞれである。  幼すぎて物事の判断ができない場合とか、一時の思いつきを除いて、《趣味》をもっと大事に考えてみたい。
 
③絵の好きな人には、絵を好む遺伝子があり、さらには幼時に絵に魅かれる劇的な出来事があったりする。  他の仕事には向かないのに、物や風景を巧みにスケッチできるということは、すでにして絵描きになるべき体質や筋肉組織をそなえているのだ。  手には均整のとれた線を書く力があり、目には微妙な色彩を識別する視力があり、対象の急所を抑える天分を会得しているのである。
 
④こういう人を他の世界に引っ張っていても無駄なことだ。  気は散り乱れて、いかに修業したってモノになるわけがない。  むしろ好きな画技に専念させて絵描きにさせたらよい。  嫌なこと不快なことを捨て、好きなことに没入すれば、《気》は順当に流れ力を増してくる。
  
⑤義理の上からは、どっちを取ってもよいならば、趣味に従うのがよい。  趣味は、気を養い生気を与え、そして順当に発動させる力をもっている。

⑥植物に例をとってみよう。  硫黄の気を好むナスに硫黄を少し与え、清冽な水を好むワサビに清冽な水を与えると、それぞれその本生を遂げて独特の持ち味を生み出すのである。  つまり、ナスの美味の気は硫黄から、ワサビの辛味の気は清水からもらっている。

⑦人間が趣味に素直に従うことは、気の上からいって非常に大事なことなのである。  もし、好むところに逆らってナスに清冽な水、ワサビに硫黄を与えると、両方とも気が委縮して本来の味を生み出せずに終わってしまう。
 
⑧本来、趣味というものは、本人が先天的に備えている因子などから生じてきたものだから、これに素直に従ったほうがよい。  芸術家もよし、僧侶もよし、山野を放浪するもよし、みなそれぞれが異なった因子に従って、自分の目指す方向に向かって歩いたらよい。
 
⑨ただし、趣味とは言い難いが、気を消耗させ気を乱す賭博や色事だけは好きだからといって放っておいてはいけないので、慎まなくてはならない。』

昨日、城西OBの舟橋賢から『城西支部40周年記念誌』のインタビューを電話で受けました。  その中で自分自身のこの40年間も振り返ることができ、極真空手という趣味に随順して過ごしてこれたことに対して、改めて幸福と感謝を実感しました。  

TOP↑

神経質礼賛

前回は精神科医の南條幸弘さんが書かれた『家康 その一言』(静岡県文化財団)を紹介しました。  今回は同じく南條さんが書かれた『神経質礼賛』(白揚社)です。  『はじめに』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.「自分は気が小さくて困る」 「人前で緊張してしまう」 「思ったことが言えない」 「ささいなことが気になって仕方がない」などと悩んでいる人は決して少なくありません。  

2.内向的で取り越し苦労しがちな神経質性格の持ち主がどのくらいいるのかという統計資料はありませんが、おそらく世の中の1~2割くらいの方は、神経質な性格傾向を持っているのではないかと思います。  実は著者の私自身、自他共に認める神経質人間です。

3.神経質というとネガティブな面ばかりに目が向けられ、悪い性格と思われている向きがあります。  しかし、神経質は決して悪い性格でもなければ、劣った性格でもありません。  むしろ、使いようによっては、極めて優れた性格にもなりうるのです。

4.私は精神科外来で、神経質な性格に悩んでいる方によく出会います。  そういう方には「神経質な性格の良いところはありませんか?」 「神経質で得をしていることはありませんか?」と質問しますが、皆さん、御自分のよいところには気づいていないことが多いように思います。

5.①実際、神経質な人は、他人が自分をどう思っているかをとても心配するため、発言に慎重になり、失言が少ないので、身の回りで対人トラブルは起こりにくいでしょう。

②自動車の運転でも無神経な人に比べれば圧倒的に事故や違反は少ないはずです。

③失敗を恐れて準備を念入りにするので、学生であれば試験で比較的良い成績を取るし、社会人であれば仕事ぶりはまじめ・几帳面で周囲からは高く評価されます。

④大きな失敗もまずありません。

⑤それでいて本人は慢心するどころか、「自分は全然ダメだ、これではいけない」とますます努力しているのです。』

昨年の5月15日のブログのタイトルは『恐怖心を乗りこなす』でしたが、その末尾に次のように書きました。

『私も典型的なビビりです。  若いころはそれがイヤでしたが、今は結構気に入っています。  でも、状況によってはちょっと疲れますけどね(笑)』

私のビビりも、生来の神経質性格から来ていると思います。  年を取るともに、その神経質性格が自分の強みになっているということが分かってきました。  

選手の技術を細かくチェックして修正を促すというような局面では、指導者の中に多少神経質な部分があると、より上手くいくようです。  



TOP↑

| PAGE-SELECT | NEXT