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小学者、中学者、大学者

『知の旅は終わらない』(立花隆著 文春新書)を読みました。  「小学者、中学者、大学者」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①沢山の大学者を取材してわかったことは、本当の大学者ほど、何がわからないかをきちんといってくれるということです。

②あらゆる科学の世界において、実はわかっていることよりわからないことのほうがはるかに多いんです。

③小さい学者は、自分の研究で何がわかって、それがいかに意義ある発見かということばかり懸命に語る。

④中くらいの学者になると、その学問の世界全体の中で自分の研究・発見の大きさを客観的にちゃんと位置づけて語ることができるようになる。

⑤そして大学者になると、自分個人の研究だけでなく、その領域の研究全体がまだどれほど遅れていて、どんなにわからないことばかりなのかを、きちんと語ってくれます。

⑥大学者は、研究の全体像が見えてくる一方で、知りたいことの全体像と方法論的に知りうることの全体像もまた見えてきます。

⑦最晩年のニュートン(万有引力の法則の発見者)が、自分の一生をふりかえって、自分が発見したことなどほんとにちっぽけなもので、神様の目から見たら、真理の大海を前にして、きれいな小石を二つ三つ拾って喜んでいる幼児のようなものだろうと語っていますが、それに近い心境になるのでしょう。』

本書の副題は、「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」です。  その100冊のテーマは、哲学・政治・脳・宇宙・生命科学・歴史・音楽など、多岐にわたります。

まさに、「知の巨人」ですね。

立花さんが以前何かに、『私は異常知識欲者です』と書かれていました。  強く印象に残っています。


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目の前にあっても見えていないもの

武術研究者の甲野善紀さんと、慶応大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司さんの対談集、『古の武術に学ぶ無意識のちから』(ワニ・プラス)を読みました。  「目の前にあっても見えていないもの」の項から抜粋して紹介します。

『前野・・・なるほど、人間は、当たり前のようなことを意外と意識できないということですね。  きっと、世の中にはまだまだ同様なことがたくさんありそうです。

甲野・・・左右といえば、人間の身体においては、左と右とで動きが違うんです。  左右対称にはなっていません。  その一例が、柔術で昔からおこなわれる、背中に活を入れる「背活」という技です。  これは胸椎の7番、8番のところに膝を当ててガンとショックをあたえるものですが、必ず相手を座らせて、左の腕を抱えるようにするんです。  やってみればわかるのですが、抱えるのが右腕だと相手の身体が逃げてしまう。  これには右利き、左利きは関係ありません。

前野・・・ほお。  対称ではないんですか。

甲野・・・近代は平等思想の影響なのか、左右を同じに扱うことが多くなっていますね。

前野・・・たしかに。

甲野・・・近代に成立した合気道などは同じ形を左右同じ回数稽古しますが、古流の柔術などは、左前、または右前それぞれの型が少なくありません。  「左右平等に」というのはひとつの思い込みだと思うのです。  

(中略)

甲野・・・自動車がこの世に登場したときも、馬車とよく比較されたといいます。  馬車に関わる人たちが「いずれ馬車はなくなって、すべて自動車に置き換わるのではないか」と心配すると、ある人が「そんなバカなことは絶対に起きない」と一笑に付したそうです。  その理由は「遊びでちょっと出かけるだけならともかく、人間が何時間も集中して乗り物を操縦し続けられるわけがない。  馬は道があれば自然と道を走るから任せておける」というものだったとか。

前野・・・おお、たしかに。  説得力がありますね。

甲野・・・そうなんですよ。  現在でも、もっともらしく聞こえますよね。  馬だったら、危険を自分で回避するし、道をいきなり大きく外れることもありません。  現に、アクセルとブレーキを踏み間違えての事故は今も多発しています。  当時なら、なおさら「なるほど」と思った人は多かっただろうと思います。  でも、人間の適応力はすごいもので、いつの間にか慣れて、ある程度の速度でも長時間運転できるようになってしまった。』



  

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この時代、この国に生まれたことの、有り難さ

前回のブログで「本書を読むと、戦争のない時代を生きてきたことが、いかに幸せであったかが実感できました。  また、日常生活における悩みも、戦時中の人たちの悩みに比べると、とても小さなものに思えてきます。  命を奪われることはないのですから。」と書きました。  

多摩大学大学院教授・田坂広志さんが書かれた『運気を磨く』(光文社新書)の中に関連する記述がありました。  「この時代、この国に生まれたことの、有り難さ」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①筆者は、若き日に、ある中小企業の経営者とのご縁を得て、ときおり、その会社の経営会議に同席させて頂いていた。  その経営者は、太平洋戦争への従軍経験のある方であり、戦争中、多くの仲間が無残に死んでいくなか、極限の状況を生き延び、戻ってきた方であった。

②あるとき、その会社と取引先との間で深刻な問題が起こり、その日の経営会議は、「会社が吹っ飛ぶのではないか」という雰囲気の中、幹部も顔面蒼白になる状態であった。

③報告を受けたこの経営者、固唾を呑んで判断を待つ幹部を見渡し、この正念場で、何と言ったか。

④「ああ、大変なことが起こったな!  これは、下手をすると会社が吹っ飛ぶぞ。  だがな、最初に言っておく。  命取られるわけじゃないだろう!」

⑤この一言で、居並ぶ幹部も、それまでの顔面蒼白の状態から、一瞬で何かを掴んだのであろう。  一同、見事に腹が据わった。 この経営者の、魂を込めた、心に響く一言であった。

⑥たしかに、そうなのである。  この経営者の言っていることは、まさに、その通り。  さすが、戦争中の「生死の体験」を経てきた人物。  「死生観」が定まっている。

⑦あの戦争の悲惨さ、生死の極限の状況から見れば、現代の日本において、経営や仕事で直面する苦労や困難さは、それがどれほど大変なものであっても、所詮、どれほどのものか。  どう転んでも、命を取られることはない。  そして、この日本では、飢え死にすることはない。

⑧しかし、同じ日本でも、74年前以上前には、国民全員が「生きるか、死ぬか」の状態であった。  そして、実際、310万人以上の国民が、亡くなっていった。  そのことを考えるならば、現代の日本に生まれたことの幸福を、我々は、知っているのだろうか。  それが、どれほど有り難いことか、知っているのだろうか。

⑨そして、同じ現代でも、いま、この地球上に生きる77億人の人々のなかで、次の五つの条件に恵まれた国に生きるのは、我々、日本人しかいない。

第一 70年以上戦争の無い平和な国
第二 世界で第三位の経済力を誇れる国
第三 最先端の科学技術の恩恵に浴せる国
第四 国民の誰もが高等教育を受けられる国
第五 高齢社会が悩みとなるほど健康長寿の国

⑩一方、同じ現代でも、この地球上には、いまだに戦争やテロで命を失う人々も数多くいる。  貧しさのため飢餓や病気で苦しむ人々も無数にいる。

⑪こうした日本の過去の歴史、そして、世界の現在の状況を直視するならば、我々が、この時代に、この日本という国に生まれたことの、恵まれた境遇と有り難さが分かるだろう。』

私が若い頃、大山倍達総裁が「世の中で一番怖いのは飢えだよ。」とよく言われていたことを思い出しました。  

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