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リーダー論

名古屋外国語大学・亀山郁夫学長の『私のリーダー論』というテーマのインタビュー記事が、日経新聞・夕刊に2回(6月16日・23日)にわたり掲載されていました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.6月16日の記事

①――リーダーに必要な条件とは何だとお考えですか。

「創造的思考。  自分の力におごることのない謙虚さ。  厳しさと寛容さのバランス。  この3つです。  人とは異なるプラスアルファの思考ができないと人はついてこないので、創造的思考は重要です。  謙虚さは言葉に力を与えます。  ただ寛容の精神が強すぎると裁断はできません」

②――ご自身をリーダーの資質に欠けると表現されていますね。

「文学者であることがその理由です。  リーダーが決断して組織を導いていく存在である一方、文学者は基本的に迷う存在だからです。  文学は人間精神の根本を見つめます。  人間精神の根本は混沌としていて美しくもあれば醜くもある。  二元論的な価値観の中ですぱっと判断し、割り切って行動できることがリーダーの条件である以上、常に迷いを抱えて自分自身がどういう存在かもわからないような文学者は人を率いるのに向いていません」

③――しかし実際には15年にわたって、学長を務められています。

「学長としてのビジョンと夢があるからです。  私は教師の家庭に育ったせいか、教育・教養への憧れがあります。  貧しかったがピアノを習ったり、世界文学全集を読んだりできた。  非常に恵まれた文化的な環境があって、とりわけ西洋の文化に対する憧れを幼いときから持っていた。  そこから得た喜びが大きかったのです。  それを体験できる学生を育てたい。  私が人生で経験した喜び、文学や芸術を体験してほしい。  それがビジョンです」

「中学3年生のときにドストエフスキーの『罪と罰』を手に取らなければ、今の私はない。  幼いときは出会いの可能性の宝庫です。  特に二十歳くらいまでは何を手に取るかによって人生は変わる。  教育という場を通せば、教養への入り口を与えることが可能になります」

④――学長職の傍ら、文学者として研究や翻訳・執筆の仕事を多くされています。

「大学の教職員から学問的な側面で一定のリスペクトや、それに伴う自信が得られなければ自身のアイデンティティーが喪失し、迷走しかねません。  学問が精神を安定させることにもつながります。  両立は決して困難ではありません。  私は過去20年近く、分割睡眠の方式を取っています。  夜7時に帰宅し、食事をするとまもなく眠り、夜10時ごろに起き出して午前3時まで仕事をします。  朝は8時半に起きます。  帰宅後にいちど寝ることで文学の頭にぱっと切り替わるのです」

⑤――ロシアのウクライナ侵攻について、ロシア文学者としてどう感じていますか。

「2014年にウクライナ東部で起きたマレーシア航空機撃墜事件のニュースを聞いたときに『ロシア文学者をやめたい』と思いました。  親ロ派勢力によって引き起こされた誤射、撃墜であることは疑うべくもありません。  ロシア側の欺瞞(ぎまん)を感じ、嘘にこれ以上加担したくないと思ったのです。  ロシア文学、特にドストエフスキーが私に教えてくれた究極の精神は正直であれ、ということです」

「現在の国際情勢において文学者がすべきことは、徹底して弱者の立場に身を置き生命の尊さについて語り続けることです。  ウクライナ侵攻とそれに付随する暴力性を明らかにし、勇気を持って発信することが大切だと思います」


2.6月23日の記事

①――経営者や組織のリーダーに求められる資質は。

「経営能力や判断力が優れているだけではなく、人を精神的に深くうなずかせることができるかどうか。  この人の意見を聞こうと思わせるのは教養です。  どれだけ本を読んでいるか。  それは文学に限りません。  その時代に流行した知的なメインストリームをしっかり追いかける。  ここだけはプロとしゃべっても負けないという得意分野をつくる。  宇宙や科学の未来でも芸術でもいい。  それがないと自信を持って発信できません」

②――ロシアの歴史上の人物で、模範となるリーダーはいますか。

「ゴルバチョフ元ソ連大統領です。  彼には国民の良識を信じるオプチミズムがあった。  ゴルバチョフはソ連を崩壊させましたが、本当はその役割は他の人に任せて、その後の国づくりのところで登場すべきだった。  彼はヨーロッパの家という思想を持っていて、ヨーロッパの中にあるべきロシアを位置づけしようとしていた。  そうすれば歴史はいまと違っていたかもしれません」

③――改革にあたってのリーダーに必要な心構えは。

「大事なのは打たれ強さ、レジリエンス(回復力)です。  変えられないものを受け入れるとともに、感謝の気持ちが必要になります。  感謝の気持ちを生み出すのは、自分という人間の小ささの自覚です。  その自覚をもたらすのは何かしら大きなものの存在です。  私にとってそれは若い頃に出合った芸術の力でした。  人はそれぞれの関心の領域で、大きな力に出合うことができるのです。  その大きな力に触れようと努力することは人生に与えられた永遠の課題です」』


毎日暑い日が続きます。  ご自愛ください。

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老年的超越

1.前回のブログで、『第三次世界大戦はもう始まっている』(エマニュエル・トッド著)から以下の文章を紹介しました。

『①(前略)この地図からは、「核家族社会(父権性が弱い)」と「共同体主義的父権制社会(父権性が強い)」の間に位置する「人類学的な中間地帯」があることも見えてきます。  その代表例が「直系家族社会」のドイツと日本です。  

②ドイツと日本は、「西洋」に共通する核家族社会よりも父権的な社会です。  人類学者として私は、ドイツと日本、特にドイツは「西洋の国(核家族社会)であるふりをしてきたのだ」と考えています。  (中略)

③いずれにせよ、ドイツと日本が「西洋世界」に所属している(=西洋の国であるふりをしている)のは、人類学的な基礎によるのではなく、ともに第二次世界大戦で敗北してアメリカに〝征服〟されたことによります。』


2.最近読んだ『実践 ポジティブ心理学』(前野隆司著 PHP新書)にも似たような記述があったので、「幸せのための五つの条件」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(前略)というのは、日本というの国は私たちが思っているほど東洋的ではないからです。  東南アジア諸国は日本よりもずっと集団主義的で、田舎のほうに行けば行くほど、個人の夢や目標よりも、毎日きちんとご飯が食べられて家族みんなが平穏無事に生きていくことのほうが幸せだと考える人が増えます。

②一方で、アメリカやヨーロッパは個人主義的です。  家族は大事だけれど、たとえ自分の子どもでも自分とは別の人間であるという意識が明確です。  私は私、子どもは子どもといった感じです。  そして夢や目標が重視され、それを成し遂げることに幸せを感じます。

③それでは日本はどうなのかというと、東洋的な国と欧米的な国のちょうど中間くらいです。  個人主義的なのか集団主義的なのかを国別に調査した研究を見ると、日本はどちらでもなく真ん中くらいに位置しています。

④おそらく、戦後の教育がアメリカ仕込みの個人主義であることが関係していると思われます。』


3.ところで、本書中に次の記述がありました。

『①60代、70代、80代と年代が上がるにつれて幸福度が上がっていきます。  (中略)

②一般的には、定年退職することによってすることがなくなって幸福度が下ると思われがちですが、私たちが調査した結果はそうではありませんでした(イギリスの経済紙『The Economist』で紹介された調査でも同様です)。  (中略)

③歳をとって死が近づくにつれて幸せになっていくのは死の恐怖を受け入れて生きていけるように人間はできているからだともいわれています。  「老年的超越」と呼ばれ、研究も進んでいます。』


4.本書を読むきっかけになったのは、あるオンライン研修でした。  本書の著者である前野隆司さんが講師です。  その研修の中で前野さんは「老年的超越」について次のように話をされていました。

『90歳、100歳になると幸福度がさらに上がります。  ①自己中心性の減少、②寛容性の高まり、③死の恐怖の減少、④時間・空間を超越する傾向、⑤高い幸福感、が特徴です。』 


5.2018年1月7日付け『The Asahi Shimbun GLOBE+』に「老年的超越」に関する記述があったので紹介します。

『「老年的超越」はスウェーデンの社会学者、ラーシュ・トーンスタムが1989年に提唱した概念。  85歳を超える超高齢者になると、それまでの価値観が「宇宙的、超越的なもの」に変わっていくという。

①思考に時間や空間の壁がなくなり、過去と未来を行き来する

②自己中心性が低下し、あるがままを受け入れるようになる

③自分をよく見せようとする態度が減り、本質が分かるようになる、といった特徴がある。』


6.先日、91歳になる母がお世話になっている老人ホームへ面会に行ってきました。  私が小さい頃の写真を持っていったら、嬉しそうに眺めていました。

ちなみにカミさんの母親も今月20日が101歳の誕生日です。  二人とも「老年的超越」で幸福感を感じながら毎日を過ごしているのなら、子どもとしてこれにまさる喜びはありません。


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「ウクライナ戦争」の人類学

1.『第三次世界大戦はもう始まっている』(エマニュエル・トッド著 文春新書)を読みました。  『4「ウクライナ戦争」の人類学』から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①我々は、いま世界が〝無秩序〟に陥ったと感じています。  (中略)  どの国がロシアの味方になり、どの国がロシアと対立しているのかを見ていくと、この戦争の表面上の〝無秩序〟の奥底に、〝人類学的な地図〟が存在し、しかもそれが極めて〝安定したもの〟であることがわかるのです。

②例えば、この地図からは、「核家族社会(父権性が弱い)」と「共同体主義的父権制社会(父権性が強い)」の間に位置する「人類学的な中間地帯」があることも見えてきます。  その代表例が「直系家族社会」のドイツと日本です。

③ドイツと日本は、「西洋」に共通する核家族社会よりも父権的な社会です。  人類学者として私は、ドイツと日本、特にドイツは「西洋の国(核家族社会)であるふりをしてきたのだ」と考えています。  あるいはドイツについては、「(核家族社会の西欧ではなく)より広義のヨーロッパに属している」と見ることもできるでしょう。

④いずれにせよ、ドイツと日本が「西洋世界」に所属している(=西洋の国であるふりをしている)のは、人類学的な基礎によるのではなく、ともに第二次世界大戦で敗北してアメリカに〝征服〟されたことによります。

⑤もちろん、ドイツと日本にとってメリットもあったかもしれませんが、〝人類学的な不一致〟が見られます。  ということは、人類学的に何らかの〝無理〟が生じているとも考えられるのです。

⑥ちなみに、このような例は他にもあります。  「家族構造という人類学的基底の決定力」は、絶対的なものではないとはいえ、かなり安定的なものです。  読者の方々には、この地図を参考に、ご自身でも、さまざまなことをお考えいただけたらと思います。』 


2.1.の文章の前に2つの地図が掲載されています。 

地図1は、ロシアによるウクライナ侵攻に対して、①「非難して制裁を科す国」、②「非難はするが制裁はしない国」、③「非難も制裁もしない国」、④「支持する国」を示したもので、それぞれ色分けされています。

地図2は、「家族構造における父権性(男性たる家父長の、家族と家族員に対する統率権)の強度」を示したものです。  ㋐「80~100%」、㋑「60~80%」、㋒「40~60%」、㋓「20~40%」、㋔「0~20%」に色分けされています。

①と㋔、④と㋐というように大体一致する色分けになっています。  つまり、①「非難して制裁を科す国」の大部分が、父権性の弱い核家族社会の国です。


3.2.①の「非難して制裁を科す国」に関して著者は次のように書いています。

『この地図からはっきり見えるのは、①「非難して制裁を科す国」は、〝世界の大半の国々〟ではなく〝一部の特定の国々〟であることです。  具体的には、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといったアングロサクソン諸国と、ヨーロッパ諸国、それに加えて日本、韓国という広義の「西洋」で、そこにラテンアメリカ諸国が少しだけ加わっています。』

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