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藤平先生VSカレンバッチ先生

1.今回も藤平昭雄先生です。

50年前、私が極真会館総本部に入門したころ、大山総裁が次のようなことをよく言われていました。

「多くの弟子はいらない。  藤平みたいに稽古するやつが一人いたらいい。」  「オランダからカレンバッチが来たとき、他の人間は怖がって道場に来なかったけど、藤平だけが倒した。  カレンバッチは藤平のことを『リトルタイガーだ』と言っていたよ。」

155cm・53㎏の藤平先生が、187cm・110㎏のカレンバッチ先生をどのようにして倒したのか、本当に興味があります。  身長差32cm、体重差57㎏ですから。  というか、体重で見ると約半分ですね。


2.その模様を、前回紹介した『勇気ある挑戦 小さな巨人・・・大沢昇伝』(松永倫直著 スポーツライフ社)から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①当時のカレンバッチは、半身の構えから強烈な顔面へのワン・ツーを出すというのが得意であった。  そのウェートの乗ったパンチをはずされると、今度はそのまま相手の後襟首をつかみ、自分の方へと引き込み足払いを掛けるといういう法であった。  (中略)

②カレンバッチが思い切って放つパンチの下をくぐり、その懐へと飛び込んだ藤平は、巴投げで巨体を宙に浮かし投げ飛ばしたのである。  大きく一回転したカレンバッチの上に乗った藤平と、焦って巻き返すカレンバッチとがもつれ合ったところで「ヤメー!」の声がかかり、分けられた。  (中略)

③素早く動く藤平をなんとか捕まえようとするカレンバッチと、もろに当たったら一発でひっくり返るような強烈なパンチを必死にかいくぐる藤平との紙一重の攻防は、何度となく繰り返され、約30分もの間、戦いは続いたのである。』 


3.第1回全日本チャンピオンの山崎照朝先輩が、東京中日スポーツのコラム『撃戦記』を書かれています。  2020年4月21日付けコラムのタイトルは「小よく大を制した伝説の空手家・藤平昭雄 私が見た壮絶組手」でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①1階の畳道場で行われ、“見届け人”は私と小倉正一郎先輩(現・芦原会館相談役)が務めた。  小柄な藤平が巨漢にどう立ち向かうか。  道場のドアは閉められ“鉄のカーテン”が敷かれた。
 
②カレンバッチのパワーに、藤平先輩のスピード。  組手は見応えがあった。  踏み込みの素早さと左右のフットワークで果敢に出てプレッシャーを掛ける藤平に、体格で勝るカレンバッチの蹴り。  体格差を見れば誰が見たって一撃必殺の威力が勝る。
 
③ところが藤平は接近すれば蹴散らそうとするカレンバッチにガードを堅め体をぶつけるように飛び込んでブロック。  その蹴り足をつかんで倒し、のし掛かって顔面へのパンチを繰り出す。  それを延々と20分。  

④距離をつぶされたカレンバッチは最後まで強打を封じられた。  というより小柄な藤平に意識を蹴りに集中させられ、パンチを出す機会をそがれ、逆に藤平は徹底した距離つぶしでまともな組手をさせなかった。
 
⑤藤平にとって組手の相手はいつも自分より長身で、慣れがあった。  思い切りのいい飛び込みも自信に満ちていたが、それも強靱(きょうじん)な肉体があってこそ。  現役時代はベンチプレス140キロを上げ、ボクシングの練習で身に着けたロードワークも毎日欠かさない稽古の虫だった。』


4.過去のブログで書きましたが、2014年7月に藤平先生に、翌2015年7月にはカレンバッチ先生にお目に掛かる機会がありました。  極真の長い歴史の中で伝説として残る、大先輩お二人のお話が伺え、こんなに幸せなことはありませんでした。


※追伸  山崎先輩の4月20日付け『撃戦記』によると、カレンバッチ先生が4月13日にご逝去されたそうです。  79歳でした。  ご冥福をお祈り申し上げます。  

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ステフィン・カリー

私の好きなアメリカ・プロバスケットボール選手の伝記『ステフィン・カリー』(マーカス・トンプソンⅡ著  ごま書房新書)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.(カリーが所属する)ゴールデンステイト・ウォーリアーズのヘッドコーチ、スティーブ・カーはこう話す。  「ステフ(カリーの愛称)は、確かに才能に恵まれ、また卓越した技術を持っている。  しかし、彼の最大の武器のひとつは競争心だ。  ほとんどの人は、かれの態度のせいでそれに気付かないけれどね。  だが、彼は信じられないほどの負けず嫌いだよ」

2.カリーのハンドリングは、生まれ持ったものというよりは、まさに集中した努力のたまものだった。  カリーもたくさんの技を持っており、それらの完璧な動きは彼が完璧主義者であるがゆえに極めたものであり、すべての動きが自分のものになるまで練習したのだ。

3.「ステフは確かに素晴らしいシューターであることは間違いないが、純粋なポイントガードではない。  登録上は191cmだが、実際のところは185cmしかないだろう。  それに、決して運動能力が優れているわけでもない。  ところが、大学入学時にACCにリクルートされなかったようなステフが、NBAのロータリーピック(ドラフトの14位以内という上位指名)になれるところまで上がってきたんだ。  これこそ、彼の努力の量が相当なものであったことを物語っている」(著名なスポーツキャスター、ダグ・ゴットリープ)

4.「ステフはかなり練習していたよ。  必死で自分を目いっぱい追い込んでいた」と(かってのチームメイト)エーシー・ローは言った。  「俺もつねに自分自身を勤勉だと思っているよ。  チームの練習後には、必ず30分ほどは残って練習するからね。  そのコートの反対側で、彼は2時間はいるんだ。  そのあいだに俺は、シュート練習を終えて、アイシングを終えて、マッサージを受けて、もう帰る準備もできたちょうどその頃に彼は終わろうとしているんだ」

5.カリーは筋力トレーニングと持久力トレーニング系を多く行うし、(トレーナーの)ブランドン・ペインのトレーニングでは、何度も吐かされたこともある。

6.①カリーがブランドン・ペインとやっているトレーニングの一部は、クレージーなことを普通になるまでやるということだった。  とくに彼らが強調していることは、カリーのあのスキルは、どんな状況下でもできるようになるまでトレーニングされているということだった。

②究極に不利な状況下でも完璧にこなすということが容易にできるようになるまでやるということで、実際の試合ではそれらを簡単に感じられるという理論だ。  それはまるで、休日にわざと偏頭痛を誘発させて仕事をこなせるように練習し、平日に頭痛になっても仕事をこなせるようにするのと同じだった。

③ペインはそれを「オーバーロード(過負荷)」と呼ぶ。  カリーの感覚をいっぱいいっぱいにすることで、強迫的な条件下に彼を置くようにと仕向ける。  カリーの行うドリルのいくつかは、行きすぎかと思うくらいすごい。』

NBAと言えば、2メートルを超える大型選手がほとんどです。  その中で小柄なカリー選手がトッププレーヤーになるまでの苦闘がつづられています。  ちなみに、本書の副題は『努力、努力、努力。』です。  

11月15日のブログ(タイトルは「藤平昭雄先生」)でも書きましたが、小さい選手が大きな選手と同じ質・量の稽古をしていては、勝てるわけがありません。

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藤平昭雄先生

『沢村忠に真空を飛ばせた男』(細田昌志著 新潮社)を読みました。 極真の大先輩で、全日本キックボクシングの初代バンタム級チャンピオンになり、「小さな巨人」と呼ばれた藤平昭雄(リングネームは大沢昇)先生についても書かれています。  「第十三章 タイ式ボクシング対大山道場」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①藤平昭雄は1942年、品川区荏原に生まれた。  東京大空襲で家を焼かれ、一家は父の故郷である千葉県南東部の夷隅郡に移り住んだ。  中学卒業後は家計を助けるために、池袋にある編機製造工場に就職する。  (中略)

②ある日、自宅の近所で「空手道場・生徒募集」の看板を見つけた。  場所は池袋西口で職場からも近い。  「少し気分転換をしたい」という軽い動機で入門する。  この道場が大山道場(極真会館の前身)だった。

③155cm、50㎏の藤平は、入門当初、体格の大きな先輩たちにまったく歯が立たなかった。  しかし、気の遠くなるような練習量を自らに課すことで、秘めた才能を呼び覚ました。

④師・大山倍達は、藤平を次のように評する。

《何よりも、稽古熱心であった。  稽古をはじめると、7~8時間、多いときは10時間つづけて稽古した。  その間、1分と休まないんだ。  いつも4時ごろ道場へきて、稽古をはじめると、筋肉が次々と運動を要求して止まらない。  ときには、そのまま夜中の1時くらいまで、ぶっつづけに稽古していることがあった。》(『マス大山の正拳一撃』大山倍達著  市井社)』


2.私が1971年に極真会館総本部に入門したころ、大山総裁が次のようなことをよく言われていました。  

①「弟子は多くはいらない。  藤平みたいに稽古するやつが一人いたらいい。」

②「オランダからカレンバッチ(187cm、110㎏)が来たとき、他の人間は怖がって道場に来なかったけど、藤平だけが倒した。  カレンバッチは藤平のことを『彼はリトルタイガーだ』と言っていたよ。」


3.2014年7月13日の春季関東大会の後、細谷社長に招待され、藤平先生のご子息が経営するイタリアンレストランで先生にお目にかかりました。  菊澤院長・山辺・森・加賀も一緒です。  そのとき、先生に「現役時代は何時間くらい稽古されたのですか?」とうかがうと、「12時間ぐらい。  そのくらいやらないと、体が火照って眠れないだろう?」とおっしゃっていました。

ところで、私の身近に、先週夕方5時から夜中の2時まで9時間飲み続けたという人がいますが、それはそれでスゴイです。  誰とは言いません(笑)

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