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名人と体格と創意工夫

先日、BSフジの取締役でフジテレビ極真空手同好会の責任者でもある立川善久三段から、松井館長と私が食事に招待されました。  その席で松井館長が「大東流合気柔術の武田惣角先生(身長150cm)、柔道の三船久蔵先生(159cm)、極真会館の大先輩で「小さな巨人」と呼ばれた藤平昭雄先生(155cm)など、武道の名人と呼ばれる人はほとんど小柄です。」という話をされました。

ボクシングでも、かっての世界チャンピオンのマイク・タイソン選手(178cm)はヘビー級としては小柄でした。  私のブログで過去に2度紹介したマイク・タイソンの自伝『真相』(ダイヤモンド社)の「CHAPTER 4 世界チャンピオンへの道」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(マイク・タイソンを育てた名トレーナー)カス(ダマト)はオリンピックで金メダルを獲らせたあと、テレビ局と高額の契約を結んでキャリアをスタートさせる心づもりだったが、(オリンピック予選・決勝で判定負けして)思いどおりにはいかなかった。

②プロのプロモーターは誰も俺に興味を示さない。  ボクシング界の人間は誰もカスの教える「ピーカーブー(のぞき見)スタイル」を信じていなかったからだ。

③俺は背が低すぎてヘビー級には向かないと思っている人も多かった。

④そういう話は全部、カスの耳にも入っていたんだろうな。  ある晩、俺はごみを出していて、カスはキッチンの掃除をしていた。  

⑤「ちきしょう、お前にマイク・ウィーヴァーやケン・ノートンくらいの体があったらなあ」と、カスは憂うつそうに言った。  「あの体格があれば、見かけだけで相手を震え上がらせることができるのに」

⑤俺は絶句した。  今でもこの話を思い出すと言葉に詰まる。  腹が立ったし、傷ついたが、カスには言えなかった。

⑥そんなことをしたら、「なんだ、お前、泣いているのか?  赤ん坊か、お前は?  そんな程度の精神力で、どうやってここ一番を乗り切れるんだ?」と言われるに決まっていた。  感情をさらけ出すたび、軽べつされた。  だから、ぐっと涙をこらえた。

⑦「心配するな、カス」ごう慢を装って言った。  「いまに見てろ。  今に世界中が俺を恐れるようになる。  俺の名前を口にするのもはばかられるようにな」

⑧その日から俺はアイアン(鉄人)マイクになった。  百パーセント、そいつになりきった。  それまでも、ほとんどの試合で観客を沸かす勝ち方をしていたが、気持ちの上では、カスが望んでいたようなどう猛なタイプになりきれていなかった。

⑨だが、「背が低い」と言われて変わった。  リングで本当に誰かを殺したら、本物になれるんじゃないかと夢想したほどだ。

⑩カスは社会のルールなど鼻にもかけない傍若無人なチャンピオンを望んでいたから、ジャック・パランスやリチャード・ウィドマークみたいな映画の悪役を参考にした。  ごう慢で反社会的な人間の役柄に徹したんだ。』

大相撲でも炎鵬(168cm・99キロ)が活躍し、二週間前に終わった初場所では、大関を含む上位(横綱2人は途中休場)と当たり、8勝7敗と勝ち越しました。  録画を含めて毎日観ましたが、炎鵬でなければ取れない独自の取り口で、体重が倍近くもあるような大型力士にも勝っています。  

かっての名小兵力士・舞の海さんとも違った取り口で、並大抵な創意工夫ではないと思います。  炎鵬の活躍を見ていると、「体が小さい」というのは「負ける言い訳」にならないような気もしてきます。

松井館長が挙げられた武田先生、三船先生、藤平先生でも体格のハンディを乗り越えて名人と呼ばれるまでになるには、そのハンディをカバーして余りある創意工夫があったはずです。  

昨日の朝練でも話しましたが、今必要なのは選手個人々がさらに創意工夫し、自分独自の組手を作り上げることだと思います。

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無漏の法

昨年12月15日のブログで、『森繁久彌コレクション 1⃣自伝』(藤原書店)を紹介しました。  今回は『森繁久彌コレクション 2⃣芸談』です。  「無漏の法」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(紀伊國屋書店の創業者)田辺茂一さんと銀座にいた或る日。  ふとした話のはずみで、こういう御時世になると名人というものは出ませんね、といったら、突然こんな話をされた。

②「君、無漏の法てぇの知ってる?  無漏の法には四つあってね。  一つ、みだりに見ざること。  一つ、みだりに言わざること。  一つ、みだりに聞かざること。  ここまでは分かるが、もう一つこれがいいんだナ。」

③「一つ、みだりに考えざること・・・これにはまいったよ。  つまり・・・だから昔は名人が出たんだね」という話だった。

④近頃の映画、演劇の世界で、めっきり姿をかくしたのは「鬼」と「好き」と「気狂い」だろう。  私はひそかに今日まで映画を演劇を前へ進めてきたものは、この三者のどれか一つだったと考えている。

⑤映画のことがメシより好き、事実三日も食わずに仕事をしていた男が撮影所にはゴロゴロいた。  映画の気狂い、芝居の鬼も貴重な存在だった。  その連中たちは誰のタメにではなく働いた。  (中略)  

⑥そしてそのカゲで職人気質は影をひそめて意欲を喪失している。  これではいい映画も、いい芝居も生まれることは無理にも近いだろう。

⑦無漏の人たちは、全く、みだりに余所見(よそみ)をしたり、ペラペラと仕事以外のことをしゃべらない。  又仕事以外のことにやたらと聞き耳を立てたり、金儲けや、社会へのうらみごとや政治の貧困を考えもしなかったに違いない。

⑧それが最高の姿だとは言わぬが、近頃はどの仕事の場にも、上手の手から水がこぼれすぎてうすら寒い気がするばかりだ。

⑨映画も演劇も、勿論テレビもだが、ヒンシュクするような迎合主義で、情報社会は、遂に名人をしめ出したのだろう。』 

私が極真会館総本部に入門したのは1971年8月、高校三年生のときです。  

その年、『少年マガジン』で(大山倍達総裁の生涯を描いた)『空手バカ一代』の連載が始まり、本部道場は入門者であふれかえっていました。

1974年10月に初段となり、11月の第6回全日本大会に出場します。

その頃の本部道場には、空手以外のことは何も考えていなさそうな猛者(笑)がゴロゴロいました。

名人になるかどうかは分かりませんが、空手を極めるには、「空手以外ことは考えない」 「空手の鬼になる」 「空手がメシより好き」 「空手の気狂いになる」ことが、ある時期必要だと思います。 

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少年部と試合

昨日は城西支部の内部試合でした。  午前中が型で、午後がセミコンです。  午後の閉会式で話した内容について、改めて補足解説します。

『①極真会館では現在、(1)大山倍達総裁が創られた直接打撃制のフルコンタクトルール組手、(2)十数年前から実施している型、(3)昨年から実施している顔面寸止めありのセミコンタクトルール組手の3形式の試合競技を行っています。

②空手の流派によっては試合競技を行わず、実戦を想定した生涯武道としての修行を行うところもあります。

③試合を行うことには、(1)試合を目指すことがモチベーション(動機)となって稽古に打ち込むことができる、(2)試合の緊張感や恐怖感を体験することによって性格の強化につながる、(3)試合の結果によって自分の実力が良くも悪くも明確になる、(4)試合に勝つことによって達成感や感動を体験することができる、(5)試合に共に参加する選手との共感を通じて多くの仲間を作ることができる、などのメリットがあります。

④昨日の試合でも勝って喜ぶ姿や、負けて悔し涙にくれる姿を目にしました。  その喜びも、その悔しさも、明日からの稽古のモチベーションにすれば、より一層稽古が充実したものになるはずです。

⑤ただ、私が危惧するのは、ご父兄や指導者などの関係者が試合の勝ち負けにこだわるあまり、勝った選手を持ち上げすぎたり、負けた選手に対して必要以上に叱咤激励することです。

⑥私が極真会館総本部道場に入門したのは、1971年高校3年生のときでした。  その頃は少年部は極めて少なく、多くは地方の高校を卒業後上京して入門する一般部でした。  そして、その延長線上に全日本大会があります。  トップ選手でも空手歴は数年でした。

⑦現在は少年部が充実し、城西でもそうですが選手のほとんどは少年部から稽古を始めています。  ですから、鎌田翔平みたいに空手歴26年というようになるわけです。

⑧幼年部・少年部については、今の試合結果に一喜一憂することなく、将来成人したときに全日本選手となることを目ざして、長期計画で空手に取り組むというのが、私の理想です。

⑨7月7日のブログ(タイトルは「一万時間の訓練」)、7月21日のブログ(タイトルは「継続 ひたすら継続」)でも書きましたが、最低でも10年間は空手を稽古してもらいたいと思っています。  もし仮に、将来全日本選手を目指さなかったとしても、少年時代に極真空手を10年続けたとしたら、その子が成人した後の人生において計り知れない自信になるはずです。

⑩「10年間の稽古」を前提とすれば、目先の試合の勝ち負けにこだわり過ぎるのはナンセンスです。  逆にそのことによって、好きだった空手を嫌いにさせてしまうことは、我々指導者も含め、最もやってはいけないことです。  ご父兄の皆様にも、何卒ご理解をいただきたいと思います。

⑪試合に参加したからといって必ず「勝てる」わけではありませんが、参加したことによって必ず「成長」はします。

⑫指導者やご父兄には、負けたとしてもどこか成長したところを見つけて、1つでもいいから誉めてあげてもらいたいと思います。   堂々と試合していた、最後まで諦めずに頑張った、大きな気合いを出していた、などどんな小さなことでもかまいません。  そのことが、悔し涙にくれている選手に、勇気とエネルギーを与えるはずです。』

7月21日のブログでも紹介しましたが、極真空手の創始者である大山総裁も、晩年「石上10年」とよくサインされていました。  この年になって振り返ると、物事は大体10年単位のスケジュールで進んでいくな~、というのがわかります(笑)

今回は、私自身への自戒も込めて書いてみました。

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